08.そして、彼は進化する
「思った通り欲がないのですね、兄さん」
「莉桜が、今は気にするなっていったんだろう」
まずは、このダンジョンから脱出することに集中しよう。
その考えを読んだかのように、「兄さんのことは、なんでも分かっていますよ」と言わんばかりに微笑む莉桜。
「私の作った人形が、兄さんのためになっているのであれば良いのですが」
「もちろんだよ」
死んだはずが、妹と再会できた。
そして、莉桜を守る力まであるのだから。
体が人間じゃないなんて些細なこと……じゃないけど、問題にはならない。
「……とりあえず、レベルアップしたんなら、新しい能力を確認しようか」
「そうしましょう。既に、自動的に更新されていますよ」
「どれどれ」
莉桜がかざす『鳴鏡』に目を通す。
●戦闘値
【命中】71(↑3)、【回避】52(↑1)、【魔導】41(↑1)、【抗魔】42(↑1)、【先制】48(↑2)
【攻撃】72(↑12)、【物理防御】-(25/↑5)、【魔法防御】30(↑7)、【HP】-(120/↑20)、【MP】20
能力値は変化ないので省略。代わりに、戦闘値が軒並み上がっていた。特に、攻撃は上がりすぎじゃないだろうか?
「特技も増えていますね、兄さん」
「どれどれ」
・《武器の手》
取得レベル:2
代 償 :なし
効 果 :武器の扱い方を習得した。武器を使用した際、命中にボーナスを得る。
また、構造的に武器が持てない手であっても操ることができ、身体構造もそれにあわせて変化する。
ほう。
簡単に言うと、器用になったって感じか。
「なるほど。これは、意識して使用する能力ではないですね」
代償もなしになってるし、『魔素』は減らないんだな。素晴らしい。
「実戦の前に、一度、試しておきたいな」
「そうですね。しかし、適当な武器はありませんが……」
「いや、そこにあるだろ」
腰を屈めるつもりで動くと、そんなものなんかないにも関わらず、ぐにょんと腰が曲がる。
ほう。《武器の手》だけど、影響範囲は手に関する部分だけじゃないんだな。
手頃な石に手袋の先で触れ……ようと意識するだけで、しっかりと保持された。持ち上げても、石は落ちたりしない。握っているというよりは、磁石でくっついているような感覚だ。
そして、ソフトボール投げの要領で投擲。
そう。伸びきった両手から繰り出されるサイドスローではない。胸を反らし、肘を曲げ、肩を回して投げるオーバースローだ。
おおっ、すげぇ! 人間に近づいたな。まだ2レベルだけど!
俺の感動も乗せた石は、びゅんと風を切る音を発し、人間だった頃とは比較にならない速度と勢いで飛んでいく。
世界を狙えそうなボールは真っ直ぐな軌道で進み、洞窟の壁に当たって四散した。というか、壁もへこんでないか?
あれが生物に当たったらと考えると……考えたくない。
さすが、一般人の限界を遥かに超える【筋力】120だ。これだけで、充分、武器になる。
「ああ。ほんとだ。《武器の手》すげえな」
自由自在とまではいかないが、鞭のように曲がるようになった両手を無意味に動かして感動に浸った。レベルアップって、良いものだな。
「兄さんが喜んでくれて、私も嬉しいです」
我が事のように、いや、それ以上に喜び笑顔を見せる莉桜。
妹が生きて、嬉しそうに笑っている。
それだけで、心に明るい光が射した。
ゼラチナス・キューブの脅威を退けた俺たちは、莉桜の家を捨てて旅立つことになった。
せっかく守った家だし、当初は家主次第で拠点にしようと思っていたが、周囲の環境が安住を許さない。
古代魔法帝国――それがどれだけ凄いのかよく分かっていないが――の遺産だというクラウド・ホエール。それに飲み込まれたのは、俺の『星紗心機』が狙われているから。
悠長に過ごしていては、同化――というよりは消化――されかねない。
「貴重な資料や素材もありますが、兄さんが完成した以上、特に意味はないですからね」
という妹の割り切りもあり、荷物は最低限。食料は、俺が|《物質礼賛》《ナヘマー》で作れば良い。
しかし、惜しいけれど残していくというよりは、積極的に捨てていきたいという印象を受けるのが気にかかる。
どうも、転生してからのことは話したくないという気配が妹から伝わってくる。
兄としては難しいところだが、状況が落ち着くのを待つべきだと判断を下していた。
転生しても、莉桜は莉桜。
それは紛れもない事実であるが、変わらないものも、また存在しないのだろう。哀しいことだが、仕方がないことでもある。成長と変化は本質的に同義なのだから。
こうして、俺と妹はダンジョン攻略へ旅立った。
……のだが。
「そもそも、なにをもって攻略完了になるんだ?」
別れ道へと戻る道すがら、俺は莉桜に問いかけた。
根本的な問いである。分からずに攻略とか言ってたのかよと、非難されても仕方がないところだ。
相手が、莉桜以外であったなら。
「そうですね。それを予め定義しておくのは重要ですね」
むしろ俺が抱いた疑問を賞賛する。甘やかしすぎだ。
その妹は、肩が膨らんだ水色のワンピースの上から、服全体を覆うようなエプロンを身につけている。人形師なのだから、そのエプロンはファッションではなく実用品だろう。
今はさらに、ポンチョを羽織り、『鳴鏡』などを収納した鞄も背負っている。なんとなく、童話の赤ずきんを思い起こさせる取り合わせだ。
まあ、赤ずきんは『ヴァグランツ』――浮遊する鉄球など従えたりはしないだろうが。
「人や魔物の体内に魔石があるように、ダンジョンにも、『魔素』が凝縮された中核が存在します。簡単に言ってしまえば、その中核を破壊したらダンジョンは崩壊します」
「露骨すぎる弱点だな」
……いや、そうでもないか。
「それ、例えば分厚い壁の中に中核があったりしたら、詰みじゃないか?」
「その心配はごもっともですが、大丈夫です。効率的に『魔素』を集積する関係上、大気に触れている必要がありますから」
「一方的に有利な状況にはならないか」
そこは一安心だな。
しかし……。
ぴょんぴょん跳躍しながら――慣れたというよりは、既に当然と受け入れている――俺は、またしても疑問に囚われた。
俺の体は別にしても、不思議なことが多すぎる。
「なあ、莉桜」
一歩後ろを楚々と歩く妹に、呼びかけた。
「なんでしょうか?」
「そもそも、ダンジョンってなんなんだ?」
「それに答えるのは、即ちこの世界を語ることと同じですが」
「しゃべりながら移動したって構わないだろ。警戒を怠るつもりはないしさ」
ストーカー男から始まり、今日は出くわす相手すべてに不意打ちを受けている。いい加減、そのパターンにも飽き飽きだ。『ヴァグランツ』のみんなも警戒しつつ浮遊してるし、二重チェックは万全だ。
「では、そうですね。ダンジョンとは、『魔素』が濃くなりすぎて現実が歪められた空間を指します。そのため、本来の意味である地下牢の他、森の中や平原、海上にも現れる場合がありますね。世界で初めて発見されたダンジョンが、とある城の地下にできたものだったので、以降、慣習的にダンジョンと呼ばれています。定義的には、魔境や異郷などと呼ぶべきでしょう」
なるほど。
心から理解できたとは言えないが、とりあえずうなずいておく。
「俺の動力源は、そんなこともできるのか」
なので、卑近なところから理解を進めるしかなかった。
「ええ。そもそも、『魔素』とは神話の時代に絶対悪と戦い滅びた神々の肉体の残滓ですから」
「話のスケールが、一気にでかくなったな」
神々と、絶対悪……ね。ゾロアスター教か?
世界を語るのと同じってのは、適当言ってるわけじゃなかったようだ。
そろそろ、別れ道まで半分ってところだろうか。そこまでに終わるのか不安になってきた。
「世界と生命を創造した神々の欠片が現実を改変する力を持っているのは、むしろ当然でしょう」
「理屈は分かったよ。それで話をダンジョンに戻すけど、ダンジョンって普通に出ることはできないのか?」
「できますが……」
「できるのかよ!」
当たり前みたいに返された。びっくりしたわ。
「ああ、いえ。ですが、クラウド・ホエールのダンジョンは、体内がダンジョン化しているという特殊なケースですから。最下層でコアを破壊して、ダンジョンそのものを霧散させるしかありません」
「最下層って決まってるんだ?」
「はい。ダンジョンは下層ほど『魔素』が濃くなり、徘徊する魔物も強くなる。そういう法則があるのです」
異世界ならではの法則だな。
そういえば、転生したという莉桜が同じ姿なのも、また別の異世界の法則に関連しているんだったか。
「ダンジョンは、あふれる『魔素』や自然に生み出される財宝で動物や人を誘い、喰らい、我が物とします」
「食虫植物か」
「さっきのゼラチナス・キューブも、クラウド・ホエールに食べられ『魔素』を吸収されたあと、ダンジョンの魔物として再構成された存在ですね」
「でも、あいつらも魔石を持ってたぞ。それじゃ、赤字……じゃないかもしれないが、利幅は薄いんじゃないか?」
「手足となって働かせるには必要なことですし、それに、必要なときに『魔素』へ還元させられますから」
……ダンジョン、マジブラック。
「そして、充分な『魔素』を集積したコアは、新たな生命として生まれ変わるのです」
「……神にでもなるつもりなのか?」
神の肉体だった物を集めて生まれるのであれば、それもまた神ではないか。
そんな俺の思いつきを、妹が肯定する。
嫌な方向に。
「だとしたら、邪神か禍神でしょうね」
思わず、足が止まった。
「ダンジョンが羽化した例はいくつかありますが、その度に地図が書き換わる結果になっています」
「災害、いや、戦争レベルかよ」
「そのため、命知らずの冒険者を育成し、ダンジョン内の魔物を間引いては成長をコントロールしています。魔石も重要な資源ですから」
結構、大変な世界だな。
しかし……。
俺は、歩み――跳躍だが――を再開しながら考え込む。幸いにして、他者の気配はない。
『魔素』を集積し、成長するダンジョン。
――それは……。
「俺の『星紗心機』ってのも、ダンジョンと同じか」
まるで、俺のようだった。
「言われてみるとそうですね。収斂進化ではありませんが、『魔素』を扱う以上、そこに行き着くということかもしれません」
あれぇ?
結構シリアスに言ったつもりだったが、莉桜には伝わらなかったらしい。なんか、学術的に考察されている気がする。
まあ、良いか。
莉桜が、不器用だけど、俺は不気味な存在じゃないと言ってくれている。その心意気を汲むのが兄というものだ。
なんとなく胸の辺りが暖かくなるのを感じつつ、俺たちは洞窟を進む。
程なくして、俺たちは別れ道へと到着した。