エピローグ:そして、彼は再会する
「ンフ」
不気味な。
場にそぐわない粘つくような笑い声が聞こえた。
「あはっ、あははははははははははははは」
それに続く、哄笑。
勝利に沸く俺たちに冷や水を浴びせかけるような笑い声。
それは、エレナから、発せられていた。
いたいけな表情を、欲情に歪めて。
勝利に沸くはずの場面は一変。得体の知れない不気味さを感じ、あのファイナさんですら様子を見るに止まっていた。
一体、なにが起こって……?
「やっと。やっと、この時が来たっすね」
エレナが。
エレナなのに、まったく違う口調で、声で。
それでいて万感の思いを込めて、感慨深いと感動を口にした。
まるで人格が変わってしまったかのよう。
いや、それよりも。
そのちょっと変わった口調を聞いて、俺は石のように固まった。もともと石巨人だろ、ツッコミも浮かばない。
まさか。そんな……。
あり得ない。あり得ないだろ?
「なるほど。そちらが本性ということでござるか。見抜けなんだは、一生の不覚」
それでも、一番立ち直りが早かったのもファイナさんだ。
ほとんど柄しか残っていない刀を手にし、油断なくエレナ――のようなものに鋭い視線を向ける。
「人形に人格を与える人形師にとって、自らに異なる人格を植え付けることなんて容易いことっすよ。まあ、不肖の弟子は究極の人形にこだわりすぎて、その弟子に基本も教えてないみたいっすけど」
ジョゼップをこき下ろすその言葉は、自白に等しい物だった。
「ヨハン……」
莉桜の唇から、本来は出てくるはずのない名が紡がれ草原の風とともに消えていく。
人形師ヨハン。
ベトンドルプの街の支配者にして、たった今、城巨人ベトンドルプとともに滅び去ったはずの男。
だが、それは誤り。
結局、人形のヨハンも繋がれたヨハンも人形師ヨハンその人ではなかった。
彼女が、彼女こそ最高の人形使いと称される、古代魔法帝国時代からの生き残り。真の人形師ヨハンだったのだ。
けれど、それは驚きではあっても、まだ理解の範疇にある。
「人形師ヨハン、あなたは本当に古代魔法帝国の生き残りなのですか?」
「そうっすよ」
「では、そのあなたが見ず知らずの兄さん……究極の人形に拘泥するのはなぜです」
「ぬふふ。当ててみるといいっすよ」
莉桜の遠慮のない糾弾を受けても、エレナの姿をしたそれは無邪気な笑顔を浮かべている。
変わったのは内面だけ。
エレナの姿は変わらない。赤い髪の小さな女の子のまま。
それを気にとめることもなく、莉桜の舌鋒は鋭く切り込んでいく。
俺は、高いところから、二人のやりとりを呆然と眺めるだけ。
「進化の果てに手にするとされる神にも匹敵する力を利用し、古代魔法帝国を再興することですか?」
「違うっす」
「では、魔術師として、すべての知識を得ることですか?」
「興味ないっすね」
「ならば、業魔を滅ぼすことですか?」
「大外れっす」
莉桜の指摘は、この世界の人間としては妥当なものなのかもしれない。
だが、俺の知る彼女なら、すべて否定しても驚きはなかった。
「風間……」
俺がつぶやいたのは、別の名。
「兄さん……? 風間……さんですか? 一体、なにを?」
ああ、本当にどうしてだ?
計算が合わない。
理屈に合わない。
それでも、その特徴的なしゃべり方を忘れるはずがない。他にもいないだろう。
風間。
大学のサークルの後輩で、俺がストーカー男からかばった女性。
明るく、人なつっこくて、誰とでもすぐ仲良くなれて。
たぶん、だからストーカー男みたいな勘違いを引き起こしてしまった。
エレナにも、ノインさんたちメイドの人形にも見覚えがあったのはある意味当然。もちろん、風間はエレナみたいな赤い髪じゃなかったし、年齢だって違う。
それでもデジャヴを感じたのは、顔のモデルが彼女自身――風間だったからだったんだ。
「俺は結局助けられなかったのか……?」
「そこは、わかんないっす」
風間は莉桜から石巨人の俺へと視線を移し、あっけらかんと、笑顔さえ浮かべて答えた。
そんな風に言われると、二の句が継げない。混乱している自覚はある。だが、自分でもどうにもならなかった。
「記憶があるのは、先輩が運ばれた病院の待合室まで。気づいたら、こっちに来てたんすよ先輩。もう、あたしにとっては何百年も前の話っすけど」
何百年も前?
なにがどうなって、そんなことになったのか。いや、今はそんなことはどうでもいい。
俺や莉桜のように転生したらしい風間の苦労。それも、想像を絶するそれがあったことを思うと、言葉が出ない。
ある種の後ろめたさを感じてしまったが、しかし、うちの妹にそんな感情は存在しない。少なくとも、表に出すことはなかった。
「なるほど。ヨハンが究極の人形に拘泥しているという前提が誤りでしたか」
そう……なの……か……?
「いえ、そうでもないっすよ。先輩に勝ったら自分のものにしたいって言い出したのは、あのヨハンっすから」
「どういうつもりだったんです?」
「さあ? 案外、先輩を保護するつもりだったかもしれないっすね」
まあ、無駄な努力でしたけどと、悪意の欠片もない笑顔で続ける。
それを目の当たりにし、莉桜は大きなため息を吐いた。
「大した執念ですね。とんだストーカーです」
「愛が深いなんて、そんな照れるっす」
「別の人格と偽名まで作って兄さんの懐に飛び込んでくるなんて。しかも、あんなにべたべたと」
「いえいえ、義妹さん。人格は私がベースですし、名前もちゃんと本名っすよ」
「そうなんですか?」
莉桜の視線が、俺へと向かう。
だが、俺はこんな巨体で狼狽えることしかできないでいた。
「仕方ないっすよ。だって。先輩、あたしの名前知らないっすよね?」
そう。実際、その通りだった。
付き合いは大学のサークル内だけ。
最初の飲み会で自己紹介があったかもしれないが、記憶にない。その後も、名字でしか呼ぶことはなかった。スマホのアドレス帳に登録されているのも名字だけ。
だから、俺は風間の名前も知らなかった。
「風間恵令奈。こっちでは、人形師ヨハンで通ってますが、これが本名っす」
「兄さん、さすがにこれはどうかと……なんてお説教する私じゃありませんよ? それくらいの距離感がベターです。さすが兄さんです」
「やれやれっすねだって、先輩は義妹さんしか興味がなかったっすから」
「いや、そんなことはないだろ」
さすがに、それは看過できない。
しかし、風間はおろか、莉桜やファイナさんからも同意の言葉はなかった。存在しているのは、無言の空間だけ。
「だから、ラッキーだなって思ってるんすよ」
その沈黙を破ったのは、エレナの姿をした風間だ。
「ちゃんと義妹さんがいる世界で、先輩ともう一度やり直せるんすから」
「……自分が選ばれると思っているんですか? なにを根拠に」
「それは、お互い様っすよねー」
「ええ。確固たる絆がないと、こんなに滑稽に聞こえるものだとは知りませんでした。反吐が出ます」
ファイナさんの「どっちもどっちでござるな……」という視線はさておき。
「というか、風間、俺のことが? そうだったの?」
実質告白を受けたような俺は、またしても狼狽した。
あった? そんな空気あった? 信頼されているとは思ってたけど、ただの先輩後輩じゃなかった?
「いいですよ、兄さん。その鈍感っぷりも素敵です。が、もう少し鈍感さを押さえて、完膚なきまでに振っておくべきでしたね」
「その点に関しては、なんかほんとすまない……」
莉桜の発言も含めて……。
「大丈夫、大丈夫っす。全然予想通りのリアクションなんで」
それに、先輩が命がけであたしを助けてくれた事実は消えないっすから。
風間は、笑ってそう付け加えた。
「それに、こっちに生まれ変わって何百年。ここまでの展開は、全部識ってましたら」
「まさか、未来が分かる能力を持っているなんて言わないですよね?」
「ご明察っす」
莉桜のうさんくさげな指摘にも、風間は天真爛漫な態度を崩さない。
こういうところは、エレナを彷彿とさせた。
当たり前か。どっちも風間なんだから。
「お互い姿は変わっても、また先輩に会える。やり直せる。最高じゃないっすか」
風間が、俺を正面から見つめて。
外見的には面影どころか、共通点を探すのも難しい俺を見上げて言った。
「先輩。ここから先は、あたしも知らない世界っす。ねえ、二人で、歴史を作りましょう?」
「それは無理でござらんかなぁ」
風間の告白が最高潮に達した瞬間。
最高のタイミングで、ファイナさんが割って入った。
ずっと話の行く末を見守っていた――というか、意味不明な台詞の応酬に戸惑い続けていた――ラミリーさんとガンソさんも、ぎょっとした表情を浮かべている。
「はっきり言うと、お屋形さまからの好感度は最悪でござるよ?」
「そんなことはないと思うっすけど……」
「今は驚いているからそう思えるだけでござる。このあと、冷静になったら、どうなることやら」
そこは、どうなんだろう?
確かに、自分でも混乱していることは自分でも理解できた。
この後、風間への気持ちがどうなるかなんて分からない。
ファイナさんが言う通り、人形のヨハンとしてやったことを許せないと感じるのか。それとも……。
しかし、俺の逡巡をよそに、風間はぶれない。
「それでも、いいんすよ。だって……」
顔を赤らめ、もじもじしながら彼女は言った。
「好きな人には、全部知ってもらった上で、受け入れてもらいたいじゃないっすか」
あははと、無邪気に笑う恵令奈。
純粋で。
健気で。
ゆえに、狂っている。
「それじゃ、名残惜しいっすけどお別れっす」
エレナの体が、くたっと折れ曲がった。
まるで、演者を失ったマリオネットのように。
ファイナさんが半ばから折れた刀を構えるが――それが振るわれることはなかった。
「傀儡を斬っても、意味はないでござるな」
「風間……」
「今度はちゃんとした体で迎えに来るっす」
そんな体勢なのに、今まで通り。明るい口調で別れを告げる。
「でも、先輩から会いに来てくれるのなら、それはそれで嬉しいっすね」
それっきり、エレナの体は動かなくなった。
恵令奈の声が、発せられることもない。
無人の草原に、俺たちだけが取り残された。
というわけで、第三章終了です。
次章の予告に関しては……はい。必ずお届けしますので、お待ちいただければ幸いです。
20日と少しのおつきあい、誠にありがとうございました。




