21.そして、彼らは脱出する
「終わった……のか?」
「これで終わりでないとしたら、街そのものを廃墟にするしかござらんなぁ」
でかいとしか言いようのない体ごと後ろに下がりつつ、ヨハンの居城に突き刺した刃羅を引き抜く。
その剣先には、様々なもの――城とか、チューブとか、この世とか――から引きはがされた老人の体が串刺しにされていた。
人形師ヨハン。
その哀れな最期。
そのはずだった……が。
「なんだか揺れてないか?」
「いや、こんな場所だから揺れるのは当たり前だろう」
「ゆれてるー」
ラミリーさんの言葉に対するガンソさんの慎重な意見を、エレナの天真爛漫な言葉が打ち消した。
足場である俺も揺れているが、揺れているのは俺だけじゃない。
ベトンドルプ。この街自体が、震源だ。
俺が攻撃したヨハンの居城だけでなく、その周囲の建物も大きく揺れ、崩壊しつつあるんだから間違いない。
本当に、人形師ヨハンがダンジョンの中核だったのか?
手応えのなさに疑問は残るが、現象としては中核を失ったダンジョンが崩壊するという理屈通りの展開ではある。
クラウド・ホエールダンジョンの時は、崩壊して外……というか、空中に投げ出されたんだったか。
「兄さん、考察は後です」
「ここはとにかく、脱出でござるな」
今回も同じように街の外へ出られるのか。
それは分からないし、このままだと瓦礫が落ちてきて危険だ。地面が割れて地下道へ逆戻りという可能性だって否定できなかった。
そうなったら、みんな仲良く生き埋めだ。
「ああ。みんな、俺の手に移動を」
しかし、肩に人を乗せたままじゃ走れない。そして、こんな状態じゃみんなを地面に下ろすなんて危険極まりない。
「拙者は、肩に残るでござるよ」
もちろん、ファイナさんは常に例外である。
「そうか。それしかねえか……」
ファイナさんに抱えられて走るのと、俺の手に身を委ねるのと。
どっちがましか考えれば、自然と後者に天秤が傾く。
「兄さんに包まれているようで、素敵ですよね」
まあ、最初から選択肢がひとつしかない妹もいたりするけど。
刃羅は格納し、莉桜とエレナに、ラミリーさんとガンソさんと、二人一組をそれぞれの手で優しく握りこんだ。
ちなみに《隠し腕》は、とっくに元に戻っている。人形のヨハンを握りつぶした直後だけに拒否されるかとも思ったが、そんな場合じゃないと感情を理性で抑えてくれたようだ。
絶対に握りつぶしたりしないよう心に刻みつつ、俺は走り出した。行き先は、自分でも分からない。とにかく、街の外へ。
腕は振らずできるかぎり足を早く動かして、石巨人となった俺は街を駆け抜ける。
……というのはあくまでもイメージで、ドシンドシンと足音を響かせる鈍重な動き。
倒れる建物を避け、あるいは手が使えないので頭から突っ込んで排除し、地面に積み重なった瓦礫を踏み分ける。気分は、怪獣映画のスーツアクターだ。
それなりに距離は稼いでいるし絶対に歩くよりは速いんだが、残念なことにそうは見えない。
おまけに、いつの間にか霧も晴れ、神秘性も消え失せていた。
本当に危なくなったら、《疾走》を使おう。でも、この状態で《疾走》を使ったら地面がどうなるか分からないから、本当にどうしようもないときだけにしよう。
「街が崩壊しているのか、お屋形さまが壊しているのか。俄に判別がつかぬでござるな。うわっはっはっは」
「ファイナさんはデリカシーが足りない!」
そこ、俺も気にしてた所なんだよな。
いやまあ、ファイナさんに配慮とか求めても無駄なのは知ってるけどさ!
「ま、気にしても仕方ござらん。飛ぶが如くといかぬまでも、疾く壁を越えねば」
「また街中に戻されたらどうします?」
「本当にこの街を廃墟にするしかないでござるな。なぁに、そのときは拙者も協力いたす」
「なにも考えてないだけだ、これ!」
とはいえ、俺も他にアイディアはなかった。師弟そろってノープラン。
そんなことにならないよう祈っていると、目の前に街の外壁が迫っていた。
「では、拙者が露払いを」
ぽん、と。
散歩に行くよりも気軽に俺の肩から跳躍したファイナさんが、頑丈さだけが取り柄の数打ちの刀を抜いて壁そのものに狙いを定めた。
「紅龍蒼牙――《焔禅一如》」
かつて“俺”を消し飛ばした、流派・紅龍蒼牙の奥義。
その直撃を受けた外壁は、表面に深い真一文字の創傷を穿たれ、瞬く間に広がり、そして、崩壊した。
どんなに壁が分厚くとも、“俺”より強いはずがない。
ある意味当然の結果で、同時に、相変わらず非常識。威力に耐えきれず刀が半ばから折れても平然としている。
「よっと。このまま、突っ切るでござる」
「行きますよ!」
当たり前のように、俺の肩に戻ってくる辺りなんか特に。
まあ、ファイナさんが壁を壊すことを疑わず、スピードを緩めなかった俺に非難する資格はない。
ただ、その判断は正解だった。
崩壊する建物。
亀裂が走る大地。
「《疾走》」
廃墟と化すベトンドルプを背景に、俺はラストスパートをかけた。これで、残る【MP】は8。
レベルアップ寸前だが、今は温存しても仕方がない。
「おおうっ。これは、愉快」
なにかのアトラクションと勘違いをしているファイナさんの声を聞きながら、壁の残骸を突進してはね飛ばし、街の外へと飛び出した。
そして……。
「戻ら……ない……?」
「どうやら、霧が晴れたことで不思議な力もなくなったようでござるな」
今まさに崩れ落ちているベトンドルプと地続きとなっている外の世界。
霧に阻まれることなく太陽はさんさんと降り注ぎ、見渡す限り草原が広がっていた。
街道らしきものは見当たらず、一体ここがどこなのか分からないが、人形の街から、確かに外の世界へと戻ってきたようだ。
視点が高いのでよく見えるが、危険な動物とか魔物とかも見当たらない。
「莉桜、エレナ。もう大丈夫だよ」
俺は膝を曲げて――ブロックが積み重なっているだけのように見えたが、ちゃんと曲がる――ずっと右手で握っていた二人を地面に下ろす。
「うわわっ。明るいね!」
「私は、もう少し兄さんに包まれていたかったのですが」
と言いつつも、『ヴァグランツ』を展開させながらではあったが、地面を踏みしめ大きく伸びをする莉桜。充実感にあふれていた。
開放感を憶えているのは、左手のラミリーさんとガンソさんも同じだ。
「ほんと、生きた心地がしなかったぜ」
「死ぬよりはましだが、それにしても……だな」
二人とも青を通り越して白い顔で、その場にへたり込んでしまった。
まあ、これが普通の反応だろう。
早速、俺の足下で「おにーちゃん石だね、でっかーい」とか「そうです。兄さんはでっかい人なんです」と騒ぐ女性陣が異常なのだ。
「いささか、暴れ足りぬでござるな」
俺の肩から、とんとんとんと軽いステップで腕を足場に地面へ降りた、ファイナさんも含めて。
「とにかく、助かった……」
「しかし、窮地からの逆転に必要だったのだろうとはいえ、お屋形さまのこの姿では街に入るのも容易ではござらんな」
「私のゴーレムということで、使い魔扱いするしかないですかね……。まあ、元々私と兄さんは家族なのですが」
善後策を練っているような振りをして、さりげなくないアピールをする莉桜。
使い魔と家族で韻を踏めているのか判断できかねるが、すがすがしいほどに、いつも通り。
それでなんだか、本当に終わったという実感が湧いてきた。
「まずは、エレナを故郷に帰してからの話だけどな」
必要であれば、ラミリーさんとガンソさんも。
一難去ってまた一難といったところだが、後のことを考えられるようになったのは、ひとつの事件が終わった確かな証。
人形師ヨハンは最期を迎え、俺たちを閉じ込めた人形の街は数多のゴーストタウンと同じ末路をたどった。
それを知るのは、この場にいる6人だけ。
――そのはずだった。
「お屋形さま、リオ殿、お静かに」
不意に、ファイナさんが鋭い声をあげた。
ラミリーさんとガンソさんが弾かれたように顔を上げ、エレナが両手を交差させて口をふさぐ。
ずしんずしんと、ベトンドルプから震動が伝わってくる。
それはまるで、俺の足音に似ていた。
いや、一回り大きくしたかのよう。
その印象は、間違っていなかった。
それどころか、この上なく正鵠を射ていた。
崩壊し、脱出を果たしたベトンドルプ。
その境界を越え、城が俺たちのいる草原へと姿を現した。
足を生やして。
街とともに崩壊したはずだった、ヨハンの居城。
刃羅で貫いたはずの最上階は修復され、先端がとがった頭部へと姿を変えている。
胴体は、城のようにも教会のようにも見えた建物そのもの。
そこから、石とも鉄ともつかない二足四腕が生えていた。
お世辞にも、スタイリッシュとはいえない。
無骨どころか、雑然としたフォルム。
だが、だからこそ。
異様で、不気味で、気圧されてしまう。
――普通は。
「やれやれ、兄さんのコンセプトをパクるとは。人形師ヨハンも落ちたものですね」
「ほう。これは、食いでがありそうな」
「しかも、隠しもせず腕を増やすとは恥知らずな」
「まあ、まだ他にも隠している可能性もあるでござるよ」
分かってる。この二人を基準にしちゃいけないってことは。
一方、エレナも、ラミリーさんもガンソさんも、ぽかんと口を開けて言葉もないといった状態。
どちらかと言うと、俺もこっち側だ。
なぜ? どうして?
いや、まあ、ヨハンが生きている――と言っていいのか分からないが。とにかく、まだ存在していることは良しとしよう。この巨体で百歩譲って。
だけど、なぜあんな姿に?
「ようこそ、城巨人ベトンドルプの落成式へ」
城巨人の内部か。あるいは、それ自体からか。
すでに別れを告げたはずのヨハンの声が辺り一帯に響き渡った。
城巨人ベトンドルプ?
ベトンドルプの街の名は、秘匿していたヨハンの人形の名でもあったということか? いや、あれを核にして街という名のダンジョンができあがったのか。
ていうか、そんなん分かるか!
「招かれた憶えはないけどな」
地面に下ろしたみんなを庇うように、俺は城巨人と相対した。
端から見れば、完全に特撮の世界。
人形も魔法もある異世界とはいえ、この光景は異常に違いない。
「自己進化人形アンドレアス。キミは自動参加だ。拒否権はない」
「ならせめて、こうも狙われる理由を知りたいもんだな」
「作ったはいいが、使い道がない。それは、被造物にとってこの上ない不幸だ」
両手を広げ、続けて腕で体を抱きしめ城巨人が悲嘆を表現する。
「その出番が来たとなれば、逃す手はないだろう?」
「まさか、俺と戦いたかったってだけ……?」
「まさか、まさか」
ヨハンが笑顔……は浮かべられないが、実に楽しそうなトーンで言った。
「もちろん、その通りだとも」
あり得ない。
なにを考えているんだ。
そりゃ、正常ならあんなもんを作ったりはしないし、あまつさえ、自分自身の肉体にすることなんか絶対にないだろうけどさ。
「はた迷惑すぎる……」
とにかく、この一言に尽きた。
さすがに、ベトンドルプが俺を狙って作られたということはないだろう。
だが、ジョゼップの動向を監視していたヨハンは、これ幸いと俺を霧の街に取り込み。
宿の仕込み――ヴァイグルさんとネリィさん――を使って、ヨハンと敵対するように仕向け。
俺がまだ足りないと見るや、罠にたたき込んで成長を促した。
すべては、作ったはいいが使い道のなかった城巨人ベトンドルプの相手をさせるために。
訓練や模擬戦なんかじゃない。本当に本気の戦闘がしたくて。
心ちゃんが雑だって嫌がるわけだ。
俺の成長を心から楽しもうとしたところ、無粋で邪な干渉を受けたんだから。
「では、納得したところで始めようではないか」
「納得なんかしてないけどな」
「納得とあきらめは同義だ」
「勝手に言葉の定義を歪めるなよ」
なにを言っても無駄だ。
ヨハン。いや、城巨人ベトンドルプは、俺が拒否すれば莉桜たちに標的を変えるだろうし、最悪、近くの街を襲撃する可能性だってある。
そして言うのだ、犠牲者が出たのは俺のせいだと。
「いいぜ。ジョゼップのついでだ。うちの妹にちょっかいかけてくる不良人形師は俺が相手になってやるよ」
結局は相手の思惑通りだが、構わない。
ここで後腐れなく倒してしまえば、そんなもの飛び越えることになるのだから。




