17.そして、彼は鎧袖一触する
「このシチュエーション、悪くないですね」
「いきなりなんだ」
二歩だけ先行している俺は、振り向かず答えた。
莉桜の独特な感性には慣れているが、今回も唐突だ。
「エレナの手を引いて兄さんの後ろを歩く。これはもう、夫婦そのものなのでは?」
「えー?」
意外なことに、反対の声を上げたのは俺ではなくエレナ。
「エレナ、お兄ちゃんとお姉ちゃんの子供じゃないよ?」
「もちろん、違います。しかし、そこを見立てるのが人間の能力なのです」
「見立て……?」
莉桜がエレナの手を引き、俺は警戒して先行しているが、いささか緊張感に欠けていた。
理由はいくつかあって、ひとつは、この地下道。
清潔でメンテナンスも行き届いていて、照明もないのに明るい通路。まっすぐな一本道で、なにかが出てくるような雰囲気じゃない。
もうひとつは、最初に落とされた空間からかれこれ15分は歩き続けているのに、実際に、なんにも出てきはしないこと。
最初は『ヴァグランツ』を構成する鉄球――『水星』や『冥王星』を偵察に出したが、なにも見つからなかった。
クラウド・ホエールダンジョンと違って10メートル程度先行させても、意味はなかったのだ。
危険があるのは間違いないとはいえ、これじゃ緊張感を保つのは難しい。特に、エレナは、子供だしね。
しかし、実際戦闘になったら、莉桜とエレナは『ヴァグランツ』で防御専念してもらうつもりだが、それで足りるだろうか?
「日本庭園の技法に、砂で水……池や川を表現する技法があります。このように、他の物で表現をする高等な技法が見立てなのです。この場合、エレナは私と兄さんの子供ではありませんが、そのように見立てて私が兄さんの妻であることを表現するということになりますね」
「それって、もーそー?」
見立てに関して説明する莉桜の声を聞きながら、しばし考えを巡らす。
だが、妙案は出てこない。どんなに考えても、手が足りない。
《増殖天授》で俺の分身を作って、莉桜とエレナ専属のボディーガードにする?
もしくは、戦闘が始まったら《唯物礼賛》で、また土嚢とか作って二人を囲む?
……なんか、莉桜に怒られそうな使い方だ。
というか、監禁してるのと同じじゃないか。逆に莉桜を喜ばすだけだ。却下だ、却下。
そんな出口のない思考を断ち切ったのは、エレナの歓声。
「お兄ちゃん、ドアがあるよ!」
「よく気づいたな。偉い」
「えへへ」
エレナを褒めそやしつつ、俺は行く手に現れた扉に注目する。
病院にあるような、横開きの扉。普通の人間サイズで、特に怪しいところはない。
「莉桜の後ろに隠れて。顔も出しちゃ駄目だぞ?」
「うん!」
元気よく返事をしたエレナは、両手で自分の顔を隠しながら、頭を莉桜の体に押しつける。
素直で可愛い。
昔の莉桜はもう少し大人びた子供だったので、ちょっと新鮮だ。
だが、和んでいる場合じゃあない。
耳を澄ますが、扉の向こうから音は聞こえない。
軽く取っ手に力を入れると、スムースに開く。鍵はかかっていないようだ。
今の状態なら、なにか仕掛けがあっても、俺が盾になってエレナには被害が及ばない……はず!
意を決し、俺は勢いよく扉を開いた。
当然と言うべきか、なにも起きない。
しかし、なにもないというわけではなかった。
扉の先には、やはり真っ白で清潔だが生活感のない部屋があった。
その学校の教室ほどの部屋には、十数人。否、十数体の人形が控えていた。
「お迎えが遅くなり、大変申し訳ありませんでした」
「お部屋の準備はできております」
「どうか、心安らかにご滞在くださいますよう」
白と黒のメイド服を身にまとって、モップを手にした。
派手さはないが、規律を備えた。
ノインさんそっくりの人形たち。
頭がくらくらしてきた。
十数体のノインさんたち。
どこかデジャヴを感じた顔が、いくつもいくつも扉を開いた俺に向けられている。
悪趣味の極致に、人形の体なのに反吐が出そうだった。
「俺たちは、ただ外に出たいだけなんだけどな」
部屋には入らず、入り口から拒絶を伝える。
そうは言いつつも、彼女たちに身を委ねれば、少なくともヨハンの所までは連れて行ってもらえるのではないかと思考を巡らすが……。
――いや、下策か。
無抵抗でついて行ったら、なにをされるか分からない。最悪、その途中で莉桜やエレナと引き離される可能性だって考えられる。
彼女たちに責任はないかもしれないが、ヨハンの人形であることは間違いないのだから。
「道さえ教えてくれれば、勝手に出て行くよ」
「それはできかねます」
「お客様をおもてなしするのが、わたくしたちの務めですので」
そりゃそうだな。
「莉桜」
「はい」
その一言で、意思は伝わった。
莉桜とエレナを部屋の外に残し、俺は中に入って後ろ手に扉を閉める。
これで、人目はなくなった。
「言い方を変えよう。この地下道からどうやって外に出るか教えてくれれば、見逃してもいい」
「失礼ながら、それは我々への侮辱です」
「ご訂正を、お客様」
「そして、お答えを」
完全に無視した言い様が、彼女たちの職業倫理を傷つけてしまったようだ。
訂正も謝罪もするつもりはないが、その点だけは悪かったなと思う。
「答えはノーだ」
「承知いたしました」
「では、大変申し訳ありませんが」
「実力行使に移らせていただきます」
ざっと、十数人からなるメイド人形の集団が、一斉にモップを構えた。
一糸乱れぬその動きは、敵意を向けられている俺ですら見ほれてしまう。
「来い、刃羅」
それに比べると、得物を呼び出した俺は規律に欠けていた。
呼び出された刃羅も、思いっきり暴力が振るえると嬉しそうに震え、なんというか、品性に欠けている。
まったく、気楽でいいよな。
「最後に、老婆心ながら」
「我々に拘束されることを」
「心の底から、おすすめいたします」
見かけは、ただのモップ。
しかし、一振りすると柔らかな繊維だったはずのブラシ部分が堅く固まった。
「参ります」
左右に正面。
三方向から人形たちが飛びかかり、モップをたたきつけ、あるいは突き刺してくる。
今の俺の【MP】は……59。
17にレベルアップしたときは70以上あったのだが、やはり、一日に2点ずつ消費となると、かなり目減りする。
自爆されたせいか、さっきの人形からは魔石が回収できていないのも痛い。
だから、こういうところが刃羅を調子づかせるのかもしれないが……こいつを最大活用してやるしかない。
「斬るぞ」
集中。戸惑いはない。集中。ためらいもない。集中。
完全に意識を入れ替え、モップが触れようとしたその瞬間に、一閃。
刹那、時が止まった。
「やれ、刃羅」
それは錯覚だったが、円弧を描いた刃は、モップの柄を三本まとめて綺麗に切断する。
人形のメイドたちは、そのまま俺を通り過ぎ――その場に膝を突いた。
「頑丈だな」
刃羅から伝わる思いがけない堅い感触に、眉間にしわ……は寄らないけど、そんな気持ちで人形のメイドたちを睥睨する。
単純に、【物理防御】が高いのか。
たぶん、戦闘用に作られているのだろう。それも、性能だけなら、俺に匹敵するのかもしれない。
――が、所詮、性能だけの話。
「人形に、怯懦はございません」
同僚が斬られても臆することなく、また三体一緒に攻撃を仕掛けてくる人形のメイドたち。残る人形たちも、油断なくモップを構え、こちらが隙を見せれば攻撃する気配を見せている。
効率的で。
そして、意外性のない攻撃。
「斬るぞ、刃羅」
再び元妖刀の切っ先が円弧を描き、衝撃波が発生する。
向かってきた三体のメイドたちは、今度は抵抗することなく後ろへ吹き飛んでいった。
それと入れ替わるように、次の人形のメイドたちが飛び込んでくる。
それも、織り込み済み。
というか、そのくらいやらないでどうする。
「《連撃》」
正面から襲いかかってきた人形のメイド。
タイミングを合わせ、刃筋を意識し、それでいて無心で、ただ疾く刃羅を振り下ろした。
両断。
人形のメイドは、表情を変えず。
にもかかわらず、顔が上下にずれたせいで、泣いているように見えた。
それが、俺の網膜――ないはずだけど――に焼き付いた瞬間、人形のメイドは魔石に変化し、『星沙心機』へと吸収される。
悲しみも、ダンジョンの魔物のように人形が消えてしまった驚きも置き去りにして、特技を発動した俺の腕は自動的に動く。
人間としてはあり得ない方向に関節曲がり、右から近づいていた人形のメイドを横に両断。
こちらは一切表情を変えぬまま、胸の辺りで上下に分かたれる。
「手荒い対処をお許し願います」
残った三体目のメイドが、流れるような所作でモップを突き出した。
それを俺はあえて避けようとせず、そのまま体で受け止める。
莉桜やエレナがいたら、たぶん、無理矢理にでも避けようとしていただろう。そして、それを可能にする【回避】が俺にはある。
だが、実戦で、乱戦の最中では隙を生むだけ。
俺は無理に動かず、そのままモップを受け止めた。
「痛いのか、どうなのか。ちょっと分からないな」
その結果、モップが俺の体に突き刺さるが、着ていた着流しを貫いただけ。
俺の【物理防御】をほとんど越えられず、【HP】をわずかに削ったに過ぎない。
「……こんなものか」
特技を使用することもなく、返す刀で袈裟懸けに切り伏せた。
三つ目の魔石となって消滅し、俺の【MP】が64と、三体合計で6点回復する。
どうやら、ネリィさんやヴァイグルさんよりも高性能なようだ。
しかし、いくら性能が高くても、どんな日々を過ごしたかで成長は変わってくる。
そう。ファイナさんに師事して飛躍的な成長を遂げた俺がいい見本だ。
ファイナさんに師事できなかったのが、彼女たちの不幸……。
……全然不幸じゃない気がするのは、気のせいだろうか?
気のせいということにしておこう。
そう結論付けた時点で、気づけば、すべてのメイドは俺の【MP】と成り果てていた。
胸の魔石を見ると、八つ目の半分と少し――88まで上昇。
俺の体が青い光に包まれ、かすり傷だが、怪我も治っている、
レベルが上がった証拠だった。
俺は刃羅をどこへともなく格納し、俺は部屋の入り口へと戻っていった。
「エレナ、終わったよ」
「お兄ちゃん!」
それと同時に、エレナが抱きついてくる。
莉桜は一緒だったが、心細い思いをさせてしまったようだ。
だけど、人形のメイドたちとの戦闘を見せるよりは、ずっとましに違いない。
「兄さん、私も寂しかったです」
「レベルアップしたみたいなんで、『鳴鏡』を用意してくれるか?」
「ひどい。でも、好きです」
見たこともないほどすがすがしい笑顔で応じ、莉桜がバッグからいそいそと『鳴鏡』と準備する。
人形の残骸が残っていればとっとと先に進んだところだが、ダンジョンの魔物と同じように魔石となって吸収されたため、この部屋は綺麗なものだ。
この地下道も、分類としてはダンジョンということになるのだろうか? いや、ネリィさんやヴァイグルさんも同じように吸収されたから、ヨハンの人形が特別ってこと?
でも、その割には弱かったな。
おごっているつもりはないが、本気で俺を止めるつもりならもっと戦闘能力のある人形が必要だ。
人形のオーソリティが、そんな見込み違いを犯すものだろうか?
これじゃまるで、俺を成長させるための生贄だ。
……まさか、本当にそのつもりで?
「人形師ヨハン、なにを考えているんだ?」
ガコンッ。
その考察を無理矢理打ち切る、機械の動作音。
扉が勝手に閉まり、それだけでなく、左右の壁が這いずるかのように動き出した。
「お兄ちゃん、部屋が狭くなってるよ……」
そう。俺たちを押しつぶそうとするかのように。




