05.そして、彼は彼女の話に耳を傾ける
どうして、ここに妹が? いや、それ以前に、どうして莉桜が生きている?
そんな当たり前の疑問など投げ捨てて、一目散にベッドへ近づいていった。
こぶし大の鉄球が浮いているという異常事態も目に入らない。その周囲を浮遊していた球体も、邪魔をすることはなかった。まるで、俺を迎え入れるかのように左右へ散開する。
「莉桜……」
改めて、眠り続ける少女を見下ろす。
病気でこの世を去る少し前の姿で、妹――莉桜が眠っていた。
腰まである長い黒髪。余程自慢だったようで、ことあるごとに俺に触らせようとしていたことを思い出す。確かに自慢するだけあって滑らかで、まるで絹のような手触りだった。
そして、我が妹ながら心配になるほど白く、染みひとつない肌。年頃になっても、ニキビができたなどと、聞いたこともない。
毛布などは掛けられていないため、すらりとした手足や細身というよりは華奢な体も目に入ってしまう。
静かに寝息を立てる妹は、身内の欲目を差し引いても美人だ。
まだ高校生だったのだから美人というのもおかしいかもしれないが、実際にそうなのだから仕方がない。
他人のそら似など、あり得ない。外見だけではなく身にまとう雰囲気で、間違いなく莉桜だと確信できた。
生まれてから死ぬまで兄妹をやっていたんだ。それくらい分かる。間違えるはずがない。
やっぱり、ここは死後の世界というやつなのか。いや、どこでも良いか。また、妹に会うことができたんだから。
ああ……。
カカシで良かった。
そうでなければ、年甲斐もなく泣いているところだった。
どれくらい、そうしていただろうか。
時間もなにも彼も忘れて妹を見守っていると、莉桜の桜色の唇がわずかに開いた。なにか言っているようだが、聞き取れない。
やがて、口ではなくまぶたがうっすらと開いていく。
眠り姫が、目覚めようとしていた。
……って、しまった。
俺、カカシじゃねえか。なにがカカシで良かっただよ。寝起きにこんなのがいたら、怪しすぎるわ。
隠れるところは……ない。
いや、待て。今の俺はなんだ? カカシだ。
なら、簡単。俺自身がオブジェになるのだ。部屋の片隅に当たり前みたいな顔をして――表情は変えられないが――立っていれば、スルーされるのでは?
それが無理でも、とりあえず、離れておこう。
俺はぴょんと跳んで移動しようとしたが――しかし、それは果たせない。
ひとつしかない足先に力を入れようとしたちょうどそのとき、夢の国から戻ってきた莉桜と目が合ってしまった。
「…………」
「…………」
どうしよう。
兄妹で見つめ合ったまま固まってしまった。
いや、莉桜は俺を兄とは認識していない――
「……もしかして、兄さんですか?」
「……え? なんで分かるんだ?」
思わず、喋ってしまった。
今の俺は、カカシだよな?
「??」
「なに言われてるか分からないって表情浮かべるの、止めてもらえますかね!?」
俺が悪いみたいじゃないかよ!
あと、きょとんとするうちの妹、かわいいな!!
「だって、兄さんは兄さんではないですか」
妹はベッドの上に座ると、寝起き特有の蕩けるような笑顔を浮かべ、潤んだ瞳で俺を見つめる。
俺は、俺か……。
そう言われては、反論の言葉もない。
次の言葉を探せずにいると、みるみるうちに妹の整った顔が曇り出す。
「もしかして、魂を転移させた際に記憶に問題が……?」
「いや、大丈夫だと思うけど……」
「なら、兄さん。私のファーストキスの相手、答えられますか?」
端整な顔立ちに小悪魔のような表情を浮かべ、挑発するように尋ねる莉桜。
相手が妹であっても、思わずどきりとさせられてしまう。こんな美人は、莉桜が死んだ後に入った大学でも出会ったことはなかった。
しかし、答えにくいな!
「兄さん?」
「莉桜のファーストキスの相手は俺だけど……。兄妹だし、子供の頃の話だし、ノーカンだろ」
「正解です。そして、兄さんは、お父さんとお母さんがいなくなってから、私のために頑張ってくれた兄さんですよね?」
「……ああ」
間違いない。否定しようもない。
二人しか知らない秘密を楽しげに語る少女は、妹の莉桜に違いなかった。
「良かった。成功していたなんて。本当に良かった。これが私たちの絆ですね」
そして、感極まったように早口で言う莉桜。
どうやら、俺が俺だと完全に確信できたようだ。
その妹の周囲を、いくつもの鉄球が浮遊していた。まるで、祝福でもするみたいに。
「この子たちは、私のボディーガードのようなものです。気絶した私をここまで運んでくれたようですね」
俺の視線を受けて――視線などないはずなのだが――莉桜が、簡単に説明してくれた。
その割に俺には反応しなかったようだが、それを聞くよりも、優先すべきことがある。
「2年振りだな。また会えて嬉しいよ、莉桜」
最初に、これを言うべきだった。
表情を変えることもできないし、今の体では莉桜に触れることも難しいが、その分、声には感情がこもっていた……と思う。
しかし、莉桜は綺麗な顔から血の気が引いていた。
「2年振り……ですか?」
カカシとなって立ち尽くす俺と、ベッドに座る莉桜が見つめ合う。再会の感動も忘れていた。
「時間がずれているのでしょうか。それとも、私が過去に転生した……?」
どういうことだ?
「兄さん」
俺の疑問……というよりは戸惑いを感じたわけではないだろうが、莉桜が意を決したように口を開く。
「私は病気で死んだ後、異世界に転生……生まれ変わりました」
「生まれ変わった? 異世界に?」
オウム返しは、なにも考えていない証拠。
しかし、それは妹の言葉を疑うこととイコールではない。
「そうか……。そんなことがあるんだな」
異世界も転生も、俺の理解を超えている。いろいろ感想はあるが……良かった。
結局は、そこに収束される。だから、他の細かい疑問なんて気にしても仕方がない。きっと、俺がそう感じるだろうと見越して、莉桜も前置きを省いたのだろう。
「兄さん……大好きです」
俺の気持ちが伝わったのか。
肩をふるわせながら、莉桜が告白する。
こんな姿になっても俺だと分かって、しかも、好きだと言ってくれる。
それは、とても嬉しいことだった。
「実は、私が異世界で生まれ変わってから15年経過しています」
「なるほど。さっき言ってた、ずれか……」
「すみません。正直、その理由は私にも分かりません」
「まあ、分からないものは仕方ないだろ」
それに、驚きはしたが致命的な問題というわけではない。
「ありがとうございます」
俺が納得した雰囲気を察し、ようやく莉桜の顔色が戻る。
うん。妹には、健康でいて欲しい。
「それから、生まれ変わったのに、私が生前と同じ容姿をしている理由や、こちらがどんな世界なのかも後回しにさせてください」
「そう言われると、気になるが……。優先度を考えよう。この洞窟は、変な生き物も徘徊してるからな」
もしかするとその筆頭が俺なのかもしれないが、そこは深く考えないことにする。
しかし、次に莉桜が発した言葉は、あまりにも予想外で要約されすぎていた。
「まず、兄さんの体を作り、結果として、こちらに呼んだのは私です」
「……そうなの?」
「はい。今の私は、導器魔法の使い手であり、創生学派に属する人形師なのです」
莉桜が自慢気に言ったが、正直、理解が追いつかない。
魔法の使い手? 妹が魔法少女だって?
ドヤ顔の莉桜が可愛いってことぐらいしか理解できていない。
「ロナ帝国……古代魔法帝国時代の遺産を入手し、『究極の人形』を作り上げる。人形師として、それを目標としていました」
究極の……人形?
「そう……ですね。人に似て、人より遥かに優れ。自我を持ち、罪を持たぬ魔導人形。古代魔法帝国時代に存在していたという『究極の人形』を再現すること。先ほどは私の目標のように言いましたが、それこそが、創生学派に属する人形師すべての目標です」
「……正直、よく分からん」
俺の素直すぎるにも、天使のように微笑んで理解を示してくれる。
「ええ。曖昧な目標ですから。理解できないのも当然です」
とりあえず、生まれ変わっても俺の妹は優秀なようだ。素晴らしい。
「そして、『究極の人形』として作り上げたのが自己進化人形アンドレアス。それが、兄さんの体の名です」
「自己進化って?」
究極とか自己進化とか言われても分からない俺に、妹が説明を追加してくれる。
「起動したあとは余人の手に寄らず、自らの機能で優れた存在へと変化する。それが、自己進化人形のコンセプトです」
なるほど。それはある意味で究極だ。
それから、ここで言う「人形」とは、ロボットというか、そんな感じの存在のようだった。その中核部に人間の魂を使用することになり……ちょうど地球で死亡した俺が、それに引っ張り込まれたと。
「そういう条件付けで製作しましたから」
まあ、莉桜が異世界とやらに生まれ変わっているのだ。
詳しくは分からないが、俺の魂を連れてくることも可能なのだろう。というか、実際に来てるわけだしな。古代魔法帝国なんて理解を超える単語も出てきたし、細かい疑問は脇に置こう。
「ただ、兄さんがこんなに早く来るとは思わなかったので、大層な名前の割に人形自体がまだ未完成で……。その上、クラウド・ホエールに襲撃され、対抗するために力を使い果たしてしまったのです。結局は、クラウド・ホエールに取り込まれてしまいましたが……」
「ふむふむ」
莉桜が気絶したというのも、その時のことなのだろう。
聞くと、どうも結構危険な状態だったようだ。莉桜が怪我をしなくて本当に良かった。
「カカシだったのは、そういう理由か。それは良いとして、クラウド・ホエールって?」
俺が死んだ経緯を聞かれるよりも先に、疑問を口にする。
ごまかしているわけではない。他の女性の話をすると、なぜか莉桜は不機嫌になるのだ。これも、家庭円満のためである。
「ああ、ごめんなさい。これも、古代魔法帝国時代に創造された、雲のように巨大なクジラの魔物です。際限なき肥大化を目的としていて、兄さんの心臓部にあるそれを狙って襲ってきたようですね」
「マジか。俺狙いかよ」
予想外の事実に、俺はその場で跳んで驚きを表現した。端から見たら、フルCGアニメ――アメリカ製――のようにコミカルだろう。
……なんか、この体にも慣れてきてるな。
「今は、強力な『魔素』の影響で空間がゆがんだダンジョン化したクラウド・ホエールの体内に取り込まれている状態です」
「『魔素』ってのは分からないが、もしかして、しばらくしたら消化されちゃう感じか?」
「そうなるでしょうね」
肯定した莉桜が、申し訳なさそうに顔を伏せた。
美人の憂い顔は実に、絵になる。
スマホを持っていないのが惜しまれた。まあ、この手じゃシャッターも押せないけど。
そんな現実逃避はほどほどにして、直面した問題と向き合う。
「つまり、どうにかしてこの洞窟……ダンジョンから脱出しなくちゃいけないわけか……」
マナの影響でどうこうというのは理解できなかったが、ここがクジラの体の中で、黙っていたら消化されてしまうということは分かった。
体の中――食べられたのに洞窟なのは、空間がゆがんでいるということかな? まあ、本当にクジラの体の中を進んでいくよりはずっとマシか。
……ん? クジラってことは、あの巨大エビってオキアミだったのかも……?
そんなどうでもいい発見をした瞬間、家が揺れた。
咄嗟に地震かと思ってしまったのは、日本人の性。だが、ここには、もっと直接的な脅威が存在していた。
「悪い。言うのが遅れたけど、この家にたどり着く前に、植物細胞みたいな立方体の怪物から逃げ出してたんだ。追いつかれたのかもしれない」
「ダンジョンですから、魔物ぐらい徘徊しているでしょう。まずは、外の様子を確認すべきですね」
そう真剣な表情で言った莉桜だったが、不意に動きを止めた。
そして、なにかあったのかと訝しむ俺へと言葉を紡ぐ。
「ねえ、兄さん」
「なんだよ」
「気づいています? 私たち、もう、肉体的には血がつながっていないんですよ?」
妖しく、艶やかで、見惚れるほど美しい。
カカシなのに、背筋がぞくっとする。
「ああ。今の俺は、血も流れていないからな」
俺は、そう答えるしかなかった。
「でも、兄妹なのは変わらない。俺は、そう思っているよ」
望んでいた答えとは違っていたようだが……。
それでも、莉桜は幸せそうに微笑でくれた。