10.そして、彼らは出発する
翌朝。
といっても何時間も経っていないんだろうが、人形の体である俺にはなんの問題もない。
電源を入れたかのような、オンオフのはっきりとした。しかし、情緒のない目覚め。
だから、意外な事態にもすぐさま反応できた。
「……おはよう」
「おはよぅ?」
疑問系ではあったが、ニカーと太陽のような笑顔でエレナは応えてくれた。
ぐっすり眠って落ち着いたのか、おびえた様子が消えてなくなっている。
良かった……。
心の底から、ほっとした。
とても喜ばしいことなのだが、それはそれとして、なぜ、俺の上に乗っかっているのか。猫か。
「お兄ちゃんって、固いね」
「鍛えてるからな」
それはね、体が人形だからだよ――などと言えるはずもない。
俺は一切表情も声のトーンも変えずに断言した。
まあ、鍛えているのは嘘ではないしな。
「そうなんだー」
と、あっさり納得して、楽しそうに俺の胸板を平手で叩くエレナ。
深く追及されずに良かった。
安心しつつ部屋の様子を見れば、両開きの窓は開け放たれ、外からわずかな光と比較的新鮮な風が送り込まれている。
霧が煙る街であっても、朝はそれなりにさわやかなようだ。
今日も、みんなで街の探索をしなくては。
いやその前に、トイレにでも行く振りをして今日の分の《外見変更》を使わなくっちゃか。人形が人を襲う街で、正体を明かすリスクは冒せない。
この後のことを考えていると、がちゃりと扉が開いた。
「お、二人とも起きているでござるな」
二人で三つのトレイを持って部屋に入ってきたのは、ファイナさんと莉桜。手にしたトレイからは、暖かな湯気と美味しそうな匂いが立ち上っている。
というか、外に出ていたのか。
「に、兄さんが押し倒されて……」
「ないからな?」
「分かっています。でも、後で同じことをしても構わないとなると、朝から心が躍りますね」
いつ、そんな話になった……?
「では、朝食にするでござるよ」
莉桜の言葉も俺の戸惑いもスルーして、ファイナさんが足で器用に備え付けのチェストをベッドとベッドの間に移動させた。
もちろん、トレイの中身をこぼすようなことはしない。
その動きはさすがだけど、もうちょっとお屋形様にやさしくしてもいいんじゃないだろうか?
と思う間にも、ファイナさんの手は止まらない。その上にトレイを置き、テーブル代わりにする。
さすが、ファイナさん。ワイルドだ。
「兄さん、これを使ってください」
「ああ、ありがとう」
ベッドから起き上がった俺に、莉桜が濡れタオルを差し出してくれた。
今の俺は人形の体なので汗もかかないし汚れもあまりつかないのだが、そういう問題ではない。こういうのはエチケットだ。
顔や首筋、それに手を拭いてから、もうひとつのタオルでエレナの顔や赤い髪に隠れた首筋を同じように拭いてやる。
「ひゃんっ」
「拭けないから、じっとしてて。遊んでるんじゃないんだから」
「だって、くすぐったい!」
悪いのは、わたしじゃないもんとでも言いたげなエレナ。
その子供っぽいリアクションに、なんだか癒やされる。
「お屋形様は、意外と子煩悩でござったか」
「あれが、未来の兄さんと私の子供の姿だと思うと、いろいろ感慨深いですね」
「そうでござるなぁ」
そこ、雑に肯定しない。
めんどくさがらず、困難に立ち向かわなきゃ!
「それよりも、随分と量が多いような」
エレナを拭き終えると、彼女を隣に座らせたっぷりの朝食と相対する。
皮のぱりっとした、フランスパンらしきものが三本。ふんわりとしたオムレツ。ごろっとした大ぶりな野菜がたっぷり入ったスープ。何種類かのチーズと、分厚いベーコン。
昨日も堪能したが、ケンタウロスのガンソさんの料理の腕は間違いない。
なかなか心躍るメニューではあるが、とても三人で食べきれるとは思えないボリュームだ。
「いくらエレナの分で多めに必要とはいえ……。さすがにこれは、怪しまれたんじゃ?」
「ええ。兄さんが考えているのとは、別の意味で」
「拙者、三人前は平らげるでござる」
「こう臆面もなく言い切って、余分に食事を確保したんですよ」
まったく恥ずかしいと、莉桜がそっぽを向く。
いい傾向だと、俺は心の中で微笑んだ。
ファイナさんの行いを恥ずかしいと感じるということは、とりもなおさず、彼女を身内だと認めていることになるのだから。
それに、ファイナさんのファインプレーであることは間違いない。
もちろん、「それなら二人前で良かったんじゃ?」という疑問を除けばだけどな。
「では、しっかりと食べて今日を乗り切るでござるよ」
「そうですね。冷めてもなんだし、いただきます」
と、食事を開始。
エレナがまず、フォークをベーコンに突き刺した。
女の子の口には大きめな厚切りベーコンを飲み込むことはおろか噛みちぎることもできず、小動物のように少しずつ口の中へ入れていく。
――その途中、手が滑ってフォークを落としそうになった。
「誰も取らないから、落ち着いて」
俺が空中でフォークをキャッチすると、それで食べることだけに集中できるようになったエレナが、懸命に口を動かしてベーコンを咀嚼していく。
食べるエレナ。
支える俺。
……どういう状況だ?
「おいしーね」
「それは良かった」
しかし、エレナの笑顔に比べたら、そんな疑問などささいなことだった。うん。フォークを持ち続けることなど、苦労でもなんでもない。
「では、兄さんもどうぞ」
そう浸っていると、さらに輝くような笑顔で、妹がこちらを見つめていた。フォークにベーコンを突き刺して。
「自分で食べるから」
「じゃあ、私は自分で食べれません」
「ならば拙者が――」
「――外に出ましょう」
莉桜、止めよう。万が一にも勝てる気がしない。
「分かったよ、シルヴァラッド森林王国だっけ? の首都とやらに着ついたらやってやるから」
「絶対ですよ? 私のゴーストに記憶しましたからね」
「幽霊になっても忘れぬ気概。いっそあっぱれでござるな」
それは単なる怨霊なんじゃ……?
とは思うが、指摘するのもはばかられる。というか、肯定されたら怖い。ジョゼップと同じじゃねえか。
それに、食べながら今後の方針も確認しないといけない。
「今日は、また街に出るということでいいですよね? 正直、当てはないですけど」
「みんな行っちゃう……の?」
「もちろん、エレナも一緒だよ」
そう安心させるように微笑んで、汚れた口元を拭いてやる。
出かけるのは、ある意味でエレナの為でもあるのだ。
「みんなで街の探索に出て、エレナはその途中で拾った……という体にするのが一番穏便だしね」
「そうでござるな」
「そうですね」
「ござるー」
ござるは、肯定を意味する言葉じゃないからね?
……というのは、追々教えていこう。
一晩経ったせいか、エレナの顔色は明るい。それに水を差す必要はないのだから。
まず、莉桜とファイナさんが普通に宿――空飛ぶ幽霊船亭――から外に出る。
それを見送った俺とエレナが部屋の窓から飛び降りた。
怖がらず、むしろはしゃいでいたのは喜ぶべきか不安に思うべきか判断が付かない。
ここで、裏手に回った女性陣にエレナを預け、俺はまた部屋に戻る。あとは、遅れたように装って俺も空飛ぶ幽霊船亭を出て行くだけだ。
「迷子にならねえよう、気をつけてな」
「はい。手がかりを見つけてみせますよ」
俺のやる気に満ちあふれた返答に、ラミリーさんがひげをさすりながら苦笑する。たぶん、この街の“新入り”が必ずやることなんだろう。
そして、決まって挫折してきたことでもあるわけだ。
「そう気負うことはねえさ。自分で納得できればそれでいい」
「それは……」
年長者らしい鷹揚さで、ラミリーさんが教え諭す。
「怪我をしねえのが一番だ。病気や怪我になったらどうなるか、分かんねえからな」
「……はい」
反論できないでもなかったが、俺はそれを飲み込み素直にうなずいた。
心配されていること自体は嬉しかったし、正体を隠している俺に言う資格があるとは思えない。
「がんばってね~」
一方、ネリィさんは深刻さの欠片もない。
ワインの瓶を傍らに、朝から飲んだくれている。
「じゃあ、行ってきます」
そんな二人に見送られ、俺は空飛ぶ幽霊船亭を出た。ケンタウルスのガンソさんは、厨房で仕事をしているらしく、こっちにはいない。
ドワーフのヴァイグルさん? 酔いつぶれて寝てるよ。
「兄さん、待っていました」
宿から出た瞬間、まるで飼い主が帰ってきた喜ぶ犬のように、莉桜が駆け寄ってきた。
大げさな。
とは思うが、実際に離ればなれになっていた二人が奇跡的な再会を果たしたのが俺たちだ。むげにもできず、そのまま抱きつかれた。
「ました!」
真似してエレナも足にしがみついてくる。
「これは拙者も……」
「ファイナさんまでですか?」
「この時を待っていたぞ。両親の敵と、刀を抜いてでござるな」
「やめてください」
また死にます。
「はいはい。遊んでないで行きますよ」
莉桜を引きはがし、エレナを抱き上げて、霧がけぶる街を一人進む。
その俺をファイナさんは悠々と追い越して先頭に、莉桜は小走りに駆け寄って横に並んだ。
探索の開始だ。




