08.そして、彼は赤い髪の少女と出会う
「しかし、兄さんにとっては死活問題になりそうですね」
その後、歓迎会はぐだぐだと終わり、あてがわれた宿の一室に入った途端、莉桜が深刻そうな声と表情でつぶやいた。
ただし、俺の腕の中で。
「内容と状況があってないんじゃないか?」
平然とベッドまで移動し、酔いつぶれて歩けない――はずの――妹を下ろそうとする……が。
なぜか、莉桜は俺の首に腕を回したまま断固拒否する。
いわゆるお姫様だっこの状態から抜け出せない。というか、明らかにこれが目的だった。
「魔物がおらねば、お屋形様が枯れ死にしてしまうでござるな」
そうこうしているうちに、小気味のいい歩調でもうひとつのベッドに移動したファイナさんが、形のいい顎のラインを撫でながら懸念を表明した。
「死ぬんじゃなくて活動停止状態らしいですけどね」
一応、ファイナさんの指摘に反論はするものの、大枠としては間違っていない。
『魔素』を進化や特技の代償とする俺は、ただ生きているだけでも『魔素』を消費する。
『魔素』の補充を外部――主に魔物――に頼っている以上、平和な場所では生きられないのだ。
「とはいえ、希望はあるでござる」
「夜、外に出るなって話か……」
両開きの窓に視線を向けながら、ファイナさんの言葉にうなずく。なぜか、莉桜をお姫様だっこしたたまベッドに座って。
「適切な強さの魔物が無限に現れたりしないでござるかな」
「俺をレベルアップさせて、なにするつもりです?」
「夜の街に剣士が二人……勝負でござろう」
一応、俺たち主従関係なんじゃなかったっけ?
「なにが起こるのかは分かりませんが、外に出るヒントがつかめるかもしれないという期待はありますね」
よそ見している俺が気に入らなかったのか、莉桜が強引に顔を自分に向けさせる。
さっきから、言ってることとやってることにギャップがありすぎなんだけど、わざとなんだろうか?
「いかにも、詳細が聞き出せなかった以上、探索するほかござらん」
「わざわざ兄さんを危険にさらすのは業腹ですが……危険だからこそ、他人に任せるような兄さんではありませんし」
ファイナさんと莉桜の中では、夜この街でなにがあるのか確認しにいくのが規定事項となっていた。
理解がありすぎて、ちょっと照れる。
「ここで安穏と暮らす……という選択肢が存在しない以上、危険を承知で見極める必要はあるでござるな」
「私と兄さんは先に進みますが、一人ここに残って飲んだくれても構いませんよ?」
「またまたご冗談を。彼の者らが真実信用できると決まったわけでもなし」
「……ファイナさんは、疑って?」
「否。ただ巻き込まれただけの一般人でござろう」
「まどろっこしいのですよ。彼ら自身は被害者であっても、第三者によって誘導されている可能性はゼロではないと言えばいいのです」
なるほど。そういう考え方もあるか。
つまり、ファイナさんの言葉を借りれば、真実信用できるのは俺たち三人だけってことに……あれ?
「なんか、俺の二人への依存度を高める結論になってないか?」
「気のせいです。気のせいですが、依存するだけなら私だけにしたほうがお得ですよ」
「依存もなにも、拙者は身も心もお屋形様に捧げているでござるよ」
ベッドに腰掛けるエルフの美女と、俺に抱きつく正統派美少女の視線が空中で衝突する。
まるで、修羅場だ。
おかしいよな? これ、俺の師匠と妹なんだぜ……?
酔っ払いは、これだから困るなぁ!
「とりあえず、細かいことは明日決めよう。莉桜もファイナさんもいいですね?」
夜に異変が起こることは分かったが、さすがに今夜から探索は肉体的にも精神的にも厳しい。ブラック企業じゃないんだしさ。
「それもそうでござるな。落ち着けば、妙案のひとつも自然と浮かぶというもの」
「後回しにするのはあまり好きではないのですが……」
と言いつつも、莉桜が小さくあくびを漏らした。
今日も歩きづめだったし、その後、人見知りの莉桜としては珍しく初対面の人とお酒を飲んだりして、肉体的にも精神的にも疲労がたまっているのだろう。
それにしても、うちの妹は、あくびも可愛い。
「ああ、そうです。後回しにできない選択がひとつありました」
自主的にお姫様だっこを解除すると、莉桜はベッドに腰掛けた。
その状態で、ファイナさんと俺へ順番に視線を向け、まるで挑発するように言葉をぶつける。
「それで、兄さんはどちらのベッドを使うんです?」
「え?」
思ってもいなかった問いに、俺はすぐには言葉が出てこなかった。
確かに、用意してもらった宿の部屋にはベッドはふたつしかない。他にあるのは、淡い光を放つカンテラと、荷物を保管しておくチェストぐらいのもの。
清潔ではあるが、簡素な客室。
それでも、俺が特に問題とは思わなかったのは……。
「俺、眠る必要ないだろ?」
それはつまり、ベッドを使う必要もないということ。
「……あ」
迂闊、絶望、羞恥。
そんな具合に次々と表情を変えた莉桜は、最終的にベッドへ顔を埋めた。そして、腹いせとばかりに、手足をばたばたさせる。
「なぜ、私は睡眠が必須なように設計しなかったのでしょうかっ」
「それ、人形としてどうなんだ?」
「うう、ジョゼップゥ……ッッ」
そこで怨嗟を向けられるとは思わなかっただろうなぁ。
だがしかし、こんな冗談でジョゼップの名前を出せるようになったのはいい傾向だ。育ての親の責任として、この程度の八つ当たりは許容してもらいたい。
「そうは言っても、お屋形様。必要がないだけで、眠れぬわけではないでござろう?」
「それはそうですけど……」
元家主であるファイナさんには、当然知られている事実。それを蒸し返すということは、つまり……。
「兄さん、兄さん。それなら、私とそっちと、どちらを選びます?」
「それなら、まあ、莉桜じゃないか?」
妹だし。そこは、普通に。
「時代。私の時代が来ていますよ!」
そんな常識的な根拠を知らず――あるいは、無視して――起き上がった莉桜がベッドで喝采を上げる。
「悲しいでござるな。拙者の褥は常にお屋形様に対して開いているというのに」
一方、ファイナさんは、わざとらしく「よよよ」と泣き崩れた。
なんでこんなに楽しそうなんだ。この二人は。
「とりあえず、今日は二人とも寝るように。俺は窓の外を見張ってるからな」
「分かりました。でも、いつ入ってきてもいいですからね?」
「右に同じでござる」
ちょっときつく言ったのに、相変わらずのリアクション。まったく堪えた様子がない。
でも、納得してくれたので良しとしようか。
室内には、静かな寝息だけが響いていた。
他の住人も眠っているのだろう。まるで、世界には俺しかいないと錯覚してしまうほど静か。
暗闇の中、子供みたいに丸まって眠る莉桜。そして、意外とおとなしい寝相のファイナさん。
個性的で、無防備で、微笑ましい。
人形の動かないはずの表情が、笑顔に変わった。そんな確信がある。
その二人から視線を外し、俺は窓から外を眺めた。
霧に包まれ迷い込んだ街は、宿の中よりもさらに静か。
こうして何時間も経っているが、人はおろか犬一匹通らない。裏通りに面していることを差し引いても、生き物の気配を感じられないのは異常だ。
ゴーストタウン。
そんな単語が頭をよぎる。
ヴェスヴィオ火山の噴火により廃墟となったポンペイ。
三十年戦争で最も悲惨な惨劇の舞台となったマグデブルク。
ゴールドラッシュとともに生まれ、金が掘り尽くされると消えていった数多の町。
それらと異なるのは、人がいないだけで町としては多少荒れているにとどまっていることだ。
これは、明らかに異常だろう。
とはいえ、異常という意味では、俺も負けてはいなかった。
普通なら、飽きもせず何時間も窓の外を眺め続けるなんて、とんでもない忍耐を必要とするはずだ。
それなのに、今の俺は特に苦痛を感じてはいない。
それどころか、死ぬ前にこんな特技があったら、交通量調査のバイトで荒稼ぎできたんじゃないか。
そんな風に考えられる余裕もあった。
実際、眠気も感じず、高い【精神】のお陰か退屈にも平気で耐えられる。警備員や張り込み要員としては、かなり有能だ。
そんなくだらないことを考えていたからだろう。脳――に準ずる器官――が、理解するまでタイムラグを起こしたのは。
「――あれ?」
視界の端。眼下の石畳を、赤い髪の少女――小学生ぐらいだろうか?――が、必死に走って行った。
セミロングの髪を振り乱し、大きなリボンは傾いている。ワンピースの裾はばたばたとはためき、後ろ姿しか見えないが必死に逃げていることだろう。
それだけでは終わらない。
ガラス窓から少女が消えると同時に、それを集団で追う人間――ではない。人形たちが視界に入ってきた。
なぜ人形だと断言できるか?
服は着ておらず、体をむき出しにしたマネキンに似た人形。
肌は人間にはあり得ないほど青く、なぜか四つん這いで追っている。
それよりもなによりも。
雰囲気が、俺とそっくりだった。
逃げる少女と、追う人形。
これが、夜外に出るなと言う意味だったのか。
「ファイナさん! 莉桜を頼みます」
「――承知」
起きていたわけではない。
だが、即座に覚醒を果たしたファイナさんは二つ返事で引き受けてくれた。
その声を背中に聞きながら、俺は両開きのガラス窓を開いて地上に降り立った。
《環境適応》により、関節と足の形が変化し、羽のようにふわりと石畳に着地。裸足だが、なんの問題もない。
さて、今のは誰にも見られなかっただろうが、この先はそうもいかない。俺の正体を隠しつつ、あの娘を助けなくては。
……あれ? 冷静に考えればファイナさんに追ってもらったほうが良かった? いや、もう遅い。
俺がやると、俺が決めたんだ。
「刃羅」
元妖刀を呼び出し、俺は大きく息を吸う――
「そこまでだ! 自分たちが正しいと思うんなら、説明してみせろ!」
――イメージで叫んだ。
それを受けて、人形たちが停止し、ぐるんと首だけ回してこっちを見る。
「どうする? やるか?」
切っ先を突きつけながら、俺は赤い髪の少女を探す。このまま逃げおおせてくれたのならそれでいい。
そう思っていたのだが、腰を抜かしてしまっていた。大きな瞳に涙をためて、すがるように俺のことを見ている。
なぜだろう? 初対面のはずなのに、赤毛の知り合いなどいるはずがないのに、どこかで見たような気がする。
いや、それはともかく、絶対に助けないと。
俺には、その力があるはず。
「――逃げないなら斬るぞ」
「――――ッッ」
決意とともに俺が刃羅を振るったのと、人形たちが離脱したのは同時だった。
巻き起こった剣風は、なにを捉えることもなく空しく霧散する。
倒せはしなかったが、追い払うことはできた。
まずは、これで満足すべきだろう。
俺は、刃羅を消そう……として、それも不自然だと思い直し、後ろ手に隠して少女へと歩み寄る。
「……大丈夫かい?」
威圧感を与えないよう、できるだけ優しく。
「俺は、マサキ。君は?」
抜き身の刀を持っているため、可能な限り安心させられるように笑顔を浮かべながら言った。
「うっ、わああああんんっ」
――そのつもりだったのに、赤い髪の少女は泣き出してしまった。
年齢相応ではあるんだろうが……困った。
どうしよう、これ?




