06.そして、彼らは虎口に入る
「どうやら、『この門をくぐる者、一切の希望を捨てよ』などとは書かれていないようですね」
「ダンテか。書かれてたら、威圧されるよりも先にびっくりだな」
「いえいえ、魔界医師ですよ」
どっちにしろ、もしそうだったら地球から来た人間ってことになるな。
霧の中に突如出現した城壁。
その門の前で繰り広げられる俺と莉桜の地球トーク――しかも、若干かみ合っていない――を聞いても、ファイナさんはあきれも油断もしない。
霧で文字など見えないだろうとは、思ったかもしれないけど。
「はてさて、近づくまでも近づいてからもなんの妨害もなく。門は開いておれども、門番はおらず。それどころか、街からは人の気配もござらん」
「人の気配の代わりに、罠の気配が濃厚ですね」
「良きことにござる」
突如として霧に飲まれ、その中に街を見つけた。
しかも、そこに近づいても人の気配はない。
だというのに、うちの師匠は待ってましたとばかりに鮫のように笑った。金髪褐色の美人エルフにやられると、かなり迫力がある。
「あからさま過ぎますね。今一つ、意図は判然としませんが……」
一方、うちの妹は、それよりは常識的。
莉桜が不審に思うのも、もっともだ。というか、これでなにもなかったら、逆に驚く。
「さあ、罠にかかって踏みつぶしに行くでござるか」
なにが出てきても望むところと、ファイナさんが先頭に立って門をくぐっていった。男、いや、漢らし過ぎる。
その後を、莉桜、俺の順番でついていった。しんがりの俺は、周囲に意識を巡らし慎重に進む。ファイナさんの堂々とした足取りとは裏腹だが、うちの師匠は人類の例外なので。気にしてはいけない。
だが、結果から言えば、それは単なる取り越し苦労に終わった。
門を過ぎ、街の中に何歩か入っても静かなもの。背後はおろか、前方でもなにも起こらなかった。
なにかが襲いかかってくることも。勝手に門が閉じるようなことも。誰かが現れて話しかけてくることもない。
俺たちを歓迎したのは、街中にも漂う霧と静寂だけ。
つまり、街に入っても状況はなにひとつ変わらなかったのだ。
「本当にただのゴーストタウンだったら、俺たちただのピエロだな」
「サイレンが鳴るまで油断はできませんよ?」
苦笑を浮かべながら莉桜と言葉を交わすが切れ味は鈍い。
ファイナさんは、それ以上の渋面だ。
「これは長期戦になりそうでござるな」
「とりあえず、できる範囲で街を探索。しかる後、拠点を決める。こんなところでしょうか」
「《物品共感》で情報収集は、一通り調べてからかな」
「そうですね。まだ、切り札を出す場面ではないでしょう」
出し惜しみするわけではないが、解決に時間がかかってしまう場合、俺の【MP】が枯渇する可能性が出てくる。補充できる相手がいるかどうかも不明なので、安易な使用は避けるべきなのだ。
……いいもん。殴れる相手が出てからが本番だし。
う~む。
もしかして俺たちって、目に見える敵がいないと、途端に対応力が鈍るのか? ある意味、この状況を用意した誰かの術中にはまっているのかもしれない。
――などと考えていると。
「兄さん、門が」
ギィと、錆び付いた音が背後からする。
とっさに振り返ると、音を立てて門が閉まっていくところだった。
「……ちっ」
急げば、間に合ったかもしれない。
俺の【筋力】なら、扉を閉める力に対抗できたかもしれない。
なのに、俺は動けなかった。
それが正解か、確信が持てなかったからだ。
いや、正直に言おう。
いかにもホラーな展開にどきっとしてしまい、躊躇したのだ。
「莉桜、ファイナさん……」
情けないが、それを認めないわけにはいかない。
俺は事情を説明して頭を下げ……ようとしたが、うちの女性陣はひと味違った。
動じていないし、揺るぎもしない。
「どうします? 門を破壊してみますか?」
我が妹ながら形のいい顎に白魚のような指を当てながら、物騒なことを言う。ポーズだけなら物憂げな美少女なのにね……。
「ふむ……。いや、それはまだ時期尚早でござろう」
もう一人のエルフの美女は、うちの妹より幾分冷静。
「とりあえず、城壁を飛び越えて向こうへ出られるか確かめてくるでござるよ」
……冷静は冷静だが、行動が普通かどうかまでは保証されていなかった。
ファイナさんは一方的に言うと、俺たちの返事も待たず走り出す。
そして、壁を蹴り――というよりは、壁を垂直に上って頂に到着。エルフの伝統衣装である華やかで軽やかな和服が綺麗に舞った。
霧の中だと、実に幻想的だ。
そこまでなら、エルフ……いや、ファイナさんの身体能力がどれだけすごいか見せつけられたという話で終わりなのだが。
「ほい」
と、何事でもないかのようにファイナさんは飛び降りてしまった。
って、飛び降りたぁ!?
10メートルはあるだろう城壁から飛び降りたファイナさん。当然、その姿は壁に遮られ見えなかった。
「……兄さん、これで二人切りですね」
「笑顔が引きつってるぞ、莉桜」
あまりのことに、うちの妹も切れ味が鈍っている。
とりあえず、門を打ち壊してでもファイナさんを助けにいかないと。
そう思っていた俺たちの耳に――俺の耳が、どこにあるのかはともかく――ありえない声が飛び込んできた。
「うーむ。やはり、駄目でござるか」
二人してそちらに視線を向けると、門の前に人のシルエットが浮かび上がっていた。それが徐々に近づいてきて、金髪褐色のエルフ――ファイナさんの像を結ぶ。
「どうやら、城壁の外へ出ると、内部に転移させられるようでござるな」
まったく変わらないファイナさんの声。
俺と莉桜は、唖然として立ち尽くすことしかできない。
「どうしたでござるか。幼子が木刀で打たれたような顔をして」
「それは普通に虐待では?」
鳩が豆鉄砲から酷くなりすぎだろ。
「そんな反応をされるとは、解せぬ。あそこから飛び降りるぐらい、お屋形様もできるでござろう?」
「まあ、そうですけど……」
できるけど、あきれているのはそこじゃない。そこじゃないんだ。
「あれを平然とやってのける。その精神性にどん引きしているんです」
分かりますか? と、莉桜が教え諭すかのように言った。
そう。まさに、そこなのだ……が、ファイナさんには通じないんだろうなぁ。
「まあそれはさておき、簡単には逃がしてくれぬようでござるな」
「ええ。門扉を破壊して外に出ようとしても、同じことになりそうですね」
「しかし、転移魔法、久しぶりに見たでござるよ。古代魔法帝国が滅びて以来、失伝したと聞いておったが」
「いえ、シルヴァラッド森林王国の第三だか第四王女が、最近、復元したそうです」
「へえ、そうなのか」
「その後、行方不明になったらしいですが」
それは、本当に復活させられたのだろうか?
というか、行方不明って大事だろ。大丈夫なのか?
「とりあえず、簡単に脱出ができないことは分かりました」
莉桜が人差し指を立て、状況をまとめる。
知的に振る舞ってくれると、うちの妹は綺麗さが増すな。
「こうなると、当初の予定通り街を探索するしかありませんね」
「では、行くでござるか」
そういうことになった。
「けど、ゴーストタウンなのは変わらないな」
こうして街へと繰り出した俺たちだったが、やはり、誰かに遭遇することはなかった。
霧の中、誰もいない街は不気味そのもの。他に、閉じ込められた人はいなかったんだ……と前向きに捉えることもできない。
街路は石畳で覆われてはいるが、くぼみなどが目立つ。あまりメンテナンスはされていないようだ。
適当に家や建物にも入ってみたが、人がいないのは同じ。ネズミのような小動物や虫なども見つからない。
ゴミなどは落ちていないが、それが逆に生活感のなさと不気味さを強調している。
街並みは、こう、イメージ通りのヨーロッパの都市というか。
中世というよりは、近世だろうか。霧が煙っているところから、ヴィクトリア朝のロンドンを連想する。もちろん、イメージ上のだけど。
ただ、辻馬車が走り、労働者が行き交い、切り裂きジャックが出没し、ベーカー街221Bではホームズがモルヒネを射っていても不思議じゃない。
そんな雰囲気だった。
もっとも、探索しているうちに、そんなロマンチックな気分は消え失せてしまった。
霧の中なので時間感覚が正確か確証は持てないが――俺も、眠るとき以外は普通の時間感覚なのだ――2時間か3時間ぐらいは探索しただろうか。
途中、目印を付けたり休憩しつつではあるが、かなりの範囲を調べられたと思う。
それなのに、なんの手がかりも見つからなかったのだ。
「若干、徒労感がありますね」
霧が煙る街を歩きながら、憂鬱そうに莉桜が息を吐く。
ふむ。これ以上は、止めておくか。
「もう、今日は休むか。どっかの家を使わせてもらおう」
「兄さん、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
足手まといにはなりたくないと莉桜が否定するが、そこにファイナさんからのフォローが入る。
「まあまあ、リオ殿。長丁場になるかもしれんでござるゆえ、体力はあって困らぬよ」
「そうだぞ。不寝番なら俺がやるから、莉桜とファイナさんにはしっかり休息を取ってもらわないと」
「そんな、気を使わないでください。兄さんがキスのひとつでもしてくれれば、それで疲労なんてポンッと抜けますから」
「ドーピングじゃねーか」
「合法なのに……」
法律は許したとしよう。だが、この俺が許すはずもない。
「では、拙者もご相伴に預かるでござるかな」
「いやいや、どういう流れですか」
ファイナさんが笑いながら言う。
もちろん、冗談だ。
だが、これで莉桜が怒って話はなかったことになる。それを見越した、ファイナさんのナイスアシストだ。
「……冷静に、冷静になるんです、莉桜。ゲーム理論でいえば、キスをしてもらったほうが得をする場面です。先に私が唇を奪い、そのままうやむやにしてしまえば――」
「莉桜、ストップ」
「はっ。私は」
「いや、そうじゃない。明かりだ」
そして、俺たちはある意味で異常を発見した。
「明かり……? ……確かに、明かりですね」
自分の世界に入っていた莉桜も顔を上げ、驚きを露わにする。
道の先、霧に覆われた世界の一角が、白く淡く光っていた。
「あの建物に、入ってみます?」
「他の場所を探索してからという選択肢もあるでござるが……」
「この場所に、確実に戻ってこれる自信があるなら構いませんけど」
それに、徒労に終わっていた探索で、やっと結果が出そうなのだ。これを逃す手はない。
俺の提案に従って慎重に近づいていくと、ベッドと食器が描かれた吊るし看板が目に入った。どうやら、宿屋と酒場が一体化した店のようだ。
なにを言っているのかまでは分からないが、ざわざわとした喧噪が店の外にも聞こえてきている
「空飛ぶ幽霊船亭……という店名のようですね」
扉の上にあるもうひとつの看板を見ながら、莉桜がつぶやく。マストがぼろぼろになった船が、店名の側に彫られていた。
空飛ぶ幽霊船亭――フライング・ゴーストシップ・インといったところか。
不吉な名前だが、船の彫刻に失敗したから店名も幽霊船になった……のかもしれない。
「お屋形様、ここは拙者が先に」
「いや、俺が行きます」
さっきはファイナさんにリスクを背負わせたのだから、今度は俺がというだけではない。酒場みたいな場所なら、莉桜やファイナさんみたいな美人よりも、男の俺が矢面に立つべきだ。
それに、魔物の巣窟だとしたら、俺のほうがいろんな攻撃に耐性があると思う。
「分かりました、兄さんにお任せします。夫を信じて送り出すのも妻の勤めですからね、妻の」
莉桜のアピールを聞きながら、俺はためらいがちに。しかし、淀みなく木の扉を開く。
明るい光が視界を灼き、喧噪が一時的に静まる。
《環境適応》により視力が回復し、周囲を観察しようとした――その時、つぶれたようなだみ声が俺へ浴びせられる。
「お! 新入りか!」
「新入り……?」
「連れもいるのか。遠慮なく、入れ入れ」
「は、はあ……」
戦闘の覚悟を決めていたにも関わらず、俺たちは予想もしていなかったフレンドリーな声に迎え入れられた。




