02.そして、彼は殲滅する
「ファイナさん、マジでやるんですか?」
「マジマジ。マジでござるよ」
俺の言い回しが面白かったのか、マジと三度も言って肯定するファイナさん。いや、肯定というより、俺の否定を許さないってところか。
巨木の陰に隠れている俺たち。
そこから顔を出すと、少し先にマンション……とまではいかないが、アパートは優に越えるサイズの蟻塚があった。
エルフの里を出て二日。つまり、生半可なモンスターでは現状維持も不可能だと判明した翌日。
冒険者が集まる町ムファードへの針路を微妙に反れ、真紅の森に分け入った俺たちは魔物退治を始めようとしていた。
正確に表現すると、魔物と戦うのは俺だけなんだが。
「私に手出しをするなとは、どういうことです?」
「拙者も手出しはせぬでござるよ?」
「そういう話をしているのではありません」
話を逸らすファイナさんへ、ぴしゃりと叩きつけるように言い放つ莉桜。やっぱすごいな、莉桜は。俺なんか、あんな真似絶対にできないぜ。
「リオ殿ならば、説明せずとも理解していると思うておったが……」
「狡猾なごまかしは止めてください。以心伝心なのは、私と兄さんの間だけです」
別に、俺と莉桜も以心伝心ってわけじゃないけどね。
だって、ほら。俺の内心の抗議なんかスルーして、話は進んで行くじゃん? 以心伝心だったら、もうちょっと鑑みられるはずじゃん?
「問題にしているのは、私が戦えるようになることが重要だと言っておいて、この扱いということです」
「それは、残念ながら優先度の違いでござるよ」
「兄さんの【MP】補充が最優先。それは分かっています。ですが、あなたはともかく、私まで完全に傍観者でいる必要はないでしょう?」
「そこまで理解しているのであれば、リオ殿も本当は分かっておろう。まだ奏血尽羅――刃羅を完全に掌握しておらぬのに、共闘など危険すぎるでござるよ」
「それでも、程度というものがあるはずです。というか、兄さんにあれだけ危険なことをさせておいて、そんなことを言うんですか?」
「言うでござるよ?」
莉桜とファイナさんの議論は平行線。出口が見えない……というよりは、ファイナさんが譲るつもりがないのでどうしようもない。
なので、俺が出るしかない。スルーされて哀しかったとか、そういうことではないけど。
「莉桜、ここは俺に任せて欲しい」
「兄さん……」
「【MP】を確保というのもあるけど、ファイナさんの言う通り、刃羅をちゃんと掌握しないと安心できないからな」
「なんだか、それはそれで嫉妬を煽られているような気がしますが」
気のせいだ。
我田引水も甚だしい妹の頭にぽんと手をおいて、俺は優しく諭すように言う。
「大丈夫だ。莉桜が見守っていてくれるのなら、俺はなんだってできるんだからな」
「兄さん……」
莉桜は俺の手を取り、自分の頬に当てて微笑んだ。
その笑顔の意味は複雑すぎて完全には理解しきれなかったが、機嫌を直してくれたのは間違いなかった。
人形と美少女の間に、ほんわかとした空気が流れる。うん。兄妹ってのは、婚姻ではなく信頼で結ばれるべきだよな。
そんないい雰囲気を破ったのは、褐色エルフの咳払いだった。
「うぉっほん。拙者も、お屋形様を見守っているでござるぞ?」
「あ、ありがとうございます」
それは、どっちかというと自動車学校の教官的な意味じゃないだろうか……と思わないでもなかったが、口には出せなかった。
とにかく、話は決まった。
「それじゃ、行ってくるから」
コンビニへ出かけるぐらいの気安さで、俺は大木の陰から出て巨大な蟻塚と向き合った。
蟻塚の周囲には、警戒に当たっているのだろう、蟻が何匹も動き回っている。
もちろん、ただの蟻じゃない。
鎧――それも、マクシミリアンアーマーのようなプレートメイル――のように発達した外骨格を持つ蟻だ。しかも、クワガタみたいな鋏まで備えている。
それでいて、大きさは人間大。あの鋏で、人間なんて、ギロチンみたいに斬り裂いてしまうだろう。事情がなければ近づきたくない魔物。
エルフたちは、鎧鋏蟻と呼んでいるらしい。そのまんまだ。
女王が卵を産む繁殖期が近くなると、近くを通りがかった人間やエルフなどが巣に引っ張り込まれて養分になってしまうことがあるそうだ。
他に伝えられたことはといえば――
「外は堅いが、中身はどろっとして美味でござるよ」
――という、参考にならない情報のみ。
ちなみに、今の俺は《外見変更》を使用していない。
つまり、鎧鋏蟻からすると、『毒々しい色をしたマネキンが巣に近づこうとしている』状態。
怪しい。俺でも通報する。
「ギチギチギチギチィ」
当然のように、見張りの鎧鋏蟻がこちらへ近づいてきた。
さあ、始まりだ。
「示せ、刃羅」
俺の右手と一体化した刃。それを振り下ろすと、暴風が吹き荒れた。
足が六本あっても耐えきることはできず、鎧鋏蟻が数メートル吹き飛ばされる。だが、それだけ。ゴブリンたちのときとは違い、それで終わりとはならない。
器用に体を起こすと、先ほどよりも速度を上げてこちらへ殺到してきた。それで完全に俺の存在が露呈し、周辺だけでなく蟻塚からもさらに鎧鋏蟻が現れる。
それを待ち受けながら、俺は内心で反省していた。
衝撃波は失敗だった。こっちも、基本的には近づかないと攻撃できない。あれで倒せないと、接敵までの時間がかかるだけでやることがない。
こっちから突っ込んで行くのなら陣形を崩した意味はあるが、多勢にそれをやると囲まれるだけだし。
あるいは、また《物質礼賛》で銃でも作ればいいのかもしれないが……そんなことを考えていたら、不機嫌そうに右手――刃羅が震える。
飛び道具なんて許さないと言わんばかりだ。
まあ、俺も本気じゃない。【MP】補充が最優先だからな、今のところは。
それよりも、鎧鋏蟻だ。
ガサガサガサガサと、不快というよりも不安になる足音を響かせ、人間大の蟻がつっこんでくる。昆虫特有の無機質さに、思わず背筋が凍った。
だが、それだけ。俺の【精神】は、それ以上の恐怖を感じない。むしろ、莉桜を巻き込まないで良かったと、心の底から安心してしまったぐらいだ。
「斬るぞ」
精神を目の前に迫りつつある鎧鋏蟻に集中。
最初の一体が、突進してくると同時に顎の鋏で俺を挟み込もうとする。真紅の森にマネキンなんかいるはずもない。不審者に対する、実に適切な対応。
だが――遅い。
三桁の【回避】は伊達じゃない。それに、自慢するわけじゃないが“俺”に比べたら、速度も威力もない。脅威など感じられなかった。
自然体……というよりは余裕で鋏をかわし、刃羅で反撃。必殺の間合い……にも関わらず、俺は刀を振らなかった。逆に、バックステップして距離を取る。
それと同時に、頭上から水の塊が降ってきた。俺がいたはずの場所に着弾し、周囲に飛沫を飛ばし――地面を溶かす。
比喩ではなく、本当に溶けて穴が空いていた。
どうやら蟻酸を吐く能力もあるらしい。
蟻。
軍隊蟻が数万もの集団で襲いかかれば、象も倒してしまうという。まあ、それは眉唾だが牛馬も食い殺してしまうのは本当だそうだ。
そんな蟻が、人間と同じサイズで襲いかかってくる。
悪夢以外のなにものでもなかった。
ファイナさんが大物を狙うと言った割には、小さいんじゃないか……と思っていた時期が、俺にもあった。
実際には、それなりの大物を数多く倒して簡単に【MP】を貯めようという清々しいまでの皮算用だったわけだが。
すべては今さらだ。
刃羅が蠕動して不満を表明する。直接斬らせろ、血を吸わせろとカタカタ震える。
「黙ってろよ」
その気持ちは分からないでもないが、主人は俺だ。絶対服従とまでは言わないが、上下関係ははっきりさせないといけない。
暴走して莉桜に刃が向けられたら、後悔してもしきれない。
もちろん、ファイナさんにも刃は向けられない。
「そんなことになったら、俺が危険だからな!」
最悪の未来を振り払うかのように、俺は最初の鎧鋏蟻へ刃羅を振るった。でたらめにでも適当にでもなく、術理に従い、しっかりと踏み込み、刃筋を立てる。
「……は?」
ずぶりと、豆腐を切るかのようにあっけなく刃は鎧鋏蟻を両断した。簡単すぎて、むしろ加害者である俺が驚くぐらい。鎧鋏蟻自身も、斬られたことに気づかなかったようだ。
右半分も左半分も、しばらくそのまま足を動かして俺の横を通過し――数秒後、やっと自身の死を自覚して横倒しになった。
まるで、カートゥーンみたいな光景。
星沙心機が鎧鋏蟻の魔石を吸収するのを感じつつ、次の鎧鋏蟻にロックオン。横薙ぎに刃羅を振るい、今度は鎧鋏蟻を上下にスライスする。
ズッと音を立てて、鎧鋏蟻がずれていった。
今度は即座に死が理解できたようで、またしても星沙心機が魔石を吸収。目視で確認せずとも、【MP】が1点回復しているのを感じる。
「……とんでもないな、これ」
思わず独り言が出てしまうほど凄かった。《強打》を使ってもいないのに、これだ。どんな切れ味だよ。『鳴鏡』によるステータス表示には武器の分は反映されない――元フライングソードもそうだった――ようなのだが、もし加味されていたらすごい数値になっていたことだろう。
弘法は筆を選ばずなんていうが、それは弘法大師レベルになってから言うべきだ。
ファイナさんから借りていた刀でも充分だったが、刃羅はやっぱりそれ以上。俺の【筋力】を存分に破壊力へと変換してくれている。
妖刀のなれの果てとはいえ――あるいは、だからこそ――この刀はすごい。
俺が感心していると、当たり前だろうと機嫌良さそうに右手が震えた。あんまり調子に乗らせないようにしないとなと思いつつ、頭上から降ってくる鎧鋏蟻の蟻酸を回避。
三桁になった【回避】の恩恵か、体が勝手に動く。
そして、回避とは攻撃のための動作でもある。
蟻酸を避けた体勢で、俺は右足を軸にして一回転。右手の刃羅が鎧鋏蟻の前肢を斬り裂き、バランスが崩れたところで縦に一閃。
またしても外骨格を紙よりも容易く斬り裂いて、ファイナさん曰く「どろっとして美味」な中身を露出させる。
そして、流れるように次の鎧鋏蟻を片付ける。
獲物を探す必要も、技巧を凝らす必要もない。当たるを幸いに駆逐していくだけ。その先は、もはや戦闘とはいえなかった。もはや、刃羅の性能実験以外のなにものでもなかった。
まず、さっきから現在進行形で感じているのが、その切れ味。たぶん、金属のように堅いはずの外骨格をすぱすぱ斬っていることからも分かるが、異常なほどに鋭い。
また次の鎧鋏蟻を血祭りに上げながら、改めてその【攻撃力】に感心する。
では、耐久性はどうか。
おあつらえ向きに、鎧鋏蟻が顎の鋏を閉じたまま、頭上から突き刺してきた。いや、突き刺してくれた。
それを刃羅で受け止めると、金属同士がぶつかり合う澄んだ音が森に響き渡った。実際に、金属同士なのだろうか?
そんな疑問に駆られていると、鋏の先端が砕けた。子供のいたずらで鋏がなくなったクワガタを連想する。
その一方で、刃羅は無傷。刃こぼれひとつない。
「ギィイイイィィッ」
そして、鋏を失って絶叫する鎧鋏蟻の首を切り落とし、切れ味も落ちていないことを確認する。
たぶん、斬るだけなら誰でも――それこそ、莉桜でも――できるのだろう。
そして、俺も、今まで刃羅など使わず戦ってきたのだ。決して、弱くはないはず。
そんな一本と一体が出会った結果がこれだ。さらに、ファイナさんの修業の効果もあるわけで、鎧鋏蟻にとっては悪夢的までに相手が悪かったということになる。
もちろん、鎧鋏蟻が弱いということにはならない。現時点の俺の【MP】が1点とはいえ回復するということは、前に戦った蜂の魔物などよりも強いのだろう。
けれども、俺の成長曲線はそれ以上だったようだ。
まさに、鎧袖一触。
もはや、命を奪う行為として認識していたかも怪しい。触れた側から切り落とす。ただそれだけ。
ただそれだけを繰り返し、いつの間にか俺の【MP】は60を越えていた。つまり、それとほぼ同数の鎧鋏蟻を屠ったということになる。蟻塚の鎧鋏蟻は、全滅と表現していいだろう。
これだけ倒しても、刃羅が衝撃波以外の特殊な力を発動する気配はなかった。
今のところは。
なんとなく満足しつつある雰囲気を感じるが、刃羅を完全に掌握したとは言えなかった。要するに、なにか隠しているようなそんな気がする。
俺に特技や『概念能力』があるのだ。衝撃波以外の技があっても不思議じゃない。
まあ、今はいい。
あとは――
その時、地震が起こった。
この世界にも、地震があるのか!
当たり前と言えば当たり前の事実に驚き――直後、それが間違いだと気付く。
震源は、蟻塚。
アパートほどもあるそれが鳴動し、周囲を揺らしていたのだ。
それだけではなく、蟻塚が表面から徐々に崩壊し、なにかが頂上から出現しようとする。
「ギィイイイィィッッッッッッッッッッ!」
鎧のような外骨格に覆われた巨大な蟻。俺の足下に散らばっている鎧鋏蟻の数倍はある。漆黒の魔物。
あれが、女王蟻。否、女王鎧鋏蟻に違いない。
蟻塚に収まっていたとしたら、内部はほとんどこの女王鎧鋏蟻で埋まっていたことになる。地下の区画まであったのかも知れない。
ただ、まあ、サイズはあんまり関係ない。大きさという意味でなら、一刀で切り伏せた森の主スクローファ・シヌムと、そう変わらないのだから。
それよりも、これは僥倖だ。
我が子を虐殺された怒りに燃える女王鎧鋏蟻が、不埒なマネキンへと蟻酸を吐き出した。
「示せ、刃羅」
それを衝撃波で吹き散らしながら、俺は心の中で諸手を挙げていた。
これで、刃羅と特技との組み合わせを確認できる。
「《疾走》」
鎧鋏蟻の間を高速で縫って、蟻塚を崩壊させながら出現した女王鎧鋏蟻に肉薄。崩れかけた蟻塚を昇っていく俺の姿を、女王は無機質な瞳で見つめる。
「《強打》――《連撃》」
胸の星沙心機から【MP】が3点減少。代わりに、真紅の刃を青い光が覆う。
その瞬間、突進しながら一呼吸で二回刃羅を振るい――十文字に女王鎧鋏蟻を斬り裂いた。
豆腐というよりは、バターに近い手応え。決して脆くはない。それなりに手応えがある。
確かに、女王鎧鋏蟻は鎧鋏蟻よりも巨大で、外骨格も堅く、生命力――【HP】も高そうだ。
だが、こっちも特技で強化されている。いわば、熱したナイフでバターを斬り裂くようなもの。
つまり、女王だろうとただの鎧鋏蟻だろうと結果は変わらない。
女王鎧鋏蟻の腹をぶち破った俺は、向こう側に着地し振り返った。
特技も組み合わせた刃羅の威力は絶大。
体を貫かれた巨大な女王鎧鋏蟻は、爆破解体されたビルのようにもうもうと土煙を上げながら崩れ落ちていく。そこから、真っ赤な魔石が飛び出して星沙心機へと吸い込まれた。
だが、達成感は特にない。
あるのは、テストの答え合わせをしたかのような、こんなものかというという思いだけ。
自信過剰になっているわけではないが、これが俺の実力。
ファイナさんが俺を一人で戦場に立たせたのは、このことを自覚させるためだったのかもしれない。深読みのしすぎかもしれないが、そんな風に思わざるを得ない。
それほどまでの完勝劇。
そして、俺の体が光に包まれレベルが上がったことを知らせた。




