エピローグ:そして、彼らは旅に出る
こうして、妖刀・奏血尽羅は滅び、ただの『刃羅』となった。
だが、問題がなくなったわけではない。
「ははははは。綺麗に吹き飛んだでござるな」
「どこが笑い事なんでしょうか……」
「まあ、笑うしかない事態ってのは存在すると思うけど」
例えば、死んだと思ったらカカシになっていたとか。
それはともかく、短くない期間を過ごした庵は木端微塵になっていた。土台から吹っ飛び、残骸が辺りに散乱している。
台風と大地震に見舞われたかのような惨状だ。
俺がやったことではないが“俺’”のやったことではあるわけで、どうしても罪悪感を抱いてしまう。
「私たちには、大した荷物はありませんでしたから、寝床がなくなったというだけですが……」
「クラウド・ホエールダンジョンから、身ひとつで落ちてきたもんな」
「とはいえ、もう、隠棲する理由もなくなったので、そう意味では問題がないのかもしれないですね」
そうだよな……。
ファイナさんもエルフの里に……あっ。
ブローチ!
クルファントさんからもらったブローチが、家の中に隠したままだった。やべえ、見つかるか? それ以前に、無事か?
ぐぎぎぎぎと、油が切れた機械みたいに、首だけ動かしてファイナさんを見る。
「リオ殿、そういえば聞きたいことがあったでござるが」
「なんですか、こんな状況で」
やった!
俺の意を汲んで、ファイナさんが莉桜の注意を引きつけてくれた。その間に、俺は庵の跡地へと移動。
「《物品共感》」
そして、周囲の物たちに語りかけ、ブローチの在りかを探す。無傷……とまでは贅沢言わないから、せめて形は保っていて欲しい。
「マサキ殿のどこに惹かれたのでござるかな?」
「どこ? なぜそんな簡単なことが分からないのですか」
ええー? 言うに事欠いて、それなの?
莉桜はまだ具体的にはなにも言っていないのに、恥ずかしさに全身がこそばゆくなる。マネキンの体なのに、不便だな。
こうなったら、あの話が進展する前に見つけるしかない。
「そうですね……」
俺がコンタクトレンズを探しているよりも必死にブローチを探している最中、莉桜はファイナさんの誘いに乗っかった。
なんの疑いも持たず、むしろ、教えて差し上げますと言わんばかりに。
いろいろと、心配だなぁ……。
「私が泣いているときに、兄さんが手を差し伸べてくれた。それが、私の最も古い記憶です」
「ほほう。幼子の頃の話でござるな」
「いえ。まだ、私がベビーベッドから動くこともできなかった頃のことです」
古すぎる!
というか、それは妄想か記憶の捏造だろ!
妹の将来が心配になるが、とりあえず後回し。後でどうにかできるのかは分からないが、後回し。
「こっち……? いや、あっちかッ」
瓦礫の声を聞き、俺は地面に膝をついて遺跡の発掘でもするような慎重さでブローチを探す。
……これじゃない。これは、茶碗の欠片だ。
これでもない……。
……あった!
瓦礫の陰。たぶん、タンスかなにかの残骸だろう。それに守られるかのように、ブローチが隠れていた。
地面に突き刺さり汚れてはいたが、特に歪みはない。
良かった……。
「私を慈しみ、優しく撫でてくれた手。私は、一生それを忘れることはないでしょう」
「莉桜、プレゼントだ」
「……兄さん?」
ロマンチックさの欠片もなく、俺はクルファントさんから譲ってもらったブローチを差し出した。刀が交差し、周囲を宝石が飾っているブローチを。
包装もなにもなく、泥を払っただけ。
それでも、莉桜は驚きに目を白黒させて、俺とブローチとの間で視線を忙しなく動かす。
情緒はなかったが、奇襲には成功したらしい。
誕生日でも、クリスマスでも、ホワイトデーでもない。
なんでプレゼントを渡そうとしているのか、莉桜は必死に考える。
「これはつまり、プロポーズですね!?」
「違う」
……指輪だったら、否定できないところだった。
ありがとう、クルファントさん。ありがとう!
「日頃の感謝というかなんというか、これが本当の“お土産”だったんだけどな。渡しそびれててごめん」
「いえ……。そんな……」
感極まって、ぎゅっと握る。
どうやら、俺が今まで渡すのを忘れていて、庵の崩壊と同時に失われるところだった……なんてことには気付いていないらしい。
もちろん、俺もそんな危険があったことはおくびにも出さない。
「それはそれとして、あんな危険なことをしないでくれよ。いくら『ヴァグランツ』があるからって、俺をかばうなんてな」
「信じていましたから、兄さんを」
「それでも、万が一ってことがな」
どっちも俺ではあったのだから、莉桜にも三分の利はある。
けれど、兄としては認めるわけにはいかない。
そんな俺へ、莉桜は静かに言う。
「安全な位置にいるだけでは、欲しい物は得られない。私は、それを学んだのです」
そして、意味ありげに笑った。
「……分かったよ。でも、命懸けってのは絶対に止めてくれよ」
「ふふふ。分かりました。兄さんがそこまで言うのであれば」
私はいい妹ですからねと言って、莉桜は微笑む。
その笑顔は、透明で、それでいて明るくて。
美少女というのは、こういうことなんだろうなと、しみじみと思い知らされるほどアトラクティブだった。
「話はまとまったでござるな」
そこに、ファイナさんが軽やかに割り込んできた。
「良ければ、里へ行くのはどうでござろう。向こうにも、こちらの騒ぎが伝わっておるかもしれんでござるしな」
「後片付けは?」
「不要でござろう。ちょうど良いと言えば、ちょうど良い」
さばさばと、褐色エルフの師匠が笑う。
相変わらず、豪快だ。
たぶん、エルフ的価値観だと、そのうち朽ちて森の一部になるとかそんな感じなんだろう。
それに、ファイナさんも里に戻るのであればわざわざ再建する必要もない。感情的には受け入れ難い面があるものの、合理的な話ではあった。
「エルフの里ですか……」
「まあ、ファイナさんもボロボロだし、治療が必要だよな」
「放っておけば、治るでござるが……。まあ、邪魔になるものでもござらんな」
妖刀――現『刃羅』――を手にしていた頃は斬られても復元していたようだけど、手放してもまだ残ってたりするんだろうか……?
肯定されたらされたで恐ろしいので、とりあえず、曖昧に濁しておく。
「兄さん。そのあとは、どうするんです?」
「旅に出ようか」
莉桜の問いかけに、俺は反射的に答えていた。
なにか考えていたわけでも、密かな希望があったわけじゃない。
でも、この真紅の森で。俺が異世界に来て初めて降り立った地で、やるべきことはやった。
そんな確信とともに、俺は旅立ちを口にした。
「そうですね。今なら、見た目のことをあまり気にする必要はありませんし。いいタイミングですね」
なにがそんなに嬉しいのか。莉桜も全面的に賛成する。
なぜか、ブローチを我が子のように丁寧にさすり、ファイナさんのほうを意味ありげに見ながら。
「そうでござるな。では、クルファントに言うて、旅支度をさせるとするでござる」
「なにからなにまで、ありがとうございます」
「いやいや、拙者のためでもござるしな」
あれぇ?
「今、ありえない台詞が聞こえたように思えたのですが。気のせいでしょうか? 気のせいですよね?」
今なら、気のせいってことにしてあげますよ。
莉桜はそう言ったのだが、ファイナさんは一顧だにしない。
俺だけを見ている。
俺だけを見ながら、その場に膝をつき、正座した。
「さて、マサキ殿。……否、お屋形様」
「……はい?」
その呼び名は、日本の歴史では室町時代に成立した物だった。
室町幕府が足利一門や有力な守護大名に与えた称号で、特別に許された敬称でもあった。
つまり、俺がそう呼ばれる筋合いはないということなのだが……。
「このファイナリンド・クァドゥラム。お屋形様に命を救われたのみならず、一族の宿痾を払っていただき申した」
「そうかしこまって言われると、その……」
今までも、お礼を言われる度に、こっちこそお世話になっているんだからと遠慮してきた。
でも、今回は違う。今までとは違う。
そんな無形のオーラに押され、俺は一歩二歩と後退る。
「今この時より、拙者はお屋形様の物。この身命。否、心まですべて捧げ申す」
……どうしよう。
頭が真っ白になって、なにも考えられない。
「是非、拙者も旅に同道させていただきたくお願い申し上げる」
そう言って、ファイナさんは両手をついて頭を下げた。
こんな状況でも美しい金髪のポニーテールが舞い、地面に垂れる。
ここは、「もう、免許皆伝でござるな」とか言って送り出すところじゃないの?
「兄さん、どうするのですか? 私は、兄さんが決めたことには従いますよ?」
そう言う莉桜の目は笑っていなかった。
これっぽちも笑っていなかった。
……生命の危機を感じる。
「まあまあ、リオ殿。拙者、邪魔をするつもりはござらん。道中、寝床が二人と一人に別れても文句は言わぬ所存」
それ、莉桜とファイナさんが同じベッドってことですよね? そうなんですよね!?
「我が名、ファイナリンドは“輝く添星”の意。共にはぴったりでござるぞ」
本来は暗いはずの添星が光輝く。それは、実にファイナさんらしくて。
俺は否定の言葉を紡ぐことができなかった。
これにて第二章完結です。三週間ほどのお付き合い、ありがとうございました。
次章はなるべく早くお届けできるようにする予定です。
少なくとも、一章と二章ほど間が空くことはない……はずです。
それでは、今後ともよろしくお願いいたします。




