19.そして、彼らは彼らと対峙する(前)
思い立ったが吉日。
……というわけでもないが、作戦決行はその日の昼に決まった。
なにしろ、俺が強くなっても相手も一緒に強くなるだけで、意味がないからな。
「触媒の準備は問題ありません。いつでも大丈夫です」
遅い朝食と昼飯をあわせた食事を摂りながら、最後の調整。
いつものお膳の上には、やはりいつも通りご飯とみそ汁。それに、主――スクローファ・シヌムの照り焼き。
貴重な砂糖を使った、濃厚でねっとりした照り焼きソースは、情報だけを食べている俺をも満足させるできだ。ひたすら、ご飯が進む。マヨネーズがあったら、さらにパーフェクトだった。
しかし、そんな不満は些細なこと。
まだ熟成が足りないにもかかわらず、スクローファ・シヌムは美味かった。
肉質は、ファイナさんに初めてごちそうになった豚肉に似ている。
だが、それよりも遥かに肉の旨味が濃厚で、噛み応えがある。いや、情報としてそう感じるというだけなんだが。
とにかく、それが莉桜特製の照り焼きソースと合わさって、とんでもないマリアージュを生み出したのだ。
「これは美味いでござるな」
「うん、ほんとに」
本当、最後の打ち合わせなんて、どこかへ飛んでいってしまうほど美味い。ご飯も俺の好きな固めだし、最高だ。
「それもこれも、兄さんの立派な花嫁になるため……って、そうじゃありません。いえ、それは嬉しいんですが、打ち合わせも忘れないでください」
その通り過ぎて、返す言葉もない。
「リオ殿の準備が万端なのは重畳でござるな。なれど、今回は敵方もマサキ殿であろう? 間違える心配はござらぬか?」
みそ汁をずずっとすすってから、何事もなかったかのようにファイナさんが打ち合わせに復帰した。
しかし、それは今後の調整というよりは挑発に近い台詞。
「私が兄さんを間違える? この千早莉桜が? 笑えない冗談ですね」
「間違えないで欲しいとは思うけど、でもクローンだろ?」
妖刀を手にした別物になるだろうとはいえ、同一の存在だ。
戦闘中は立ち位置も変わるし、なにが起こったっておかしくはない。
俺はそう言って莉桜を擁護するのだが、どうも、逆効果だったようだ。
目を大きく見開き、信じられない者を見るような瞳でこちらを見つめる。
「間違えるはずがありません。間違えたら、兄さんの妹を止めてもいいです」
「代わりに、嫁にでもなるつもりでござるかな?」
「代わりなんてとんでもない。妹嫁になることこそが、私の目標でありアイデンティティなのですから」
そして、意味ありげにちらっちらっとこちらを見る。
意味ありげというよりは、得意げというか気合いが入っているというか……。
いや、見られても、それで惚れたりはしないよ? むしろ、妹嫁という間違った日本語のほうが気になる。そんな単語、存在しないからな。
「では、私が世界で初めての、『妹嫁』を名乗りましょう」
「称号にするのかよ」
「ええ。後に続く者たちの希望となることでしょう」
いるのかなぁ、それ。存在と必要と二重の意味で。
そんな疑問を、スクローファ・シヌムのバラ肉とともに飲み込む。
どうやら、まだうちの妹は気が動転しているようだ。そっとしておいたほうがいいだろう。
「そういえば、あとで納屋から刀を出すので手伝って欲しいでござるよ」
「ファイナさんの分以外にもですか?」
俺は借りっぱなしの刀があるし、ファイナさんも妖刀――抜いたことないけど――の代わりに一振りあればいいんじゃないだろうか?
「出し惜しみしても意味はないでござるからな」
「そりゃそうですけど……。ああ、折れたときの予備ですか?」
「いかにも。予備の刀を庭に突き刺しておけば、いざという時に便利であろう。相手が奏血尽羅を使わねばならぬ以上、向こうに使われる心配もないでござるしな」
「おお、剣豪将軍だ」
剣豪将軍としても有名な、室町幕府第十三代将軍足利義輝。まあ、足利将軍は尊氏、義満、義教、義昭以外知名度低すぎ問題を抱えているので有名と言ってもたかがしれているのだが……。
義輝に関しては、実際にあの剣豪塚原卜伝の直弟子であり、奥義一の太刀も伝授されていたということなので、剣豪部分に関しては信憑性が高い。
松永久秀の嫡男松永久通と三好三人衆らによる襲撃で命を落としたのだが、その際、将軍家が秘蔵していた名刀を畳に突き刺し、刃こぼれする度に新しい刀を抜いて奮戦したという伝説があるのだ。
まあこれ自体は創作ではあるものの、薙刀や刀で応戦したのは事実らしい。
「異世界にも、武士がおったのでござるな」
俺の解説を聞き、嬉しそうにファイナさんがつぶやいた。
興味深そうに、金髪から覗く笹穂型の耳がぴくぴくと揺れる。
「しかし、為政者としては二流のようでござるな。いくら剣の腕が立っても、謀反されるようでは今ひとつと言わねばならぬ」
実にごもっとも。
この場に織田信長がいたら、恥ずかしさに顔を真っ赤にしていたかもしれなかった。
「これは壮観だな」
「酒池肉林を実際にやったら、こんな感じでしょうか」
やりとげた……と、浸っていたところに妹の反応は冷たい。
せっかく黒い巨人に荒らされた庭に剣の林を作ったのに、莉桜は引き気味だった。
おかしい。
「どちらかというと、墓標に見えるでござるなぁ」
「ファイナさんにまで否定されると、立つ瀬がないんですが!」
ほんと、おかしな話だ。
まあ、実際、見学した古代魔法帝国時代の遺跡ぐらい兵どもが夢の跡感は凄いんだけど。
「……さて」
ちょっと和んだところで、意識を切り替える。
これから、一世一代の大勝負。
ファイナさんを救えるかどうかの瀬戸際。
それに、俺のわがままで、莉桜を危険に巻き込んでいる。
絶対に、失敗は許されない。
そうだ。この件が片付いたら、莉桜にはお詫びとお礼で、クルファントさんからもらったブローチを渡そう。というか、今まで渡してないのが悪いんだけど……。
莉桜なら、きっと許してくれるだろう。
だから、絶対に負けられない。
「そろそろいいですか?」
莉桜が『ヴァグランツ』を展開し、ファイナさんは無言でうなずいた。
――良し、始めよう。
心ちゃん――『星紗心機』に触れ、俺は頭に浮かんだ文句を詠唱する。
「産めよ、増やせよ、地に満ちよ。我、生命を支配す――《増殖天授》」
【MP】が10点――魔石一個分減り、虚空に光り輝く種が出現した。
種が割れ、芽吹き、根から幹がいくつも伸び絡まり合ってひとつになる。
それが大きく膨らみ――中から“俺”が出現した。
『鳴鏡』で確認をしたとおり。だが、実際に目の当たりにすると、驚くしかない光景。
種は消え去り、代わりに“俺”が地上に降り立つ。
「莉桜、ファイナさん。そして、俺。“俺”が作られた目的は分かっている」
生まれた“俺”は、マネキンのまま無機質な声で告げた。
見た目は、区別ができないほど完全に俺だが、やはり、記憶は持っていても人格は異なるのか。自分の声とは思えないほど、冷たく響いた。決して、客観視すると、俺は元々こんな感じなどとは思いたくはない。
「そこに不平も不満もない。当然の選択だ」
もちろん、俺にも“俺”にも顔色など存在しない。だから、純粋にその声音と内容で本当か嘘か判断するしかなのだが……。
俺が見ても、“俺”の言葉に嘘はない。完全に本音のように思えた。
「だから、それ自体に否やはない。ないが、その先は保証できないぞ」
「……ファイナさん」
「承知」
ファイナさんが目をつぶり、呼吸を整える。
鮮やかな朱色の柄糸が巻かれた柄と、黒塗りに金の装飾が施された鞘。今まで決して抜かれることのなかった妖刀・奏血尽羅。
心を落ち着けたファイナさんに、ためらいはなかった。
妖刀を流れるような動きで引き抜くと、真紅の刀身が陽光を反射する。しかし、見えたのは一瞬。ファイナさんは、奏血尽羅を“俺”へと投げつけた。
「ぐっ……」
直後、ファイナさんの口から血が流れ、その場に膝をつく。苦しそうに顔を歪め、顔中冷や汗でいっぱいになっていた。
どれだけのダメージがあるのか。ファイナさんが、それを正直に言うことはない。
だから、さっさと終わらせよう。
妖刀・奏血尽羅を手にした“俺”へと視線を向ける。
そこには、体の色が紫から真紅へと変わった“俺”がいた。
「ああ……。なるほど。これが自由か。悪くないな」
手にした妖刀を一振り。
その剣風だけで地面がえぐれた。
妖刀の支配は、一瞬で完了したようだ。少しは抵抗できるようなら、その隙に……と思っていたが、そんな隙はなかった。
というか、【精神】85や【抗魔】77なんてハリボテだったな。
俺も刀を手にして、“俺”と対峙する。
自分同士の果たし合いは、一体どうなるのか。少しだけ気になったがそんな雑念は捨て、“俺”に集中。
「斬るぞ」
それは、完全に無意識の動き。
自然体で一歩踏み込み、それがさらに次の一歩の呼び水となる。今までの経験の積み重ねで感じ取った隙。
その直感に従い、俺は刀を振るった。
「ちっ」
しかし、刃は“俺”まで届かない。
奏血尽羅が動き、俺の斬撃を弾き返した。
俺は、こんな時代劇みたいな派手な立ち合いを習っちゃいない。だから、実際に妖刀が動いて守ったんだろう。
そして、“俺”ではなく奏血尽羅が防御に動いた理由も、隙ができた原因も、直後に判明する。
「産めよ、増やせよ、地に満ちよ。我、生命を支配す――《増殖天授》」
“俺”は、いきなり予想外の行動に出た。
【MP】が10点――魔石一個分減り、虚空に光り輝く種が出現する。
種は俺たちが衝撃から立ち直るよりも早く割れ、芽吹き、一気に成長しさらにもう一人の“俺”が生まれた。
ご丁寧に、妖刀まで分裂だか増殖だかしらないが増えている。
『星沙心機』を用いて魔石の吸収はできない。だが、使い切りになるけど、『概念能力』は使えるということか。
だが、無茶だ、これは、寿命を削っているのと同じこと。
「なら、こっちだって」
あっちが増やしたんなら、こっちだって同じ手を使うまで。これで、状況は元通りだ。
「産めよ、増やせよ、地に満ちよ。我、生命を支配す――《増殖天授》」
しかし、なにも反応がない。
ただなんか、格好いい呪文を唱えただけの人になっていた。人形だけど。
「使用回数の制限は、共通のようです!」
莉桜の悲鳴のような言葉。
それで合点がいった……が、いきなりアドバンテージが潰されたことには変わりない。
やるな、“俺”。
なんて感心している場合でもなかった。
「一体は、拙者が抑えるでござるよ……」
よろよろと、刀を杖代わりにしながらファイナさんが立ち上がる。
明らかに本調子じゃないが、そうも言っていられない状況。
「……頼みます」
忸怩たるものがあるが、背に腹はかえられない。
《増殖天授》で“俺”を増やす。こいつはまさに、神の一手だった。




