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人形転生-カカシから始まる進化の物語-  作者: 藤崎
第二章 大森林のサムライ
36/68

14.そして、彼は目撃する(後)

 夜。

 月と星が競り合うように輝く夜。


 胸さわぎを憶えた俺は、美しい夜の闖入者となって庵の外に出た。静寂を破らぬよう、ゆっくり慎重に周囲を見回す。


 だが、当たり前と言えば当たり前なのだろうが、怪しい影などどこにもなかった。


 客観的に見ると、球体関節人形かマネキンかという俺が一番怪しい。一応、浴衣っぽい寝間着は着てるんだけどね。それでカモフラージュされるような怪しさじゃないんだよなぁ。


 だいたい、胸さわぎって言ったって、俺の胸には『星紗心機』(スターハート)しかない。

 これでどうやって、胸さわぎをって……あれ?


 それって、心ちゃんが騒いでいるってことになる?


 それは無視しちゃマズいな。


 もう少しだけ、辺りを見て回ろう。

 畑のほうも特に異常がなかったため、俺は森へと足を踏み入れる。


「でも、静かなもんだ」


 ついつい漏れてしまった独り言。

 思いの外響いてしまい、一人ドキリとする。


 いわゆる丑三つ時というやつだからなのか。動物も虫も。そして、魔物の鳴き声はおろか気配もしない。別世界に迷い込んでしまったかのようだ。いやまあ、元々異世界に迷い込んではいるのだが……。


 それはともかく、常時効果を発揮している《環境適応》のお陰か、下生えの草を踏んでも足音はしない。


 完全な無音。

 まさしく、夜の静寂だ。


 それはつまり、なんの異常もなく、誰もいないということ。


 やっぱり、考えすぎだったか。


 そう思って踵を返そうと思った瞬間、視界の端でなにかが光ったような気がした。


 なんだ?


 俺は、反射的にそちらを振り返る。


 暗闇の中、赤く光る瞳。


 口から流れ落ちる赤い血。


 褐色の肌を血が彩る。


 半月状の笑みの形になった口。


 そこから覗く長大な牙。


 ファイナ……さん……?


 いつもの、朗らかで、天然な面影はどこにもない。それどころか、似ても似つかないと言って良いだろう。


 それなのに、分かってしまった。


 アレは、ファイナさんだ。

 

 ――目が合った。


 うち捨てられる、犠牲者。


 反射的に。否、本能的に、俺は脱兎の如く逃げ出していた。


 忘れていた。忘れていた。忘れていた。


 なぜ、俺は確かめなかったんだ。いや、分かっている。彼女なら、なにが起こっても大丈夫だと根拠のない確信があったせいだ。


 それでも、今は猛烈な後悔とともに思う。


 なぜ、気づかなかった。なぜ、気づかなかった。なぜ、気づかなかった。


 俺が感じた程度の虫の知らせなら、ファイナさんが気づかないはずないのに。


「……くッ」


 そう、ファイナさんだ。


 ファイナさんが、人の血を吸っていた。


 なぜ? どうして?


 そんな疑問が渦巻く。なにかの間違いじゃないかとも思う。そうだ、そうに違いない。

 吸血鬼ってのが実際にいたとして、今の今までそんな様子はまったくなかったじゃないか。ただあり得ないほど強くて、俺が斬っても不思議な力で避けて……。


 ……本当に避けていたのか?


 気づいてはいけないことに気づいてしまった。


 人形の体なのに、背筋に悪寒が走る。


 それに突き動かされるように、俺は森を走った。

 そう。莉桜が眠る庵ではなく、森の中を一心不乱に駆け抜ける。《環境適応》のお陰で、走るのに不自由はない。


 だが、それと逃げ切れるかどうかは話が別だ。


「――――ッッ」

「……くぅッッ」


 ホラー映画ではあっても、ゾンビ映画ではなかったようだ。ファイナさんにあっさりと追いつかれる。

 背後で、刀――鞘に包まれているのかどうかは分からない――が振り上げられる感覚。


 死ねない。


 このままでは死ねない。

 その想いだけを胸に、俺はその場に倒れ込み――土下座した。


「見たのは俺一人です。殺すなら、俺一人だけに。どう、莉桜は、どうか見逃してください」

「いやいや、そんなことはしないでござるよ」

「クルファントさんからもらったブローチは、俺の形見ということで莉桜に渡してもらえたら、もう思い残すことはありません」

「だから、別に殺すつもりなどないでござるよ」


 ……え?


 思ってもいなかった、軽い。いつも通りの言葉。


 恐る恐る頭を上げると、まったく人をなんだと思っているでござるかと、ぽんぽんと鞘に包まれた刀を手のひらで叩きながら言うファイナさんがいた。


 実に、不本意そうだ。


 でも、それだけ。


「ファイナさんが吸血鬼だという秘密がバレたので、口封じに始末されるのでは?」

「まあ、乙女の秘密をのぞき見たのは、確かに重罪かもしれぬでござるが」

「……乙女?」

「ほう……」

「いえいえいえいえいえ。なにも思っていません」


 さすがに乙女は言い過ぎだろなんて、そんなことは決して。


「じゃあ、なんで追っかけて……」

「ただ、これで頭を叩いたら記憶を失わないかと思っただけでござる」

「雑っ!」


 しかも、願望!


 だが、話は通じそうだ。


 俺は、再び頭を下げて懇願する。


「覚悟を決めたでござるか」

「それなら、詳しい話を聞かせてください」

「ならん」


 返ってきたのは、予想以上に激しい拒絶。


「話したら俺たちを巻き込むからですか?」

「答える必要はござらん」


 正解だな。


 回答を拒否したことで、確信を得た。この場合、なんと答えても――あるいは、無言を貫いても――結果は同じだっただろうけど。


「まったく……」


 こうなるから嫌だったのだと、ファイナさんが苦々しげな表情を浮かべる。

 実に、レアな表情だ。


「先ほど見たことは誰にもなにも言わず、ただ修行を終えたら出て行く。これを守ってくれれば、なにもせぬでござるよ」


 観念したように、ファイナさんが妥協の提案をする。


「人の生き血を啜る魔物と一緒に過ごすのが嫌であれば、もちろん、すぐに出て行っても構わんでござるが……」

「いや、それだと逆に莉桜から怪しまれますし……」


 そんなつもりは、毛頭ない。

 あっさりと見捨てるには、関わりすぎてしまっている。ファイナさん自身もそうだし、短いけれどエルフの里の人たちとも。


 無関係ですと立ち去ることなんて、できやしない。


 それに、死体から魔石を吸収して成長する人形と、人の生き血を啜る吸血鬼。どっちが怪物かなんて、


 そうだ。俺は吸血鬼としてのファイナさんなんか、知らない。だから、本能的に逃げてしまった。

 でも、ここには俺の知る。剣の師であるファイナさんしかいないじゃないか。


 だから、知りたい。

 たとえ、巻き込まれたとしても。


 寄る辺のない俺たちを受け入れてくれた人だから。


 俺はゆっくりと土下座の姿勢を解き、よろよろと立ち上がる。


「《蛇腹の腕》」


 唐突に、特技の使用を宣言した。

 同時に、俺の右手が伸び文字通り蛇の腹――曲がるストローのようになる。


「なにをっ」


 初めて見る、ファイナさんの狼狽。

 だが、その程度でうちの師匠をどうにかできるなんて、これっぽっちも思っていない。


 腕が倍以上に伸び、一瞬で射程が伸びる。

 蛇腹の腕は不規則に動き、死角に飛び込んだ。


「この程度ッッ」


 避けられるだろうことは、もちろん想定済み。


 けれど、狙いはファイナさんじゃない。

 肌身離さず握っているファイナさんの刀だ。


 ――取った!




 ファイナさん自身を狙っていたら、こうも上手くいかなかっただろう。刀を標的にしたからこその金星。

 ファイナさんの刀を握り、続けて特技を使用する。


「《物品共感》」


 新規に習得した、物品が見聞きした情報を得る特技。ずっとファイナさんと一緒だった刀なら、なにか知っているはず。上手くいけば、ファイナさんが血を吸っていた状況や理由が分かるかもしれない。


 胸の『星紗心機』(スターハート)から【MP】が減少し、脳に直接望む情報――ファイナさんはどうしてあんなことをしたのかが流れ込んでくる。


 だが、流れ込んできたイメージは、俺の予測を大きく超えていた。


 視界がセピア色に染まる。 


 ここは……。


 どこなのかは分からない。


 だが、どんな状況かは分かった。


『ダガラーン・ナターレ。やっと追い詰めたでござるよ』

『ファイナリンド・クァドゥラム。我が糧となりにきたか』

『世迷い言を』


 俺はまた、ファイナさんと相対していた。


 血と臓物と屍肉の上で。


「なんだこりゃ……」


 ここで、視界に色が付く。ドス黒い光景に、思わず呻き声を上げてしまう。


 屍山血河とは、まさにこのこと。


 ただのイメージで良かった。これが現実で、匂いも感触もあったら、どうなっていたことか。酷いことになるのは確実だろうが、どの程度かというのは想像もできない。したくない。


『その妖刀・奏血尽羅(そうけつじんら)を破壊する。死者は戻らぬでござろうが、それで仕舞いでござるよ』


 どうやら、かなり昔の出来事らしい。

 長命だというエルフでも、やはり老化はするようだ。過去映像のファイナさんは、幼さの残った顔立ちだった。いや、これは成長というべきだ。


『破壊? クハハハハハハッッッ』


 突如、狂ったように、俺の持ち手が哄笑を上げる。

 それを、痛ましそうな表情で見るファイナさん。


『輪廻、輪廻だ。ファイナリンド・クァドゥラム。妖刀は砕けん。俺を倒しても、輪廻は終わらんよ』


 ここで、唐突に視界が変わる。


「――殿」


 今度は、目の前が黒一色に塗りつぶされた。


「……サキ……殿――ッッ」


 意識が徐々に浮上する感覚。

 ああ、終わったんだなと直感する。


 あれが、あの刀に《物品共感》した結果なのだから、つまるところ、ファイナさんの得物は妖刀・奏血尽羅(そうけつじんら)ということになる。


 そして、前の持ち主は――


「ダガラーン・ナターレ……」

「ダガラーン……懐かしき名でござるな」

「……あ、戻ってきた……のか」

「まったく。その無茶さ加減にあきれるべきか、《物品共感》を知りながら気づかなかった拙者の不覚とすべきか悩むところでござるよ」


 俺にとって【MP】は貴重な資源だ。

 ファイナさんはそれを知っていた。だから、合計で4点も【MP】を使ってくるとは思わなかったんだろう。


 いや、それよりも。


「見ました。ファイナさんがダガラーンという男と立ち会うところを」

「〝剣匠〟最後の戦いでござるよ」


 自らの行いを誇ることもなく、ファイナさんは自嘲気味に吐き出した。

 負の感情を露わにするのは珍しい。何百年か前のことだろうが、未だデリケートな。消化し切れていない出来事だったのだろう。


 それでも、もう観念したとでも言わんばかりに続きを語ってくれる。


「ダガラーンの名が持つ意味は『殺戮王』……というところでござるかな。その刃が、外に向いているうちは、優れた君主でござったが……」


 最後には、その刃は同族に牙をむいた。


 そもそもの発端は、古代魔法帝国の崩壊。

 その混乱を契機に、エルフ同士の大内乱が発生した。エルフの歴史に言う戦国時代の始まりだ。


「実際は、この妖刀・奏血尽羅(そうけつじんら)の『破壊の衝動』により引き起こされた物であり、実のところ、ダガラーンも、妖刀を手にした弟を討ち果たし乗っ取られたにすぎぬ」

「それをさらに、ファイナさんが……」


 だが、それではおかしい。


 なぜ、その妖刀が残っている?

 ファイナさんは正気を保っている?


「ダガラーン・ナターレを打ち倒した……けど、奏血尽羅(そうけつじんら)は破壊できなかった?」

「いかにも。業魔(レヴュラ)が宿りし、古代魔法帝国でも異端の創造物は、拙者らではどうにもできなかったでござる」


 例えるなら、絶対に処分できない核兵器。しかも、いつ暴発するか分からない。

 そんなもん、どうしようもないな。


「ゆえに、拙者が肌身離さず持つことで封じておるでござるよ」


 だから、鞘から抜かなかったのか。

 強すぎて、それが不自然に思われないってのも凄い話だが……。


「じゃあ、他の刀を使わないのは……」

「こやつが、支配力を上げてくるでござるゆえな」


 それじゃ、剣士としては死んだことになる。


 辛い、話だ。


「だけど、それならどっか人の来ないような場所に封印しておけば……」

「否、人跡未踏の地に封じても、いつか魔物に取り憑かんとも限らん。事実、どこからか噂を聞きつけた人間が、拙者らの庵までたどり着くこともあるでござるしな」

「もしかして……」


 さっき、ファイナさんが血を吸っていた相手も、そんな連中か?

 というか、主を引っ張るマジックアイテムのロープなんかも、過去の彼らの持ち物だったのかもしれない。


「じゃあ、人の血を吸っていたのも、奏血尽羅(そうけつじんら)を封印する副作用みたいなものですか?」

「いかにも。刃に血を与えぬ代わりに拙者が……でござるな。こらえられなくなる前に、有効活用してござるよ。まあ、死ぬまで吸う必要はないゆえ、あとは適当に帰しておるが」


 殺してはいない。


 それを聞いて、思いの中ほっとする俺がいた。信じてはいても、疑念はあったのだ。安心した。


「でも、元々吸血鬼でもなんでもないのにそんな衝動まで植え付けられて、こんな場所に一人で過ごして……」


 あまりにも、報われない。


 なにか抜け道はないのか。いや、何百年とあったのだ。それもこの期間で考え尽くしていることだろう。

 俺には、どうしようもない……って、待てよ。

 

「あ、俺の《永劫不定(リリト)》を使えば、壊せるんじゃ……」


 対象の【物理防御】、【魔法防御】を無視してダメージを与える《永劫不定(リリト)》なら……。


 そうだ。今は俺がいる。

 前提が異なる。


 それなのに、ファイナさんは哀しそうな顔をする。

 だから、話したくはなかったでござるよと、顔に書いてあった。


「もはや、我らはほぼ一体化してござってな。こやつを壊せば、拙者も死ぬでござるよ」


 衝撃的過ぎて、理解できない。

 ただ、言葉が通過していく。


 死ぬ? ファイナさんが?


「ゆえに、どうしようもなくなったら、余人のおらぬところで、腹でもかっさばくつもりでござったよ」


 その笑顔はあまりにも。


 あまりにも透徹としすぎていて、見ているこっちが泣きそうになってしまった。

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