11.そして、彼と森の妖精は里を訪れる(中)
「木を切りま~す」
主の死体に群がる――他に表現のしようがない――エルフたちの姿を見ていると、昔ハマったRTSの音声を思い出してしまった。
もちろん、木を切っているわけではないのだが、こう、わらわらと作業をしているところを見ているとね。
古いゲームだったがそれだけハマっていたと言うことでもあるし、半ば呆然としていたというのもある。
というか、刀や鉈――断じて、包丁ではない――を手に、褐色で金髪のエルフたちが獣に群がる姿というのは、なんとも非現実的だ。
その上、下着姿で血塗れでとなると、どう反応して良いのか分からなかった。
しかも、スクローファ・シヌムの解体風景は、どちらかというと建物の解体に近い。
なんかもう、非現実的すぎて、ファンタジー凄い。
「なんとも、手持ち無沙汰でござるな」
「それだけじゃないですけど、それは認めます」
功労者である俺とファイナさんは、エルフたちから解体への参加を拒否されてしまった。なので、見ていることしかできない。
まあ、それもだいぶ衝撃映像という感じではあるけど。
「これは、この後、宴が始まるでござるな」
「肉って、熟成しないと美味しくないって聞いたことがありますけど」
「解体の慰労会のようなものでござるよ」
つまり、狩ってきた俺たちも強制参加というわけか。
ううむ。莉桜を待たせているしなぁ。しかし、適当なお土産も見つかってないから、できればエルフの里で探したいというのもある。
帰り道で……というのもなくはないが、そんな余裕があるとは思えなかった。
俺だって、学習するのだ。
「ファイナ様!」
「……おお、クルファント坊か。息災かの」
そこに、立派な刀を下げたエルフの青年――たぶん――が現れる。
褐色の肌なのはみんなと同じだが、体つきはよりがっちりしており、顔つきも精悍。身長も俺よりかなり高く――190cmぐらいありそうだ――骨太な印象を受ける。
それでいて美形なのは変わらないんだから、莉桜がエルフという種族に夢を持つのもよく分かった。
「弟子を取られたというのは、真ですか」
「うむ。マサキ殿でござる」
「初めまして、千早雅紀です」
紹介を受けて会釈をするが、クルファント坊と呼ばれたエルフの視線は鋭いまま。
あからさまに、値踏みされている。
莉桜と一緒に歩いていると結構そういう視線を受けることがあるので慣れているが、今は《外見変更》中。不自然だと思われたりしないか、ちょっと心配になってしまう。
目立たずやり過ごすのが一番か。
そう判断して、ファイナさんの一歩後ろで大人しくしていたのだが……失敗だった。
「納得いきませぬ」
「なにがでござるかな?」
黙っていたのは逆効果で、クルファントさんは、さらにいきり立つ。
「ファイナ様の後ろに隠れるような男が紅龍蒼牙の後継者など、納得できませぬ」
「紅龍蒼牙の宗家は、そなたの兄でござろう」
「それは、政治的な事情からクァドゥラムの家督を継いでいるだけのこと。紅龍蒼牙の正統は、今もファイナ様に他なりません」
複雑なお家の事情というヤツだが、俺は直感的に理解できた。
なるほど。柳生宗矩と柳生兵庫助のようなものか、と。
柳生新陰流で有名な柳生家。
だが、その内実は、ちょっと複雑でどろっとしている。
柳生家の家督は、柳生石舟斎の五男――柳生十兵衛の父――柳生宗矩が継いだ。一方、剣聖上泉信綱から柳生石舟斎へと伝授された新陰流の正統は石舟斎の孫である柳生兵庫助へと受け継がれていた。
つまり、武士としての柳生家の本家と、剣術としての柳生新陰流の宗家は別であるというややこしい状況が発生し、江戸と尾張の柳生家で対立が……というのは、歴史小説でよく扱われる題材となっている。まあ、実際はそんな事なかったらしいけど。裏柳生だって――ロマンもなにもないが――創作だ。
なぜこんなことになったかというと、ぶっちゃけ、柳生石舟斎の長男が戦傷で家督を継ぐことができなかったのが原因。
家の存続を考えれば既に徳川家に仕え才覚のあった宗矩に柳生家を継がせるしかないが、せめて新陰流の正当だけは長男の孫に……という切ない事情があったようなのだ。
もちろん、現代の人間からはうかがい知れない事情が他にあったのかもしれないし、そもそもファイナさんの場合はまた異なる事情なのだろうが、異世界でも同じような事態が発生しているというのは興味深い。
いや、世界が違っても、人の営みがある以上、変わらないのかもしれないな。
そう、ひとり納得していると、クルファントさんが俺に一際厳しい表情を向ける。
「ここまで言っても黙りこくっているだけ。覇気もなにも感じられないではないですか」
「いや俺は戦い方を習っているだけであって、紅龍蒼牙を継ぐとか、そういうことはまったく考えていないのですが」
「紅龍蒼牙は、受け継ぐに値しないと申すか!?」
ああ……。火に油を注いでしまった。軽率だった……が、実際、戦闘術として教えてもらっているだけであって、流派を継ぐとか、今まで考えたこともなかったしなぁ。
でも、無知が悪いと言われれば、それまでか。
まずは謝罪しようと前へ出た……が、それは果たせない。
「手合わせを所望する」
「ええ……?」
エルフでなくとも、ある意味当然の要求を受けてしまったから。スクローファ・シヌムを解体していた他のエルフたちも手を止め、こちらの様子をうかがっている。
そりゃ、クルファントさんが納得いかないのは分かるけども……。手合わせって言ってるけど、エルフだし実質決闘だよな?
どうしたものかと、ファイナさんの意向を伺う。こういうところが駄目なのかもしれないが、俺の一存で決めて良いものじゃない。
同時に、莉桜がいなくて良かったとも思う。
いや、莉桜がいなくて良いことなんかひとつもないのだが、事態が複雑になるからね。
「死なれても困るでござるなぁ……」
どっちが死ぬのかは分からない――もしかすると、相討ちで両方かもしれない――が、真剣での立ち合いは確定しているらしい。
木刀とか竹刀という概念はないのだろうか。いや、竹刀の普及は江戸時代になってからってのは知ってるけど。
「マサキ殿」
「はい」
「マサキ殿は拙者でござる」
「……はい?」
説明が。説明が足りてないですよ、師匠!
「クルファント坊」
「はっ」
「拙者もマサキ殿に紅龍蒼牙を継がせるつもりは毛頭ないでござる。そもそも、拙者が未だ、紅龍蒼牙の正統であるとも思っておらぬでござるが」
「…………」
クルファントさんは無言。
思っていることも反論もあるのだろうが、ぐっと飲み込みファイナさんの言葉を待つ。
「とはいえ、クルファント坊が拙者に弟子入りしたがっていたことも忘れているわけではござらん。今さら受け入れるわけにもいかぬが、納得いかないのであればマサキ殿と剣を交えてみるが良かろう」
「ありがたく。私が負けたら、この件に関して蒸し返すことはいたしませぬ」
じゃあ、俺が負けたらどうなるのか……という条件は詰められず、クルファントさんは刀を抜いた。
白刃が陽光を反射し、切っ先が俺へと突きつけられる。
なるほど。俺が負けたら死ぬから、条件を決める必要はないと。
ということは、クルファントさんが負けた場合――つまり、死んでも――里やファイナさんの実家であるクァドゥラム家は不問に付すということなのだろう。
「では、立会人は拙者が務めるでござる」
そして、立ち合いのルールを決めることもない。
スクローファ・シヌムの解体風景を背景に、俺とクルファントさんの立ち合いが始まる。
――いや、違った。
「…………」
「…………」
「…………」
主を解体する手は止まっていた。
代わりに、エルフたちが固唾を飲んで俺たちの立ち合いを見守る態勢に入っている。
「里の者が気になるか?」
「いえ、そっちは、それほどじゃないんですが……」
刀を構えずだらりと下げたままの俺を見かねて、クルファントさんが声をかけてきた。
敵である俺を心配するとは……と思うが、勝利条件が違うのだろう。
魔物なんかを相手にするときは、ただ命を奪えば良い。
だが、今回は違う。
クルファントさんとしては、死力を尽くした俺に勝たねばならないのだ。だから、俺がぼうっとしているようでは、文字通り話にならない。
しかし、俺が考えていたのはファイナさんの言葉について。
『マサキ殿は拙者でござる』
まったく意味が分からない。俺自身がファイナさんになるということ? それができれば苦労しない。
「マサキ殿、よいでござるな?」
「あ、はい」
いや、今は勝負に集中しよう。莉桜がいないところで、莉桜がいないからこそ、負けなど許されない。
これも人形の体だからなのか、思考からノイズが消え、目の前のクルファントさん以外が気にならなくなる。
「それでは、始め!」
同時に、クルファントさんが改めて刀を正眼に構える。一方、俺は、だらりと刀を下げたまま。
油断はしていないつもりだが、端からしたら油断しているようにしか見えないだろう。
だが、クルファントさんは、いきなり打ち込んだりはしない。じっと、こちらの様子を観察していた。
「…………」
「…………」
先に動いたほうが負ける。
まるで達人同士の戦いのような、緊張感。
しかし、俺はもう、クルファントさんに然程意識を向けていなかった。考えているのは、ファイナさんの言葉の意味。
『マサキ殿は拙者でござる』
それが、やっと分かったのだ。
そう。クルファントさん俺で、ファイナさんは俺。つまり、普段の立ち合いとは反対の立場でやれと言うことなのだ。
「……くっ」
精悍な相貌を歪め、間合いを詰めては離れるを繰り返すクルファントさん。
真意に気づけば、相手の思考が手に取るように分かる。
隙だらけなのに、打ち込めない。それに困惑してるんだろう。
分かる、分かるよ。なにをしても、通用しない。それどころか、反撃でやられる光景しか思い浮かばない。
ああ、やはりクルファントさんは優秀だ。
俺がその境地に達するまで、何度砂の味を味わったか。
しかし、こうしていても始まらない。いや、終わらない。
俺は、ふっと全身の力を抜いた。人形だが、その辺は人間の体と同じ。
体が弛緩し、緊張感が霧散する。
「はあぁっっ!」
その隙をクルファントさんは見逃さなかった。
一撃必殺。
全身をばねのようにして踏み込み、刀を大きく振り上げ――その刀を俺が取り上げた。
いわゆる無刀取りというやつだ。
来るタイミングは分かっているのだから、あとはそれに合わせてこちらから近づき、刀を奪うだけ。種も仕掛けもなにもない。
ただ、ファイナさんと行った無数の立ち合いで慣らされた目があれば、それで良い。
「勝者、マサキ殿!」
呆然として俺と俺の手中にある刀を交互に見るだけのクルファントさんを尻目に、ファイナさんが当然と勝敗を告げた。
その満足そうな表情を見ると、どうやら及第点のようだ。クイズに正解したようにほっとする。
「おおおおおっっっーーー」
そして、長閑なエルフの里には似合わぬ歓声が轟いた。
けれど、続く言葉は完全に予想外。
「お姫さんに、婿ができたぞ」
「そうと決まれば、宴の準備じゃ」
特に話し合う様子もなく、エルフたちが二手に分かれる。
主の解体を続けるグループ。宴会の準備を始めるグループ。俺とファイナさんを連行するグループ。
いや、三つだった。
というか、なんでクルファントさんに勝ったら婿? 一体全体、どういうことだったんだ? こんな婚活パーティ聞いたことないぞ?
しかし、莉桜がいなくて良かった。
いや、莉桜がいなくて良いことなんかひとつもないのだが、事態が複雑になるからね。
「祝言の準備をせねばならんなぁ」
「ほんに、ほんに」
「めでたいこっちゃ」
半ば強制的に連行されながら、しみじみ思う。
……うん。本当に、良かった。




