10.そして、彼と森の妖精は里を訪れる(前)
当初は困難を極めるかと思われていた主の運搬だが、意外なほどスムーズに行われた。
それには、合計で三つの理由があった。
まず、トン単位はあるだろうスクローファ・シヌム(胴体)を普通に牽引できたこと。これが大きかった。
さすが【筋力】120だなとしか言えない。正直、常人の数倍の【筋力】でどうにかなるとは思えないのだが、あくまでも目安であり、そこまで単純でもないんだろう。
それに、運べているのは純然たる事実なんだから、それこそ、動かしようがない。
もうひとつ。ファイナさんが使ったロープが、特殊なマジックアイテムだったというのも大きかった。
「いわゆる絶対に切れないロープというやつでござるな」
「一般的なんですか」
「まあ、冒険者にとってはでござるがな」
そりゃ、普通に使う分にはオーバースペック過ぎる。
逆に、重量物を扱う現場では重宝するだろう。
最後のひとつが、ファイナさんの先導だ。
どれだけ力があり、運搬具も壊れないといっても悪路ではいかんともし難い。もちろん、森の中なんだから整備された道などないが、そこはファイナさん。
森の中を縦横無尽に駆け回ったエルフの感覚は、道選びにも有効。
スクローファ・シヌムの電撃が作ってくれた道を利用したこともあり、かなり楽に運び出すことができた。
「そういえば、これから行くエルフの里ってどんなところなんですか?」
スクローファ・シヌム(胴体)を引きずりながら、先を行くファイナさんにわりと根本的な質問をした。
曖昧で答えるほうも困るとは思うのだが、なにかこう、気をつけるべきこととか、覚悟をしておかなくちゃいけないことがあるのなら先に知っておきたい。
「なにもないところでござるよ」
立ち止まりも振り返りもせず、ファイナさんは淡々と言った。
そこからは、いかなる感情の揺れも感じられない。
懐かしさも、疎ましさも、なにも。
それならなぜ、ファイナさんは隠棲しているんだろう?
踏み込んでも良いものか迷っていると、ファイナさんが今度は今度はこちらを振り返りながら言う。
「いや、なにもないがあるでござるかな?」
「それ、気に入ってるんですか?」
確か、最初の時も言っていたような。
「……ッッ」
何気ない指摘だったが、効果は絶大だった。あのファイナさんが褐色の肌でも分かるほど顔を赤くし、慌てて視線を逸らす。
歩く速度も、心持ち速くなっていた。
かわいい。
思わず、告白しそうになる。
まあ、角の生えたスクローファ・シヌム(頭)を引きずってなければ、だけど。
儚い恋だったな。
「マサキ殿、なにやら失礼なことを考えてはおらぬか?」
「いえ、なにも」
俺は、努めて平坦な声で答えた。
あぶねぇ……。
莉桜だけでなく、ファイナさんにまで心を読まれるのか。
顔に出るはずがないんだけどな……。雰囲気? なのか? よく分からないけど、用心しよう。
「もうそろそろ、里に到着するでござるよ」
「じゃあ、そろそろ準備しますね」
「済まぬが、よろしく頼むでござる」
一端立ち止まった俺は、移動中に打ち合わせ通り特技を使用する。
「《外見変更》」
久々の使用宣言。『星紗心機』の魔石が一目盛り分――1MP――減少したのが、感覚的に分かる。
同時に、俺の全身がきらきらとした光に包まれ、紫がかっていた肌の色が変わっていった。
カカシからマネキンに進化して初使用が《外見変更》なのは地味すぎる気がしないでもないが、エルフの里への訪問には欠かせない。
今回イメージしたのは、俺自身――カカシではない――の姿。
心ちゃん空間のお陰もあり、特に支障はなかった。
「ふんふん」
謎のうなずきを返しながら、ファイナさんが俺をぐるりと一周する。
変なところがないかのチェックは重要だが、なんか、落ち着かない。
「ばっちりでござるよ」
「それは、どうも」
「しかし、これがマサキ殿の本来の姿でござるか。これはこれは……」
これはこれは……なんですか?
続きは? 続きはないんですか?
「外見しか変えられぬのであれば、髪や眉に触れられぬよう注意したほうが良いでござるな」
「それは確かに」
続きはなかったが、重要なポイントだ。俺は、自分で頭に触れながらうなずいた。
見た目は生えてるけど、感触はないってのはかなり奇妙だ。
気をつけないとな。
そうして、またスクローファ・シヌム(胴体)を引きずってあることしばし。
森が開け、人里が視界に飛び込んできた。
最も鮮烈なのは、水が張られた田んぼと等間隔に植えられた苗。当たり前だけど、「ああ、米作りをしてるんだな」と改めて痛感させられる。
そこでは、ファイナさんと同じもんぺ姿のエルフたちが笑顔で農作業をしていた。
反対側に目を向けると、木造の住居が建ち並んでいた。
藁葺きで、四方向に傾斜のある屋根。高さはそれほどではないが、どっしりとしている。
そして、森の中にできたエアポケットである里には燦々と太陽の光が降り注いでいた。
空が高く、絵の具で塗ったように青い。
初めて見るのに、異世界なのに、なんだか懐かしい光景。
地球に未練があるわけじゃないけど、郷愁を誘われる。
もし莉桜とひっそりと暮らさなくちゃいけない……なんてことになったら、こんなところが良いなと思う。
「あ、お姫様だ!」
呆然とエルフの里を眺めていると、遠くからそんな声が聞こえてきた。
お姫様? ファイナさんは〝剣匠〟ってことだけど、氏族の中でも結構地位が高かったんだろうか?
「お姫様~」
「お姫様とお肉~」
俺たちの存在に最初に気づいたのは、小さな子供たちだった。剣術の稽古でもしていたのか、木刀を持ってこちらへ駆け寄ってくる。
ファイナさんと同じく、金髪に褐色の肌。笹の葉の形をした耳まで、興奮で赤くなっていた。
なぜお姫様なのかはともかく、その歓迎っぷりを見る限り、愛されているようだ。
まったく、木刀ぐらい置いてくれば良いのに。そんなにお姫様――ファイナさんに会えるのが嬉しいのだろうか。
と、思っていたのだが――
「えいっ!」
――先頭を走っていた幼女が、木刀をファイナさん目がけて投げつけた。
……え? なにが起こって……?
呆然とする俺を意に介さず、ファイナさんは当然のように木刀を笑顔で掴む。まあ、笑顔が基本みたいな人だけれども。でも、もの凄く満面の笑みだ。
そんなファイナさんへ子供たち――よく見たら、女の子しかいない――が、一斉に斬りかかっていく。
その太刀筋は、子供。それも、女の子とは思えないほど鋭く早い。修業を始める前の俺よりも、よっぽど上なんじゃないだろうか。
しかも、エルフという種族の特徴なのか。みんな可愛い女の子だ。
それが集団で斬りかかってくるとか……。
しかし、多勢に無勢とは言え、相手はファイナさんだ。
「ははは。また腕を上げたでござるな」
嬉しそうに木刀で打ち払い、子供たちを退けていく。
多面打ちをする将棋の名人を彷彿とさせた。
「負けた~」
「ダメだった~」
ファイナさんと幼女たちの交流は、俺を置き去りにして――混じりたくなんてないけど――早々に終わりを告げた。
後には、弾き飛ばされた木刀と遊び疲れて満足そうな子供たちが残される。
「拙者から一本取るには、300年は早いでござるよ」
エルフ的には、300年ってわりとリアルな数字なんだろうなぁ。
「ところで、なんで女の子ばっかりなんですか?」
「なにを言っているでござるか」
「ボク、男の子だよ?」
そう言って、エルフの幼女――いや、男なの?――が、着物をめくった。
「おうふ……」
そこには確かに、男女を分ける象徴が存在していた。
「疑って悪かった」
「えへへー」
なぜか得意げに笑う、エルフの幼女改め幼児。
良いから、仕舞って仕舞って。
「ファイナさん……?」
《外見変更》で、どの程度表情が変わるのか。
それはまだ確認していなかったが、俺の思い通りだとすると、不審者を見るような目だったに違いない。
そして、その答えはすぐに出た。
「……マ、マサキ殿? なんでござるかな、その顔は?」
どうやら、思った通りのようだった。
「いやなに、幼少期は女子のほうが体も強いゆえにな……」
「それで、女装させていると」
確かに、日本にもそんな習慣はあった。あとは、霊的というか信仰的な意味で、悪霊から守るために、幼少時に女装をさせるとか。
こう考えると、変じゃない……のか?
「ちなみに、エルフの幼少期ってどれくらいなんでしょう」
「ほんの……」
「ほんの?」
「二十年程度でござるかな」
「あ、はい」
俺の年齢とほとんど変わんないよ!
大丈夫……なんだろうか? いや、俺が心配しても仕方ないけどさ。
「おお。お姫様じゃ」
「お姫様が肉と男を連れて来たぞ」
「男じゃと!」
「なんと、これは祭りじゃな!」
子供たちに遅れて、今度は大人たちが駆け寄ってきた。
なんかこう、時代がかった話し方にもかかわらず、若くて整った容貌なので違和感がもの凄い。
というか、この巨大な主よりも、俺のほうが大事なのかよ。
まあ確かに、あの真紅の森だと、魔物よりも普通の男――俺が、本当に普通かは置いて――のほうが、遭遇難易度は高そうだけど……。
それにしても、大人たちもみんな嬉しそうだ。ファイナさんが愛されていることが、言葉で確認するまでもなく伝わってくる。
こうなると、ますます疑問に思ってしまう。
どうして、ファイナさんはこの里を離れて、ひとり暮らしているのだろうか……と。