06.そして、彼の修業ライフが始まる(中)
悪い予感だけが当たる。
それは単純に、悪いことほど印象に残るということでもあるだろうし、自己防衛本能から予防線を引いた場合もあるだろう。
あるいは、本当に不幸なことに、人生において悪いことしかなかった……なんてケースもあるかもしれない。
しかし、俺が直面している問題は、そのどれとも異なっていた。
単純に、なるべくしてなったというか。
強いて言えば、ファイナさんが悪い。
「――マサキ殿、聞いておるでござるか?」
「できれば、聞かなかったことにしたいです」
巻藁を両断した後。
軽い昼食を摂り、ファイナさんがもんぺからいつもの改造和服に着替え、俺たちは早速修行を開始した……のだが。
目下、その一歩目でつまずいていた。
「ははははは。下手な冗談でござるな!」
「それはこっちの台詞でしょう!」
快活に笑う褐色エルフの師匠に、思わず俺は噛みついた。この異世界においても、正常なリアクションだと俺は信じる。
なのに、ファイナさん……いや、戦闘民族はきょとんと小首を傾げた。
かわいい。
可愛いのが、逆に腹立たしい。
「……兄さん?」
その上、修業に付き合っている――というよりは監視している――妹に睨まれてしまった。
「単に、拙者を斬り殺してみろと言っただけでござるが?」
「はい、ダウト!」
健康のため適度な運動と充分な睡眠を取りましょうというぐらい当たり前のことを言ったのに、理不尽に反発されている。
そんな表情で、ファイナさんは理不尽なことを言う。
「当然でござろう? 剣術とは即ち、命を殺る技術でござるよ?」
「いやいやいやいや。普通は、ひたすら素振りしたり、木に刀を打ち付けたりするもんじゃ?」
修業をするとは言った。
それは、命の取り合いをするための修業ではあるだろう。
でも、はじめの一歩が師匠を斬り殺せってどういうことなのさ!?
「自然は大切にせねばならんでござるよ?」
「こんなところだけ常識的!」
エルフってすごいなぁ……。
「とはいえ、マサキ殿の身体能力であれば、下手な修練は不要ゆえな……。ああ、特技は使用禁止というのが不満でござったか」
「いやまあ、そこは修業ってことなら仕方ないと思ってますけど」
「では、なにが不満なのでござろうか」
殺害指令だよ、殺害指令。
しかし、言っても撤回する気はなさそうだった。
戦闘民族の面目躍如……と、言って良いのか、どうなのか。
「仕方ありません、兄さん。貴い犠牲です」
「いきなり肯定しない!」
常識人が人形の俺しかいないというのは、間違っているんじゃないだろうか。こう、いろいろと。
「言葉が足りなかったでござるかな? マサキ殿が馴染みすぎて、異世界の御仁であることを忘れていたでござった」
失敗失敗と、舌を出して照れたように笑う。
だが、さっきまでのようにかわいいとか言っていられる心理状態ではなくなっていた。
というか、世界じゃなくて種族というか、森の内と外の違いだと思う。
でも、言葉にはしない。話が進まないからだ。
「拙者とて、むざむざ殺られるつもりはござらん。要するに、拙者が斬られても良いと思うような斬撃を放つこと。それが、目的でござるよ」
「……真剣で?」
「もちろん、真剣でなければ意味はないでござるよ」
凄い。字面だけ見ると、血なまぐささの欠片もない。
だが、実際はこうだ。
『とりあえず、真剣で斬りかかってくるでござるよ。拙者を殺せれば、修業終了でござる』
うん。そりゃ終了だよな。その後は、誰と修業しろっていうんだってことになる。
まあ、それくらいの覚悟でやれということだろうし、俺とファイナさんの実力差を考えれば殺られることもないという確信もあるんだろうが……。
千尋の谷に突き落とすとか、そんなレベルじゃない。
「さて、お喋りはそろそろ終わりで良かろう」
ファイナさんの雰囲気――オーラが変わった。
「くっ」
それに引きずられるように、俺は正眼の構えを取った。いや、取らされた……か。
一方のファイナさんは自然体。いつも通り刀を抜くことなく鞘に収めたまま、こちらを面白そうに観察している。
それなのに、圧迫感がもの凄い。
呼吸なんてしていないはずなのに、息苦しい。心臓なんてないはずなのに、動悸が激しい。
ここは、庵のそばの庭先。その認識が歪み、まるでダンジョンの中にいるかのような緊張感が俺を苛む。
「兄さん……」
殺らなきゃ殺られる。
俺も、莉桜も。
「征きます!」
大声で宣言して――そうでもしなければ、体が動かない――すり足で踏み出す。違和感はない、流れるような動作。
刀を力強く握り、ぐっと絞り込む。
構えや動きにまで《武器の手》の効果は及ぶのか、まるでそうするのが当たり前かのように放たれる鋭い斬撃。
白い閃光が、ファイナさんの褐色の首筋へと吸い込まれていく。
「まず、追い詰められると闇雲になる癖は、直すでござるよ」
しかし、あっさり見切られた。
まさに紙一重。それでいて、永遠に届かない隔たり。
攻撃をかわしたファイナさんは、無造作に俺の胴を鞘付きの刀で薙いだ。
「ぐはっ」
「兄さん!?」
巨大なハンマーで殴られたような衝撃。いや、そんな経験はない。これはまさに、エルフに鈍器で殴られたかのような衝撃だ。
こらえることもできず、あっさりと吹き飛ばされる。
突然の浮遊感に、なにをすることもできない。
しかし、それも長くは続かなかった。
ほんの数秒空を飛んだあと、背中から地面に落下し転がる。畑に落ちる寸前で止まったのは、ファイナさんの計算通りなのだろう。
だが、目立った外傷はなさそうだ。これも、《骨格強化》のお陰か。
ファイナさんは、それすら計算に入れていそうだな……。
「魔物ばかり相手をしてきたのでござろうが、今の相手は拙者ぞ。急所を狙わずとも、大振りせずとも、マサキ殿の【筋力】であれば拙者は死ぬぞ」
相手を見て攻撃しろと、ファイナさんは言う。
なるほど……と、俺は師匠の真意を理解した。
今攻撃されたのは、隙があったからというだけじゃない。それなら、俺が攻撃する前でも、いっそ最中でも隙なんていくらでもあったはず。
だから、今の攻撃は、立ち合いによるものじゃない。
子供やペットが悪いことをしたときに、叩いて叱って憶えさせる。それと同じことなのだ。
「マサキ殿が死ねば、妹御も同じ道をたどるでござるぞ。実戦でそうなるのであれば、今この場で拙者が同じことをしたほうが慈悲ある死となろう」
「……そんなアフターサービスまで、求めてませんよ」
師匠に反論しながら、俺はよろよろと立ち上がる。《物質礼賛》で作った服は早速ボロボロで、球体関節は軋みを上げている。
でも、立たねばならない。
ファイナさんの言葉は無茶苦茶で破綻しているが、それゆえに真実の一端は掠めている。それに、俺が諦めたら彼女は本当に実行するだろう。
非常識だし、俺からすると頭がおかしいとしか思えない理論だが、ファイナさんの中では正しいことなのだ。
正しさに対抗するには、力を用いるしかない。
「……お願いします」
再び正眼の構えを取り、今度はファイナさんをじっくり観察する。
すらりとした手足。女性としては高い身長。ポニーテールにした金色の髪から覗く笹穂耳。
エルフ全体の特徴なのかは分からないが、天然自然の美しさ。
白い着物と紫色の帯。そして、袖が大きくなった服は、どう見ても動きやすそうには見えない。
けれど、どこにも隙はなかった。
一発もらって冷静になったからか。それとも、彼女の恐ろしさを身を以て知ったからか。
やる気は変わらないが、なにをどうすれば勝てるのか、分からなくなる。
完全に、気圧されていた。
だいたい、構えもなにも教えてもらってないのに、いきなりファイナさんを斬れとか無茶すぎる。こんなのどうしろって……。
ああ、いや。そうか、そうなのか。
「……ほぅ」
「どういうつもりですか、兄さん?」
俺がたどり着いた答えに、ファイナさんは面白そうな笑みを浮かべ、莉桜は理解できないと声をあげる。
構えもなにも教えてもらってない。だから、聞きかじったような正眼の構えを取ったって仕方がない。ファイナさんは、邪道かもしれないが、ファイナさんは基本なんて求めていないじゃないか。
俺は、ファイナさんを信じて構えを解いた。習っていない、教えてもらってないってことは、不要と言うこと。
だらんと腕を下ろし、右手で刀を持っているだけ。たぶん、これが正解。
「征きます!」
自分を後押しするための宣言。
それと同時に、俺は短い助走から跳んだ。
カカシ時代を思い起こさせる踏み込み、だが、飛距離はそれ以上。高くはない。地面すれすれを走るように跳ぶ。あるいは、跳ぶように走る。
ファイナさんは動かない。構えも取らない。俺も止まらない。
移動しながら、両手で刀を構える。
でも、闇雲に斬りつけるわけじゃあない。
力を抜く……わけではないが、刀を握り、ぐっと絞り込む……のでもない。野球のバットではないのだ力は要らない。ただ、ふわりと抑える感覚。
そして、刀を刃ではなく線で意識する。
肘を支点にして腕を伸ばし、その後は刀を振り下ろす慣性に任せて肩から動かす。
体、刃、振り。
そのすべてが、同じベクトル――斬るという目的に向いている。重なっている。
あ、これは斬れるな。
それは言葉にはできないほどの気持ち良さを与えてくれた。すべては、理想を忠実に再現してくれる【筋力】、【敏捷】、そして【命中】のお陰。
一閃。
まさに閃光のような一撃。
ファイナさんは避けようとしない。容易いだろうに、迎撃もしない。このままなら、確実にその命を刈り取ることだろう。
それが分かっていてもなお、俺は剣を引かない。いや、引けない。スピードが乗りすぎて引き返せないところまで来ている……というだけじゃない。
自分でも会心の一撃過ぎて、“惜しい”と思ってしまったのだ。
「やあああっっ!」
刃が肉にめり込んだ。生々しい手応え。包丁で魚をおろしたときのことを思い出していた。
ずぶりと刃が首筋に沈み、骨にぶつかる。
けれど、止まらない。刀は硬い骨をも断ち斬り、そのまま振り抜いて首筋から胸にかけて斜めに斬り裂く。
確かな感覚。
だが、錯覚。
「残心が足りぬでござるよ」
背後から、当たり前のようにファイナさんの声がする。
さらに、勝利を確信しても油断するなと、鞘で肩を叩かれた。まるで、坐禅中に居眠りしてしまったかのように。
「へぶっ」
だが、威力はその比じゃない。
エルフに鈍器で殴られたような勢いで、俺は地面と全身でキスをした。
いった……くはあんまりないけど、衝撃は伝わる。なにより、やったと思った瞬間に文字通り叩き落とされたので、精神的なショックがでかい。
それでも、最初よりましな辺り、ファイナさんの手心を感じる。
いや、そもそもだ。
なんで、ファイナさんは無傷で……?
「まあなかなか良かったでござるが、死ぬには今三つと言ったところでござろうか」
残像? 幻覚?
この生々しい手応えが?
慌てて莉桜を見るが、ぶんぶんと首を振るだけ。その子供っぽい仕草に和んだものの、有用な情報は得られない。というか、第三者が見ても、意味が分からなかったということのようだ。
混乱する俺たちを尻目に、ファイナさんは満足そうに笑っている。説明するつもりはないようだ。
「しかし、先が楽しみでもござった。マサキ殿の飲み込みの速さと、まさに人外の身体能力。これが組み合わされば、高みに登り詰めることも可能でござろう」
「そんなにほめたら、本気にしちゃいますよ」
「結構結構。まあ、あと千は今の斬撃を出してもらわねば判は押せぬでござるが」
千。
千かぁ……。
それでもやるしかない。
地面に倒れ伏していた俺は、覚悟を決めて立ち上がった。まだまだ先は長い。休んでる暇なんかない。
「その次は右腕だけで殺るでござるよ」
――が、信じられない言葉が聞こえてきた。
「……はい?」
「左だけからのほうが良かったでござるかな?」
そうじゃない、そうじゃないと何度目になるか分からないが、視線で訴える。ちゃんとした瞳はなくても、通じるはず。
「我が紅龍蒼牙の神髄は、“常勝”にあり」
確かに、俺の抗議は通じた。
しかし、それが俺の希望した方向かというと、大いに疑問が残る。
「勝利と一口で言っても、勝利条件は様々で、刻々と状況は変化するもの。それでもなお、“常勝”を求めるならば道はひとつ。どんな状態であろうと戦場に立てるよう、腕が千切れ、足が動かずとも戦える鍛練を積むより他になし」
筋は通っていた。
この上なく、明瞭でロジカルで透徹していた。
“常勝”という題目も、油断したら族滅させられかねないエルフの中では妥当……というよりは切実に感じる。
エルフ=鎌倉武士理論が正しければ、内ゲバも結構あるはずだし。
「ほう……。此度は、いい目をしているでござるな」
「“常勝”ってのは、良い目標だと思ってしまったもので」
「妹御は幸せ者にござるな」
もう、俺の目が良いか悪いか分かるのかなんて気にしない。
リアルな手応えを残しながら、無傷でいられるのファイナさんを気にしないように。
「では、続けるでござるぞ」
俺の覚悟を目の当たりにし、ファイナさんがサメのように笑った。