04.そして、彼は進化する(後)
「兄さん……」
懐かしく、聞き慣れた莉桜の声。
風景の変化よりも、それが帰ってきたという実感を与える。
恐らく、心ちゃんとの邂逅は一瞬か、極短時間だったんだろう。
それは、莉桜が俺の帰還よりも、俺の変化に驚いていることからもそれが分かる。
「進化した……みたいだな……」
つぶやきながら、そうするのが当たり前だと両手を眼前にかざした。
やや紫がかった灰色とでも表現すべきか。生物の肌として考えると、明らかに毒々しい。
だが、それは逆に、腕の作りが生物――人間に近いという意味でもあった。肩は回る、肘が回る、指も五本あって手を握ることもできた。
肘など大きく動かす関節部には球体がはまっていて、自由に曲げ伸ばしができるようになっている。
確かに、これは人形だ。
記憶にあるよりも少し長く太いような気がするが、違和感を憶えるほどじゃない。
自由だ。自由な腕だった。
次に、俺は視線を下に向ける。カカシの体と違って、首の可動域も人間時代――そんなに前じゃないけど――と変わりない。
ここにまで球体関節が使われているのか。その場合、喉の奥は、どうなっているのか。
怖い考えになったので、首を振って忘れる。
それよりも、足だ。
足は、二本あった!
こちらも、腕と同じくやや紫がかった灰色の肌。作り物っぽさは否めないが、足であることには違いない。
その場で軽く跳んでみるが、違和感は特にない。靴は履いてないはずだが、痛みもなかった。
気づけば、思わず走り出していた。
そう。走っている。跳ぶのではない、二本の足で大地を踏みしめて走る。走り方を忘れる……なんてことはなかった。
膝が、アキレス腱が曲がって伸びる。軋みを上げるなんてことはない。生物のように、いや、それ以上に滑らかな動きだ。
二本の足で全力疾走なんて、いつ以来だろう。
風が気持ちいい……なんて感慨に浸る間もなく、あっという間に森との境界までたどり着いてしまう。あれ、俺ってこんなに足が速かったか?
振り返ると、莉桜は、ずっと遠くにいた。
一瞬で、この距離を? いやいや、文系人間が、そんな。あり得ない。
日本では考えられないぐらい広大な庭。畑との境目が曖昧という意味でもあるが、下手するとサッカーができそうなぐらい広い。
Uターンした俺は再び走り出し、莉桜の目の前で大きく踏み切り跳躍した。
上に高くではなく、前へ遠く。
ふわりとして浮遊感。風を切る爽快感。
カカシの体で培ったバランス感覚のお陰か、きっちり両足で着地した。たたらを踏みもしない。体操選手のような着地。球体関節は、しっかりと衝撃を吸収していた。
得意になった俺は、背後を振り返る。
そして、フリーズした。
目算。あくまでも見た感じだが、踏み切った位置は10メートルぐらい向こうだった。
えええ……。世界記録、越えてるじゃん……。
「素晴らしいですね、兄さん」
「うん。でも、正直引いてる」
駆け寄ってきて我が事のように喜ぶ莉桜を尻目に、俺のテンションは下がっていた。
特技使わないで、これだぞ。身体能力高すぎる。
どうなってるんだ、この体。
カカシの体は不便だったが、凄すぎても気分が萎えてしまう。
「なんか、反動が怖いな」
「いえいえ、それは卑屈というもの。本来、これくらいの体を最初から用意してしかるべきだったのです。『究極の人形』なんですよ? むしろ、もっと反則じみた能力であるべきでしょう」
「これが正常だって?」
「あえて言いましょう。発展途上だと」
艶やかな黒髪をかき上げながら、莉桜は堂々と宣言した。
「おや、これはマサキ殿。騒がしいと思って出てきてみれば……」
「あ、すいません。お騒がせしました。それから、莉桜のことありがとうございました」
「なんのなんの」
いつものように呵々と笑って、家主のファイナさんが玄関から出てくる。
さすが〝剣匠〟というべきなのか。ほんと、動じない人だ。
「新たな姿を選んだでござるな。見違えてござるよ」
「はい……って、そうだ」
新しい体の使い心地は確認したけど、ちゃんと自分の姿を見ていなかった。
一体、どうなっているんだろう?
「見てみますか、兄さん」
俺の希望を察知し、莉桜が『鳴鏡』を掲げる。
ただ、位階把握の機能はオフにしているようだ。
普通の鏡となったそれが、新たな俺の体を映し出す。
目鼻立ちがくっきりした顔立ち。不気味の谷とまでは言わないが、結構リアルだ。髪も眉毛もないので、マネキン以下ではあるけど。
そんな状態ではあるが、なんとなく男性をモチーフにしていることは分かる。俺が男だからという先入観は関係ないはずだ。
一方、体の材料は、触っても、実際に目の当たりにしても判別がつかない。木のような金属のようなプラスチックのような不思議な質感。
この世界にだけある素材だったりしたら、お手上げだ。
体は全体的に、起伏はないがスマート。
変な装飾もないが、人間でいう心臓のある辺りには、当然のように『星沙心機』が存在している。
五重の円も変わらないが、その一番外側の円だけが黒く塗られていた。
それから、埋め込まれている10ある魔石も、ふたつだけ塗りつぶされている。
どうやら、さらにレベルアップしていたようだ。一気に5レベルアップしたわけで、ホエールドラゴンが、どれだけ強敵だったかが分かる。
そして、これが一番肝心なことなのだが……。
「この場合も、裸って言うんだろうか」
服を着ていなかった。文学的な表現をするならば、一糸まとわぬ姿というヤツだ。
靴を履いていないのは気づいていたけど、こっちはすっかり忘れてた。
そう。忘れていた俺が悪い。それは確かだ。
でも、女性陣からは、一言欲しかった……。
「特に問題だとは思えませんが」
「うむ。この場にいるのは拙者たちのみ。隠す必要もござらん」
「すいません。なんか、服を貸して下さい」
土下座するような勢いで、俺はファイナさんに懇願する。
それぐらい、余裕がなくなっていて――気づかなかった。
ファイナさんは女性で、一人暮らしなんだ……。
「我、観念を否定す。真の実在は認識に在り――《物質礼賛》」
男用の着物なんて、持っているはずがない。
結局、俺は《物質礼賛》で服――黒のデニムとミリタリーシャツ。それにスニーカーというカジュアルな装いだが――を創り出し事なきを得たのだった。
「それが異世界の服でござるか。普段着なのでござろうが、それはそれで目立つような……」
評価は、わりと散々だったけど。
「さあ、兄さん。次は位階把握ですが……」
そう言って、意味ありげにファイナさんを見る。
遠慮願いたいと、そんな表情だ。
しかし、俺は莉桜に対し、否定の視線を返す。
この世界では位階把握に特別な意味があるのかも知れないが、仮にもファイナさんは師匠なのだ。ここを秘密にして、良い結果が得られるとは思えない。
そもそも、特技を使ってはいないとはいえ、俺とファイナさんの実力差はかなりある。
相手がそのつもりなら、俺を倒すことぐらい容易い。そんな相手に、秘密を持ったって仕方がないじゃないか。
俺の意思が覆せないと分かったのだろう。
妹が不承不承と、うなずいた。ただ、あとでフォローは必要だろうな……。
莉桜も、期待するかのように目を輝かす。
仕方ないか。なにか、考えよう。
「……言葉を出さずに会話をするのは、やめんでござるか? こう、疎外感がもの凄いでござるよ。ここ、拙者の家でござるよ?」
そんな大したことじゃないのに、ファイナさんが疲れたような表情で言った。決して、あきれているわけではないはずだ。あきれる理由がない。
大げさだなぁ。
それは、莉桜も同意見だったようだ。
「さあ、出ましたよ」
ござるござるござると自己主張をするファイナさんを軽くスルーして、莉桜が『鳴鏡』にステータスを表示させた。
●能力値
【筋力】120(20)、【耐久】-(-)、【反応】120(15)、【知力】78(10)、【精神】80(30)、【幸運】54
まず、能力値が上がっていた。
莉桜曰く滅多に上がることはないという話だったが、形状が変わったことで補正が変化し、上昇したわけだ。
最初に、莉桜が言っていたとおり。
それにしても、反応の上昇が凄まじい。カカシの体でマイナス補正があったことを考えると、30以上伸びていることになる。軽く走り幅跳びの世界記録を更新したのも、ある意味当然。
というか、全般的にカカシより能力値が良い。
これぞ、“進化”ということか。
●戦闘値
【命中】100(↑3)、【回避】99(↑5)、【魔導】63(↑5)、【抗魔】68(↑4)、【先制】97(↑6)
【攻撃】192(↑24)、【物理防御】-(80/↑10)、【魔法防御】105(↑16)、【HP】-(870/↑230)
ついに、【命中】が大台の100を越えた。
一般人が30から50ということだから、その倍。【回避】も100には1足りないだけだし、初期値の倍近くなっている。
若干計算が合わない部分もあるけど、能力値が上がったことによる補正だろう。
しかし、一般人の二倍か……。そりゃ、適当に跳んで、世界記録も更新するよな。
俺は凄くないかもしれない。
でも、俺の体は凄い。
これは、認識しておかなくちゃいけないだろう。
・《飲食可能》
取得レベル:11
代 償 :なし
効 果 :本来は無機物であるあなただが、進化に伴い飲食物を楽しむことができるようになった。
ポーションなど、摂取しなければ効果の出ないアイテムの効果を受けられる。
・《外見変更》
取得レベル:11
代 償 :1MP/一日
効 果 :周囲に認識阻害の魔力を展開し、任意に見た目を変更する特技。
あなたの外見を変更する。ただし、変わるのは見た目のみで、体の大きさなどは変わらない。
代償を支払う度に、外見を別の物に変更することも可能。
・《蛇腹の腕》
取得レベル:12
代 償 :2MP
効 果 :人間ではありえない複雑な関節の動きで、予想外の方向から攻撃する特技。
命中に+[進化階梯+1]×10する。
また、この攻撃に対する【回避】は-10される。
「おお……。これは……」
「《蛇腹の腕》、試してみたいでござるな」
いや、そっちじゃないです。ごめんなさい。ファイナさん、自重してください。
食事ができる。できるというだけで必須ではないようだが、これも“進化”の恩恵だ。
お陰で、莉桜に寂しい思いをさせずに済む。
食事はただの栄養補給じゃない。重要なコミュニケーションのひとつだ。
「外見も変えられるんですね。代償はいささか重たいですが……」
「代償は必要経費と思うしかないだろう。みんなが、ファイナさんみたいに理解があるわけじゃないからな」
「いやぁ、照れるでござるな」
ほめてない。
いや、ほめてるか。
でも、俺が言うのもなんだけど、もう少し警戒したほうが良いんじゃないでしょうか。
「では、せっかくでござるから朝餉でもいかがでござるかな」
「はい。ありがとうございます」
踵を返すファイナさんの後を、俺と莉桜が並んで歩く。
初の異世界食だ。否応なしに、期待が高まる……が。
気がかりがひとつあった。
ファイナさんから、俺の能力値や戦闘値に関して特にコメントがなかったのだ。
「…………ッッ」
「……どうかしましたか、兄さん?」
「いや、なんでもないよ」
なんでもないと、俺は首を振りながら応えた。
そうだ。ありえない。
進化したって言っても人形の体なのに、背筋に悪寒が走るなんて、そんなことはありえない。




