プロローグ:そして彼と彼女は森の妖精と出会う
大変お待たせしました。第二章連載開始いたします。
第一章がダンジョンだったので、第二章は野外冒険になります。
ストーカー男に刺されて死んだはずの俺は人形に生まれ変わって、妹と再会を果たした。
そして、クラウド・ホエールダンジョンを踏破し、ようやく異世界に降り立ったのだ。
――カカシの体で。
「わ、我が家の畑が凄いことになっているでござるよ!?」
――しかも、畑に。
大丈夫。畑の真ん中に突き立ってたりはしない。ただ、着地の衝撃で轟音が鳴り響き、土煙がもうもうと立ちこめているだけ。
カカシとしては正しい配置だが、それでごまかせるとは思えない。思うほうがおかしい。
……どうしたもんか。
この惨事を引き起こした件もさることながら、問題は俺の姿。いや、存在そのものか。今までは完全にスルーされていた、外見の異常性という問題が鎌首をもたげる。
黒い帽子と同色のカソックを身につけ、竹の一本足で飛び跳ね移動するカカシ。
それが、今の俺だ。
その足と直角に組み合わさった、やはり竹の腕。手は存在しないが、白手袋がぶら下がっている。今は失ってしまったが、
顔には、デフォルメされた大きな目と口が描かれており、木の鼻が生えている。
頭部や上半身は布張りで藁が詰まっているが、人間でいう心臓のある辺りには『星沙心機』が存在し、五重の円と十の魔石が埋め込まれていた。それが、またヤバイ代物だったりする。
どう見ても、どう考えてもまともじゃない外見。それは、ここが異世界だろうと――あるいは、だからこそ――変わらないはず。
このまま、第一異世界人と邂逅して良いものか。
最終的には俺が決断するとして、ここは転生の先輩である莉桜の意見を聞くべきだろう。
徐々に土煙が晴れていく中、俺は傍らにいる妹へ可動域の狭い首を傾ける。目――俺にあるのか、イマイチよく分からないが――と目が合った。
大きく、ぱっちりとした黒い瞳。美しく整った顔には、土煙の中などとは関係なく幸せそうにな表情が浮かんでいる。
腰まで伸びる黒髪は妖しいまでに美しく、黒絹のよう。病的なまでに白くなめらか肌と相まって、兄である俺ですら、陶然としてしまうほど。
やはり、兄の欲目ではないはずだが、十代にして完成された美貌。
だが、同時に儚く酷薄で、本来持つべき若々しさとは相い反する。
すらりとした体型だが、細身というよりは華奢と表現したくなる。文字通り折れてしまいそうな肩。細く、しなやかな手足。指も長く、繊手も思わず見入ってしまうほど美しい。
完成した少女。
未だ熟さぬ、美女。
千早莉桜、俺の妹が口を開いた。
「兄さん、愛してます」
「違う。そうじゃない」
なんかこう、ジョゼップやダンジョンから解き放たれて、うちの妹がよくないハッスルをしているんだが。『私得』とか言うような娘じゃなかったのに。
確かに、俺を惚れさせてみろみたいなことは言ったけどさ……。
そうこうしているうちに土煙は晴れ、声と畑の主の姿が露わになる。
こうなっては、逃げるわけにもいかない。いや、まあ元々逃げるつもりなんかなかったから良いのだが……。
莉桜や頭のおかしい人形師はノーカンとして、異世界人とのファーストコンタクト。
慎重に、不審を抱かれないようにしなければならない。
「――――ッッ」
にもかかわらず、その姿を見て、俺は動けなくなってしまった。
自慢じゃないが、美人なら莉桜で見慣れている。ただの美人なら、そんな反応にはならない。
人を越えた神々しさ。
自然の中で、虎や獅子を目にした感動に近い。
世界的な画家が精魂込めて描き上げたような手足。身長も女性にしては高く、170センチぐらいだろうか? 引き締まっているにもかかわらず柔らかそうで、女性的なプロポーション。
そして、一目で引き込まれる魅力的な褐色の肌。
それを包むのは、白い着物と紫色の帯。袖も大きく膨らんでいて……弓道着ともまた違う。活動的な和服といった印象だ。
そして、鮮やかな朱色の柄糸が巻かれた柄と黒塗りに金の装飾が施された鞘。その反ったフォルムは、刀に違いない。
異世界で和服や日本刀もどきを見れるとは思わなかった。
そんな驚きを一瞬で凌駕する、ポニーテールにした金色の髪から覗く笹の葉のような耳。横向きに尖ったそれは、明らかに人間の物とは違う。
人とは違う進化をした人。
莉桜から、その存在は示唆されていたものの、実際に目にした衝撃は筆舌に尽くしがたい。
そんな彼女のややツリ目がちな青い瞳が、こちらを射抜いていた。薄く形の良い唇が、言葉を発する形に変わる。
だが、そこから発せられた言葉は、予想以上に軽い
「ほうほう。なんと、畑にカカシが立っておる。これは、吉兆でござろうか」
自分の畑が土まみれになっているのに、怒っている様子はまるでなかった。それどころか、愉快と笑顔を浮かべている。
これは余程の大物なのか、それとも……。
「心ならずも畑を荒らしてしまった件。それから勝手に立ち入ったこと、申し訳なく思います」
ここは私に任せて下さいと、莉桜が前に出る。
適材適所だ。俺はなにも言わずにカカシの振りを続ける。
ただ、いつでも動けるように油断だけはしない。
「なんのなんの。十年一日の生活でござるゆえ、この程度の騒動、ちょっとした日常の潤いといったものでござろう」
やはり、見目麗しさに比して、かなり豪快な性格をしているようだ。
どうやったら、カカシの落下が日常の潤いになるのか。普段、乾きすぎだろ。
「おっと、失礼つかまつった。拙者は、ファイナリンド・クァドゥラム。見ての通りエルフではござるが、ただの世捨て人でござるよ」
「千早莉桜、人形師です」
「ほう、珍しき名の魔術師でござるな。それで、もう一方は」
「…………」
俺のことか? 俺のことだよな。まさか、今も莉桜の周囲を浮遊する『ヴァグランツ』のことじゃないだろう。
「警戒することはござらん」
彼女――ファイナリンドさんは、酷く人好きのする笑みを浮かべて言った。
「斬るつもりならば、とっくにやっているでござるよ。せっかくの客人、名も聞かずに帰したとあっては亭主の名折れであろう」
すべてを信じたわけではないが、そこに嘘は感じられなかった。
そもそもあれだよな、莉桜みたいな美少女がカカシを持ち歩いてるわけないしな! そう考えれば、まだカカシが旅の仲間と言ったほうが説得力がある。
俺はその場から動かず、しかし、生物である証拠として体を少しだけ左右に振った。
「……千早雅紀。莉桜の兄だ」
「ふむ」
しかし、ファイナリンドさん――その名前には、どんな意味があるんだろう――は激高したり、笑ったりしない。
ただ、大きな袖から伸びた手で、あごをさすって考え込む。そうしていると、まるで時代劇ヒーローのようだ。いや、凄い褐色美人なんだけども。
「なにやら事情がありそうでござるな」
一人納得し、うんうんとうなずくファイナリンドさん。
事情があれば、カカシでも関係ないとでもいうのか。やっぱり、この人、大物じゃないか?
「広大な空から、拙者の庭に落下したのもなにかの縁であろうよ。獣も滅多に訪れることなき僻地ゆえ、なにもないところでござるが、よろしければ話でも聞かせてくださらぬか。……と、その前に」
不意に立ち止まり、ファイナリンドさんが腰の得物に手をかけた。
「莉桜ッッ」
「兄さんッ」
お互いが、お互いをかばおうとする。
刹那、風が吹き抜けた。
それがファイナリンドさんが発した剣風だと気づくのと、一薙ぎで畑に舞った砂が綺麗に吹き散らされるのは同時だった。
刀を抜いたわけじゃない。鞘に収めたまま振り抜き、また戻し――風を巻き起こしたのだ。
人間業じゃない。
この世界は、こんな超人が一杯なのかと、莉桜に視線で問いかける。
そんなわけがありませんと、莉桜が視線で否定した。
そりゃそうだよな。
しかし、それを引き起こした本人は、平然としている。自慢気な様子もない。
代わりに、今さらなことを言う。
「いや、違うでござるな。我が家には、なにもないがあるでござるよ」
そして彼女は踵を返して家へと向かう。
ちょっとドヤ顔だ。
可愛いな。
深く突き刺さっていたが難なく一本足を抜き、飛び跳ねてファイナリンドさんを追う。このときにはもう、彼女への警戒心はほぼ消え去っていた。いきなり力の差を見せつけられたから……というよりは、警戒するのがバカらしいといったところか。
だが、隣を歩く莉桜は不機嫌そうだった。
「兄さん?」
「なんだよ、莉桜」
「いえ、不穏な気配がしたもので」
「不穏って」
「兄さんが、他の女に懸想する。そんな不穏な気配です」
莉桜の鋭さのほうが、俺にとっては穏やかじゃない。
「大丈夫だ。莉桜も可愛いよ」
「なにが、大丈夫ですか。それに、『も』ってなんですか『も』って」
「ははははは。微笑ましく、可愛らしい兄妹でござるな」
振り向きもせず、ファイナリンドさんが呵々大笑する。三国志演義の豪傑のように。
それにしても、彼女の言葉により、この場の全員が可愛いことになってしまった。
みんな違って、みんな可愛い。
そんな結論が出たところで、俺たちは縁側に到着した。辺りには、鍬や鎌、それに石臼なんかがござに並べられている。
農家というか、世捨て人の庵という風情だ。
「では、その辺りに座って……座れるでござるか?」
「いえ、おかまいなく」
座れなくもないが、立っているほうが楽だ。俺は莉桜だけ縁側に腰をかけさせると、その横に陣取った。
ダンジョンの外でも関係なく、俺のバランス感覚は万全。大地の上でも、俺の一本足は絶好調だ。
……いつまでこの姿でいられるかは分からないが。
「では、拙者は白湯でも用意しよう。なに、ちょうど湧かしていたところであったでござるよ」
そう言って、ファイナリンドさんは奥へと引っ込んでいく。美しい金髪が楽しげに揺れ、光を反射した。
「兄さん」
それを見送った莉桜が、小さな声で俺に問いかける。
「エルフといえばなにを連想しますか?」
「トラック?」
「違います。そうじゃありません……」
育て方を間違ったかもしれませんと、妹が額に手を当てて首を振る。ぬばたまの髪が一緒に揺れ、艶やかな美しさを惜しげもなく披露する。
それはともかく、いつ、莉桜に育てられたというのか。
「エルフと言えば、眉目秀麗にして不老長生。自然とともに生活し、外の世界との交流は最低限。そして、精霊魔法に、弓や細身の剣を用いる戦闘にも秀でた種族です」
外見が良く、老いず死なず。
内にこもっているが、一度剣を取れば万夫不当。
「それは凄いな」
「ええ、ですが――」
遅ればせながら感心する俺を、莉桜はじとっとした目で見る。新鮮だ。悪くない。
「拙者たちの話でござるか? そのようにほめられると、なにやら面映ゆいものでござるな」
そのタイミングで、ファイナリンドさんが戻ってきた。お盆に湯飲みを三つ乗せ、藁で編んだ座布団を二枚とともに。
「あ、俺は飲み食いとかできない体なので」
「そうでござったか。これは、失礼つかまつった」
「いえ、俺のほうこそ気を――」
「――まだ続きがあります!」
ぴしゃりと言って、日本人っぽい譲り合いを終わらせる莉桜。その憤りは俺やファイナさんに向けられているのではなく、もっと範囲が広い。
強いて言えば、世界全体への怒りだった。
「その実態は、氏族ごとに別れて血で血を洗う戦闘種族。さすがに、ナターレ、クァドゥラム、ウィスダリア、シトリスの四大氏族の命脈は保たれていますが、それに属する中小氏族は当たり前にいくつも『族滅』させられているという話です」
「『族滅』かぁ」
「しかも、先ほど四大氏族は滅亡していないと言いましたが、古代魔法帝国崩壊直後の大内乱期に活躍したクァドゥラムの〝剣匠〟は、ナターレ氏族の長を討っていますからね」
「いやはや。それはそれは。照れるでござるなぁ」
莉桜に座布団を勧めながら、ファイナリンドさんがわずかに頬を染める。
血なまぐさい話なのに、まったくの平常運転。
「そう。これなんですよ……」
同族間の争いはおろか、相手を滅ぼすことをなんとも思っていない。むしろ、誉れだと言わんばかり。エルフという種族に憧憬を抱いていたらしい莉桜が、反発するのも無理はないか。
ただ、それが一概に悪いとは言えない。
下手に温情を与えた挙げ句、逆に滅亡させられた平家なんて例もある。反感は買うだろうが、直接的な恨みを持つ者はそれこそ根絶やしにされるのだから安泰とも言える。
実際、梶原景時、比企能員、畠山重忠、和田義盛といった頼朝の忠臣たちを族滅させた鎌倉幕府――北条家は、その後200年以上命脈を保ったのだ。
「でも、エルフって寿命も長いんだろ? その間、ずっと恨まれ続けるってのもぞっとしない話じゃないか?」
「それはそうですけど……。でも、じゃあ後腐れなく族滅って。おかしくないですか?」
そこは否定しない。でも、戦闘民族なら仕方ないんだよな……。
「兄君殿は、なかなか聡いお人のようでござるな」
「兄君殿って……。マサキでいいですよ、ファイナリンドさん」
「では、マサキ殿。拙者もファイナで結構でござるよ。名を授けてくれる神々には失礼なれど、エルフの名は、皆長いでござるからな」
……ぶっちゃけすぎだ。良いのか? まあ、本人が良いって言うんなら、良いんだろうけど。
「先ほどの話でござるが、エルフの目が外に向かないだけ、ましでござろうよ」
「森の外に興味がないだけでは?」
「大部分は、そうでござるな。時折、森の外に興味を持って外に出る者もおりはするものの……あれは、“はしか”のようなものでござろうか」
では、獣も立ち寄らないという僻地にいるファイナリンドさんは、どうなるのか。
聞いてみたいような気がしたが、なんとなく寂しげな笑顔を浮かべさせることになるように思えて言葉にはできなかった。
前回と同様、切りの良いところまで毎日更新の予定です。
よろしくお願いいたします。