19.そして、彼と彼女は迷宮の中核を打ち倒す(後)
「兄さん、来ます!」
一緒に戦ってきた相棒を失ってショックを受ける俺に、莉桜の警告が飛ぶ。
「莉桜は退避してくれ!」
元々、クラウド・ホエールは、心ちゃん――『星紗心機』を狙って莉桜たちを襲った。なら、最優先目標も俺だろう。
……とは思うのだが、一切光のない瞳を見ると、そんな常識が通じるのかどうか怪しくなってくる。用心に越したことはない。
そうこうしている間に、ホエールドラゴンは大きく身をよじったかと思うと、竜の首を大きく伸ばして俺へと突進してくる。
巨体に見合わぬスピード。トラック、いや、タンクローリーに迫られているようなもの。
だけど、逃げるわけにはいかない。
俺の後ろには莉桜がいる。
異世界に来たのも、カカシの体になったのも、レベルアップをしたのも。
すべては莉桜を守るためだと思えば、ホエールドラゴンだかなんだか知らないが。巨大な魔物に迫られたって、怖くなどない。
「《強打》」
猛烈な勢いで突っ込んできたホエールドラゴンの鼻先へ、右腕をフライング・ソードの残骸ごと見舞う。
出会い頭の、完璧なタイミングの攻撃。
元フライング・ソードは粉々に砕け、確かに、ダメージを与えた感触もある。
だが、現実は非情だった。
「ぐはあっッッ」
竜の長い鼻だか口には確かにヒットしたが、俺はコマのように弾き飛ばされてしまった。なんとか転倒は免れたものの、そのまま壁に激突。
一方、ホエールドラゴンは特に痛痒を感じた様子もなく、しかし、急な方向転換はできないのか、そのまま突き進んでいく。
――マズい。
勢いはそのまま、進路の先には、莉桜がいた。
行き掛けの駄賃程度の気軽さで、ホエールドラゴンが大きく口を開ける。
「『木星』」
莉桜は、俺以上に冷静だった。
周囲を飛び交う『ヴァグランツ』。そのひとつに命令し、三角錐のような形にして再編成する。
「古代魔法帝国の遺産という意味では、同格ですよ」
ホエールドラゴンが莉桜を飲み込もうとした瞬間、『ヴァグランツ』の間に電撃が走る。それぞれの鉄球の間に、透明の壁ができていた。驚いたように、ホエールドラゴンが竜の頭を反らす。
しかし、この状態では移動ができないようで、莉桜は『木星』を維持し続ける。
そんなにうちの妹が惜しいそうなのか。あるいは、ただの意地か、ホエールドラゴンが、またしても莉桜を飲み込もうとチャレンジする。
「莉桜ッッ!」
だが、俺は冷静でなんていられない。
頭が真っ白になった。
視界が真っ赤に染まった。
「《疾走》」
飛ぶような勢いで飛び跳ね、ホエールドラゴンに追いつく。巨体なのが、幸いした。
「《強打》」
攻撃が届くようになった瞬間、俺は全力で腕を叩き付ける。銃は莉桜に流れ弾が当たったらと思うと使えない。
「《強打》」
ただひたすら、愚直に殴り続ける。
これしかない。
これしかできない。
だが、届かない。
あの巨体には、あまりに無力だった。
ホエールドラゴンは俺のことなど一顧だにせず、『ヴァグランツ』が張る透明の壁にかじりついている。一方、莉桜を守る『ヴァグランツ』の雷撃は、その威力が見るからに低下していた。
莉桜はなにも言わないが、このままでは遠からず……。
ふざけるな。
「こっち向けよ、クジラ」
ぐんと力が抜ける感覚があった。
けれど、気にしない。たぶんMPが減ったんだろうが、『星紗心機』に視線も向けない。
ただ、目の前のホエールドラゴンに集中する。
まるで俺の言葉に従ったかのように、ぐるんと体を回転させたホエールドラゴンに。
光を映さない無機質な瞳は、真っ赤に染まっていた。
「――ちっ」
目論見通りではあった。
だが、初手から逃げを選ばされる。
それも仕方ないだろう。なにしろ、あのでかい口から酸の塊を吐き出してきたのだから。
爆弾のように降ってくる酸の塊。
あんなのを避けようのない場所で食らってたのか。しかも、今は鎧もない。
けれど、絶望には、まだ早い。
「《冷静な目》」
特技を使用してMPが1点減る。
MPが50にまで減るが、その甲斐はあった。
まるでスローモーションのように、酸の塊がゆっくりと近づいてくる。
その軌跡を見定めながら、俺は確実に酸の弾丸を避ける。莉桜がいるのとは反対側の方向へ。
そうしながら、俺は銃のトリガーを引いた。なるべく俺に関心を向けるように。こっちへ来いと念じながら。
銃弾が真っ直ぐに飛び、雲のブロックへと吸い込まれていく。
まったく痛痒を感じた様子はなかったが、俺の思いは通じた。
ホエールドラゴンは不機嫌そうに身をよじらせると、そのままクジラの尻尾を俺へと振るう。
「まぁた、尻尾かよッ」
水際の狭い陸地。
横薙ぎにされると、逃げ場がない。
――普通なら。
「《冷静な目》」
再び敵の攻撃がスローモーションになり、どこなら避けられるのか。じっくりと探す余裕ができる。
――ここだ。
我が事ながら感心しつつ、俺はバタンとその場に倒れた。
わずかな地面のくぼみ。そこに倒れ込んだのだ。
そここそが、唯一の正解。
俺が見ていた世界が通常時間に戻り、俺の背中を掠めてクジラの尻尾が通過していく。
瞬間的な暴風。傘を差していたら、あっさりと壊れていただろう。それか、吹き飛ばされているか。
だが、破滅の一撃は俺の上を通り過ぎ、ダメージは受けなかった。
二回連続で、なんとか回避はできた。しかし、手詰まりな状況は変わらない。
どうすればいい?
分からない。分からない。分からない。
「《疾走》」
答えを探しながら起き上がり、俺は走る。地面ではなく、巨大エビの群れと戦ったときと同じように、壁を。自動的に足が変化したが、もう、慣れた。
ただ、ぐんと引っ張られるような加速には、毎回驚いてしまう。
それでも、俺の走り――というか、跳躍――は止まらない。
壁を、まるでスケボーのバンクのように利用して飛んだ。
目指すのは、ホエールドラゴンの上。図体がでかいだけに、失敗することはない。
ムーンサルトのような軌道を描いて、着地。
ブロック状になった雲は、意外と、しっかりしていた。
「《強打》」
しかし、周囲を観察することも、感触を確かめることもしない。
体を斜めに傾けて、腕を叩き付ける。
だが、当然と言うべきか、ほとんど効いた様子はない。
たぶん、蚊が刺しているようなものだろう。不快だが、致命傷にはほど遠い。
巨大エビを真っ二つにした【攻撃力】も、ホエールドラゴン相手には無力だ。
ダメだ。ダメだ。ダメだ。
やっぱり、まともにやり合っちゃ勝ち目なんてない。実践するまでもなかった。あの巨体と殴り合って、判定勝ちなんてあり得ない。
だから、目指すのは。目指さなくちゃいけないのは短期決戦。できるなら、一発KO。
できる。できないは考えない。
そのためには、どうすればいい?
「うおっと」
効きはしないが鬱陶しかったのだろう。ホエールドラゴンが、また身をくねらせて俺を排除しようとする。
落とされるぐらいなら飛び下りてやる。
自分が自棄気味になっていることにも気づかず、俺は紐のないバンジージャンプを強行した。まあ、なんとかなるだろう。
それに、今はもっと考えなくちゃならないことがある。
《存在解放》
《強打》
《人形の体》
《物質礼賛》
《武器の手》
《疾走》
《骨格強化》
《冷静な目》
《環境適応》
《永劫不定》
これが、俺の持ちうる手札のすべて。
どれなら、ホエールドラゴンを相手にできる?
その答えは、消去法でしか導けなかった。
やっぱり、特技じゃ、どうしようもない。唯一《存在解放》には可能性があるが、リスクが大きすぎる。
やはり、『概念能力』しかないか。
考える。考える。考える。
考えろ。考えろ。考えろ。
水面へ向かって落下しつつ、頭上のホエールドラゴンをにらみつける。
そうしながらも、俺は考え続けていた。
だが、 《物質礼賛》でなにを作る? なにを作れば、ホエールドラゴンを一撃で倒せる? なおかつ、俺と莉桜がなるべく巻き添えを食らわずにだ。
分からない。分からない。分からない。
では、《永劫不定》は?
確かに【物理防御】や【魔法防御】を無効化するのは常に有効だろうが、元の【攻撃力】が足りないのでは意味がない。
どうする。どうする。どうする。
しかし、切り札はやはり、このふたつだけだ。
《物質礼賛》と《永劫不定》。
《物質礼賛》と《永劫不定》。
《物質礼賛》と《永劫不定》。
――分かった。
そうか。
それしかない。
それは、天啓に等しかった。
とても、自分で思いついたとは思えない。この極限状態が良かったのかも知れない。
でも、ここじゃ、ダメだ。
「莉桜、全部、俺に任せろ!」
作戦がある。トチ狂った訳じゃない。
そんな思いを込めて言うと、俺はそのまま水中へダイブした。
「兄さん!!」
水中に入ってしまうと、さすがに、莉桜の声も聞こえない。
カカシになった俺は、厳密には言葉を喋っているんじゃなく、思考と概念のやり取りをしているらしい。なので、距離はあまり関係ないはずなのだが、さすがに、この状況で意思の疎通ができるはずもなかった。
まあ、そのコミュニケーション能力のお陰でこんな作戦を実行できるんだが。
「我、観念を否定す。真の実在は認識に在り――《物質礼賛》」
水中に沈みながら、俺は莉桜に入力された合言葉を唱える。
元フライング・ソードを失った右腕の先に、虹色の光が集まっていく。いつもなら、一瞬でなにかが生まれるところだが、今回は違う。
胸の『星紗心機』からぐんぐんと魔素が減っていき、代わりに、鉄骨で組み上げられた建造物が、少しずつ現れる。
水底に足を広げたような塔脚が四本。
そこから、アーチを描く鉄骨が伸びている。
俺はそこに捕まり、急成長していく塔にと一緒に水面を目指す。
カカシには水圧なんて関係ない。
そのまま、ジャンプするイルカみたいに水中から脱出した。
MPはまだまだ吸われていく。鉄塔の成長は止まらない。
虹色の光を纏いながら天井近くまで――恐らく50メートルぐらいまで大きくなる。
その鉄塔は、先端に行くに従い細くなり、一番先は槍のように鋭い形状を取った。
これで、完成だ。
先端が尖った、赤い、鉄塔。
それは、東京タワーのミニチュアとでも言えるものだった。ただし、数十メートルはあるミニチュアだ。いや、ここは東京じゃないんだから、異世界タワーだな。
そう。サイズは、ホエールドラゴンにも匹敵する『異世界タワー』だ。
「…………なにごとですか?」
莉桜は、ぽかんとその光景を見つめている。というか、それしかできない。
「強きは脆き。完全なる物は即ち崩壊を待つのみ――《永劫不定》」
そんな妹を余所に、俺は残ったMPを振り絞って、もうひとつの鬼札を切った。
そして、ホエールドラゴンへと語りかける。
「さあて、こいつに食らいついてくれよ」
自分で言って、おかしさに笑いがこみ上げてきた。やっぱり、トチ狂ってる。
でも、莉桜が俺のために用意してくれた力は――絶対だ。
俺のお願いに、再び目が真っ赤になったホエールドラゴンは快く応じてくれた。
天井へ向かって軽く飛ぶと、巨体を翻して垂直に落下していく。まるで、獲物を見つけた猛禽のような動きだ。
もちろん、いくら《永劫不定》でも、完全に行動を縛れるわけじゃない。それなら、自殺してもらったほうが手っ取り早い。
破滅へ抵抗するため、ホエールドラゴンが巨大な口から酸を吐く。
それに合わせて、俺はタワーから手を離した。巻き込まれたら、アホみたいだ。
俺が再び落下するのに合わせ、酸の白い塊がタワーの尖端を溶かす。
――けれど、そこまでだ。
尖端はなくなっても、塔そのものは健在。
ホエールドラゴンは大口を開けて、『異世界タワー』を飲み込もうとする。
俺や莉桜と違って、抵抗はない。
「強きは脆き。完全なる物は即ち崩壊を待つのみ――《永劫不定》」
そして、これで【物理防御】もゼロだ。
速度と自重も相まって、串刺しになるホエールドラゴン。ずぶりずぶりと、本当に串を打つかのように『異世界タワー』が入っていった。
お願いは、ここまで。
苦痛を感じているのか。ホエールドラゴンが巨体をばたつかせる。
一緒に『異世界タワー』が大きく揺れ、鉄骨が軋む音がした。
落下する途中、俺とホエールドラゴンの目が合った。
輝きのない、生命や感情の感じられない瞳。
思わず、身震いする。
だが、もう、取り返しはつかない。ホエールドラゴンが空を飛べても、ここまでしっかり食い込んだら引き抜くことなどできない。
むしろ、最後の抵抗はとどめの一撃と同じだった。
前後左右に揺れるホエールドラゴンの巨体は、反対に水中へと沈んでいき、やがて、尖端が反対側に突き出てしまった。
終わりだ。
再び水面に落下し、俺は勝利を確信する。
そんな俺を肯定するかのように、ホエールドラゴンのブロック状になった雲の体が、きらきらとした光に包まれる。
人間だったなら、網膜が焼けるほどの光の乱舞だ。
そのカレイドスコープのように美しく無秩序な光の競演を鑑賞し――それがひとつの塊になって俺の胸へと吸い込まれる。
俺の意識は、そこで、途絶えた。