15.そして、彼と彼女は中核を目指す(前)
「おお、元に戻ってる」
一夜明け……たのかはダンジョン内じゃ分からないが、感覚としては翌日。
いつの間にか、竹の手足が元に戻っていた。眠る前は手足があっても動かせないぐらい怠かった体も、今は活力に満ちあふれている。
その上、消費し尽くしたはずの魔素――MPも、幽霊となったジョゼップの魔石を吸収したのだろう、なんと、胸の魔石七つ分にまで達していた。
MPを全部使いきったの状態から一気に2レベルアップ。莉桜が言う通り、本来、勝てる相手ではなかったわけだ。
……まあ、勝ったもん勝ちだ。
しかし、レベルアップしても、《存在解放》の代償は無視できないんだな。つまり、自爆――厳密には、ちょっと違うんだが――でジャイアントキリングしつつ、レベルアップで行動不能を無効化なんて作戦は取れないと。
なんだろう? 心ちゃんが暗躍しているような気がしないわけでもない。
それはともかく、とりあえずは復活と宣言しても良いだろう。
――俺だけならば。
「にいさん……。うふふ……に・い・さ・ん」
そんなつぶやきが、背後から聞こえてきた。
もの凄く情報量の低い――というよりは、皆無の――寝言だ。
俺を抱き枕にしたまま眠っていたようで、背中に莉桜の吐息を感じる。それから、胴に回してぎゅっとしている腕や、押しつける形になっている胸の感触も。
いやまあ、胸の感触はあんまりないんだけど。
それはともかく、俺を抱き枕にする莉桜をどうにかしないと、身動きできそうにない。
「莉桜ー」
「やだ、にいさんそんな。でも、にいさんならいつでも……」
莉桜の夢で、俺は一体なにをしているのだろう。気になるが、真相を知ったら精神的に死にそうだ。
「莉桜、莉桜」
妹を起こすのなんて、いつ以来だろう。朝飯の準備ができないのは残念だが、懐かしくて涙が出そうになる。そんな機能は、ないけどな。
いや、|《物質礼賛》《ナヘマー》があるから、朝飯を出すことはできるのか。まあ、作ったわけじゃないからちょっと微妙だけど。
「にぃさん……。はあっんっ、にいさぁん……」
とか兄はノスタルジックな気分に浸っているのに、妹は悩ましげな声をあげてるんですよね。抑圧されていたものが解き放たれたって感じなんだろうか。
……困った。
「莉桜、莉桜。起きろ、起きろったら。寝ぼけてる暇はないぞ」
少し大きめの声を出し、不自由ながらも体を左右に振って妹を起こす。
竹の両腕が当たらないよう慎重に。でも、振動が伝わるよう遠慮はせずに。
「兄さん……」
声のトーンが、変わった。
少しずつ、意識が浮上しているようだ。
「兄さん兄さん」
よしよし。内容はあれだが、このままなら……。
「兄さん……愛してます」
まだ、寝ぼけてやがる!
結局、莉桜が完全に目覚めるまで、さらに十数分を要した。
しかし、それは俺の解放を意味してはいなかった。
「やっと起きたか……」
「おはようございます、兄さん。夢の中にも目が覚めても、兄さんがいる。素敵ですね」
「……ところで、莉桜。そろそろ解放して欲しいんだけど?」
「なぜですか?」
はっきりと、断固たる意思を持って妹が拒絶する。
いやいや、なぜじゃねえだろ。
「そもそも、俺を抱いてる必要はなかったんじゃ?」
あろうことか兄を抱き枕にしていた妹に、俺は正論を放つ。
うん。まったくもって、その通りだ。カカシなんだから、その辺に置いとけば良かったんだ。
しかも、現在進行形で後ろから抱きしめ続ける必然性は皆無。
だが、妹の意見は違った。
「妹が兄に抱きつくのに、理由が必要ですか?」
「当たり前だろ!?」
極論で返して来やがった!
「ああ……。なんてことでしょう」
「いや、そんな絶望されても」
あと、ぎゅっと抱きしめられても。
その……なんだ……困る。
「そんな世界は壊れてしまえばいいのに」
「世界、もうちょっと丁寧に扱って、世界」
うちの妹が、おかしくなった!
いや、もしかしたらこれが本音で、ずっと取り繕っていただけなのかもしれないけど……。
けど、建前とか世間体って大事だからな!
「もう、遠慮なんかしないって決めましたから。どうしても解放して欲しかったら、私を喜ばせてください」
「とんだお姫様だ」
「女の子は、みんなお姫様ですから」
わがままを言う振りをして、俺からアプローチをかけさせようとする莉桜。顔は見えないが、ドヤ顔に違いない。それもまた、かわいいんだろうけどな。
しかし、素直に思惑に乗るのもしゃくだ。
あの性格からすると、心ちゃんも、意外性のある展開を望んでるだろうし。協力者には逆らえないよなー。
「分かった。莉桜が満足するまでこのままでいよう」
「……わ、分かってくれればいいんです」
「でも、本当にこのままでいいのか?」
「もちろんです」
その力強い返答に、歪みはなかった。大坂城のように強固な城塞を思わせる。
だが、強いと脆いは紙一重なのだ。
俺は早速、莉桜を揺さぶりにかける。
「お願いすれば、もっと凄いことをしてもらえるのかもしれないのに?」
「どこまで、どこまでOKですか!?」
自分の希望を告げるのではなく、まず、相手のことを考える。
相変わらず、優しい妹だな。
「それは、莉桜自身で探してみるんだな」
「にぃさぁん……」
「そういえば、報告しておかなくちゃいけないことがあったんだ。夢みたいなところで、『星紗心機』に会った」
「……ど、どういうことです?」
予想外すぎる言葉に、思わずといった感じで莉桜の拘束が緩む。
「なんかこの『星紗心機』には意思があるみたいだな。普段は表には出てこないみたいだけど。んで、『ずっとずっと、見とるやさかい。心を、飽きさせんといてなぁ』って言われたよ」
「兄さん、それは……」
人形師として聞き捨てならなかったのか。
莉桜の声に真剣味が帯びる。
「つまり、夢で他の女に会っていたと?」
寒い。急に寒くなった。
あれえぇ? もしかして、ジョゼップがまた現れたんじゃないか?
しかし、ほとんどない可動域を駆使しても、幽霊の姿は見つけられなかった。
おかしいな……。
「女っていうか、『星紗心機』の妖精みたいな感じだしなぁ」
「会っていたんですよね?」
「会っていたというか、向こうから出てきたというか……」
「夢に出てきたということは、その人に愛されているということなんですよ?」
「知ってる」
ただし、ソースは平安貴族。
「つまり、兄さんは私を愛していると夢の中に出てきたのに、別の女とも会っていたのですね……?」
声に温度というものがあったら、これは絶対零度に違いない。
(やべえな……)
ひとつ、確かなことがある。
どうやら、俺は策におぼれてしまったようだった。
「さっきは、どうかしていました。ええ。もう正気に戻りましたので安心してください」
「そっか、それならいいんだ」
明らかに無理がある言い訳。
だが、深追いはしない。
薩摩兵を追撃しても、ろくなことにはならないのと同じだ。
あのあとしばらくして我に返った莉桜は、あわてて俺を解放した。そして、恥ずかしそうにのたうちまわったのだ。俺を振り向かせると宣言した直後に、自らの欲望を全面に出した醜態を晒してしまったわけで。
大丈夫。
俺も、思春期の妹と二人だけで生活してきた兄だ。見て見ぬ振りをする情けぐらいある。
それに、まあ、莉桜が本気だと再確認できたしな。さっきは、冷静に対応をしたけど、今後はどうなることか。カカシの体がブレーキになっているんだろうけど、善し悪しだな。
「とりあえず、『鳴鏡』でステータスを確認しましょうか」
「ああ、うん。そうだな……」
俺が《存在解放》でえぐった通路で、立ち上がった俺たちは『鳴鏡』を覗き込んだ。
●戦闘値
【命中】86(↑6)、【回避】71(↑10)、【魔導】48(↑3)、【抗魔】56(↑5)、【先制】71(↑11)
【攻撃】132(↑24)、【物理防御】-(55/↑10)、【魔法防御】65(↑14)、【HP】-(370/↑130)
ジョゼップの魔法で負けた【先制】が負けじと伸びている。そして、魔法相手に効果があるのか分からない【回避】もだ。
【攻撃】以下は、ほとんど固定で伸びているが、【HP】の伸びが際立っている。単純に、「【攻撃】-【物理防御】」で算出されるダメージを【HP】に適用するのだとすると、自分の攻撃を5発は耐えられる計算だ。
……多いのか少ないのか、よく分からないな。
まあ、魔狼を相手にしたときには2~3発ぐらいで倒してたから、2倍以上。レベルアップ後と言うことを考えると、もっと上の耐久力ということになるか。
とりあえずの基準を確認しつつ、次に、ふたつ取得した特技を確認する。
・《冷静な目》
取得レベル:6
代 償 :1MP
効 果 :機械のような知覚力で、攻撃を回避する特技。
【回避】に+10する。
・《環境適応》
取得レベル:7
代 償 :なし
効 果 :周囲の環境に左右されることなく、行動できる特技。
地形によるペナルティやトラップの効果を受けない。
また、魔法以外の要因で燃えたり、凍ったり、腐食したりしなくなる。
「ああ……。惜しいなぁ、《環境適応》惜しいなぁ」
これが炎の部屋のときにあったなら、どれだけ心強かったか。《冷静な目》の効果はさておき、間の悪さを嘆く。
「さすがに、その辺をうろついてレベルアップを狙うのは無理ですからね」
「それもそうだな」
RPGはやらないのでよく分からないが、莉桜が言うのならそうなんだろう。
とりあえず、成長確認はこんなところか。
そして、俺たちは再び洞窟を進み始めた。
ジョゼップと遭遇した通路を先へと進んだが、ヤツの遺留品――有り体に言えば死体――は見つからなかった。
薄情だが、正直、ほっとしてしまった。
そして、代わり映えのしないダンジョンの通路を二人で進んでいく。
間に位階把握を挟んだことで、寝起き事件――寝起きだけじゃなかった気もするが――の気まずさは消えていた。
「でも、あんな非常食みたいなのだけで、良かったのか?」
出発前に、せっかくだから《物質礼賛》で日本食を作ろうかと思っていたのだが、莉桜に拒否されてしまったのだ。
代わりに、家から持ち出していた固くてぼそぼそした保存食を口にしていた。
「兄さんが食べられないのに、私だけなんてできません」
「気にしなくて良いのに」
俺のことを気にしてくれるのはうれしいが、莉桜が喜んで食べてくれたほうがずっと喜ばしい。
「うう……。和食を出されたら、きっとがつがつ食べてしまいます。好きな人の前で、そんなことはできません」
「そうかなぁ。よく食べる女の子も、かわいいと思うんだけど」
「兄さん?」
再び、声に冷気が宿る。
おかしいな。カカシなのに、なぜか寒気が……。《環境適応》! 《環境適応》の効果は、どうなってるんだ!?
「な、なんでしょうか?」
「それで、ぽっちゃりしてしまった場合、誰が責任を取ってくれるんです?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
男で、その上カカシになった俺が触れていい領域ではなかった。
だけど、少し前までの莉桜なら、こんな風に言い返してくることはなかったよな。鬱屈がなくなったのなら、良いことだ。
「そうですか。兄さんは、責任を取ってはくれないのですか……」
うん。前なら、こんなこと言わなかったよな。
良いことだよな? 良いことなんだよ。
「だって、莉桜はスリムじゃないか。どこに出したって、恥ずかしくないよ」
「兄さんの前にもですか?」
「当然」
若干、言わされている感がないでもないが――というか、あるが――事実は事実だ。
お世辞でも兄の欲目でもなく、莉桜の肢体は完璧なバランスを保っていると思う。いやまあ、具体的な言及は避けるが……。
「兄さん」
「ああ、俺も気づいた」
微笑ましい兄妹の会話――ということにしたい――を唐突に打ち切り、俺と莉桜は立ち止まった。
「下りになっていますね」
「ダンジョンの中核に近づいてるってことだよな?」
「ええ。もしかすると終わりも近いのかもしれません」
莉桜の声にも緊張感が混じる。
さらなる危険に近づいていくわけだから、それも当然だ。
「行こう」
だが、立ち止まるわけにはいかない。
「はい」
俺の首が回らない――物理的に――ため顔を見合わせることはできなかったが、そこは以心伝心で決意は伝わった。慎重に、先へとすすんでいく。
しかし、坂を下りたところでまた、立ち止まらざるを得なかった。
なぜなら、行き当たった空間は水に覆われ。
最初に出会った巨大エビが、何匹も水面から顔を出し黒い瞳で俺たちを見つめていたのだから。