12.そして、彼は人形師と出会う
魔狼を倒すと同時に、辺りから闇が一掃された。現れたのは今まで通りの洞窟だが、少しほっとする。
あの闇自体、魔狼たちがもたらしていたものなのだろう。
莉桜がミソパエスと呼んだ魔狼たちは、最下級だが業魔だった。神様と戦って相討ちに持ち込んだくらいだ。下っ端でも、それくらいできそうな気はする。
それにしても、このクラウド・ホエールのダンジョンで出会った魔物は巨大エビ、ゴブリン、ゼラチナス・キューブ、フライングソードに続けて、これで五種類目。いや、クラウド・ホエール自身を加えれば六種類目か。
「いろんな魔物がいるもんだなぁ」
「これでも、枠化の世界法則により、多様性は排されているのですが」
いつの間にか傍に来ていた妹が、また、俺にこの世界のことを教えてくれる。
こっちに来てからこの方、クラウド・ホエールの体内しか見ていない俺の異世界知識がぐんぐん上昇しているのは莉桜のお陰だ。
「枠化? さっきも、軽く触れてたよな」
「本来、業魔も人に敵対する魔物も個体差が非常に大きかったそうです」
「それは……まあ、そうだろうな」
人間でなくなった俺が言うのもなんだが、人間だって個人個人で全然違う。
戦闘力だけで考えれば、人間だった頃の俺とプロボクサーやプロレスラーが同じカテゴリには入れられない。
「しかし、兄さん。見た目は似ているのに、全く違う能力を持っている魔物がいたとしたら……」
「戦いにくいな、確かに」
さっきの魔狼がそれぞれ得意な攻撃が違う。フライングソードが編隊を組んで攻撃してこない。
戦いにくいもなんてもんじゃない。対処し切れないぞ。
「はい。そこで神々は、名を持たぬ存在には種族名しか許さず、能力も画一化するよう枠化の世界法則を作ったのです」
「一方、人間なんかには、名は力だっけ? それで、ボーナスを与えたと」
この世界特有の法則も、絡み合ってるんだな。
神様は死んだ後も、世界が滅ぼされないようにいろいろやってるわけだ。偉いな、さすが神様。
「その通りです。人間やエルフたちが、名を持つ者と総称される由縁ですね」
それよりも兄さんと、莉桜が『鳴鏡』を手にして話を変える。
「レベルアップしたのですから、位階を確認しましょう」
俺はうなずき、妹と肩をそろえて『鳴鏡』に視線を走らせた。
●戦闘値
【命中】80(↑6)、【回避】61(↑8)、【魔導】45(↑3)、【抗魔】51(↑7)、【先制】60(↑8)
【攻撃】108(↑24)、【物理防御】-(45/↑15)、【魔法防御】51(↑14)、【HP】-(240/↑90)
さすが2レベルアップと言うべきか。戦闘値も大幅に上昇している。まだ魔法の攻撃は受けていないが、【抗魔】の上がりが良いのは安心感があるな。
……ん? 【物理防御】と【魔法防御】の上昇量が逆転しているじゃないか。なんでだ?
その疑問は、新たに取得した特殊能力により氷解した。
・《骨格強化》
取得レベル:4
代 償 :なし
効 果 :ベースとなる身体構造が強化・硬化する特技。
【物理防御】に+[進化階梯+1]×5する。
「進化階梯は、兄さんの胸にある円の埋まり具合のようですね」
「なるほど。今は、0だから【物理防御】+5と」
というか、こっちの円も魔石みたいに塗りつぶされるのか。それは、分かりやすくて良いな。
「それから、5レベルに到達し、新しい『概念能力』を習得したようです」
「『概念能力』……。《物質礼賛》の仲間か。どれどれ――」
・《永劫不定》
取得レベル:5
代 償 :10MP
効 果 :肉体や、物質。あるいは精神に陥穽を作り、崩壊させる『概念能力』。
《永劫不定》を使用した直後の攻撃は対象の【物理防御】、【魔法防御】を無視してダメージを与える。
また、対人交渉や性的な誘惑には絶対成功する。
対人交渉や性的な誘惑に絶対成功……だと……?
戦闘における必殺技めいた効果よりも、そちらに注目してしまう。使用条件の細かいところは実戦しないと分からないが、社会的にやばいだろ、これ。
そう思って、『鳴鏡』から莉桜へと視線を移す。
だが、即座にそらされてしまった。
「うっ」
ああ、まあ、そりゃそうだわな……。勝手に意思を曲げられるような能力はなぁ。まあ、魔石一個分フルで必要だから乱発はできないし、そもそも使う気がないとはいえなぁ。
その反応は、もっともだ。
「いえ、違うんです。兄さん。早とちりはいけません。急いては、ことを仕損じます」
父さんと母さんが事故で死んでから――俺の主観では――5年。
多感な時期を俺と二人きりで過ごしてきた莉桜は、とても「いい子」だった。いきなり家長になった俺をおもんばかってくれたのだろうが、反抗期なんてほとんどなく優しく素直な女の子に育ってくれた。
そんな莉桜だから、少なくとも一緒のときには、俺を拒絶する素振りなど見せたことはない。
だから、今の反射的なリアクションに戸惑っているのだろう。
ああ。どこまでも、莉桜はいい子だな。俺の自慢の妹だよ。
悟りにも近い心境で、もちろん表情が変わることはないのだが、俺は透明感のある笑顔を浮かべる。
いや、死んだら仏になるわけだから、俺は最も悟りに近い存在といえるのではないだろうか。
「ふっ。そもそも、カカシの俺に交渉も誘惑もないよな」
「いえ、私で良ければ! 是非、誘惑してください!」
そこで自己犠牲精神を発揮されてもな!
フォローにしても、兄に言うべき台詞じゃないだろ。まったく……。
「莉桜みたいな美人が誘惑してくださいなんて言うもんじゃないぞ」
「美人って、そんな……」
変に自己評価が低いのか、照れているのか。莉桜は、ほめても素直に受け取ってくれなかった。
今も、表情はまったく変わらず、怒ったように俺を見つめている。
まあ、目をそらされるよりずっとましだが。
「……とりあえず、先に進もうか」
「そうですね……」
これで手打ちにして先に進むことにした。15年も兄妹をやっていれば、この程度の気まずさは時間が解決してくれることぐらい分かっている。
いや、それぐらいしか分かっていなかったのだ。
なにしろ、この先には、俺たち兄妹の試練が待ち受けていたのだから。
「なんとなく、肌寒いような気がする」
皮膚なんてありはしないが、そうとしか言えない感覚。
俺は立ち止まり、体を震わせた。
魔狼の部屋を出発してからは、また分岐のない一本道が続いている。微妙に曲がりくねってはいるが、待ち伏せを受けるようなこともない。
お陰で、俺と妹の間の微妙な空気は、なんとなく払拭されずにいた。
「確かに、温度の変化を感じますね」
莉桜も立ち止まり、思わずといった動きでポンチョの前を合わせる。その所作で、思わず、昔のことを思い出していた。
「寒いとき、兄さんがコートを掛けてくれたり、手をさすってくれましたね」
俺と同じことを考えていた莉桜が、自分で手をこすり合わせてはにかむ。
その光景に、相手が妹にも関わらず、見とれてしまった。
莉桜がやると、どんなポーズでも絵になる。
なら、それが元々可愛らしい動作だったとしたら、どうなるか。
莉桜×可愛いポーズ=破壊力という方程式が成り立つのだ。
しかし、持ち前のポーカーフェイスで、そんなあきれるような思考はおくびにも出さない。代わりに、わりとどうでもいいようなことを口にする。
「さすがに、今は服を脱いでかけられないな、二重の意味で」
「そうですね。服も帽子も兄さんの体の一部ですので」
「……あっさり肯定された上に、驚きの新事実が」
けど、よくよく考えてみれば、当然の話かもしれない。
なにしろ、どんなに動いても帽子や手袋はズレないし、レベルアップと同時に復元するのだ。確かに、体の一部と言われたほうがしっくりくる。
そしてなにより、脱いだらどんな体が出てくるか分かったもんじゃない。ブラックボックスにしまっておくべきだろう。
俺が、そう決意した瞬間――前から冷たい風が吹いた。
この洞窟に入ってから、風を感じたのは初めてのことだ。
……風?
クラウド・ホエールという巨大な魔物の体内にできたダンジョンで、風だって?
だが、その疑問について考えを巡らすよりも先に、事態が動いた。
「ぐッッ」
「兄さん!?」
衝撃を受け、俺の体が傾いだ。バランスを取ろうとする起き上がり小法師のように、前後に揺れる。
まるで、透明な空気の固まりに衝突されたかのよう。カカシになったお陰で痛みはあまりないが、予想もしていなかった不意打ちに混乱する。
「やはり、拒絶されるか」
観察結果を口にしたような、確認と賞賛が入り交じった声が頭上から響いてきた。
……予想外の事態は、まだこれからが本番だったようだ。
「よくも謀ってくれた……いや、よくぞというべきか」
表面上は、ほめているように聞こえる。それと同時に、その奥にはドロドロとした感情があった。
そんな声を中核にするかのようにして、黒い靄が頭上に集まっていく。
「莉桜っ」
「兄さん、無事ですか」
「ああ。俺の後ろに」
自然とそれから距離をとりながら、背中に莉桜をかばう。『ヴァグランツ』も、いつもよりもあわただしく莉桜の周囲を飛び回っている。
その間に、一抱えほどにも成長した黒い靄は攪拌され、形を変えていく。
黒く、半透明で。
ローブを身にまとっているが、輪郭は曖昧で。
憤怒の表情を浮かべた、老爺。
黒い靄はそんな姿を取り、宙に浮かんでいた。
「幽霊……かよ……」
こんな体だが、思わず身震いする。
冷気と、さっきなにかにぶつかった衝撃は、こいつが原因だったのか。
しかし、老爺の幽霊は俺ではなくその背後を見つめていた。
「アンドレアスから我を排除する術式を刻んでいたとはな」
衝撃的な真相――なのだろうが、意味をつかみ損ねていた。
アンドレアスというのは、俺というか、この体のことだ。
莉桜が作ったというそれから、特定の誰かを排除する? 俺の魂を呼ぶのなら、そんなことをする必要はないよな?
「それは違います、お義父さん……。いえ、人形師ジョゼップ」
おとう……さん……?
え? どういう?
しかし、莉桜もまた、俺ではなく黒い幽霊を視線で射抜いていた。
「アンドレアスは、兄さんを迎え入れるための器ですから。排除するのは、兄さん以外のすべてです」
「育てた恩を忘れたか。大したものではないか」
淡々とした二人のやり取り。
それはしかし、関係が良好であることを意味しない。
お互いに、じりじりと弓を引き絞っている。そんなイメージだ。
けれど、それである程度事情が飲み込めた。
莉桜が、誰から魔法と人形作りを学んだのか。
あの莉桜と再会した家にあった杖の持ち主が誰なのか。
それは、幽霊と化したこの老人なのだ。
そして、俺の体は彼の物だった。ということは、莉桜と同じく『究極の人形』を作ろうとしている。いや、死んで幽霊になっているからには、作ろうとしていた導器魔法ってやつの使い手か。
あっちからすると、俺は、とんだ泥棒猫というわけだ。
だが、分からないことがある。
莉桜は、どうしてあのジョゼップ――こちらの世界では、どんな意味なのか分からないが――という名の育ての親を、裏切ったのか。
そんな俺の疑問を置き去りにして、幽霊が動いた。
「《リペル・ライズ》」
にじむようなシルエットをの幽霊だったが、辛うじて手を振ったことは分かる。指輪でもしているのか――幽霊なのに――指先がきらりと光った。
それに続けて、幽霊から白く淡い光が放射状に噴出する。
「なっ――なんとも……ない?」
成長したばかりの【抗魔】が役に立ったのかと思ったが……違った。
そもそも、それは攻撃ではなかったのだ。
「さて。我が弟子、我が肉体よ。この場で、一切の虚偽は通じぬ。我が問いに答えてもらおう」
まあ、単純な答え合わせだがなと、幽霊――ジョゼップは続けた。
たぶん、嘘をつけなくなる魔法とか、そんなところなんだろうが……今の俺にとっては、痛くもかゆくもない。
問題は、莉桜だ。
「聞こう、我が弟子よ。なぜ、私を裏切った? 理由を述べよ、疾く」
「…………」
「答えよ」
莉桜は答えない。代わりに、俺の腕をぎゅっと握る。
まるで、闇に怯える少女のように。
なぜここまで怖がっているのかは分からないが……黙っているわけにはいかねえな。
「いきなり現れて俺の妹を脅迫とは、どういうつもりだよジジイ」
「ほう……」
ジョゼップが、初めて俺を見た。
俺の体ではなく、俺自身を。
「その心意気は立派なものだ、我が肉体の詐取者よ」
幽霊なので、上から目線で語りかけてくる。
ただ、不思議と不快感はない。
恐らく、そこに皮肉や揶揄が存在しないからだろう。
「我は人形師ジョゼップ。古代魔法帝国の偉大なる創成術師の名を受け継ぐ者。我が手で『究極の人形』を作りだす人形師。自己進化人形アンドレアスの真の所有者なり」
「千早雅紀。莉桜の兄で、カカシだよ」
「チハヤマサキ……」
俺の短い自己紹介を気にした様子もなく、老幽霊は、興味深そうに俺の名をつぶやいた。
「知りたくはないか、チハヤマサキ。なぜ、我が弟子は異世界より兄の魂を招請したのかを」
「なぜって……」
まあ、確かに。肉親を魂だけ別の世界に呼び込むなんて普通じゃない。
しかし、莉桜にはそうする手段があったのだ。できるのならやりたくなるのが人情だろう。
「そもそも、あっちで俺が死んだのは偶然だしな。軽い気持ちでやったんじゃないのか?」
「ククク。確かに、それもひとつの見解ではあるな。否定する材料も少ない」
「じゃあ……」
「だが、真実には届いていない」
答え合わせをするだけと言ったとおり、確信があるのだろう。
輪郭も曖昧な幽霊が、自信満々に言う。
「15年も前に死に別れた兄と再会したい? 美談だろうな。それだけであれば」
「どうしても、俺の妹を悪者にしたいらしいな」
ジョゼップの視線が俺から莉桜へ移る。
しばし、沈黙が続いた。
いっそ、実力行使をすべきなんじゃないか。
そんな考えが頭をよぎった時、ジョゼップが幽霊でもしわだらけの顔を歪めた。
不快の表明ではない。むしろ、愉快だと言わんばかりの表情。
こいつ、なにを知っているんだ……?
「告白するつもりがないのであれば、我が代わりに喋ってやろう」
不安がもたげた瞬間、一拍置いてジョゼップが続ける。
「愛だ」
しわがれ、ひび割れた。
それでいて堂々とした声音で、予想外。本当に思ってもみなかった言葉が出てきた。
「…………は?」
「兄への狂おしいほどの愛ゆえに、我を裏切ったのだ。間違いないな、リオ?」
「…………」
莉桜は答えない。
嘘をつけなくなる魔法の影響下にあるからか、沈黙を選んだ。
それは、つまり……。
「いや、愛って言ったって……」
危険な結論へ達しそうになり、俺は軽く跳んで前に出る。
「逆に聞きます、人形師ジョゼップ」
そんな俺を制したのか、莉桜本人だった。
「そう来るか。よかろう」
一方的な莉桜の要求にもかかわらず、ジョゼップは鷹揚にそれを受け入れた。
「私を――私の知識を手に入れるため、私が生まれた村に魔物を放ちましたね?」
「然り」
返答まで、まったく間がなかった。
予期したとおりの問いだったのだろう。
「私の両親を、罪のない村人を、殺しましたね?」
「然り」
「それなのに、善人面で援助を申し出て私を引き取った」
「然り」
だが、それは人として肯定してはならぬ問いだった。
嘘のつけない空間なのに、幽霊となった老爺に変化はない。
曖昧な輪郭はそのまま。動揺ひとつ見せなかった。
「すべては、『究極の人形』を作り出すために」
「然り」
完全に平静な状態で、ジョゼップは俺を見る。
俺がいなければ、『究極の人形』が完成していた。いや、自分自身がそうなっていた。
「しかし、我が弟子よ。そんなつまらぬ復讐が動機などと、ごまかすつもりではあるまいな」
俺の背後で、莉桜が首を横に振る気配がした。
「まさか。それにしても、クラウド・ホエールの襲撃で死んだと安心していたら……まさか化けて出られるとは……。誤算でした」
これは、本当に莉桜の声なのだろうか。
確かに、どちらかと言えば物静かで滅多に声を荒げることはなかったが。だからといって、こんな酷薄な物言いをすることもなかった。
「認めるか。異世界の兄のため、我を裏切ったと」
「兄さんと比べて、どの程度の価値があると?」
「大した売女だ」
幽霊の口角が上がる。
思った通りだと。そして、バカにするように。
ああん?
人の妹を捕まえて、なに言ってんだよ、コラ。
まだすべての事情は分かっていないが、それは聞き流せねえぞ。
「兄さん、ごめんなさい。これから、ひどいことを口にします」
「莉桜……?」
いい加減キレそうになった俺を莉桜が再び制する。
「売女? ええ、ええ。その通りですとも。もう隠せないですし、隠すのにも疲れました」
莉桜が笑った。
唇の端をつり上げて、妖しく蠱惑的に。
「私は兄さんを愛しています。一人の女として」
笑みはより一層深くなり、とても15歳の少女が浮かべているとは思えない淫靡で魅力的な表情を象っていく。これが演技だったら、そこらの女優など裸足で逃げ出すことだろう。
偽物ではない。本物で本音だからこそ放たれる、たじろぐほどの威圧感。
存在しないはずの心臓の音と、感じるはずのない渇きを憶えてしまう。
それはあの幽霊も同じだったようで、まるで縛られたかのように反応を示せないでいる。
「私は、兄さんと愛し合いたいとも思っています。ずっと、そして、永遠に」
心から、嬉しそうに、楽しそうに告白する莉桜。
だが、俺には、今にも妹が泣いてしまいそうに見えた。




