10.そして、彼と彼女は迷宮を探索する(中)
真っ二つにへし折られた三体のフライングソードが、今までの例に漏れず、魔石へと姿を変えた。
今度は、黄色の魔石が三つ。それが光に変わって『星紗心機』へと吸い込まれていく。
今回の戦闘で使用した『魔素』――MPは4ポイント。つまり、俺の【MP】兼経験値は戦闘中に16まで減っていた。
だが、今回の収穫はそれを補って余りある。
目盛りはぐんぐん上がっていき、三個目の魔石が黒く塗りつぶされ、さらに四個目の魔石が1割ほど埋まったところ――31ポイントで止まる。
同時に三個目の魔石も縁が金色に彩られると、胸の五重の円から光が出て俺の損傷を癒して消えた。
……それにしても、さっきから光りすぎだな、俺。
「兄さん、早くもレベルアップの感慨がなくなってはいませんか」
ろくでもない感想を抱いていた俺の心を読んだかのように、莉桜があきれた声を出す。
……俺、無意識に独り言を喋ってるという可能性もあるんじゃないか?
「……どうかしましたか?」
疑惑の視線を莉桜へ向けるものの、妹は首をかしげるだけ。
これ以上の深入りは止めたほうが良いだろう。世の中には、結論を出さないほうが良いこともあるのだ。
「それにしても、ハラハラさせられました」
「……心配をかけて悪いな」
「……いえ、兄さんが頑張っているのは分かっています。でも、あまり心配させないでください」
このままだと、お互い謝り続ける展開になるな。
それも悪くはないが、話は進まない。
「今回のレベルアップで、なんか役立つ能力が増えるんじゃないか?」
そんな期待に胸を膨らませ、莉桜がなにも言わずに用意してくれた『鳴鏡』の更新されたステータスに目を通す。
●戦闘値
【命中】741(↑3)、【回避】53(↑1)、【魔導】42(↑1)、【抗魔】44(↑2)、【先制】52(↑4)
【攻撃】84(↑12)、【物理防御】-(30/↑5)、【魔法防御】37(↑7)、【HP】-(150/↑30)
【命中】と【先制】が順調に伸びている。【攻撃】の上昇幅も固定値なのか大きいし、先手を取って殴っていくというスタイルが有効そうだ。
しかし、とりあえず地味に伸びていく【魔導】なんだが、使い道が……。いずれ、魔法を使えるようになったりするんだろうか?
まあその日を楽しみに待つとして、問題は特殊能力だ。
なにか楽に勝てるようになるるような能力――
・《疾走》
取得レベル:3
代 償 :1
効 果 :外見からは想像のできない速度で走り抜ける特技。
5秒間移動速度が倍になり、移動自体も妨害されない。
――だったりはしなかった。
俺がサッカー選手だったら、カウンターの申し子になれそうな特殊能力だ。
使い方次第なんだろうけど……地味だな。あと、外見からは想像できないってのは余計だ。
「ところで、兄さん。その剣はどうします?」
「剣?」
「ええ。フライングソードの依代だった剣だと思いますが」
莉桜の指さす先を見ると、丸太の影に一振りの剣が転がっていた。妹の言う通り、フライングソードによく似ている。
巨大エビなんかは死体も残らなかったが、今回は違うらしい。基準が分からないな。
でも、使える物は使える。
「とりあえず、持って行くか。なんかの役に立つかもしれないし」
取り扱いに関しては《武器の手》があるから、自分を斬るなんて事故は起こらないだろうし。
そう考えながら、竹の腕を伸ばすようにして剣を手にする。もちろん手にするというのは比喩表現で、手袋の先に引っかかっているような状態だ。重みも特に感じない。
ただ、試しに何度か振ってみても剣がすっぽ抜けたりはしないし、ぶんっと力強い音とともに威力のありそうな一撃を放つことができた。
剣道の授業で竹刀を振ったことぐらいしかない俺でも、これだ。
便利だな、《武器の手》。
そのまま何度か素振りし、問題ないことを確認。
よし。使わせてもらうことにしよう。
「それは良いけど……」
良いんだけど……カソックと帽子のカカシが片手に剣をぶら下げてるって。完全にホラーじゃねえか。キャンプ場に血の雨が降るぞ。頭の悪いカップルは逃げろ。いや、逃げないから頭悪いカップルなのか……。
「夜道で絶対会いたくない感じだな」
では昼間なら良いかというと……。
うん。先に進もう。
俺の外見に関しては思考放棄して、また道を進むことしばらく。
代わり映えのしない洞窟を歩いて次の部屋に到着した俺たちは、思わず顔を見合わせてしまった。
「ちょっと、予想外です」
「これは……すげえな」
ぴょんと通路を先に進みながら、俺は顔をしかめた。表情は変わらないのだろうが……そんなことを忘れるほど、これはひどい。
通路の先は体育館ぐらいの広い空間。そこからさらに、道が延びていた。
つまり、先に進むにはこの部屋を突破するしかないのだが……。
そこには、炎が舞っていた。
比喩ではない。
真っ赤な炎が壁や床や天井――至る所から噴き出し、轟々と半円を描いているのだ。部屋の入り口に立っただけで、熱気が全身を覆う。
……俺の体、熱に弱そうだなぁ。
「そこまで心配しなくても大丈夫です」
思わず一歩後退った俺へ、莉桜が真剣な表情で口を開いた。
「竹や藁や布でできているように見えますが、兄さんは私が心血注いで作り上げた特別製の体なんですから」
「……そうか、魔法か」
導器魔法の使い手だという莉桜が作ったカカシなのだ。魔法的なあれで、火に強いとかあるのだろう。ありそうだ。魔法的なあれで。
「とはいえ、燃えにくいというだけで燃える時は燃えてしまうのですが……」
「だよな」
莉桜は申し訳なさそうに言うが、まあ、普通に考えればそうだ。心頭を滅却すれば火もまた涼しという言葉を残したお坊さんは焼け死んでいる。
火に弱いというわけではない。そこで満足しなくては。
「でも、俺が大丈夫だったとしても、莉桜はどうするんだ? さすがに、生身であそこを抜けていくのは無理だろう」
轟々と吹き出し、行く手を阻む炎。そんな、とても生身で進めないような空間の先にしか通路はない。
最悪、莉桜とはここで別行動ということにもなりかねなかった。
「いえ、私は大丈夫です」
しかし、妹は俺の心配を一蹴する。
「この子たちがいますからね――『海王星』」
莉桜が《ヴァグランツ》のひとつに呼びかけると、鉄球が妹の頭上に浮遊した。そこから、濃い水色の粒子が降り注ぎ、半透明のカーテンが莉桜を覆った。
氷の惑星である海王星。『名は力を持つ』というこの世界の法則によって、火への耐性を得たということなのだろうか。
ともあれ、見るからに炎や熱に強そうな防御幕だ。具体的な効果は分からないが、見た目のイメージが間違っているとも思えない。
「ただ、私しか守ってはくれないのです……」
「そりゃそうだ」
俺も一緒になんて、最初から思っていなかった。
しかし、莉桜はとてもすまなそうで、残念そうでもある。
優しい妹だな。
「さて、どうするか」
「非常に言いにくいですが……」
「だよな。正面突破しかないよな」
それなら、取得したばかりの《疾走》が役に立つかも……無理だ。あんな炎が舞ってる中を走り抜けられるもんか。事故を起こす可能性だってあるし、なにより莉桜を置いてけぼりにしてしまうことになる。
使えねえな、《疾走》。
まあそれはともかく。
魔物がいないのが不幸中の幸いと、俺はぴょんと炎吹き出る空間へ飛び込んだ。莉桜も、俺の左側を慎重に進んでいく。
それだけで、凄まじい熱気が全身を焼いた。真夏の殺人的な暑さを思い出す。逃げ場のない暑さ……いや、熱さだ。
「うおっと」
「大丈夫ですか!?」
ぴょんと着地した瞬間、地面から炎が吹き出てきた。目の前に炎の柱が突き立ち、やがて消えていく。あと数十センチメートル跳んでいたらアウトだった。
いや、触れなくとも、音と見た目だけで凄まじいプレッシャーだ。あれに触れたら……なんて考えたくないのに想像が止まらない。
燃えて炭化するのか、焼けただれるのか。それとも、触れた部分が一瞬で消えてしまうのか。
なんにせよ、無事なイメージは湧かない。
「……なんとか」
しばらく固まってしまい、莉桜に返事をするまでかなり時間がかかった。
まずいな。余計な心配をさせてしまう。
「びっくりしただけだ。先に進もう」
「はい……って、兄さん! 上から来てます!」
うおふっ?
脳――あって欲しい――が理解するよりも先に、俺は前に跳んでいた。莉桜の言葉を疑うはずはないし、無意識に重圧を感じていたというのもあったかもしれないが、後付けだ。
とにかく俺は跳んで脅威を避け、背後に滝のように降ってくる炎の存在を感じる。
やべぇ、なんだよこれ。
ぞっと、背筋に悪寒が走る。
左側に、莉桜が少し遅れてついてきているのを意識するので精一杯。とにかく、早くこの部屋から抜けないと。危なすぎる。
そう思っているにも関わらず、俺はなぜか真っ直ぐではなく斜め前に跳んでいた。自分でも理由は分からないのに、莉桜はちゃんとついてきてくれていた。
そんな兄妹の頭上に炎の橋が架かる。というよりは、アーチ状になった炎の下を通り抜けていったという感じか。
「莉桜?」
「兄さん!」
名前を呼び合い、お互いの無事を確認する。良かった。『海王星』の防御は、きちんと動作しているようだ。
それで充分だったが、それしかできないということでもあった。
実際、そんな暇はない。進路を変えたことで壁に近づいてしまい、横合いから噴き出した炎が鼻先を掠める。というか、木の鼻が焦げた。
それをなんとかかいくぐるが、安心するにはまだ早い。
上から右から下から左から背後から。次々と迫り来る炎。
それを莉桜とともに避けながら進む様は、まるでジェットコースターのよう。
しかし、それも終わりが近づいた。出口まであと数メートルというところに達する。
「きゃあっ」
油断したわけではないが、好事魔多しとはこのことか。
莉桜の悲鳴を聞いて咄嗟に振り向くと、妹の足下に大きな穴が開いていた。ただの落とし穴じゃない。人一人を飲み込むに余りある亀裂の底には、赤々とした炎が燃えさかっていた。
落ちただけでただでは済まない深さなのに、その上に炎溜まりだ。
「莉桜ッッ!」
頭が真っ白になり、視界が真っ赤に染まった。また莉桜を失うかもしれないという恐怖に、魂が震える。あの防御幕があれば無事かもしれないなどとは、思いつきもしない。
体が、勝手に動いていた。
一足飛びに莉桜との距離を詰めると、空いた左腕をぐっと伸ばす。
「兄さん!」
俺がそうするのを分かっていたかのように、莉桜が俺の手を掴んだ。さすが、俺の妹だ。
「先に行くんだ!」
俺がなにをするかではなく莉桜がなにをすべきかだけ話し、俺は体をコマのように一回転させた。その遠心力で莉桜は穴の外へ投げ出され、俺は奈落へと落ちて行く。
――そのままなら。
「頼むぞっ」
右腕にくっついたままだった元フライングソード。それを壁でも殴りつけるように穴の横に突き立てる。
さすが、【筋力】120というべきか。それとも、元フライングソードが業物だったのか。崖にがっちりと突き刺さって俺の体重を支えてくれた。
けれど、それだけが目的じゃない。
人間だった頃には絶対にできない体操選手のような動きで体の向きを修正。竹の一本足を崖に食い込ます。
「《疾走》」
特殊能力を発動させると同時に、ぐんっと体が前に引っ張られる。いや、違う。俺自身がもの凄いスピードで動いているのだ。
一瞬で、風景が変わる。
気づけば、元フライングソードと一緒に亀裂から脱出してしまっていた。
……って、マジかよ。我ながらビックリだ。
MPが1減った代わりに、この動き、この加速。さっき役に立たないと言った汚名を払拭するかのようにゴールまで一気に駆け抜ける。
そこには、俺の言いつけ通り先に行って待っていた妹の姿があった。
「おかえりなさい」
「ただいま」
炎の部屋の出口で、兄妹は再会を果たしたのだった。