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日本家屋に掲げられた看板を見て、大和は思わず立ちつくした。
『和菓子屋正福堂』。
そう筆字を模して彫られた看板は、年季が入っていてところどころ塗料が剥げてしまっている。
葵の家は、代々和菓子屋を営んできたらしい。
安く、それでいて味も確かな和菓子屋は、そうなるのが自然であったかのように、地元住民に愛されていた。
大和も引っ越す前は度々、お小遣いをはたいて買いに行ったものだ。
だが懐かしいと思うより先に、衝撃で目が点になった。
看板から視線を下げた、古びた引き戸の入口。
そこには、黄ばんだ紙が一枚貼られていた。
『閉店させて頂きます。長い間ご愛顧頂きまして、誠にありがとうございました』
引き戸から見える店内は、がらんとしていて真っ暗だ。
昼下がりの時間は、いつもお客さんで混みあっているはずなのに―――と、なんとも言えない歯痒い気持ちが溢れてくる。
「……おじさん、店閉めたんだ」
「ああ、うん。お父さん、会社勤めに変えたの。それで」
何でもない事のように言う葵は、隠しきれない気持ちを表情に浮かべて笑った。
葵の父親はいつも穏やかに微笑む、人の良い人物だった。
おやつとしてだされた、焼き立てのどら焼きがあまりに美味しくて。
感激して、今度はお客として買いに行ったら、大和のために特別にその場で焼いて食べさせてくれた。
そんな思い出が、店と一緒に遠い彼方に行ってしまったようだ。
「ほら、大和。こっちこっち」
再び大和の腕を引いた葵は、家の玄関へと向かっていく。
もう一度振り返ってみた店は、かつての賑わいなど、どこにも残っていなかった。
*
「ちょっとシャワー浴びてくるから、寛いで待ってて」
「おう」
大和を居間に残し、葵は廊下つきあたりの浴室へと走り去った。
ひとりになって手持無沙汰となった大和は、久しぶりに訪れた居間を見渡す。
葵の家は幼馴染の中でも、一番大きかったために、よく遊び場と化していた。
あちらこちらにその痕跡を見つけ、懐かしさで思わず顔がゆるんでしまう。
壁の傷跡。
座卓の細かい傷。
ふざけて破いてしまった障子も、張り替えられることなくそのままになっている。
縁側の柱に刻まれた横線は、成長期まっただ中でつけた傷だ。確か、葵の父が計ってくれていた気がする。
畳に染みこんだ墨汁は、みんなで夏休みの課題である習字をやったときのものだ。
お題は『夏休み、楽しかったこと』で、各々夏ならではの催しを書いたのに、大和は『げーむ』と書いて、結果先生からやり直しと言われてしまった。
「あ、そうだ。あれまだあるかな……」
ぴん、と思い出した大和は、身をしゃがませて座卓の裏を覗き込んだ。
そこで見つけた色褪せたシールに、たまらず胸を弾ませる。
「うわ、本当に残ってるよ。ポケモンシール」
罪悪感と、妙な高揚感で苦笑した大和は、自分のお気に入りだったリザードンを指でなぞった。
本当はミュウが欲しかったのに、なかなか出なくて泣きべそまでかいたくらいだ。
それでも、同年代と比べるとレアシールは多かったと思う。
幸運の持ち主だなんてもてはやされて、大分調子に乗っていた。
「なっつかしーなあ……」
しみじみ呟き、幼い自分の記憶に浸る。―――そのときだ。
ピンポン、なんていう軽快な電子音がどこからともなく鳴り、はっと顔を上げた。
家の呼び鈴だ、と気付いたのは、2回目に鳴り響いたときだ。
居間から廊下へ顔を出し、玄関へと視線を注ぐ。
引き戸のガラス張りに、なにやら蠢く人影が見えたのを確認し、反対の風呂場へ続く廊下へ目を移す。
だが、唯一の家人である葵は、まだシャワーを浴びているようだ。
どうしようか。
いや、勝手に出るのはまずいだろ。
わずか数秒で居留守を決め込むと、大和は玄関の人影をじっと観察した。
三度目の呼び鈴が、部屋に響く。
そろそろ観念どきだろう。さすがに三回も鳴らして出てこなければ、留守だと諦めるはずだ。
しかし静まり返った玄関先には、いまだ変わらず人影が動いている。
葵も風呂から出てくる気配はないみたいだ。
『諦めろ』と心で念じながら玄関を見つめていたら―――突然、引き戸がガラッと気前よく開いた。
「っ、!?」
動揺し、慌てて廊下に突き出していた頭を引っ込める。
普通開けるだろうか? いや開けないだろ。
都会では有り得ない光景に自答自問をしながら、玄関に佇む人物へ神経を集中させる。
さすがに家へ上がる気配は感じられない。
玄関に立ったまま、その人物は声を大にして呼びかけた。
「おーい、葵ー? いないのかー?」
声からして男のようだ。しかも、若い。
葵を親しげに呼ぶ様子から、付き合いも深いと察して、大和は頭から冷水を被った感覚に襲われた。
いや、まあ葵だって年頃なんだから、そういう男がいたって不思議ではない。
ないが、よもやこういった形で知ろうとは思わなんだ。
呆然とする大和を置いて、廊下の奥から葵の張り上げた声が聞こえてきた。
「いるよー!」
「家あがっていいかー!」
「いいよー!」
いやいやいや、ちょっと待て。ちょっと待てい。
大和の早くなっていく鼓動と、男の廊下を歩く音が重なる。
咄嗟に隠れようとも思ったが、なぜ隠れる必要があるのかと考えて、結果居間で行儀よく正座をして待機という結論に至った。
男はまっすぐに居間へと向かってくる。
だいぶ家の配置を熟知しているようだ。勝手知ったるなんとやら。そこまで深い関係ということか。
心臓の早鐘が、全身を揺さぶる。
久々の帰省で葵の男と対面するとは―――やぶれた初恋よりも、成長した幼馴染に置いて行かれたような寂しさを感じてしまった。
(―――って、あれ? このまま俺と会うと、ややこしいことにならないか?)
ふとした考えに顔面を蒼ざめた瞬間。
心の準備も不十分だというのに、障子が気前よく開いた。
「あ」
かち合った相手の目は、誰かがいるとは思わなかったのだろう。驚きで見開かれている。
対する大和もまた、間抜けな声を出して瞬きを繰り返した。
明るい茶色に染まった髪。
着崩した地元高校の制服。
視界に入れた彼の情報を素早く読み取った大和は、やはり彼氏だと確信する。
根拠はない。直感だった。
障子を引いた瞬間に、さっと顔色を変える前。生気に溢れ、慈愛に満ちていた瞳が、印象的だったからだ。
そんな瞳を向けるなんて、きっと間違いない。
ここは手身近に自己紹介をし、さりげなく葵との昔馴染みであることを説明するのが、面倒を回避する最善の方法だろう。
大和は緊張に固まる頬を無理やり動かし、つたない愛想笑いを浮かべた。
「どうも、はじめまして。あ、俺、藤原大和っていいます。いやあ久しぶりに里帰りしたら、偶然葵さんとそこでばったり出くわしちゃって。葵さんとは昔よく一緒に遊んでたんですよ。あ、って言っても小学生くらいまでで、中学は途中で転校しちゃったんで、」
「―――っ、やま兄?」
「はい?」
説明途中で遮られ、またもやすっとんきょうな声をあげる大和に、男は衝動的に距離を縮めて両肩を掴んだ。
「!?」
「やま兄だ! うおー! 生やま兄!」
歓喜に震える男は、大和を至近距離から見つめた後―――全身で喜びを伝えるかのように、大和を強く抱きしめる。
「え、ちょ、へあ!?」
唐突な展開についていけず、男の体重を支えきれなかった大和は、なだれるように畳に倒れた。
圧し掛かる体重と、激しいスキンシップに全身が鳥肌立つ。
「な、なんなんだよ! 離れろ、このっ!」
恐怖と不安で混乱状態に陥りながらも、じたばたと抵抗してみたが、男の力は強く、抗いきれるものではなかった。
返って顔を埋め、更に締め上げてくる。
かろうじて耳に届いた小気味よい足音に、大和は廊下へと視線を向けた。
開いたままの障子。
そこから現れた葵は、男二人、あえて言うならば密着するプロレスを目の前にして、ただ呆然とする。
「やま兄! 会いたかったんだぜ、俺! やーまーにーいーっ!」
「やめろーっ!」
「な、なにがどうなって……っ!?」
頬をすりつけてくる男に、いよいよ不気味さが増してくる。
大和は駆けつけてきた葵へと、助けを求めた。
「あ、葵! こいつなんとか……なんとか、してくれえっ!」
「やま兄! やま兄っ!」
葵は風呂上りの上気した肌を更に赤くさせると、わなわなと震えだし、男を睨みつける。
第三者の介入で、この境地から抜け出せる―――そう思ったのは、葵の言葉を聞くまでだった。
「ず、ずるいよ、拓海っ! わたしだって、わたしだってえーっ!」
そう泣き喚きながら、男の身体をぽかすかとグーで殴り始める葵だったが、そんなダメージの低い攻撃では撃退することなどできない。
男は大和を堪能するかの如く、密着姿勢のまま微動だにしなくなり。
抵抗に疲れ、更には唯一の助け船が沈没し、救いすらなかったことに絶望した大和は、深い溜息と共に無心へと落ちた。
違和感にきづいてもらえたら幸いです。




