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 日本家屋に掲げられた看板を見て、大和は思わず立ちつくした。

 『和菓子屋正福堂』。

 そう筆字を模して彫られた看板は、年季が入っていてところどころ塗料が剥げてしまっている。

 

 葵の家は、代々和菓子屋を営んできたらしい。

 安く、それでいて味も確かな和菓子屋は、そうなるのが自然であったかのように、地元住民に愛されていた。

 大和も引っ越す前は度々、お小遣いをはたいて買いに行ったものだ。


 だが懐かしいと思うより先に、衝撃で目が点になった。


 看板から視線を下げた、古びた引き戸の入口。

 そこには、黄ばんだ紙が一枚貼られていた。


『閉店させて頂きます。長い間ご愛顧頂きまして、誠にありがとうございました』


 引き戸から見える店内は、がらんとしていて真っ暗だ。

 昼下がりの時間は、いつもお客さんで混みあっているはずなのに―――と、なんとも言えない歯痒い気持ちが溢れてくる。


「……おじさん、店閉めたんだ」

「ああ、うん。お父さん、会社勤めに変えたの。それで」


 何でもない事のように言う葵は、隠しきれない気持ちを表情に浮かべて笑った。


 葵の父親はいつも穏やかに微笑む、人の良い人物だった。

 おやつとしてだされた、焼き立てのどら焼きがあまりに美味しくて。

 感激して、今度はお客として買いに行ったら、大和のために特別にその場で焼いて食べさせてくれた。


 そんな思い出が、店と一緒に遠い彼方に行ってしまったようだ。


「ほら、大和。こっちこっち」


 再び大和の腕を引いた葵は、家の玄関へと向かっていく。


 もう一度振り返ってみた店は、かつての賑わいなど、どこにも残っていなかった。



「ちょっとシャワー浴びてくるから、寛いで待ってて」

「おう」


 大和を居間に残し、葵は廊下つきあたりの浴室へと走り去った。

 ひとりになって手持無沙汰となった大和は、久しぶりに訪れた居間を見渡す。


 葵の家は幼馴染の中でも、一番大きかったために、よく遊び場と化していた。

 あちらこちらにその痕跡を見つけ、懐かしさで思わず顔がゆるんでしまう。


 壁の傷跡。

 座卓の細かい傷。

 ふざけて破いてしまった障子も、張り替えられることなくそのままになっている。


 縁側の柱に刻まれた横線は、成長期まっただ中でつけた傷だ。確か、葵の父が計ってくれていた気がする。


 畳に染みこんだ墨汁は、みんなで夏休みの課題である習字をやったときのものだ。

 お題は『夏休み、楽しかったこと』で、各々夏ならではの催しを書いたのに、大和は『げーむ』と書いて、結果先生からやり直しと言われてしまった。


「あ、そうだ。あれまだあるかな……」


 ぴん、と思い出した大和は、身をしゃがませて座卓の裏を覗き込んだ。

 そこで見つけた色褪せたシールに、たまらず胸を弾ませる。


「うわ、本当に残ってるよ。ポケモンシール」


 罪悪感と、妙な高揚感で苦笑した大和は、自分のお気に入りだったリザードンを指でなぞった。

 本当はミュウが欲しかったのに、なかなか出なくて泣きべそまでかいたくらいだ。


 それでも、同年代と比べるとレアシールは多かったと思う。

 幸運の持ち主だなんてもてはやされて、大分調子に乗っていた。


「なっつかしーなあ……」


 しみじみ呟き、幼い自分の記憶に浸る。―――そのときだ。


 ピンポン、なんていう軽快な電子音がどこからともなく鳴り、はっと顔を上げた。

 家の呼び鈴だ、と気付いたのは、2回目に鳴り響いたときだ。


 居間から廊下へ顔を出し、玄関へと視線を注ぐ。

 引き戸のガラス張りに、なにやら蠢く人影が見えたのを確認し、反対の風呂場へ続く廊下へ目を移す。

 だが、唯一の家人である葵は、まだシャワーを浴びているようだ。


 どうしようか。

 いや、勝手に出るのはまずいだろ。


 わずか数秒で居留守を決め込むと、大和は玄関の人影をじっと観察した。


 三度目の呼び鈴が、部屋に響く。

 そろそろ観念どきだろう。さすがに三回も鳴らして出てこなければ、留守だと諦めるはずだ。


 しかし静まり返った玄関先には、いまだ変わらず人影が動いている。

 葵も風呂から出てくる気配はないみたいだ。

 『諦めろ』と心で念じながら玄関を見つめていたら―――突然、引き戸がガラッと気前よく開いた。


「っ、!?」


 動揺し、慌てて廊下に突き出していた頭を引っ込める。


 普通開けるだろうか? いや開けないだろ。


 都会では有り得ない光景に自答自問をしながら、玄関に佇む人物へ神経を集中させる。

 さすがに家へ上がる気配は感じられない。

 玄関に立ったまま、その人物は声を大にして呼びかけた。


「おーい、葵ー? いないのかー?」


 声からして男のようだ。しかも、若い。

 葵を親しげに呼ぶ様子から、付き合いも深いと察して、大和は頭から冷水を被った感覚に襲われた。


 いや、まあ葵だって年頃なんだから、そういう男がいたって不思議ではない。

 ないが、よもやこういった形で知ろうとは思わなんだ。


 呆然とする大和を置いて、廊下の奥から葵の張り上げた声が聞こえてきた。


「いるよー!」

「家あがっていいかー!」

「いいよー!」


 いやいやいや、ちょっと待て。ちょっと待てい。


 大和の早くなっていく鼓動と、男の廊下を歩く音が重なる。

 咄嗟に隠れようとも思ったが、なぜ隠れる必要があるのかと考えて、結果居間で行儀よく正座をして待機という結論に至った。


 男はまっすぐに居間へと向かってくる。

 だいぶ家の配置を熟知しているようだ。勝手知ったるなんとやら。そこまで深い関係ということか。


 心臓の早鐘が、全身を揺さぶる。

 久々の帰省で葵の男と対面するとは―――やぶれた初恋よりも、成長した幼馴染に置いて行かれたような寂しさを感じてしまった。


(―――って、あれ? このまま俺と会うと、ややこしいことにならないか?)


 ふとした考えに顔面を蒼ざめた瞬間。

 心の準備も不十分だというのに、障子が気前よく開いた。


「あ」


 かち合った相手の目は、誰かがいるとは思わなかったのだろう。驚きで見開かれている。

 対する大和もまた、間抜けな声を出して瞬きを繰り返した。


 明るい茶色に染まった髪。

 着崩した地元高校の制服。

 

 視界に入れた彼の情報を素早く読み取った大和は、やはり彼氏だと確信する。

 根拠はない。直感だった。

 障子を引いた瞬間に、さっと顔色を変える前。生気に溢れ、慈愛に満ちていた瞳が、印象的だったからだ。

 そんな瞳を向けるなんて、きっと間違いない。


 ここは手身近に自己紹介をし、さりげなく葵との昔馴染みであることを説明するのが、面倒を回避する最善の方法だろう。


 大和は緊張に固まる頬を無理やり動かし、つたない愛想笑いを浮かべた。


「どうも、はじめまして。あ、俺、藤原大和っていいます。いやあ久しぶりに里帰りしたら、偶然葵さんとそこでばったり出くわしちゃって。葵さんとは昔よく一緒に遊んでたんですよ。あ、って言っても小学生くらいまでで、中学は途中で転校しちゃったんで、」

「―――っ、やま兄?」

「はい?」


 説明途中で遮られ、またもやすっとんきょうな声をあげる大和に、男は衝動的に距離を縮めて両肩を掴んだ。


「!?」

「やま兄だ! うおー! 生やま兄!」


 歓喜に震える男は、大和を至近距離から見つめた後―――全身で喜びを伝えるかのように、大和を強く抱きしめる。


「え、ちょ、へあ!?」


 唐突な展開についていけず、男の体重を支えきれなかった大和は、なだれるように畳に倒れた。

 圧し掛かる体重と、激しいスキンシップに全身が鳥肌立つ。


「な、なんなんだよ! 離れろ、このっ!」


 恐怖と不安で混乱状態に陥りながらも、じたばたと抵抗してみたが、男の力は強く、抗いきれるものではなかった。

 返って顔を埋め、更に締め上げてくる。


 かろうじて耳に届いた小気味よい足音に、大和は廊下へと視線を向けた。

 開いたままの障子。

 そこから現れた葵は、男二人、あえて言うならば密着するプロレスを目の前にして、ただ呆然とする。


「やま兄! 会いたかったんだぜ、俺! やーまーにーいーっ!」

「やめろーっ!」

「な、なにがどうなって……っ!?」


 頬をすりつけてくる男に、いよいよ不気味さが増してくる。

 大和は駆けつけてきた葵へと、助けを求めた。


「あ、葵! こいつなんとか……なんとか、してくれえっ!」

「やま兄! やま兄っ!」


 葵は風呂上りの上気した肌を更に赤くさせると、わなわなと震えだし、男を睨みつける。


 第三者の介入で、この境地から抜け出せる―――そう思ったのは、葵の言葉を聞くまでだった。


「ず、ずるいよ、拓海っ! わたしだって、わたしだってえーっ!」


 そう泣き喚きながら、男の身体をぽかすかとグーで殴り始める葵だったが、そんなダメージの低い攻撃では撃退することなどできない。

 男は大和を堪能するかの如く、密着姿勢のまま微動だにしなくなり。


 抵抗に疲れ、更には唯一の助け船が沈没し、救いすらなかったことに絶望した大和は、深い溜息と共に無心へと落ちた。



違和感にきづいてもらえたら幸いです。

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