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黒と赤の邂逅


そのニュースは瞬く間にウリムに流れた。ウリムの東部、多くの住宅が並ぶ一区画を焼き尽くすように猛る焔は、オレたちの居る学院の寮からでも見えた。朝焼けのようにウリムの空を焦がし、けれど禍々しく空を赤黒く染め上げた紅蓮の炎は、本物の旭が昇ると同時に、まるで幻のように、小さく、吹き消えた。


 翌朝は、昨日の大火事のことで話題は持ちきりだった。寮から校舎へ移動するにも、教室のなかに居るにも、まして食堂や談話室などの共有スペースでは誰彼かまわず出所も分からないような噂に興じている。そんな噂はそれこそ燎原の火のごとく人の不安を徒に煽るものだ。中にはすっかり色を失い、授業に身も入らないといったような学生もいた。


 それも無理なからぬことだろう。ウリムの東部といえば職人通りのあたり……とくに庶民の生活エリアにあたるはずだ。職人の徒弟や優秀な平民なんかはその多くが東部に肉親が居るはずだ。いや、肉親に限らず、親しい人たちだって……


 そういうオレも、談話室でオリーブと顔を見合わせていた。普段は弾けんばかりに勝気なこいつもいつになく難しげな表情で顔を硬くしている。トレードマークのサイドテールも、心なしかうつむいているようだ。


 「……ハンナさん、大丈夫かしら……」


 そう、オレとオリーブがたまたま廊下で鉢合わせしたときに、なし崩し的にこの談話室の一角にくるようになったのもこのためだ。


 平民、それもオレみたいに貧乏寒村からきたやつは、到底王宮からの奨学金だけじゃあ生活費までがまかなえない。そんな俺たちが世話になっていたのがカフェ・フローロの店主、ハンナさんだった。


 そんな、オレたちを雇ってくれたハンナさんのカフェ・フローロはウリム東部にある……


 オレはいつの間にか自分の眉間にしわがよっているのに気がついた。生活費云々なんていうのはどうでもいい。オレはいま、結構あの店が……ハンナさんやお店の常連客の人たちが好きなのだ。


 「……授業が終わったら見に行こう」


 「そうね……」


 オレは、上手にできてるかわからないが、とにかくオリーブを安心させようと、なるべく笑顔を作ったつもりだった。


 オレだって、内心不安がないわけじゃない。でも、まだ昨日の火事のことに現実感が持てないんだ。もしかしたら、フローロは火の粉も飛ばないでハンナさんはぴんぴんしてるかもしれない……


 オレはどこか頭の片隅でそんな風に甘えた考えを持っていたんだ。


 対するオリーブは未だ不安そうにテーブルの端を見つめている。


 無理もないよな……オリーブは特にハンナさんを慕ってたし……


 オレとオリーブのこの意識の違いは、もしかしたらオレがいわゆる異世界から……それも、ほとんど死から隔絶されたような、そんな平和ボケした異世界の国からの異邦人だったからなのかもな……


 それこそこの世界は死が、死別がとなりあっている世界なんだから……


 と、オレたちがそろそろ次の授業がはじまるから、と、席を立とうとしたそのとき――


 談話室の扉がけたたましい音を立てて開かれた。オレたち以外にもまばらに残っていた生徒たちも驚きの目でその音の方向を見ている。オレだって例外じゃあないし、オリーブも、そのアーモンドがたの目をいっぱいに広げている。


 扉を開けた奴は、うなだれ、肩で息をしているため顔は見えない……が、そいつの荒い呼吸にあわせて上下する黄金の髪の毛はよく見知ったものだった。ようやく呼吸が整ったのか、そいつは顔を上げた。よっぽど慌ててきたのか、幾筋もの汗がとどめなく落ちている……が、それ以上にそいつの翡翠の瞳はなお落ち着かない焦燥の光を帯びていた。


 「はぁ……はぁ……ろ、ローレル……おりー……ぶ……はぁ……ふ、フローロが……ハンナさんが……攫われた……――!」







 焼け跡は、酷いものだった。オレたちは……いや、この現場を見るまでのウリムの住民ほとんどがきっと何かの事故で起きた火がウリムの東を焼き尽くしたものだと思っただろう。


 しかし、その認識はとんだ間違いだった。


 なぜなら、東部で焼け焦げ、石をすら融解させた炎は極一区画……フローロだけを焼き尽くしたものだったからだ。


 「……これは……」


 思わず、といったように呟くのはグレイプさんだ。かつてフローロの絶っていた、文字通り焦土になった土地を厳しい瞳で見つめている。


 そしてその隣で腕を組みながら、やはり難しい顔で何もいわないのはラークさんだった。この二人の先輩も、どうやらオレたちとは別にフローロのことを聞いていたらしくて、オレとリーフが着いた時にはすでにここにいた。


 「う……そ……」


 そして、オレ達とともにやってきたオリーブはこの景色を見るや否や、腰が抜けたようにへたり込んでしまった。


 この、文字通り焦土と化したフローロの前でオレ達は呆然として何も言えなかった。しかし、気がつくと、先ほどまでまばらに居た野次馬たちは居なくなっており、代わりに数人の、イスリアの国章をつけた数人の憲兵たちがやってきていた。


 「……明らかに人為てきな物だな……」


 「結界が張られていた痕跡もありますが……しかし、本当に普通の人間がこんな高熱を出せるものなんでしょうか……?」


 と、言いながら一部がガラス状になった地面をなでる若い憲兵。その視線、言葉の先は……


 あの人は……!


 「スイカさん……!」


 オレが驚きをもって声を上げると、スイカさんもこちらに気がついたのだろう。精悍な目を丸く開いた。


 「ラークくん……!? 無事だったのか……!」


 と、駆け寄ってきてくれた。おそらくさっきまでのオレ達は野次馬にどうかして気がつかれなかったんだろう。そんなオレ達のやりとりに、自然、ラークさんたちの視線が集まる。


 「なんだ、君たちも……それに、オリーブも居たのか……」


 スイカさんはこのフローロには足しげく通ってくれたお客さんの一人なので、当然オレ達とは面識もある。が……今は……


 「あ……あの――」


 しかし、オレが言いよどみ、言葉を続けるか躊躇ったそのその瞬間に、そいつは引き絞るような声をあげた。


 「ハンナさんは――! ハンナさんはどうなったんですか……――!?」


 オリーブの、こんな人にすがるような姿を、オレは初めて見た。見れば、目には薄幕のように涙がたまり、手は、まるで祈るように胸に重ねられている。


 「……少なくとも、この焼け跡には骨はないし、霊魂の気配はない……この火事で、という点では無事だろう……」


 と、どこか歯切れ悪く言うスイカさんに、胸をなでおろしたのも束の間……おれはスイカさんのその言い方が気になってしまった。


 「え……あの、この火事では……て、一体――」


 そんなオレの、疑問に答えたのは密かに眉を曇らせたスイカさんでも、何かに気がつき、青ざめたリーフでもなかった。


 「……この火事をおこしたのは『バビロン』、それも〈ドラゴン〉ということですね……」


 それは、これまで見てきたどんな顔よりも複雑な表情に顔をゆがめたラークさんだった。










 暗がりに、音が響く。石畳を踏む抜くように闊歩するヒールの音である。それは、その廊下の長さか暗さを強調するように長く、甲高く響く。


 が、目的に着いたのだろうか、その闇色のハイヒールは向きを変えた。そのつま先に向かっているのは、ひとつの小狭な牢獄だった。


 「……あら、以外ね……もっと暴れてると思ったけど……」


 闇色の靴の持ち主は、その紗で編まれた夜色のドレスを翻すと、漆黒の唇を歪め笑った。彼女を満たす黒さが深ければ深いほど、その玉のような白い肌はよく生えた。


  その姿は暗がりの廊下に現れた真珠色の蝶々のようであった。艶めく闇色の翼を広げる、月色のパピヨン


 「たしかに……見れば見るほどそっくりね……〈マンティコア〉に聞かされたときは俄かには信じられなかったけど……」


 そういうと、夜色の女は錆ついた鉄柵のなかへ手を差し入れた。まるでそれ自らが光っているのではないかと思うような、美しい、繊細な細腕である。しかし、それだけに女の指にのこる日々の労働の跡は似つかわしくなく、なにか異常なアンバランスさを感じさせた。貴族の手に刻まれた労働の跡――


 そんな女の指は鉄柵の中、彼女を睨み付ける紅玉の瞳をまるで抉るように、その頬をなぜた。これも、光を飲み込む漆黒の爪が、朱の瞳をつつむ睫を震わせる。


 「……〈ドラゴン〉があなたにご執心のあいだは、さすがのわたしも手が出せないわ……でも、いつか必ずあなたを祖国へ送ってあげるわ……




























 あなたも、お父様の仇なんですもの――」


なんと次回で100話目です! そろそろ人物紹介とか入れてみるべきなんでしょうか…?

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