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ぼくと

少し残酷な描写がはいります


 ぼくと、親友のローレル、そして、舞台から一人だけ連れてきた隊長の三人は、今尚僕たちをのみこむように、オルギオーデの商館の最奥への道をぽっかりと広げている。いつもなら煌々と炊かれているはずの燭台は暗く吹き消され、広いはずの道は闇が深まるごとに、狭く圧迫してくるように感じられる。


 3000にも及ぶ兵たちは、このオルギオーデの商館を隙間なく囲い、誰一人逃げられないようにしている。


 そう……大丈夫だ……逃げられるはずなんか、ない。


 僕は、自分自身に言い聞かせるようにほの暗い廊下に歩を進めた。オルギオーデは、確かに『貴族派』の出資者だ。それに、『バビロン』とも関わりがあるのは分かっているんだ……それだけで、オルギオーデの存在だけで、イスリアは……この大陸は疲弊してしまうんだ……だから、やつを止めないといけないんだ……


 ――……本当に?


 ぼくは、何度も自分に繰り返してきた問答が再び僕の脳裏に湧き上がるのを感じた。何度も巡り、その度に答えを出せず、ずっと自分を苦しめてきた、その問いを……


 本当は、今のオルギオーデのおかげでこの国は安定しているんじゃないのか? 『ギルド連盟』が生み出した雇用は数え切れない。やつのお陰で今のイスリアがあるといっても過言じゃないはずだ。


 もし、今やつを大罪人として捕まえてしまえば、一体どうなるだろう。経済が混乱するのは当然だ。しかも、父上は……国王陛下は、オルギオーデどころか、『ギルド連盟』の財産を目当てにぼくに兵を率いることを許したのだ。罪人からの財産没収のために……


 こんなの、まるで盗人じゃないか……!


 再び思考の迷宮に捕らわれた僕を、救い出してくれたのは隣に立つ親友ローレルだった。それは……


 「おい……リーフ、気づいてるか?」


 同時にぼくが後ろから追ってくる気配を感じ取るのと同義であった。


 ぼくの方に手を置き、後ろへ視線を送るローレルの表情は厳しい。隊長に至ってはすでに腰に帯びた剣に手を置いている。無理もない反応だろう。後ろからせまる気配は尋常ではないスピードで、少なくとも歩いて僕たちを追っているのではないことが分かるし、何よりその魔力の大きさだ。


 とんでもない力量の魔術師が、最低でも二人といったところだろう。


 ッ……! オルギオーデの罠か!? だが、商館の正門は大勢の兵士たちが見張っていたはずだ、後から入ってこられるはずがないし、もしも最初から僕たちを待ち伏せていたとしても、これほどまでに強大な魔力の持ち主ならば、気がつかないわけがない……!


 一体、誰が……!


 僕の一瞬の逡巡の内にも謎の追撃者は僕たちに肉薄する。ついに、ローレルもその眉を一層鋭く怒らせ腰の得物に手をかけた、その瞬間、二つの、見覚えのある顔が暗がりから躍り出た!


 「……やっと! 追いつきましたよ王子殿下!」


 一人は先日あった、洟色の髪をもつ、伯爵令嬢メリルで……


 「私たちを置いていくなんてひどいじゃないですか?」


 もう一人は、僕に最も長く仕え、そして最も僕の信頼する親友カトレアだった……!


 「ッ! カトレア! それにメリル……!一体どうして!」


 その驚きの声はローレルのものだった。大きく見開かれた瞳が、暗闇の中でも一際輝いている。そしてその言葉は正直、僕もまったく同じ気持ちだった。確かに、王都から共にやってきたカトレアが現れるのは分かる。しかし、メリルが現れたのはぼくにとってまったく予想もつかないことだった。


 てっきり今頃はケールくんたちと学院にいるものだと思っていた。


 「……わたしは、先日のオルギオーデの答えが納得いかなかったんです……! 兄、マルスの真相を教えるといいながら、結局23年前のことで煙に巻かれて、分からずじまいでしたから……」


 そういうメリルの頬は赤く燃えていた。おそらくどうしても聞かなければ気が治まらないんだろう。でなければ伯爵令嬢として、この上ない教育を受けている彼女がこんな非常識な手段で現れる恥を犯すはずがない。


 メリルのことは分かったが、カトレアは、一体どうして……?


 ぼくの視線が、カトレアのアメジストの虹彩とぶつかり合う。空間の薄暗さが余計にカトレアの白さを浮かばせており、真珠色の頬はまるでそれ自体が光り輝いているように思える。そんな、美しい頬は、なだらかに緩み、ぼくの良く知る微笑を描いた。


 「わたくしは、リーフ様の一の従者でございますから」


 そう言って、完璧な、最上の臣下の礼をとるカトレア。まさにそれだけが理由だといわんばかりの態度だ。ぼくの従者だからぼくについてくる……たったそれだけの理由だ。たったそれだけの、ちっぽけな……


 そんなちっぽけな理由で、ぼくについてきてくれる人が、ここにいる。オルギオーデを下すことがこの大陸にどんな影響をもたらすか、聡明なカトレアが気がつかないはずがない。それなのに、従者だから、なんていう、理由にならない理由でぼくに……――


 「本当についてくるのか?」


 ぼくは精一杯の強がりをこめて、震えないよう押し殺した声で、二人に問いかけた。対する二人は、まるで、輝かんばかりの笑顔で――


 「はい!」


 「もちろんでございます」


 応じてくれた。






 意を決してその扉を開くと、予想外な光の奔流がぼくの目を焼いた。どうやらこのギルドホールの最奥、オルギオーデの執務室は巨大な窓に面しているらしかった。そして、そんな大きな、純度のたかいガラス窓を背にして、いつかと同じ、虚ろな笑みがぼく等を出迎えた。


 「これは、これは……表にいらっしゃる兵たちに比べ、ずいぶんと寡兵でいらっしゃったのですね」


 オルギオーデは自分を取り巻く状況が分かっていないのか、それとも彼にはすでに感情というものが抜け落ちているのか、全く動じず、ただいつもの来客に接するようにぼく等を出迎えた。


「ッく! さ、最前申し渡したとおり、貴様は国家反逆の罪で連行することが決まっている! おとなしくついてまいれ!」


 隊長も、予想外といえばあまりのものなこの落ち着きように面食らったのか、あるいは、この老人の空虚さに飲まれたのか、礼状を読むのもままならない様子だ。


 「国家反逆罪……ね」


 まるで独り言のように呟くと、オルギオーデはゆっくりと両手を上に上げた。投了の意思表示だろうか。


 「この国初めての大罪がこの様な凡百が賜るとは、身に余る光栄にございます……いや、しかし、思い切ったことをなされたものですね、王子殿下……」


 そう、ぼくを見据える老人の眼は、まるで夜そのものにつながっているか、それかガラス球に穿たれただけの孔の様になにも恐れてはいなかった。


 「そして……」


 そして、そんな洞のような眼はぼくの傍らに立つ少女に向けられた。


 「メリル=メルク様……」


 「……私は、はっきり言って王子殿下や『王党派』の人たちに不信感を抱いておりました」


 メリルはぼくのほうを見ることなく、オルギオーデを正面の捉え、その上でぼくに語りかけていた。


 「というのも、私の兄、マルスが、『バビロン』に殺された、と聞いたとき、何故陛下やその近臣たちはそんな酷い組織を野放しにしているんだろう、と思ったからです……だから、私のなかで兄の真相を知りたいという気持ちに比例して、『王党派』に対する不信も高まっていきました……そんなとき私に『バビロン』の情報をくれたのが……! オルギオーデ! あなただったわね!」


 強い語調と共に、強い意志をこめた視線がオルギオーデに投げつけられた。そこには、兄を失った悲しみや、王族への不信、両親からの期待など、あらゆる苦悩が押し込まれていた。それはほとんど、13歳の少女による八つ当たりだった。彼女は、今まで自分を苦しめてきたものすべてを、オルギオーデの仕業にして決着をつけようとしているんだろう。


 「あなたは言ったはずよ! わたしにお兄ちゃんのことを教えてくれるって! でもあなたが教えてくれたのは、〈コカトリス〉がケールさんに似てるってだけだったじゃない……! だから、今度こそ聞きにきたのよ……あなたが知ってる、お兄ちゃんのことを、全部ね……!」


 それを言い切ったメリルは、まるで肩で息をするように疲れきっていた。たぶん、その小さな体に押し込められていた重圧を、兄という形で、すべて吐き出したのだろう。ぼくから見えるメリルはこれまで見てきた姿より、ずっと軽やかなように見えた。


 対するオルギオーデはそんなメリルの魂の叫びにも、なにも感じていない様だった。いや、実際なにも感じていないのだろう。奴は見た目こそ典型的な豪商でありながら、その実何の欲望を持っていないんだ。中身は空っぽなんだ。


 「本来なれば……情報である以上、取引の材料……ですが、私はすでに大罪人。良いでしょうすべてお話いたしますよ……メリル様、あなたの兄上のことを……このオルギオーデが……『バビロン』が四大幹部が末席〈マーラ〉がね……」


 「んな!? 『バビロン』の幹部だと!!」


 ローレルの大音声の陰でカトレアが息を呑むのが聞こえた。横目にはメリルも大きく目を見開いている。ぼくは……


 ついにっ……ついに捕らえた……!


 歓喜に拳を握り締めていた。


 大幹部〈マーラ〉


 その名は、〈マンティコア〉に並ぶほど古い『バビロン』の財政を司る幹部の名前であり、今の『バビロン』が大陸規模にまで成長したのは、その力があったという。


 そして、ぼくは、今まさに『バビロン』の巨幕に手をかけたんだ……! 今なお、ぼくたちの全てを飲み込むような虚ろさを持ったこの男に……!


 「まず、物事は段階的に進めましょう……」


 オルギオーデはそういうと、緩やかに手を下ろし、執務机の引き出しを開けた。その仕草は緩慢なものであったが、ローレルと隊長は、ぼくを庇うように抜刀した。しかし、ぼくはオルギオーデに抗うつもりはないだろうということを半ば確信していた。


 「商人という立場上、あらゆる契約履行、事務は書類に残しておくもので……」


 そういってオルギオーデが取り出したのは以上な量の紙束だった。それらは整然とファイリングされており、それぞれにもインデックスがついている。オルギオーデが机に並べたものだけでも『バビロン』に関するもの『ギルド連盟』での契約ごと、他国との通称条約など、いわば、ぼくらがオルギオーデという人物に見る構成物の全てだった。


 そして、改めてオルギオーデが取り出したのは、まだ真新しい契約書であった。内容は、真実を話すというもの……


 「やはり、無料ただとは言え契約ですからねぇ……」


 オルギオーデはそうとだけ呟くと署名欄に驚くほど美しい筆跡でサインを書いた。契約、完了ということだろう。


 「メリル様の兄上はご存命ですよ」


 驚きと喜色がぼく等全体の中に伝わった。メリルの兄が生きているというのは、紛れもない、ぼく等にとっての希望になった。『バビロン』という、昏い夜にさした、一筋の光に!


 「ただし、『クリュプタ』という、檻の中で、ですがね……」


 そんなオルギオーデの……いや、〈マーラ〉の暗い愉悦のこもった笑みでも、ぼく等の希望を覆うことは出来なかった。そしてそれ以上に、ぼくは、自分の心臓が早鐘を打つのを抑え切れなかった。全身が熱い。希望が、期待が血潮のように全身をめぐっている。


 「……〈マーラ〉ぼくも、お前に問う」


 「何なりと、王子殿下……」


 本来ならば、こんな事は捕縛してから聞けばいいことかもしれない。それでも、ぼくは逸る気持ちを抑えきることが出来なかった。


 「〈コカトリス〉の正体は一体……――」


 誰なんだ――……と、ぼくは続けることが出来なかった。何故なら、そこには現れてはならないはずの人物がいたから……


 その女は紛れもなく夜を纏っていた。顔を覆い隠すパピヨンマスクは冴え渡る無慈悲なる月であり、遍く光を吸収し尚翻るのは、幾重に紗を重ねた闇そのものだった。そして、その手に持つ光は、“眠り”だった。オルギオーデマーラという裏切り者のもたらされる、永遠の眠り……


 「ほう……存外早かったな……」


 「感謝して欲しいわね……」


 漆黒の紅を塗った唇がオルギオーデの耳もとでささやいた。


 「あなた、踊らされてたのよ。あの方に……というよりもあの綿詰めの獣たちにかしら……? 今まで自分がシナリオを書いてきたつもりかも知れないけど、それだって全部あいつらの手のひらってことよ」


 そういうと、女は流れるような仕草で手に持った“眠り”……鋭すぎるナイフをオルギオーデののど笛に突きつけた。


 「ッ! や、やめろ!!」


 ぼくが叫ぶのと、そのぼくに真っ赤な、熱い液体が降り注いだのは、ほとんど同時だった。


 「……親同然のあなたにこんなことはしたくなかったのだけど……」


 黒に縁取られた女がなんと言ったのかは、カトレアのあげた悲鳴でかき消されてしまい。聞き取れなかった。


 ただ分かったのは、死に行くオルギオーデは、やはり虚ろな瞳で崩れ落ち、パピヨンマスクの女は、現れた時と同様、まるで闇に溶けいるごとく掻き消えたことだった。


これでようやっとマーラ編?はおしまいです。次からはウンディーネ編です。

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