小さき王子
あの日、『ギルド連盟』の実質上の盟主、オルギオーデ氏から話を聞いた僕は。一時的に王都へ戻り、王宮にある自室で資料を纏めていた。
この部屋はカトレアもリカステも入ったことのないとっておきの隠し部屋でもあり、父上や『貴族派』たちに見つからないようにするための、僕の秘密基地でもある。
そして、ここでいくつかの資料をまとめわかったことは、オルギオーデ氏の言っていたことは全て真実であるという事だった。
たしかに王家に逆らった人間の存在は表向きには消されていたが、調べればすぐに出てきた。いわば、公然の真実というものだったのかもしれない。
そしてさらに、オルギオーデ氏の言っていた、元々はプルシエ教会の司祭に過ぎなかったという現在の大司教貎下の裏には火燐のオークと鬼斬りのプラム……大陸の中にあって生ける伝説とも称される二人の傭兵の働きがあったこともわかった。
……そう、ラークさんやグレイプさん、それに、ケールくん……彼等は、もしかしたら知っていたのかも知れない。23年前の、あの混乱期に自分達の父親がどんなことをしていたのか……
それは、当然僕の父上……イスリア王国の頂点に君臨する国王陛下も同じことだった。
僕は手元の資料をもう一度みた。23年前に立身したものや成功を収めた者たちのリストだ。そこには名だたる名士たちの名が連なっていた。
それこそ、オルギオーデ氏をはじめ、現国王、ウリム大聖堂・大司教、火燐のオークを筆頭とした傭兵達……そして、『貴族派』。
「……これじゃあ、このイスリアはまるで23年前の戦争が作ったようなものじゃないか……」
『ギルド連盟』を今の規模まで成長させてオルギオーデ氏が大量のカネを作り、『貴族派』を援助する、そうして活動した『貴族派』が『学院』へ寄付金を贈り、有能な人物を自分達の下へつかせる。『ギルド連盟』もその点で同じだ。つまり、23年前から、この国の優秀な人材は『貴族派』のほうへ流れるようにできていたんだ……
唯一の救いはかの『大聖堂』の大司教貎下が『王党派』であると明言していることだろう。『学院』も今の学院長に変わって、徐々に王室に有利なように動いてくれている。
でも、この資料には根本的なことが欠けていることに、僕は嘆息を隠せないで居た。あれから、王宮内のみとは言え駈けずり回ってあつめたこの資料にも、なぜ、23年前の戦争が起こったかは記されていないのだ。
そう、現在のイスリア、及びその経済を支える学術都市・ウリムに甚大な影響を与えておきながら、戦争の直接的な原因はわからなかったのだ。
たしかに、カテンとケトケイ間の戦いは直接はイスリアに関わりのないことだったかも知れないが、一国が滅ぶような出来事の、その原因が残されていないのは明らかに不自然だ。
「隠蔽……か」
『貴族派』がそんなことをする必要はない。そもそも、当時に歴史を改竄させるほどの力を持っていたとは思えない。
……となれば、これは『王党派』、究極的には父上による隠蔽という事だろう。
僕は長いため息をついてイスに体重を預けた。目を閉じれば心地よい気だるさを感じるが、ずっとこうしてもいられない。
『学院』では今頃ローレルたちが僕と同じように当時のことを調べてくれているはずだし、それに、これから来客の予定があるのだ。
学生のリーフでなく、王位継承権第一位としての、来客が。
その男は約束の時間に少し遅れてやってきた。この国では多少過ぎてから参上することが礼儀とされているため、僕はそれに鷹揚に応じる。ローレルとケールくんが口をそろえて言う「5分前行動」がむしろ僕にはわからなかった。田舎で生まれ育ったローレルだけならまだわからなくないけど、ケールくんは王都とも遜色のない文化水準であるウリムで育っているはずだ。いったい、なにが彼等を「5分前行動」なんていう奇行にかりたてるんだろうか?
僕は、男にソファに腰掛けるように勧めると、ゆっくりと体を綿の中に沈めた。ここは僕に与えられた離宮のなかで最も格式の高い応接室だ。つまり、それだけ、この来客には思い意味がある……
男は小さな灰色の目で部屋のぐるりを見渡したかと思うと、今度は静かに口を開いた。
「王子殿下、この度はお招きいただき、光栄でございます。自然におかれた調度品もゆかしいもので……殿下の清廉な人柄がしのばれますな」
男は形式に則った挨拶を済ませると断りなく紅茶に口をつけた。
つまり、今僕は、舐められている。王子を相手にしても、決して態度を崩すことはない……これが、大陸屈指の資産家のやり方か……
ぼくは改めて相対する男の評価を改めた。悠然と紅茶の香りを楽しむ、『ギルド連盟』の№2に対する……
「こちらこそ、急なお誘いにも関わらず応じてくださり感謝いたします」
そしてぼくは、思い切りって告げることにした。
「単刀直入に言います。ぼくはあなたに『ギルド連盟』の盟主になって欲しい」
「……それは、わたくし個人に……でしょうか、それともオルギオーデ氏以外の人間、という事でしょうか?」
僕は一瞬だけ言葉に詰まった。が、すでに男は僕が何を言おうとしているか察して、その上で僕自身の口から語らせるつもりなのだということに気がついた。
「……後者です……ついでに言えば、貴方はどちらかといえば『王党派』だ」
男はなれた所作でカップを置いた。白いものの混じり始めた口ひげがわずかに膨らむ。
「たしかに……オルギオーデのやっていることは目に余ります……あれはもはや目的のために儲けているのでなく、儲けることが目的になっていますからな」
それに、と男は続けた。
「『貴族派』に対する投資もはっきり言って無駄でしょうな。10年前なら多少政治理念という意味では有用だったかもしれませんが、今でははっきり言って国を徒に混乱させているだけでしょう」
男もオルギオーデにたいして思うことはあったのか、ソファに深く身を沈めたまま、淡々と言葉を吐き出した。
「しかし……イスリアの大陸での経済的優位を維持しているのはオルギオーデの存在、そのものといえるでしょうな。それとあとは『バビロン』でしょうか……殿下はそのどちらも排斥なさるといいますが……はたして、いったいどちらがこの国のためになるやら……」
男が応接室を辞したあとも、僕はそこから動けなかった。部屋の入り口で掃除にきた侍女が迷惑そうな視線をおくってくるが、それも気にならないほど僕の精神は磨耗していた。
他国に対する、経済的優位をとるか、国内での政治的安定をとるか……
オルギオーデをめぐる問題は、つまりこういうことだったのだ。
僕は、何もわかっていなかったと言うしかなかった。オルギオーデを排斥すれば、たしかに国内の情勢は安定するだろう。でも、『ギルド連盟』の力が大きく落ちるということは多くの民が飢える可能性があるということだ。
……一国の雇用と糧秣が一人の商人の手に、間接的とはいえ握られていたなんて……
血の味が、口の中に広がることで初めて、僕は自分が歯を食いしばっていることに気がついた。
もしも、このまま『バビロン』をも取り潰せば、国力は酷く落ちることだろう。他国への経済的優位も失えば、臣民が糊口をしのぐことさえ、苦しくなるかも知れない。
けど……それでも!
「無辜の命を食い物にしてまで、生きたくなんか……ない!」
僕がようやく起き上がったのは暖炉の火もすっかり消えてからだった。明日はウリムへ……仲間たちのもとへ返らなくてはならない。
僕は、血の味のする唇をなめて、決意を改めた。