明星の女神
その日、ケールはうなだれていた。時刻は昼下がり、本来ならば夏の爽やかな(しかしこの世界では病魔を呼ぶという)日差しが燦々と降り注ぐ季節だろう。
……晴れならば……
ケールは再び暗雲に閉じる空を見上げ、そして諦めたようにため息をついた。そんなケールを慰めるように、リィエンが彼の背中をさする。
「はぁ……」
「そう落ち込まないで? たしかにちょっと……ううん、とっても変なお天気だけど……」
空にはオーロラが掛かっていた。
なんで、オーロラなんかかかってるかなぁ? よう、突然の超常現象に頭を悩ますケールだ。しかし……
俺には、なんとなくだが心辺りがある。そう、みんな大好き〈マンティコア〉だ。こんな不思議現象を起こせるやつはあのマッドサイエンティストくらいなもんだ。
そんな〈マンティコア〉の秘密研究室に突入したのが三日前。ローレルもラーク兄も後遺症や南下は残らずに済んだらしく、今では元気に動いている。
……問題があったのは捉えられていたリィエンのほうだ。話を聞いたところによると、なんとムカデに人間の顔のついた魔物に遭遇したらしい。そうでなくともカプセル漬けになっていたんだ。どう考えたってトラウマだ。
……全部俺の蒔いた種ということが本当に申し訳ない。
そんなこともあって若干ふさぎこんでいたリィエンを元気付けようと俺は午後の授業をサボってリィエンを連れ出したのだ。とんだ風紀委員だ。
と、まぁ最初は順調だった。渋るリィエンを半ば無理やり連れ出して、学院の中庭なんかを回っていた。グリーンセラピーを期待してのことだったが、どうにも会話がないのが気まずくて、仕方なくあの後の話をしたりした。
というのも、あの後リーフがスイカさんか師匠に話したのか国王直属の騎士団があの『クリュプタ』の研究所を捜査したのだという事を聞いたからだ。
しかし、結果は何も出てこなかったという。〈マンティコア〉の正体に連なる情報や『バビロン』のことはおろか、何の研究をしていたのかすらわからなかったという。
〈マンティコア〉の研究……か。あの膨大な魔物の数に、『生命の源』への威容な執着を考えると、やつの……『クリュプタ』の研究はおそらく……
「ケールくん、大丈夫?」
と、俺がさっきから顔を顰めていたのがばれてしまったのか、リィエンが心配そうに覗き込んできた。おっといかんいかん、元気付けようと思ってたのに逆に心配されてしまうとは。
俺は内心で再びため息をついた。たしかにリィエンは3日前に比べれば大分元気を取り戻したようだが、ふとしたときに何かに怯えたような表情をする。そうなる遠因に俺があると思うと、本当に胸が痛む。
で、今俺たちがどこにいるかと言うと俺のお気に入りスポットだ。学院の中庭にある木のなかでも一際大きな木は根元が大きく割れて、中に人が入れるような空間がある。広いわけではないが俺とリィエンが入っても余裕がある。ここ最近はこの中で時間をつぶしている。
なんとなく、この大木の力強さに支えられる気がするのだ。それをリィエンにも感じてもらおうとここへつれてきたわけだが……
「オーロラなぁ……」
揺らめく光りの幕を見上げながら俺は呟いた。せめて昨日か明日に出てくれればいいものを……
「わたし……初めて見たわ……」
俺もだよ。前世でだって見てないよ。
今頃リーフやローレルは騒いでいることだろう。いや、案外『バビロン』だと思わずはしゃぐかも知れない。
「ケールくん……」
「ん?」
「……あの時は助けてくれてありがとう」
俺が、返事をしようと隣に座るリィエンへ振り返ろうとしたその時――
頬に、暖かく柔らかいなにかが触れた――
「っえ……――!?」
俺が、その感触の正体を問おうとするより先にいつのまにかリィエンは木の虚を飛び出して、不自然なオーロラを背に、俺に満面の笑みを浮かべていた。
「それに、今も元気付けようとしてくれてたんだよね? 本当にありがとう……! でも、もう大丈夫だよ!」
リィエンはそれからも二言三言続けていたが、俺はどうしても頭の中に入らなかった。
え、今のは、まさか……もしかして……!
俺は、いつの間にか駆け出して言ってしまったリィエンの背中と、ぼんやりと空に掛かるオーロラを漫然と見上げることしかできなかった。