朱染むる騎士
そこかしこで血しぶきが舞う。時折血煙のなかに翻るのは獅子や虎、熊のような猛獣の顔をしたものから魚や蛙、果ては蛆虫のような虫の頭をつけた、時に人型で時には獣のような、とにかく形容できないおぞましい魔物の姿だった。
俺はそんな〈マンティコア〉によりむりやり生み出されたやるせない生き物未満の者たちを魔力や時に杖をふるうことで何とかわが身を守っていた。
「ちくしょう、キリがねぇ」
もはや顔のみならず体中をべっとりと血糊に浸したローレルがその前髪から滴る魔物どもの体液を鬱陶しそうに払った。その凄惨たる姿はしかし、血まみれという悲劇性を持つがゆえに英雄的であった。
岩窟をさらにくりぬいたような研究室の床はすでに目を覆うほどに血みどろになり、今やこの空間において朱に染まらぬものは何者もいなかった。鼻がおかしくなりそうな臭いが充満ほどの殺戮の後だというのに、それでもなお、〈マンティコア〉の生み出した魔物の数は一向に減ることなく、ますます数を増やすほどにすら感じられた。
「おいケール……なんかこういう時に敵をちゃっと片付けられるようなすげぇ魔法とかねぇのかよ」
とやはり顔中を赤く染め上げて目ばかりが獰猛に白い光りを放っているラーク兄が本気とも冗談ともつかない軽口をついてくるが、その体を覆う緊張感はそのままであり、やはり父さんの子なのだと思う。
「そんなのあったら、とっくに使ってるよ……」
俺もにじり寄る魔物から目を離さないようにヴァナルガンドを握り締める。たといそんな魔術があったとしても、おれ程度の魔力量では到底使うことはできないだろう。
しかし、俺は内心の無力感を押し隠し、杖を振りかぶった。空を切るように小気味よく跳ね上がるヴァナルガンド。俺の目の前にいた魔物も、つられてその銀の狼を振り仰ぐ。そして、杖の頭が頂点に達したその瞬間、俺は位置エネルギーまま、手荷物金属の塊を振り下ろした。
腐った果実が地面に落ちるような湿った音と、腕タマゴを押しつぶすような柔らかい感触が手に伝わる。こいつ等は脆い。
一刀に切り伏せれば、粘土を切りつけたように崩れ落ち、殴れば今のように、タマゴの如く簡単にひしゃげる。こいつ等には生命体として、決定的になにかが未熟なのだろう。そもそも生命ですらないのかも知れない。
俺たちがこうして魔物をしらみのようにつぶしていく中であっても〈マンティコア〉は俺たちに背を向け、ただひたすらに、あの大きな筒、その中に捉えられているリィエンに向かい合っていた。
その距離はあと数歩踏み出せばすぐだというのに、相変わらず魔物の数が邪魔をして……なんて、遠いんだ……
場を埋め尽くすが如く湧く魔物の数に思わず絶望しかけたその時、俺の目の前に入た魔物の頭が、消えうせた。
「え……?」
そして、その減少は俺と対峙していたやつだけではなかったようだ。隣からリーフの気の抜けたような声が聞こえてきた。そして、その驚きは連鎖し、気がついたときには、俺たちの周囲の魔物すべては頭が吹き飛び、血しぶきを撒き散らし、思い思いのほうへと倒れ、その肢体は折り重なった。
「な……一体、なにが……?」
リーフが隠し切れない困惑を声に滲ませ辺りを見渡した。それは他の俺たちすべての困惑を代弁するものだった。
頭より先がなくなった魔物たちの肢体は己の血溜まりの中に臥せてピクリとも動かなくなってしまった。
そしてその謎の答えは何の前触れもなく現れた。白刃の煌きと、ラーク兄が切りつけられ、飛ぶ血煙とともに。
「がッ……!?」
「っラーク兄!?」
甲高い金属を切りつけるような不快な音がしたかと思うと同時に、ラーク兄のうめき声が聞こえた。そして遅れてラーク兄が身に着けていたはずの胸当てが、床の夥しい血の池の中に沈んだ。
ラーク兄は切りつけられていた。今、最も見たくない相手によって――
「……雑魚ども相手にここまで時間を食ってたんじゃ、オレの見込み違いか……?」
そいつは今日も仮面と鎧を纏っていた。その色は漆黒。胸を切りつけられたラーク兄が崩れ落ちる。そいつが剣に着いた血糊を振り払う。陰に溶け込むような闇色の臑当の元に苦悶に強張った表情のラーク兄の顔が臥す。
そいつは、黒騎士だった。