偽りの母胎
おれたちがたどりついたのは小さな礼拝堂だった。ウリムがかつて城砦都市として扱われていたときの名残であろうか、頑丈な建物で、かなり古くなっているとは言え魔力防壁も張られている。
そして、ヴァナルガンドが放った光りはそんな礼拝堂の朽ちた床板を指し示し、そして消えた。
他の場所には埃やねずみどもの糞がうずたかくつもっているのみ対して、その床板は四角く切り取られたように真新しい槙の木目がのぞいていた。
石造りのガラスのない礼拝堂は、小さな窓だけが外の光りを差し入れるための窓であり、そのため中は陰気に腐ったような臭いの立ちこめる空間となっている。
「行こう」
ラーク兄が軋む板に一歩踏み出すと、ヴァナルガンドが示した真白の板に手をかけた。腰に帯びた剣が鳴ることだけが、この腐臭に満ちた礼拝堂に生ずる唯一の音だった。
破壊の杖の示した槙の戸は、舞う埃をのこして拍子抜けするほどあっさりと開かれた。ぽっかりと地下へ続く深淵の口がそこにはあった。俺は自信も意識しないうちに唾を飲んだ。
現れた暗闇の淵からまるで肉の腐ったような香りがするようだ。死の香りだろうか。濃密で邪悪な魔力の気配が、そこから感じられた。
「……行こう」
再び動いたのはラーク兄だった。ブーツが闇に飲まれると同時に、腿、腹とゆっくりと邪悪の塊に喰われるように融けていく。そして、ラーク兄の胸当ての銀の煌きがさっと翻ると同時にラーク兄は穴の中へともぐっていった。
「じゃあ……」
「まて、俺が行く」
袖で鼻を覆うローレルが穴へ向かおうとするのを俺は制した。魔力を持たない二人が先へ行っても暗闇を照らすものがない。そもそも俺が真っ先に降りるべきだったんだ。
穴を覗き込むとそこは夜の海のように先を見通せない、底知れない恐怖がそこにあった。まるで手招きするように、それでいて拒むが如く、俺の存在を穴は飲み込もうとしていた。
「っ……――」
足を穴のうち側の岩にかけながら、俺はゆっくりと降下していった。思っていた以上に深く、乾いた岩肌は下へ進むにつれて脆く、崩れやすくなっていく。やはりこの地下道は自然にできたものではない。が、かといってつい最近の者でもないだろう。
そんなことを考えていると、ついに暗闇のうちに確かな地面の感触を足の裏に確かめた。俺がようやく安心できると思い一息つくと、姿なきラーク兄の声だけが俺を僅かに驚かせた。
「……もしかしてケールか……?」
「にいちゃん……?」
ヴァナルガンドへ僅かに魔力を流すと、意を汲んだ杖が仄かな光を発した。塗りつぶされたような闇の中で頼りない光りだが、それでも互いの姿を確認するのは十分だった。
照らされたラーク兄は僅かに域を乱しており、顔は返り血だろうか朱に染まっていた。そして、ラーク兄自身も腕を朱に染めていた。
「っ兄ちゃん! 血が……!」
「いや、かすり傷だ……ここについた瞬間にこいつに襲われてな」
そういいながら顎で自らの足元を指し示すと、たしかにそこには犬ほどの大きさの、この世界には本来存在しえない異形の生き物の死体があった。
それはねずみと甲虫を無理やりつなぎ合わせたようなグロテスクな容子で、一閃で事切れたのだろう、魔物の死骸であった。
「……やっぱり、この先に……」
〈マンティコア〉が……!
そのうちにローレルとリーフも降りてきて、俺たちは先に進んだ。地下道はさらに北へ進んでおり、徐々に上へと上っているようであった。
「ここが……ここが、魔力の発生地」
俺たちはついにこれまで感じてきた邪悪な魔力の発生源にまでたどり着いた。そこは石造りの戸があり、その先にこの魔力の持ち主、〈マンティコア〉がいるのだろう。
俺たちは、戸をあけた。
一瞬、閃く光に目がくらんだ。数秒してなれた目に、改めて飛び込んだ光景に俺は吐き気を覚えた。
そこは決して広い空間ではなかった。しかし、そのうえで所狭しと並べられた円筒状のカプセルが空間をより狭くしていた。
その巨大な円筒状カプセルの中には一つ一つに先ほどの異形のねずみのようなおぞましい生き物が入れられており、胎児のように体をまるめ、おのおのごとにその体は拍動していた。
その、借物の子宮のうち、部屋の中央に据えられた一際大きなカプセルのなかに、彼女はいた。
「――……ッリィエン!!」
擬似的な羊水にみたされた筒のなかで、彼女は蒼白な肌を生まれたままの姿でさらし、眠っていた。
「……これは、これは、招かれざる客とはこのことか」
オフィーリアの如く沈むリィエンい気をとられていた俺たちは、その円筒の元に立つ小柄な老人に気がつかなかった。
老人は、あの見慣れた、醜悪な笑顔でおれたちへ振り返った。
「ごきげんよう若者たちよ。わが名は〈マンティコア〉。『バビロン』の幹部が内にして『クリュプタ』の指導者だ」
俺たち一人ひとりをなめるように見ながら自己紹介をする〈マンティコア〉。その目が俺へと留まったとき、やつは小さく目を見開くと、再びあの醜く、邪悪な微笑みを顔に貼り付けた。
「……てめぇ、リィエンに何してやがる……!」
ローレルの激した声が、静かに聞こえる、がその静けさこそ、この死に満ちた空間において何よりも雄弁に怒りを語るものだった。
「殺しました。なんて言ってみろ……その時は、オレが弟たちに代わって、貴様を……殺すっ!」
「……悪いが、わたしは忙しい身でな……――お前たち、客人の相手をして差し上げなさい」
ラーク兄が言うか言い終わらないかの内に〈マンティコア〉は背を向けた。その瞬間――
電子音ともつかない警笛が鳴り響いたと同時に、それぞれのカプセルは小さく振動し始めた。そのだんだん強くなる振動に次々に表面には亀裂が走り、ついに甲高い音を立ててガラスは砕け散った。
あふれ出た羊水からは蒸気が噴出し、俺たちの視界は一瞬、白にさえぎられた。そして――
それが晴れたとき、俺たちが目にしたのは、立ちはだかる大量の魔物の姿だった。