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暗黒の使い


 この日ケールは暁をすかして降る小雨を眺めているうちに、誰かが部屋の戸を叩く音に気がついた。時間はまだ授業が始まるずっと前だ。東の空がようやく曙光を伴うこんな時間に一体誰だろうと眉を吊り上げた。


 リコルたちは未だに〈マンティコア〉に張り付いているだろうし、彼らであれば主人に気を使ってこんな時間にノックはしない。いつの間にか布団に入り込んでいるのがあのぬいぐるみどもなのだ。


 では一体誰が、とケールが首をひねる間にも、控えめな音は間断なくつづく。折も折と思いケールの顔色は悪くなる。


 「……まさか、幽霊――」


 「……おい、ケール。バカ言ってないで入れてくれ……!」


 戸の外から聞こえたのは紛れも無くローレルの声だった。今度こそ一体何事かと訝しく思いながらケールは部屋のお戸を開くと、そこには寝巻きの上に剣を帯びた姿のローレルがいた。


 「どうしたんだよ、その格好」


 この世界になじんだ者にはおかしみのある滑稽な格好に、ケールは思わず口元がひきつく。笑うのをこらえようとするが、ローレルから放たれた言葉でその必要はなくなってしまった。


 「『バビロン』のやつ……〈ドラゴン〉ってやつがリーフを狙ってた……」


 ローレルの真剣そのものの表情に、ケールはゆっくりと笑みを抑えた。数秒せぬうちに、いつも以上にむつかしそうな表情を浮かべたケールがいた。


 「……そのことをリーフは?」


 「知らないはずだ。一応、朝があけるまでアイツの部屋の前で張ってたけどあれ以来誰も来なかった」


 「そうか……ところで、〈ドラゴン〉といえば、『バビロン』で最も強いやつって聞くけど、大丈夫だったのか……?」


 ケールはローレルが浮かべる以上に峻厳な表情のまま寝台に腰を下ろした。顎下に指を運び尚むつかしそうな顔を崩さなかった。


 「……どうして〈ドラゴン〉が、『学院』に入ることができたんだ……?」


 「ああ……別に戦ったわけじゃあないからな……ただ……あいつ、まるで内通者がいるようなこと言ってたんだ。それに、変なことも……――」


 「変なこと?」


 ケールはいつものローレルらしくない言葉の濁し方に思わず顔を上げる。ローレルのその表情は言おうか言おまいか迷っているような表情だった。


 「……ケトケイの王女さまを探してるって……自分の、妹を……」


 ローレル躊躇いがちに言ったその言葉に思わず目をむくケール。朝方の早すぎる時刻にはふさわしくないほどの大きな声を出してしまった。


 「それは本当かッ――?」


 「あ、ああ……たしかにそう言ってたけど……」


 ケールの思わぬ剣幕にのけぞるローレル。外でも平和に木の葉をついばんでいた小鳥たちが一斉に飛び立ってしまうが、ケールはそれにもかまわず尚もローレルに詰め寄った。


 「……ほんとうに、妹を探してる、って、そう言ったのか?」


 「そうだよ、たしかにそう言ってた」


 ローレルが真っ直ぐにケールの目をみて言うのに、ケールはようやく落ち着いたように、長く息を吐き出した。


 「まずいな……」


 「どうしてだ?」


 「ケトケイが滅んで以来、かつてのケトケイ国領を占有しているのはどこか知っているか?」


 ケールがどこか疲れたように言った言葉にローレルは眉を顰めた。馬鹿にされていると感じたのだろう。


 「カテンだろ? 23年前の戦争は試験にも出たからよく覚えてるつもりだぜ?」


 「じゃあ、イスリア王国代々が受け継いできた髪と目の色が、それぞれ灼熱を思わす赤色だって、ことは知ってるか?」


 ケールの言葉に驚いたように首を振るローレル。昨日の男は確かに炎のような髪色をしていたことは未だに鮮明に覚えているのだろう。


 「もしも、ローレルの見た男が本当に〈ドラゴン〉で、本当にケトケイの王子であったなら……ケトケイのレジスタンスは一斉に決起するだろうな」


 「おい! それってどういう事だよ……!」


 「まず、〈ドラゴン〉はフツクエの王家に保護されるだろうな……そうすれば、いつ脅威になるかわからないカテン国に攻撃できる大儀ができる」


 「でもあいつは『バビロン』なんだぞ……! そんなやつを保護するなんて!」


 「フツクエはケトケイのレジスタンスを後ろから支援すればいい。そのあとに〈ドラゴン〉を王に擁立すればカテンからの風除け国家、ケトケイの復活だ。今ほど国防費を払わなくて済むようになれば、〈ドラゴン〉が『バビロン』だなんて関係ないさ」


 諭すようなケールの言葉に、思わず頭を掻き毟るローレル。ケールはそんな英雄たる者の姿に憐憫のまなざしを送った。


 「……でも……でも、あいつは、リーフを……この国の王子を殺そうとしたんだぜ……?」


 「……だが、殺さなかった……もしも〈ドラゴン〉が噂通りの男ならきっと、ローレルに気がつかれる前に、暗殺できていただろうし……それに……」


 今度はケールがためらう番であった。ケールは拳を強く握り、何かをこらえるように硬く目を瞑った。力を込めすぎた余り白くなった右の拳に人差し指には、蛇の尾を持つ雄鶏の印象の指輪が光る。


 「『貴族派』の存在がある……」


 「どういう、ことだ?」


 「もしも……仮に『バビロン』と『貴族派』に繋がりがあれば、リーフを暗殺する動機にはなるし、次期王を貴族派から輩出すれば、フツクエと改めて同盟を結ぶことになると、思う……」


 ケールはゆっくりと瞼を開くが、その鳶色の瞳には深い懊悩が浮かんでいた。


 「今はまだ、リーフは殺せないだろう。今殺せば、イスリアは報復せざる得なくなるから、そうなればフツクエだって大逆人は保護できない。だから、多分『貴族派』の地盤を固めてる時期なんだと思う……」


 「じゃあ、昨日〈ドラゴン〉のやつがリーフを殺さなかったのは、計画のうちってことかよ……」


 ローレルの、地の底から搾り出すような声に、ケールは俯いてしまう。もしも、今顔を上げれば、聞こえてきそうなほどの歯軋りによって涙をこらえるローレルの姿を直視することになるからだ。


 「……ごめん……」


 「なんでお前が……! ケールが謝るんだよ……! オレがむかついてんのは、『バビロン』で、『貴族派』で〈ドラゴン〉で……――ああッ! ちくしょう! もう訳わかんねぇ……! なによりむかつくのが、そんなこと気がつかないで、『バビロン』の野郎を追っ払ったって浮れてた自分てめぇになんだよ……!」


 気がつけば、朝は世界に広がり、うす雲を透かして青空が天蓋を覆っていた。朝焼けがローレルの行き場の無い怒りに満ちた横顔を照らす。


 「……オレは、リーフを守りたい……そのためなら『バビロン』も『貴族派』もぶっ潰してやるつもりだ……!」


 硬く、強い意志を持った瞳がケールを射抜いた。太陽の産声たる黄金の光に満ちたローレルのその姿はまさに光の者の名にふさわしい姿だった。


 「だから、たのむ……! オレに、力を貸してくれ……! ケールっ……!」


 ケールは思わず、その姿に頷いていた。







 「……これはこれは、朝早くに珍しいお客様が……」


 時を同じくして、ウリムの中央通り、今や『ギルド連盟』によってこの大陸の経済の中心となったその商館に、三人の男が集まっていた。


 「オルギオーデに……貴様もいたのか〈マンティコア〉……」


 「その顔では王子の暗殺は失敗したようだな……それともあえてか……?」


 部屋にいたのは、そこそこふくよかな腹を持つ男と、黄金の獅子を象った仮面をつけた、しわがれた声の老人だった。


 「ふん……オレのことはどうでもいい……それよりオルギオーデ、『貴族派』への工作はどうなっている……?」


 〈ドラゴン〉が〈マンティコア〉の言葉をかるくあしらうと、今度はふくよかな腹を持つ男……この大陸の金融経済の裏の支配者にして、大陸の遍く情報を集める男、オルギオーデに向き直った。


 「ええ……仕掛けは上々……『貴族派』は〈ウンディーネ〉様が纏めてくださっております故……」


 オルギオーデの、不愉快な声に一瞬眉を顰めると〈ドラゴン〉は目をそらした。オルギオーデの眼はどこまでも濁っており、話し相手の自分自身すらその泥眼のなかにのまれる錯覚を起こしたためだ。


 「……そうか……〈マンティコア〉……貴様はなぜここに……生命の源はどうなっている?」


 「ほお……〈ドラゴン〉お前が〈クリュプタ〉の研究に口を挟むとはな……ふん、どうもこうもない……生命の源はあれ以来、扉も発見できん状態だ。それよりも……」


 〈マンティコア〉の黄金の獅子を象った仮面はゆっくりとオルギオーデのほうへと向く。それに対して心得たといわんばかりの鼻持ちなら無い笑顔を浮かべた商人にたいし、〈ドラゴン〉はやはり眉を顰めた。


 「ええ、やはり、噂は本物でした。間違いありません……


 ――カリファの巫女が、ウリムへ向かってきております……」


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