黒騎士
「ッぐ……!」
俺は急に増したような痛みについに膝をついてしまった。今になって痛覚が生き返ったらしい。なんというタイミングの悪さ。
一方、店のど真ん中に陣取り、めちゃくちゃになった店を眺める黒騎士。なんという文様かはわからないが、華美な装飾の施された豪華な鎧だ。色彩の一切が黒でなければ高貴さすら持ったことだろう。
俺は痛む背を庇いながらそいつを観察してやった。
さらにそいつは人の顔をかたどった生気のない仮面を被っていた。瞳すら見ることがかなわず、視線がどこへ向いているかも不明瞭だ。
が……こいつ、明らかにヤバイ気配を纏っている。こんなに濁りきった魔力は〈マンティコア〉以外に見たことがない。
「……てめえ、何モンだ……?」
ローレルはさっきと同じ言葉を今度はゆっくりと繰り返した。しかし、その緊張感はさっきの比ではなく、空気が肌をさすように痛い。
「ケール! 大丈夫か!!」
と、師匠と、ついでにリーフがオレを心配したんだろう。慌てて寄って来てくれる。
「くっ……師匠……リーフ、あいつは一体……?」
「……わからん。だが、今はお前の傷を癒すのが先だ」
「ぼくも手伝います!」
師匠が魔術をかけている間に、リーフは俺の背に刺さった木片を抜いてくれる。師匠の魔術のおかげか、伝わる痛みは鈍い。
「……く、ここまでか」
「どうして!? まだこいつのケガ、全然なおってないわよ!」
師匠が額にかいた汗をぬぐって言ったことにオリーブは噛み付いた。
「オリーブ……魔術は万能なものじゃないんだ……痛みがここまで引いたのも儲けものだ……!」
俺はさっきまで背を苛んでいた痛みが消えたことでふらつきながらも立ち上がることが出来た。
「そんなことより、お前は師匠を連れてここから逃げろ!」
俺はなるべく黒騎士には聞こえないように言う。が……
「……さっきので、腰が抜けて動けないのよ……!」
ッく……こんなときに……!
しかしまずいな……あの何者かはわからないが黒騎士とローレルはすでに一触即発だ。だが……たしかローレルのやつ魔術は苦手のはずだ……対して黒騎士は師匠でも直前にしか気づけないほどの高度な魔術を使った。
「せめて破壊の杖があればな……」
俺の魔術は実際あれに依存しているところが大きいのだが今頃は『学院』でリコルに磨かれている頃合だ。
俺たちがなにも出来ずただ中央の黒騎士を眺めていたとき、ついにこの乱入者が口を開いた。
「……魔術師クラウドはどこに居る……?」
それは仮面越しでくぐもっていたが、たしかに若い男の声だった。
師匠……だと?
「オレは……『バビロン』が〈マンティコア〉より密命を受けその男の命を頂戴しに来た。隠し立てすると為にならんぞ……?」
すると黒騎士は腰に帯びた細身の剣を引き抜き、切っ先をローレルへと向けた。剣すら夜の海のように不吉な黒色をして、油を塗ったように照る抜き身の刃は緊迫したローレルの顔を映している。
〈マンティコア〉め……余計なことを!
これは一刻の猶予も無いらしいな。
「レオン……今すぐ『学院』へ戻って俺の杖をとってこい……それと、師匠も一緒に外へつれだしてくれ」
「……御意に!」
俺の忠ぬいぐるみレオンはすぐに俺の意を汲んでくれたのだろう。しかし、これはまた厄介なことになった。
レオンと師匠が首尾よく店の外へ出ると同時に店内にも新たな動きがあった。
「……悪いが……みすみす人は殺させねぇよ。それがこんな理不尽な理由で……ましておまえたち『バビロン』にはな!!」
「よほど、死に急ぐと見える。が、先刻承知の通り、オレは一切容赦するつもりはない……心せよ」
と、言うが早いが騎士は旋風の如くローレルに切りかかった。あいつ! 身体強化してやがる!
一瞬でつめられた間合いにローレルは苦しいながらも何とか凶刃を避けることが出来た。もし反応するのがあと一瞬でも遅ければ、ローレルの喉笛は噴水と化していたことだろう。
しかし更なる猛攻は止まず、ローレルは何度も紙一重に漆黒の刃をかわす。
が、ついにそれも限界に来たようで壁際まで追い詰められてしまった。表情の無い黒騎士仮面が、その鋭い刃をふりあげたその瞬間。
「ローレル!! これを!」
いつの間に移動していたのだろう。奥の部屋からリーフの声が聞こえた瞬間、鞘に包まれたままの剣が投げられた。
あれは……いつもローレルが帯剣している……!
剣はゆっくりと上弦を描き、真っ直ぐローレルの元へと落ちていく。同時に黒騎士の刃は振り下ろされ、空気を裂きつつ、彼を真っ二つにしようと迫る。
ローレルが新たに剣の柄を握るのと、騎士の刃が振り切られたのは殆ど同時だった。
――刹那、甲高い、鋼が鋼を切りつけるような、耳がバカになるほどの甲高い音が響き、目がくらむような光が起きた。
いったい、何がどうなってる!?
「……ぎりぎり、間に合ったみたいだな」
強烈な光が収まると同時に聞こえてきたのはローレルの声だった。よかった……どうやら喋れる体のようだ。
鞘は騎士の一撃により粉砕されたのだろう。ただ、氷のように冴えた光を放つ一振りの刃があった。
ローレルはそれを横に構え黒騎士の攻撃をしのいだのだ。しかし、驚くべきことにあの鉄をもきりさかんばかりの黒騎士の攻撃に際して尚、彼の刃は刃こぼれ一つしていない。
「……持ち主の身分のわりに、随分な業物を持っているな、小僧」
俺は黒騎士の言葉に内心同意してしまった。たしかに、田舎の村出身のローレルには過ぎた一振りだろう。水晶を思わす刀身のなんと尊い。
「女友達から貰ったんだよ! 親友からな!」
今度はローレルが攻める番であった。さすが王室から奨学金を受け取るだけあって、その剣術の腕は確かだった。流麗な舞を見せるように、危なげなく黒騎士を攻めるローレル。一見押しているように見えるが……!
「おい! やばいぞ! そいつ魔力を練ってなにか……――」
俺が、言いかけた瞬間。黒騎士は体内で生成した魔力を爆発的に、全身まで送り込んだ。
なんだあれ!?
しかし、俺が忠告する間もなく、騎士は次なる動作をおこした。
それは、魔力を一瞬にして全身へめぐらすために起こる、ほんの刹那の強力すぎる身体強化だった。例えるならば、限界までに圧縮された、バネ。
「うッ!? ぐあぁ……あ!!」
「ローレル!?」
先ほどまでの黒騎士の剣撃が音速だったとすれば、今度の一撃はまさに光速だった。
しかしローレルはさすが『光の者』なのだろう。見事、その刹那の一撃に反応して、命を刈り取られずには済んだ……が。
下から切り上げられたのだろう、ローレルの剣は乾いた音をたててフローロの床に突き刺さった。
「ち……く、しょう」
ローレルは剣を打ち上げられた拍子に手首をやられたのか、庇ってしまっている。
「……オレに超身体強化を使わせたのは、貴様が二人目だ」
と、騎士は表情の読めない仮面をつけたままローレルへ一歩を踏み出す。
しかし、ローレルは汗みずくになり、手首は痛ましい紫色に腫上がりながらも、屹然と敵を睨み続けていた。
「……情けだ。一撃で殺してやろう」
再び騎士が剣を振り上げ、俺たちも今度こそはと思い目を背ける。リーフが喚く声すらあまりに遠い。
だが、今にもローレルを殺そうとしたその一瞬。
「よう……悪趣味な鎧きた騎士さんよ……人の弟のダチに何しようとしてんだ?」
再び、乱入者が現れた。
「ラーク……にぃ……なんで?」
いわずもがな、入り口に現れたのは俺の実の兄、ラークくんだった。
「こいつが教えてくれたんだよ」
と、真っ直ぐ俺の元まで来ると、肩に乗せていたぬいぐるみを俺の目の前に吊り下げた。
「うむ。我輩が案内したのだ」
それは俺の言葉どおりヴァナルガンドを持ったレオンだった。杖はレオンがあつかうには少し大きい程度に縮んでいる。あれ……? もしかして……?
「ケール、大丈夫か?」
どうやら俺の背中の傷に気がついたのだろう。ラークくんが痛ましそうに顔を歪める。
「……てめぇ……! ローレルだけじゃあなくてケールまで傷つけやがったな!!!」
ラークくんが言葉に怒気を込めると同時に、その体からは炎を思わす紅蓮の魔力が迸った。鳶色の髪が熱気に当てられた如く揺らめく。
「あーあ、ブラコンは切れるとこわいねぇ」
と、いつの間に来ていたのだろう。今度はグレイプ君が俺を気遣うように寄ってきてくれた。
「大丈夫か……?」
「なんとか……」
俺はレオンからヴァナルガンドを受け取ると、その杖は一瞬の光輝を放ち、見る見る俺の丈に合わせて伸びていった。
俺はふらつく脚をちょうどいい長さになった杖で支えると、何とか黒騎士に対峙した。
黒騎士は俺たち、ローレルを始め、ラーク、リーフ、グレイプ、そして俺を前にしても全く意に介した様子は無かった。
それから、激しい攻防が始まった。ラーク兄とローレルが前衛となって黒騎士と凌ぎを削る中、俺とリーフはせっせと魔術で彼らをサポートしていた。
そしてグレイプ兄は腰がぬけて動けないオリーブと頑として店から逃げないハンナさんを庇っていた。
四対一の戦いはそれでも一進一退だった。俺たちの魔術が功をなし、漸く黒騎士に当たろうと思えば黒騎士の魔術で霧散され、かといって、黒騎士がローレルに切りかかれば、それをラークがそれを守る、というどちらも決定打が与えられない状態だった。
が、やつは戦いなれている……もしもこのまま消耗戦が続けば、実戦の呼吸を持っているあいつのほうに勝機が向くだろう……黒騎士もそれがわかっているから、あえて俺たちをなぶるようにしているに違いない……
「ちくしょう……このままじゃジリ貧だな……」
「……ご主人、我輩に良い考えがあるぞ」
俺のなんでもない祈りのような言葉に答えたのはなんという事だろうレオンだった。神は俺を見捨てたか!!
「……一応聞こう」
「その間が気になるが……まぁ安心しろ。発案はリコルだ」
その言葉に少しだけ希望が見えたが、あのシニカルスマイリーの作戦がどこまで信用できるものだか……
「うむ。要は敵の盲点をつけばいいのだ。つまり予想を超えた攻撃。そのためには……――」
はぁーーーーー!?!? 絶対イヤだ! ぜっっっったいにイヤだ!
「だが、これしか方法はないぞ」
ぐ……たしかに、俺も妙案はないが……でも考えれば絶対にもっと良い案は出てくると思う……が!
俺は未だに鍔迫り合いを繰り広げる3人を見つめる。たしかに、黒騎士はあの二人を危なげなく捌いており、二人は翻弄されるままだ。
――しかたない……!
「う、おおぉぉぉぉ!!」
オレとローレル、そしてついでに黒騎士のやつは、オレの背後から急に上がった雄たけびに思わず攻撃の手を止め、そちらに振り返った。
すると、そこには……
「ば、ばか! ご主人! 叫んだら奇襲にならんぞ!!」
銀の狼の顔を象った杖を振り上げながらオレたちの方へと向かいくる弟の姿があった。
――っばか野郎!
狭い店内とは言え、黒騎士とケールの間にはそこそこな距離があり、奇襲もどきも完全に筒抜けだった。黒騎士はまさに歯牙にもかけぬといった感じで悠然とケールの攻撃を待ち構えた、その瞬間!
「伸びろ!! 破壊の杖!!」
ケールが叫ぶと同時に文字通り、ヴァナルガンドの白銀のロッド部分は光のような速さで伸び、翡翠の瞳をした狼の頭をオレとローレルの間の風を切りながら通り抜け、そして……
黒騎士の横っ面をぶん殴った。
「一か八かだったけど、上手くいったな……」
俺は、徐々に短くなるヴァナルガンドを再び支えとして黒騎士を見据えた。ヴァナルガンドは持ち主の体内にある魔力によってその大きさを変える。単純に身体にあわせて大きくなるわけではないということには気がついたのはまさに、さっきレオンが杖を持ってきてくれた時だ。ヴァナルガンドは魔力によってその大きさを変形させる……
「……なるほどねぇ……それで、第一物質を魔力に変換させて、杖を延長させたというわけねぇ」
突然、俺たちのものではない、しかし聞き覚えのある声が店の中に響き渡った。
その瞬間、急に床に光り輝く魔法円が現れたかと思うと、その中から滲み出るように翼が、鎌が……猿が生えてきた。
アイツは……!
「イラか……何しに来た」
「いやだねぇ、若旦那。〈マンティコア〉から与えられた保険だよ。あんたの仮面が割られたときにおれを召喚するように魔術を施してね」
現れたのは、10年まえのカリファでオレを助けた大猿だった。たしか名前は、イラ。
「てめぇ……魔物か!?」
そのイラに真っ先に反応したのは我が兄ラークだった。さすが、いい度胸してる。
「そうだねぇ……『バビロン』の生んだ魔物。その始祖……始まりの魔物とでも呼んで貰おうかな」
「『バビロン』が……魔物を作っただと?」
「おしゃべりはここまで! おれはこの負傷兵を連れて変える義務があるのでね!」
言うが早いが始まりの魔物、イラは現れたときと同じ魔法円を描くと、光と風を巻き起こし、消えた。
そして、その一瞬の中に垣間見えたのは――
俺の一撃でであろう、割られた仮面の一部から見えた……虚ろな空色の瞳を持つ、高貴な青年の顔立ちだった……――
「……まさか……まさか!!」
俺があってはならない可能性に気がつくと同時に、ハンナさんの血が出るほどの絶叫が聞こえた。
「いや……! いやぁぁぁあああ!!」
やはり、ハンナさんにも見えたのだ……あの黒騎士の正体は……
マルスくんだ……!