現れた悪魔
「いいわね! 今日もぜっっったい! 来なさいよ!!」
……言いたいことだけ言ってしまうとサイドテールに結った髪はくるりと背を向け、これまで握っていた俺の胸倉を解放した。
よう、ローレルがバイトに受かってから1週間、なぜか足しげくフローロに通いつめているケールだ。
「……これは、明日の試験勉強はフローロでやるしかないかな……」
と、一緒に肩を落とすのはリーフとローレルだ。どの道ローレルはフローロでバイトだろうが。
しかし、なぜこんなことになったかというと、ローレルのバイト二日目に話は遡る。
初日の働きぶりに満足した俺は、二日目からはもうそんなに行くつもりはなくなっていたゆえ、フローロへは行かず一人で勉強をしていたのだが……
その翌日のまさに朝一番。俺が寮からでたその出し抜けにさっきの調子で胸倉をつかまれてなぜ来なかったのかを問い詰められてしまったのだ。
以来、一週間、毎日のように俺の胸やネクタイをひっぱってはフローロへ来るようにいうのだ。
「……まぁ実際、ケールたちが来てくれることでオレも気は楽になるんだけどな」
と情けない笑顔を浮かべながらいうのはもちろんハンサムだという理由で採用された黒髪ローレルだ。
しかし……
「ところでお前たち……一体何しに来たんだ?」
今はお昼時、学生の連中は食堂でご飯を食べてるような時間ではないか。
俺は普段はこんな所に居ないだろう平民特待生と貴族の坊ちゃんに訳を尋ねた、
「中庭なんかに何のようなんだ?」
「それはお前も一緒だろ? って言うか、オレらは……」
「ケールくんたちと一緒にご飯たべよう、って、ローレルが」
はぁ? たしかに、俺は入学後一週間目にはこの学院の中庭にて一人でお弁当を食べていた。早朝のほんの僅かな時間と授業後は厨房を自由に使っていいのだ。
まぁ、この申し出はちょっと……うむ。ほんのちょっとうれしい。
が……
「お? ケール今日は友達も連れてきたのか?」
と、今度はリーフとは違った金髪が現れた。どこと無くワンコを彷彿とさせる美少年。我が家のご近所さんにしてラークお兄ちゃんの親友グレイプくんだ。
と、金髪ワンコは俺のそばまで寄ってきたかと思うと急に俺のあたまをわしわしと撫で回し始めた。やめろ! 俺はお前たちとちがって繊細なんだゾ! 首が折れちゃったらどうする!
グレイプくんはいつも運動部のめんどくさい先輩みたいに俺を見つけたらすぐにちょっかいをかけてくる。オリーブとはまた別の意味でめんどくさい人だ。
「ちょ、ちょっと! やめてください! ……そんなことより、ラーク兄は……?」
「あーラークはなぁ……補習だ」
なるほど。いつものことか。
「そんなことよりここ最近、フローロに入り浸ってるんだって? まさかあの新しいウェイトレスの子に懸想してるんじゃないだろうなぁ~」
と、これまたまさにめんどくさい質問がなげかけられた。足しげく通ってるのはそのウェイトレスから脅迫されてるからだ!
「ま、オレも今日当たり久々に行ってみるかな。ラークの追試が終わったらな」
……いつものことか……
と、いうわけでやってきたよ、フローロ。まぁ、半ば脅されてやってきているとは言え、店主のハンナさんは歓迎してくれているし、断る理由はないからな。それに、この店のコーヒーはおいしい。
「しかし、今日も我輩だけか」
「まぁあんな目にあえば来たくもなくなるだろう。お前たちがこのコーヒーを飲めれば、ここに来る理由としては十分なんだけどな」
今日もリコルはお留守番だ。その間に俺の破壊の杖を磨いといてくれるらしい。
まぁ飲んでも綿が汚れるだけだしな。俺の言葉に頷くのはテーブルの向かいに座るリーフだけだ。
「うんカリファから直接仕入れてるんだっけ? 王都でもここまでおいしいお店はなかなかないよ」
前に1度だけ行ったカリファは貿易が盛んだから海の向こうの国々とも積極的に交流している。その商品の一つがこのコーヒー豆で、ウリムはイスリア国の中で最もカリファに近い街なのでこうしたものが届くというわけだ。
俺がリーフの言葉に応えようとしたその時、俺たちのテーブルにぬっと現れた影があった。
ハンナさんだ。
「ケールくん! 今日はスペシャルゲストが着てくれたのよ!」
と、やけにうれしそうに言うハンナさん。綺麗に並んだ歯が弧を描き並んでいる。スペシャルゲスト?
俺が疑問に思うと同時にハンナさんの背中から現れたのは……
「し……師匠!!」
「ケール、息災か?」
そう。なぜハンナさんのほっそりとした姿に隠れられたのかわからない中年太りしたおじさん、我が師匠クラウドがそこに立っていた。
この10年俺は師匠から錬金術以外のことも様々に教えてもらってきた。まさに俺が誰よりも尊敬する恩師だ。
「今日はどうしてここに?」
「近いうちにウリムを発つことになってな……まぁ半年程度の予定だが」
それで『学院』にいる俺には手紙だけ書いて、ハンナさんには挨拶がてらコーヒーを飲みに着たらちょうど俺も居たということらしい。
しかし……
「大丈夫……なんですか?」
この10年の間に師匠はめっきり老け込んでしまった。果たして半年間の旅に老体はついてこられるのだろうか。
「なに、そう心配してくれるな。……アイツの妹が、13歳になるのでな……」
後半の言葉はハンナさんには聞こえないよう、俺にだけ聞こえるようにささやかれた。アイツ……が、さすのはもちろん……
「……そうですか……お気を……――」
つけて……と、言おうとした瞬間!
「なんだ!? この魔力は!」
いち早く気がついたのは師匠だった。遅れて俺も感知する。たしかに! 膨大で、どす黒い魔力が店のすぐ近くに……
と、思った瞬間、けたたましい魔力の暴風によって店の扉は無理やりに押し開かれ、蝶番ごと吹き飛ばされてしまった。
その恐ろしい勢いで破壊されたドアだったものは、真っ直ぐオリーブへと向かっていき……――!
「あぶねぇ!」
俺にはその瞬間がスローモーションのように思われた。
聴覚は未だに吹きすさぶ魔力の暴風の音を拾わず、ただ神経が死んだように音の無い世界に感じられた。
目は一秒が何倍にも引き伸ばされ、そのすべてはオリーブにのみ注がれていた。彼女のアーモンド形の眼が見開き、くぐり慣れた戸が凶器となって迫るその衝撃に瞳孔は開かれていく。普段俺に話すときはへの字をつくり勝ちの唇もまた悲鳴を上げようとするためか開かれていっていた。
その、すべての一瞬を、俺は捉えていた。そして……
まさに、まばたきも出来ぬほどの一瞬後、吹き飛ばされた戸は俺の背中にぶつかった。
案外脆かったのか、それともぶつける勢いが強すぎたのか、木製の戸は鋭く乾いた音を残して砕けてしまった。
痛みは、遅れてやってきた。
「がぁあッ……――」
背中を焼くような痛みを覚えると同時に生暖かいものが背筋を伝うのを感じる。
「アンタ……なんで……――」
殆ど息のような、かすれきった声が俺のほんの耳のそばに聞こえた。それこそ密着していなければ聞こえないほどの小さな声だ。
気がつくと、いつの間にか、俺はオリーブを抱きしめ、その背で扉から庇ったらしい。今頃おれの背中はステゴサウルスみたいになっているだろう。血がそこかしこから流れている感じがする。
「……ッてめえ! 何モンだっ!!」
この声はローレルだろう。いち早く気を取り戻し、俺たちを突然魔力の風で襲った何者かに声を荒げる。俺も首だけひねり入り口のほうへ目をむけると、そこには強い魔力を帯びた人影がたしかにあった。
そいつは、吹き飛んでなくなってしまった戸口からさす光を背中に受けていた。真っ白の光の中に人型の闇が切り取られている。
そいつは、先ほど巻き起こした風によってめちゃくちゃにされた店内に足を踏み入れると、砕けたガラスや、木の板などを踏み超えて、ローレルに対峙した。
そいつは、全身を真っ黒の鎧で多い、さらに漆黒の仮面をつけた……騎士だった。