『バビロン』超・会議!
よう、あれから三日経って、以来平和な日々をすごしているケールだ。突然だが俺は『学院』の交霊術の実習をサボってウリムの中央の通りを歩いている。まったく、なにが精霊と交信してみましょうだ。あんなこと前世で言っていたらまず危ない人だ。
まあ、もちろんそんな理由ばかりで自主休講したわけではない。というのも、今朝起きがけにリコルの届けてきた手紙に大いなる問題がある。
それは葡萄色のこの世界では珍しいほど手触りのいい紙で送られてきた。思わず開封前に封筒を手のひらですりすりして楽しんでしまった。
久方ぶりの上質な紙の手触りを楽しんでいると、封筒を閉じる蝋に目がいった。〈コカトリス〉としての立場で見ることがおおいのですぐに差出人はわかった。蛇の下半身を持つ裸の男の印章。〈マーラ〉だ。
楽しい気分は一気に引っ込んでしまった。手紙の口にほんの僅か力を込めると封蝋は脆く、あっさり落ちてしまった。中の手紙はこれまた凝った装飾の施されたお上品な紙だった。見事な椿がすかし刷りに浮かんでいる。
「そういえばこの世界にも椿はあるのか」
「ご主人様。あれはバラの花でございます」
まあ、人間誰にでも間違うことはある。ところでその手紙の内容はというと、なんと招待状であった。しかも、それが驚くべきことに……
「む、ご主人。どうやらついたようだぞ」
俺の右肩に乗るレオンが言う。そう。このウリムの街のメインストリートを飾るある建物にマーラは俺たち、他の3幹部を呼び出したのだ。
それが、今俺の目の前のででんとそびえる豪華な建物だった。緑を基調としたロココチックな建物で、この石造りのウリムの街とは絶妙なる不調和を生んでいる。
それは最近建てられたばかりのギルドの商館だった。
入り口を抜けるとそこは玄関ホールだった。中も美術館もかくやといった有様だ。目のやり場に困るほどきらきらして、裸の立像や金の額に縁取られた壁画の群れ。とにかく贅が凝らしてある。前世でも中流下層、現世でも下郎の恥ずかしき身として慎ましく生活していた俺には見るだけでも罰があたりそうだ。
と、田舎物丸出しで出入り口の前で突っ立って中を眺め回していたら、いかにも仕事が出来そうなコンシェルジュ風の男の人に声をかけられえてしまった。無駄毛も贅肉もないさっぱりとした中年さんで口ひげがチャーミングだ。
「これは、お面を召されたお客様が4人もいらっしゃるとは……」
そう。この素敵なおじさんの言うとおり、俺は今仮面をつけてこのギルドホールへやってきている。もちろん、正体を隠すためだ。なけなしのお小遣いと、なけなしの魔力を総動員して作り上げた銀と錫を素材に結構細かい意匠をほどこしたものだ。
おかげでかなり精巧に再現されていると思う。
「しかし、立派なニワトリのお面ですな」
そう! ニワトリが!!!
俺はちょっと自信のあったお面をほめられたことに気をよくして〈マーラ〉からの手紙に同封されていた招待状をおじさんに渡した。瞬間、おじさんの目つきが急に変わった。眼光は鋭く細くなり、さっきまでの人好きのする柔和さは影を潜めてしまった。はっきりいって怖い。
「……お話は伺っております。どうぞ、奥の部屋へ……」
さっきよりも数段低くなったミドルボイスがお腹に響くと同時に、俺はこれまた品のよさそうな若者に引き渡された。どうやらこの青年が俺のこと我等が招待主のところに案内してくれるらしい。
その部屋にはとくに気を衒うことなく到着した。まさに玄関からまっすぐ突っ切ったところにあったからだ。おそらくこの館で最も奥まったところにある、いわばこの商館の心臓部だろう。
「では、わたくしはこれで……主は中でまっております」
って、もういっちゃうの?! 俺が振り返る頃には案内してくれた青年は燕尾服ぽいのを翻してさってしまっていた。案外ドライだ。
……仄明るい廊下の先に細やかな意匠のほどこされた優美な扉がかまえている。〈マーラ〉が『ギルド連盟』の関係者というのはうすぼんやりと記憶していたが、まさかここまで大きな力を持っていたとは驚きだ。
……さて下らんこといってないないで、この俺を呼び出したやつの顔を拝んでやろうじゃないか。俺は、重たい扉をあけた。
結論からまず言おう。顔を拝むことは出来なかった。なぜかって? 俺も含めてみんなお面を被っていたからな!
例外はたった一人、10年前に生命の源の前で父さんと戦った〈ドラゴン〉のみだ。いかにも詰まらなさそうに壁に寄りかかっている。
「……〈コカトリス〉様……で、よろしいでしょうか?」
と、俺が入ってきたと同時にお猿さんのお面を被った男が今まで座っていたイスから立ち上がって訪ねてきた。でっぷりとは行かないが豊かなお腹をしている。
うむ。間違いない、悪い商人は肥満体系のセオリーに従ってこいつが〈マーラ〉に違いない。なんたって、素顔の〈ドラゴン〉にパピヨンマスクをつけた女。後は獅子の仮面をつけているとはいえ顔ばれしている〈マンティコア〉だ。消去法ばんざい。
「お待ちしておりました。貴方と金の忠実な下僕〈マーラ〉でございます」
と、イヤに慇懃に腰を折るサルの仮面をつけた男〈マーラ〉。こいつのご主人さまはお金が8割に違いない。
と、俺がこの大男になんて返そうか迷っていたら思わぬところから助け舟が出た。パピヨンマスクの女……こいつも幹部であるならコードネームは……
「で、『バビロン』が生まれて以来15年間、姿を隠し続けてきた我等が総帥がやっと現れたわけだけど……なんでわたしたちを集めたか、ちゃんと説明してもらえるわよね?」
「そうあわてるな〈ウンディーネ〉。それより、せっかく我等が王がきてくださったのだ。挨拶でもしたらどうだ」
そうそう。『バビロン』四大幹部が紅一点、〈ウンディーネ〉だ。しかし、〈マーラ〉から諭された〈ウンディーネ〉の挨拶は俺に一瞥をくれると鼻を鳴らすだけで済まされてしまった。結構な挨拶だ。
「ふむ……まあ、お集まりいただいた理由は二つ。一つはこれまで我等『バビロン』が主なスポンサーであったはずの『学院』からもう金は要らないといわれたこと……それともう一つは、この商館を新たなるアジトとして『バビロン』に献上するということです」
む、『学院』の話はともかくこの商館をアジトにするだと?
しかし、他の幹部が食いついたのは全く俺とは逆のほうだった。
「……アジト云々はどうでもいい……『学院』が金を要らんといったことごときでオレたちを呼び出したのか?」
と、つっけんどんなのは〈ドラゴン〉。
「でもあいつら『貴族派』からも結構前にやめてるはずよ。維持できるのかしらね、あの金食い虫を」
と、こちらはパピヨンマスクの〈ウンディーネ〉。どうでもいいが真っ黒な唇をつけてこれまた黒のシックなドレスを着ているので吸血鬼みたいだ。ウンディーネじゃなくてカミーラにすればよかった。
「この8年間『学院』には金を渡す代わりに彼らの知識を提供してもらっていた。そのどれも『バビロン』の発展に役立ってきた。そうでしょう? 〈マンティコア〉様」
「……たしかに、おっしゃるとおりだ。しかし、この10年、生命の源へは干渉できず、以来わたしが率いる研究チームでも『学院』の知識は必要ではなくなってきた……ここは〈コカトリス〉様に判断を仰ぐがよろしかろう」
その四大幹部筆頭の言葉に3人の視線が一気に俺へあつまる。
〈ドラゴン〉と〈ウンディーネ〉は組織の運行自体に興味は無いだろうから初めてあった俺という『バビロン』の総帥の動向への注視だろう。つまり、変なことをいうわけには行かないという事だ。どうしよう。
「研究と知識はすべて〈マンティコア〉に一任してある。そのものが良いというのならばこれ以上無駄に出資する必要は無い」
これまた思わぬところから助け舟がでた。俺の右肩に綿の体重をかけるレオンからだ。ライオンのぬいぐるみは俺の肩からすべり降りると俺の右隣に立つ。同時にリコルも左肩から降りると、レオンとともに俺の両脇を固めてくれる。
「それが『バビロン』の総帥のお言葉ですなら仰せのままに」
「そんなことより……『学院』といえば、今年は王族が入学したようね……それも、継承権第一位の王子が……!」
〈マーラ〉の言葉が終わらぬうちに、今度は怒りと憎しみがこれでもかというほど込められた声が〈ウンディーネ〉より発せられた。超こわい。
しかし王子かぁ……いまさらだがこの『バビロン』という組織、トップの考えがばらばらすぎる……
まぁ、ともかく、王子様なんて雲上人に俺が関わる道理もないだろうし、やる気があるのなら〈ウンディーネ〉さんにお任せしよう。
こうして、俺の初めての『バビロン』のアジト訪問は心労によって締めくくられたのであった。
「あ、あの……ケールくん……交霊術の先生かんかんだったよ? あとで教官室にこいって……」
と、帰ってきた俺に更なる心労がもたらされることを、このときの俺はまだしらない……