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学院長


 「はぁ……はぁ……いい加減、あきら、めろ……」


 「それは……こっちの……せりふ、だ」


 よう、風紀委員としての使命感と私怨に燃えるケールだ。あれから、体感にして20分ほど、逃げ回る不届き者どもをおって廊下や階段を行ったり来たりするうちに、漸く袋小路になっている廊下の先まで追い詰めることに成功した。


 しかし、悲しきかな。体力のない俺は魔術を使ってごまかしごまかし走ってきたがそれも限界が来たようで、今や地べたに座り込んでレオンとリコルに支えてもらわないと倒れこんでしまいそうだ。


 うぅん。前世の学生時代での持久走を思い出す。といっても、あの頃はまだスポーツもやっていたので今よりは楽に走れた気がする。体を動かすって大事だな!


 しかし、疲労困憊なのは相手も同じようで、片方の黒目黒髪のほうはまだ余裕ありげだが、もう片方の金髪にオレンジの虹彩の、いかにもお坊ちゃま然としたほうは俺と同じくらいか、さもなくばぬいぐるみ共がいない分、余計つらそうに見える。


 埃の舞う窓の無い袋小路の廊下に、俺たち3人の荒い息の音だけが響いている。


 「まったく。我輩たちから逃げるためとはいえ、こんな所まで走るとは……」


 「ええ、こんな日当たりの悪いかびくさいところまでよく来たものです」


 と、肺の代わりに綿のつまったぬいぐるみ共は相変わらず涼しい顔で好き放題言っている。特にリコルはシニカルな弧を描いた口をもごもごとゆがませ言いたい放題だ。


 「しかし立派な絵ですね。これが見られたのですから、不届き者でも功を奏したものです」


 リコルの言葉に自然、俺たち3人の目は袋小路の正面の壁いっぱいに描かれた大きな絵へと向いた。


 なるほど、それはたしかに立派な絵だった。その絵の巨大さもさることながら構図も人の目を引くものがある。描かれている場所は多分、この学院にあるチャペルだろう。そこに無造作なような意味ありげなような配置で大勢の偉そうなおじいさんの絵が描かれている。雰囲気はラファエッロのアテナイの学堂だろうか。


 考えてみれば、この『学院』歴代の学院長たちの方針なのか院内にはそこそこの数の調度品や美術品が並んでおり、前世で質実剛健な国公立に通っていた俺には少々装飾過多な気がしなくも無い。が、貴族の子弟が中心の学院だしこんなものなのかも知れない。


 この学び舎の辺境ともいえるような袋小路を飾る大きな壁画も、そうした華燭の輩の一つなのだろう。


 「これ……たぶん……先代の、学院長が描かせた絵だよ……たしか……学院長室の扉に描いたっていう……」


 と、息も絶え絶えに金髪のほうの少年が教えてくれた。ふうむ。自室の扉の前にこんな絵を書かせるとは先代の学院長はずいぶん良い趣味をしていたらしい。


 ん? ということは。


 「え……ていうことは」


 俺が内心で首をかしげたのと、黒目黒髪のほうが目を見開きながら呟いたのはほぼ同時だった。


 突然、錠前が外れるような音がすると、アテナイの学堂もどきの壁画は、縦に一閃、光の亀裂が奔った。


 ああ、真ん中のおじいちゃんが見事の真っ二つになってしまった。哀れ。


 俺の憐憫むなしく、亀裂はますます広がりおじいちゃんはアジの開きのようにされてしまった。


 今やあの壁画は外開きの扉と成っていた。中は意外にも明るく、俺たちの居るかび臭い袋小路とは対照的だった。


 「……入れ、ってこととなのかな?」


 さっきと比べれば息も整った金髪のほうがその橙色の目を訝しげに細めている。


 「……リーフの話が本当なら、ここは学院長室なんだろ? 元々用があったのは院長なんだし、話がはえぇだろ」


 と黒目黒髪は言うが早いがすっくと立ち上がった。眼光は意志が強く、止めても聞きそうにない。


 「そう……だね。むこうからチャンスをくれたのなら、それを棒に振る手はないか……」


 と今度はリーフというんだろう、金髪のほうも、まだ僅かに整いきらない息を抑えこれまた元気に立ち上がった。こちらも頑健そうな灯を瞳に宿しておいでだ。


 「……ご主人、われらは……――」


 「行くしかないでしょうねぇ……なんといっても相手は学院長……彼らが何かしたんでは止めなかった責任を問われるは必定……とりあえず、ポーズだけでも一緒に行っておかないと」


 レオンがみなまで言うまでにリコルが結論を出してくれた。なるほど、これは是が非でも行かなくては成らなくなった。俺は今にも学院長室の戸をくぐらんとしている二人の後を大急ぎで追った。






 学院長室はおもったよりも広く、たくさんの光を取り入れる仕組みになっているのか、かなり明るかった。


 部屋は南向きに大きな窓があって、それに背を向けるようにこれもまた大きな執務机が鎮座していた。


 全体は師匠の工房をよりすっきりさせて広くさせた感じだ。ファンタジー映画のような置物や器具がきちんと生理整頓されて置かれている。学院長の人柄が良く出ているといえる。


 「で……わたしの部屋の前でなんのようだ? 悪童ども」


 俺たち3人とぬいぐるみ2体が初めて立ち入る学院長室の内装をじろじろ見ていると、不意に頭の上から声が降り注いだ。見ると、上には中段層があり、そのロフトの上から俺たちを見下ろす背の高い影があった。


 「扉の前で騒がしい声がするからてっきりわたしに用事があるのかと思ったんだが……挨拶もなしとはな」


 彼女・・はゆっくりと、部屋を半周するように取り付けられた階段を下りると、俺たち3人の前に昂然と立ちどまった。


 としは50手前くらいだろうか、顔には細かい皺が浮かんでいるがむしろそれここの女性にふさわしい顔のように思われた。紅の塗られた薄い唇は厳しく引き結ばれ俺たちを見下ろす眼光とあいまって、克己的で厳格な印象を与える。甘さのない美人だった。


 「あ……いや、ぼくたちは学院長に用事が……」


 予想していなかった女性の登場に泡を食ったのか、リーフとかいう金髪がしどろもどろに応えるが……


 「わたしがこの学院長だ」


 という、眉一つ動かさず放たれた言葉に封殺されてしまった。


 金髪は、おんなが学院長……!? といって押し黙ってしまった。たしかに、俺の前世ではともかく、この世界で女性が公職につくのは、かなり珍しいといえるだろう。


 「ウリムの領主に頼まれて8年前からな。それで、一体、わたしになんの用だ」


 相変わらず屹然として物腰を和らげない女傑に応えたのはまたしてもリーフであった。まあ実際用があったのはあの二人だからな。俺はまったく用事なんかない。


 「……単刀直入におききします。学院長先生――貴方は、『バビロン』から金銭を受け取っていますか……?」


 これに一番驚いたのは俺だっただろう。なんとこの不届き者たちの目的はなんと俺の組織だったのだ。しかも、学院長がそこと癒着関係にあるといわれれば、驚かないほうが無理というものだ。


 しかし、当の学院長はその言葉もどこ吹く風でいたって涼しそうな顔をして、言い放った。


 「……なるほど。最近立て続けに禁書庫への侵入者がでるかと思ったら、わたしと『バビロン』とについてかぎまわっていたのか」


 と、呆れたふうに額を押さえるとやれやれと首をふり、そして――……


 「そのとおりだ」


 「ッじゃあ……!」


 学院長の驚きの返事に瞬間的にリーフが噛み付かんばかりに叫んだ。黒目黒髪は意外にもそれを押さえるようにリーフの腕をつかむ。


 「まぁまて、金銭の受け取り、といってもお前たちが思っているようなことではない」


 これまた呆れたような声をだす。それに食いついたのはこんどこそ黒髪のほうだった。


 「……じゃあ、どういうことなんですか」


 リーフに比べればまだ冷静なようだが、整った眉を寄せて眉間に皺が出来ている。


 そんな怒れる少年二人を尻目に院長先生は悠然とあの大きな机に座った。


 「そもそもお前たち、この学院の資金がどこから出ているか知っているか?」


 突然の質問に首を振る俺たち。王立というんだし国からじゃないのか? でも考えてみれば入学費や授業料など、わりと個人からとる量は多い。貧乏な平民では奨学金なしではまず通えないだろう。


 「実は貴族や王室を始め、多くのスポンサーからの資金でなりたっている……そして、この『学院』の最大のスポンサーは〈マーケット〉の主宰者『ギルド連盟』だ」


 なんと、たしかにウリムのギルド連盟はこの国で一番裕福な団体とも言えるが、学院のスポンサーまでやっているというのは初耳だった。


 「だが、『ギルド連盟』から資金提供を受ける代わりに毎年の優秀な卒業生を彼らに紹介するというしきたりがあった。これは国や貴族連中からの出資も同じことで官職につくための登竜門のような役割も果たしているといえば言える」


 「だったら、それはチャンスなんじゃないですか? 特に、オレみたいな平民にとっては、国家栄職に就くって……」


 思わず、といった感じで口を挟んだのは黒髪だ。なるほど、こいつは平民だったか。それにしては落ち着きもあるし礼儀もわきまえている。そりゃあおそらく奨学金で来てるんだろうし、それくらいお利口さんじゃないとだめなのだろうな。


 「……たしかに、君のような平民に対しても開けたシステムだったろうな。23年前までは」


 ん、23年前というと……たしか


 「カテン国の……」


 思わず、考えたことが口に出てしまった。しかし23年前というと、これしかないだろう。あの、〈マンティコア〉ことレインがガニアン司教としての立場を利用し、フツクエ国を滅ぼす遠因となったあの戦争のことしか出てこない。


 どうやら俺の思いつきは正しかったようで、学院長先生は苦虫を纏めてかみつぶしたように不快そうに眉根をよせた。


 「そうだ。かの戦争によってわが国でも大きな変化が起きた……『貴族派』の台等だ」


 『貴族派』ねえ。名前から察するに王様と敵対する貴族の集まりなのだろう。封建制の国家ではままあることだ。


 「『貴族派』のことはぼくも父から聞いて知っています……でも、なんで彼らが現れたことと学院長が『バビロン』と手を組むことが関係あるんですか。それも、『ギルド連盟』の出資も」


 と、興奮したようにまくし立てる金髪オレンジ。しかしお父さんが『貴族派』とかいうやつのことをしっているとなると、こっちは普通に貴族かもしれない。


 「『学院』へ出資していた貴族の大半がその『貴族派』だったのさ。おかげでこの20年で国家の要職は『貴族派』の子息が占めることになった。対して学問の出来ないものでもね。わたしは『ギルド連盟』のように学問を売り物にする態度も嫌いだし、『貴族派』のようにそれを軽んじる態度も吐き気がするほど嫌いだ」


 アンティーク調の大きな木の机に頬杖をついて、憂い深げに俺たちを見据える女学院長。彼女の「学問」に対する姿勢は俺たちが思っている以上に真摯なものらしい。


 だが……


 「先生が『貴族派』や『ギルド連盟』からの出資を受け付けたくない理由はわかりました……でも、なんで『バビロン』なんですか? あいつらこそ……――」


 「彼らは、『学院』が古くからもつ知識のみを要求してきた。すくなくとも彼らはその知識で学問を行うだろう」


 ふうむ。言いたいことはわかった。まあ知識は扱うものによるし、彼女を攻めるのはお門違いだろう。でもなぁ、それって……


 「で、でも……じゃあ! 国からは……! 国庫からはどうなんですか?」


 と、リーフ少年の焦ったような声。さっきの言葉からするに彼は『貴族派』ではないのだろう。ともなれば残った王様にたのむのは筋といえば筋だが……おそらく無理だろう。


 「ダメだな。筆頭だった侯爵が処刑されて以来まとまった動きが取れていないとは言え、未だに『貴族派』自体は大きな勢力だ。それに対して王室をはじめとした『王党派』は弱まる一方だ。平民向けの奨学金が精一杯だろう」


 『王党派』というのも初めて知ったが、この聡明な学院長のことだ、王室に余裕があったなら真っ先に頼んだことだろう。しかし、このわが国の最高学府がここまで弱っているとは予想だにしなかった。もちろん『ギルド連盟』や『貴族派』に出資を頼めば尊属は可能なのだろうが、それはどの道この国のためにはならないだろうし、学院長の「学問」の姿勢からもそれはありえないことだとはわかる……だが――


 「でもそれじゃあ、『バビロン』にたいして知識を売って居ることになるんじゃ……」


 すると瞬間、部屋が水を打ったかのように静まった。見ると、学院長は赤い唇を引き結び、うつむいている。やはり、彼女は気がついていたのだ。彼女自身が譲れないもののために譲ってしまった「学問」に対する矛盾を。


 「でも……じゃあ、どうすればいいんだ……この『学院』を、本来あるべき姿のまま存在させておくには、いったいどうすれば……」


 彼女は「学問」は「学問」としてのみ存在させていたいのだろう。だが『ギルド連盟』をはじめ奏させてくれない連中ばかり……まして、お金が無ければその学問も存在することが出来ないような存在だという絶望。それが彼女の思考を弱めたに違いない。


 そんな心が弱ったときに『バビロン』に接触されたのだろう。知識のみを欲するという言葉がより学院長の琴線にふれたのかも知れない。


 人の心の弱みに付け込んで自分だけは甘い汁をすする……十中八九〈マンティコア〉と〈マーラ〉の仕業だろうな。


 「あの……教会からはかりられないんですか? それこそ『大聖堂』から……」


 学院長が本気の苦悩をもって『バビロン』とのつながりを持っていたことをわかったのだろう。リーフがためらい勝ちに口を開く。


 「……むりだ。教会は基本的に事業に金は出さないよ。それこそ、『大聖堂』の奨学生の少なさを見ればわかるだろう。去年は0人、今年もたった一人だ……なにかしらコネでもあれば、その限りでもないのだろうがね……」


 ふぅん、今年は一人ねぇ……まったく、、教会もけちなもんだ。


 ――ん?


 ――んんん!!!?


 「あ、あの、学院長先生」


 やめたほうがいいのかも知れない、が、俺は俺自身でもどうしようも無いような力に引かれるように、いつの間にかかってにしゃべってしまっていた。


 「俺、『大聖堂』へのコネ、あるかも知れないです……」


 本来なら『大聖堂』なんかに貸しを作るのは怖くて怖くてイヤだが、なんとなく手を貸さずには居られなかった。意気消沈している学院長もそうだが、この輝かんばかりの少年二人にも、何かしら手助けをしてあげたいと思ってしまったのだ。






 それから1時間ほどして学院長室にはもう3人の少年たちの姿は無かった。ただ一人、爽やかな疲れ顔を浮かべた学院長が居るだけである。


 「……そうか、あの『大聖堂』からの奨学生がクラウドの弟子だったか……」


 また疲れた吐息交じりに発せられた声であったが、その頬には幽かな笑みの名残があった。


 「クラウド……いい弟子を持ったな……」


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