希望の怪物
俺たちは漸く次に向かうべき杖屋へと歩を進めることにした。お祭り中で『マーケット』の時のような喧騒の中をひっそり、こっそりぬけていく。途中、何度もソースのこげるような香りや、カリファの特産だというレモンを使ったお菓子やレモネードの誘惑を超えたり時々負けたりして漸く大通りから外れたところにあるこじんまりとした建物にたどり着いた。どうにも陽の差さないところにあるためか薄暗くかび臭い。窓ガラスも何年も掃除していないかのように曇っていてろくに店内が見えなかった。
「とうちゃ……ここ?」
つれてきてくれた父さんには申し訳ないが薄気味悪い。はっきり言って入りたくない。
「うん、ここだ! 10年くらい前に一回だけ来たことあったんだけど、良かった! つぶれてなかった!」
ということは10年くらい前もおんなじような寂びれた景観だったということだろうか……? 店内に人の気配が無いというのがどうにも不安だ。あ、板の隙間からムカデみたいな虫が入っていった。
だいじょうぶかなぁ……この店。
なんてことを思っている間に父さんはさっさとさび付いたドアノブに手をかけた。剥げたメッキが触ったところから落ちて、蝶番が悲鳴をあげた。ドアがとれちゃいそうだ。
虫に食われたやら風に吹かれたやらで軋む槙の戸を抜けると案の定香ばしいまでのカビのにおいが鼻を突いた。店内は曇った窓ガラスから差し込む陽光以外にはだいぶ短くなった蝋燭がちょこんと
申し訳程度にシャンデリアに揺られていた。全体がぼんやりと薄暗い店内は外から見ていたよりもずっと広くちょっとしたお邸のようだった。壁という壁には天井まで達する棚が張り付いている。棚はかなり細かく区切られていて4センチ四方の小さな穴が蜂の巣のように並んでいる。その穴の中にはドラムスティックのように無造作に杖が差し込まれている。集合物恐怖症のお客さんからすればホラーハウスだ。
その棚に隣接して小さな傘立てみたいなものが擦り切れて埃の積もった絨毯の上に転がっていた。哀れにもその中から丸められたポスターのようなものが飛び出していた。
此処で本当に杖が買えるんだろうか……?
「とうちゃ……ほんっとうに、ここ?」
「う~ん、前に来た時はもう少し綺麗だったんだけど……」
と、父さんも困り顔だ。ちびたキャンドルの灯が仄かに照らすのも何とも言えずに気味が悪い。寂れているのにやたら広い分、余計に影が目立ってしまうんだろう。しかもその影は蝋燭の揺れる灯りのせいでゆらゆらと蠢いているように見えるのだ。特に奥の方などまるで洞窟のようで先が見えない。
かび臭さも限界に達してきたのでいい加減に帰ろうと父さんの袖を引っ張った、その時だった。
ギシギシと床を軋ませて階段を下りてくる気配がする。暗くて気づかなかったがどうやらすぐ近くに階段があったようだ。茫洋とした闇の中で埃を被って、何年も使われた形跡がない。その上から、もったいぶったような足音がギシギシ、ギシギシ……
「ひっ……!」
思わず父さんの腕にかじりつくと父さんは俺を安心させるように頭をぽんぽんしてくれた。
ついに上のほうから灯りが見えてきたかと思うと、次の瞬間には燭台を持った小柄な青年が姿を現した!
「おや? いらっしゃい……?」
「あ~杖を買いに来た者なんだが……店主はいるか?」
父さんも若干困ったような様子でその青年に声をかけると青年は大きく頷いた。どうやらこのお店の人らしい。……本の少しだけ幽霊かとおもってしまった。
「今は僕が店主です! もしかしなくてもお客さんですね?! やったー! おじいちゃんが死んで以来、初めてのお客さんですよ~!」
青年は頬を緩めて華やぐ声でそういうと、突然持っていた燭台を振り回した。灯火が一閃の軌跡を残して消えると……次の瞬間。
「ああ!? あれ?」
さっきまでの薄暗く、気味悪い店内がうそのように明るく清潔感に満ちた空間になっていた。床は磨かれた大理石のようになり、その上に敷かれた絨毯はぼろ衣ではなくて御伽噺で見るような高級なものになっている。
赤錆の浮いていたシャンデリアは丸ごと無くなり、代わりに天窓が開いて正午の日光が燦々と降り注いでいる。窓ガラスは磨きたてのようにピカピカになって店内の様子を遍く転写している。
あのお化け屋敷が燭台の一振りでシンデレラ城に早変わりするとは思っても居なかった。
「いやあ、おじいちゃんが亡くなってから一回も掃除してませんで、すっかり汚くなってましたなぁ。魔法を使ったお掃除でもうしわけない」
父さんも俺とおんなじ様に驚いているらしく形の良い鼻を上に向けて辺りを見渡していた。
「それで! お客さんはどんな杖をご所望でしょうか?」
出てきたときとは打って変わって転がり落ちるように階段を下りてくると俺たちの前でかなり大きな声で問いかけてきた。
その大声量に漸くわれに返った俺たちは此処にいたるまでの経緯をざっと説明した。つまり俺は魔術を扱うには魔力の絶対数が足りず、現在基礎中の基礎たる錬金術を学んでいて、何とかそういう目的の杖は無いもんかというのが俺の希望であるということを。
一通りを話し終えると青年は難しそうに顔を顰め、腕を組んで考え込んでしまった。やっぱりないんだろうか……ほんのりとは期待していたとは言え、なんだか少し残念に思えてきてしまう。
「う~む……あるには、あります」
とこれまた青年はこ難しそうな声色をして棚のほうへと歩き出した。取り出したのはさっきは転がっていたあのポスターみたいなやつだった。和紙みたいな薄い紙にくるまれているが、どうやらこれも杖のようだ。
「じゃ、坊ちゃん、ちょっと持ってみて」
言われるままに差し出された杖を手のひらにつけた瞬間、それをくるんでいた紙が一瞬だけ眩い光を放ってはじけとんだ。閃光が収まると、そこには不思議な白銀色の金属で作られた一振りの杖があった。ヘッドの部分には精巧に狼が象られ薄緑色の小さな石が目の分部に埋め込まれている。ロッドは奇妙なねじれ方をしていてフェンスとかを伝う木の枝みたいになっている。
全体は白金色だが光が当たる部分によっては玉虫色になって綺麗だ。質感などはまさに貴金属だというのに持ってみると重さはまるでなく、手のひらに羽毛を乗せているようだ。
「その杖は破壊の杖と呼ばれる、強力な杖です……当然汎用性が高く、普通は高位の魔術師が扱うような杖ではあるんですが、坊ちゃんの要望に応えられるのはこの杖を除いてほかにないでしょうなぁ……なんせ、この杖を作ったのも錬金術師だそうですし」
と、青年が説明している最中に、急に杖が縮み始め、俺が扱うのにちょうど良いくらいの大きさになると止まった。
「……術者に合わせて伸縮する杖があるというのは聞いたことはあったが、実際に見てみるとすごいもんだな」
父さんの言葉で漸く納得した。なるほどこういう杖であって決して壊れたわけじゃないらしい。よかった。
その後も店主の青年がいろいろと良くしてくれてサービスにサービスしてくれた。いよいよお買い上げして店を出る頃にはカリファの夕日が沿岸へと落ちていく時間だった。
「そういえば、ヴァナルガンドって希望の怪物って意味もあったけな~。まあいいか! はぁ、次のお客さんは何年後だろうな」