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英雄ならざる者


 上段で構えられていた刃が神速で振り下ろされる。その風を切る音がコマ送りのようにゆっくりと感じられる。ぼんやりとした意識の膜の向こうから叫び声が聞こえてくる。


 目に捉えた世界はあまりにも遅速であった。陽炎のように不定形な世界と、迫り来る、ゆっくりとしたきらめきに、なぜか俺は一分の恐怖も抱かなかった。


 ああ、もしかして、もしかしなくても、俺このまま死んじゃうのかな。


 そんなぼんやりとした諦めだけが、ずっしりと気味悪く俺の心に横たわった。


 時が止まったかのように、音が聞こえなくなる。〈ドラゴン〉の滑らかな刀身は相変わらず俺に迫りきている。


 そうして俺は来るべき衝撃に備えて目を閉じた。剣で切られるのは痛いと思う。いや、もしかしたら痛いなんて思わないくらい速く死んじゃうかも知れない。


 ――そして。



キ・キイイィィィン――……


 耳慣れた金属音が洞穴内に響いた。耳障りな甲高い音が。


 「……え?」


 その音が聞こえた瞬間俺は我に帰った。頭がしびれたようになって、思考が追いつかない。ぐらぐらと揺れる視界の中で、俺が唯一見えたのは、俺をかばうようにして立つ広い背中だった。


  「……よかった。間に合った」


 もう幾分聞きなれた声の持ち主はウリムの官憲たちの詰め所の期待の新人、スイカさんだった。


 細身の背中に筋肉が盛り上がっている。確かにスイカさんには父さんのような確立された強さはない。けれども、俺を殺すために力を込めていなかったとはいえ『バビロン』の〈四大幹部〉である〈ドラゴン〉の振り下ろした剣を防ぐだけの力をもっているんだ。


 「はぁッ!」


 ボウっとした頭で考えていたら、気合を込めたスイカさんの雄叫びが聞こえた。どうやら〈ドラゴン〉との競り合いを制したらしい。俺が見たときは、まさに〈ドラゴン〉がスイカさんから一歩飛び退いたところだった。


 「……ふん。イスリアの官憲もなかなか侮れないものだな」


 相変わらずドラゴンは無表情にそういった。しかし、眼光は今まで以上に鋭くなって、スイカさんの一挙一動を見逃すまいとしている。


 「……ケールくん、今のうちにオークさんと安全な場所へ行くんだ」


 俺はスイカさんのその言葉にはっとした。そうだ。確かに、俺と父さんをかばいながらスイカさんが戦えるはずが無い。スイカさんもそれがわかっているんだろう。〈ドラゴン〉から目を離すことは無いが、その横顔は険しく冷や汗も流れている。


 俺は音がするほど歯をかみ締めた。父さんをこんなふうに〈ドラゴン〉が憎らしくてたまらなかった。できることなら一発だけでもあのすかした頬ッ面にかましてやりたい。……でも、俺にそんなことをするような実力があるだろうか。


 答えは否。断じて否だ。父さんとマルス。二人に『光の者』が束になってもかなわなかったのだから、ましてスイカが単身挑もうが、そこに俺がくっつこうが、滋賀にもかけられないだろう。


 そんなことわかっている。わかっているからこそ。


 「はい……」


 俺はうつむき、うなづくしかなかった。


 だが不思議なことに、そんな俺を横目で見ていたスイカさんは、ほかならぬ俺に向かって微笑んでいた。俺はそのどこまでも精悍な笑みに衝撃を受けた。


 「……しっかりお父さんのこと守ってやれよ」


 聞こえるか聞こえないかくらいの風に溶けた言葉が耳に届いた瞬間。スイカさんは〈ドラゴン〉に向かって駆け出していた。


 ……一体、なんでスイカさんはあんなに笑っていられたんだろう。実力さがわかっていないんだろうか。いや、そんなはずはない。スイカさんはわかっているんだ。自分がかなわない強敵だなんていうこと。


 わかっているからこそ、笑っていられたんだ。


 俺は、いまや〈ドラゴン〉へ肉薄しているスイカさんの、微笑みを思いだ知て、また歯軋りするしかなかった。スイカさんは決して『光の者』ではない。だというのに、あんなにも英雄的だ。


 悔しいのに、がんばりたいのに、そこで諦めしか思い浮かばなかった俺と葉大きな差があった。


 「くッ……とうちゃ!」


 でも、だからこそ、俺は今俺にできる精一杯をしなければいけなかった。


 「ケール……オレのことは良い……赤毛ちゃんと爺さんを連れて逃げるんだ」


 いつの間にか〈ドラゴン〉とスイカさんの戦いにはマルス君が参加している。あの子も、『英雄』だとか『光の者』だとか関係なく、自らの選択で強敵〈ドラゴン〉と戦っている。


 「やだ!」


 これはただのわがままだ。これで父さんが困ってしまうのも良くわかっている。現にいま、父さんは怒ったような、困ったようなそんな目で

火傷したからだで俺を見ている。


 口元も悲しいような、うれしいような、なんともいえないようにゆがんでいる。だけどオレはここを動かない。絶対にここから逃げ出すようなまねはしたくない。


 「ケール君……」


 ふと俺の方に手を置くなにものかが居た。決まっている。赤毛ちゃんだ。


 何が言いたいかなんてわかっている。見た目は5歳児でも、中身は立派なもんだ。だけど、俺は父さんをここに残して逃げるようなまねだけは絶対にしたくなかった。


 少し離れたところで、相変わらず耳障りな鉄の棒同士の音が聞こえてくる。


 時折、〈ドラゴン〉の放った炎によって洞穴内は明るくなり、またすぐに暗黒に満ちてしまう。


 俺が黙ってうつむいたまま、何度目かの暗闇が訪れた。と同時に、ソレもまた、やってきたのだった。


 「……――っ!?」


 俺が気がついたとき、もうソレは巨大に膨れ上がっていた。まさに発動者の狂気を象徴するかのような膨大な魔力の塊。〈ドラゴン〉のときとはまた違った脅威が部屋を満たしていた。


 「あ、ぁ……」


 思わず、声が震える。気がつけばさっきまで喧しかった剣戟のこすれあいの音はもう消えていた。この空間に居る誰もが、その重圧に臆していた。


 吐き気すら覚える尋常ではない魔力の集中に自由が奪われながらも、俺は漸く、件の方向へ首を曲げることができた。ソレは、先まで俺と赤毛ちゃんが居たと方……そう、本来ならば片腕を失った〈マンティコア〉が倒れていなければならない場所だった。


 〈ドラゴン〉に乱され、散り散りになっていた魔力がすべてあの男に吸い上げられていた。厳密に言えば、あの男の頭上にある、立体的な魔法円へ。


 「チィ……あのクソじじい、今度は何をやるつもりだ……」


 苛立ちを多分に含んだ〈ドラゴン〉の声が、俺たち全員の心を代弁していた。


 そう。立体魔法円の下に居た男とは、狂ったような笑みを浮かべた〈マンティコア〉と、ソレを見上げて苦悶の顔を浮かべるの姿だった。


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