焔の音律
僕の、目の前に広がっていたのは、さながら修羅の世界だった。そして、僕自身もまた、その修羅のうちの一人だった。鋭い風を切る閃光のような音が耳に届いたかと思った瞬間、僕のほんの数ミリ前を薄っぺらな刀身が一閃、僕の髪の毛を攫っていった。一切の無駄なく、まるでながれるような動きで、追撃が下される。今度は、真正面。上から下へ、縦で切り裂こうとしてくる。再びめまいがするほどの風切音が聞こえた瞬間、僕の構えた刃に、重く鋭い一撃が振り下ろされた。その瞬間、僕はあらためて〈ドラゴン〉を見上げた。
燃えるような赤髪を振り乱し、鬼人のように僕に切りかかってくる姿はまさに古の修羅そのものだった。そのくせ、僕を本気で殺そうと腕を振り下ろす顔は恐ろしいまでに無表情だ。人を殺すことに何のためらいも無いだろうその瞳に、僕は背筋に冷や汗が伝うのがわかった。
〈ドラゴン〉を見上げた一瞬の時間、すでに、やつの刀身は僕から離れ、やつの背後、いつの間にか肉薄していたオークさんの剣戟を、裁いていた。オークさんの重すぎるだろう一撃を、片手でしのぐ〈ドラゴン〉。その表情は相変わらずに眉一つ動かしていない。金属同士のこすれる、不快な鍔迫り音が響き渡る。
「……さすが、大陸で五指に数えられる男だけあるな……〈火燐のオーク〉。魔力を持たない身で、これほどまでのちからとはな」
不意に、〈ドラゴン〉が呟いた。声は相変わらず冷たく、感情を廃絶したように硬いものだったが、眦だけが、不愉快そうにつりあがっていた。
たいして、オークさんは満面に笑みを浮かべ、さらに〈ドラゴン〉へと、一歩踏みだした。互いの刃のこすれあう音が強くなる。
「ああ、オレも、お前がここまでやれるやつだったとは思ってなかったぜ……!」
その言葉からは、オークさんが未だに余力を残して戦っているということがありありと伝わってくる。この人は戦いを楽しんですら居るのだろう。嬉々とした光が、目に宿っていた。それほどまでの男なのだ。生きた伝説とも呼ばれた最強の傭兵の〈火燐のオーク〉とは。
「なあ、〈ドラゴン〉……お前、なんで『バビロン』の幹部なんてやってんだよ。その腕と魔力なら、どこの国からでも仕官の話が合ったんじゃねーのか?」
相変わらずの笑顔のまま、オークさんは〈ドラゴン〉へと訪ねていた。これが、この人なりの戦場でのコミュニケーションなんだろう。刃を交わらせた相手への、最大の礼儀。オークさんはさらに、腕にちからをこめたのだろう。〈ドラゴン〉は少しずつ後退していっている。
「愚問だな。オレにはオレの目的がある。『バビロン』とてそのための手段だ。一国に勤めるよりもずっと効率がよさそうだったからな」
だが、オークさんの優勢は一瞬ももたなかった。〈ドラゴン〉が応るや否や、その身体に渦巻く魔力が爆発的な量に膨れ上がった。
ッ……! あれは、ヤバイ!
「オークさん逃げ……!」
僕が叫んだその瞬間。視界が、紅蓮に染まった。〈ドラゴン〉がその体中にめぐらせた魔力を収縮差へ、そして一気に開放させたんだ! 暴力的な炎が僕の目の前を踊る。爆発によって生じた灼熱の暴風が、髪をふくらませる。岩の焼ける匂いが鼻の粘膜を焦がした。
鮮烈な輝きにくらんだ目に、〈ドラゴン〉を中心に燃え広がる炎が焼きついている。僕らの周りの空間に満ちていた魔力が、〈ドラゴン〉の一撃によって乱されてしまっている。
僕は、その乱れほつれた糸のような魔力をほぐし、手繰り寄せて、全体の把握に努めた。迦楼羅炎の如く燃え広がった灯。その炎に焼かれ、ドラゴンの姿と転写したまま、しばらく視界がさえぎられた僕は、まずは魔力の流れによって現状を把握しようと努めたのだったが……だめだ、魔力の乱れが激しすぎて何も捉えられない……!
死に物狂いで、もう一度、魔力の束を捉えようとした、そのとき、腹部に衝撃が奔った。何の予備動作もなく、訪れた鈍痛に、一瞬、息が詰まる。転じて、背中から何かにたたきつけられたような痛みが僕を襲った。
「が……ッ! カハ!」
そのすべてが終わって、僕はようやく自分が、腹部を殴られ、吹っ飛ばされ、そして床にたたきつけられたということを知った。
痛む腹を押さえこみ、僕は手探りで立ち上がった。先ほどの衝撃で、足が震える。そして、立ち上がったその瞬間、僕の耳元、ほんの数センチも離れていないだろうところで、聞きなれた、甲高い金属音がした。
荒い、重い鉄の塊同士がぶつかり、こすれあうあの不愉快な音だ。とっさに、反対方向に飛び退き、かろうじて回復した視力で、その音のしたほうを向くと、そこには、僕を背にして、〈ドラゴン〉の刃を受け止めるオークさんの姿があった。
「……オークさんっ!」
「お、どうやら動けるようになったみたいだな……早速で悪いんだけど、ちょっと、そこどいてくれねーか? このままじゃ、オレもつらくてな……」
そう言うオークさんの姿を、次第に鮮明にしていく、僕の視界。そして、あらわと成った光景に僕は絶句した。真っ先に飛び込んだのは、赤く焼け爛れたオークさんの姿だった。酷いやけどを負いながらも、僕のことをかばってくれているらしい。対して、さっきまでとまるで変わらない、〈ドラゴン〉の姿……僕は、ただただ何も言えずそこで突っ立っているしかなかった。
その瞬間――……
「っ! ばか! 速くしなさい!」
それは、甲高く善く通る、彼女の叫び声だった。その彼女の矢のような声が、僕を絡めとっていた呪縛を断ち切って、僕の体は、かえるが蛇から逃げるように、大きく飛び跳ねた。
その次の、一秒にも満たない瞬間、振り返ると、倒れふしたオークさんが居た。
り「ああ! なんとご主人さまのお父様がたいへんなことに!」
れ「そんなことよりも我輩もここに居るはずなのに、出番が無いぞ!」
り「そんな事はどうでもいいです! なんと次回はクラウド師匠と〈マンティコア〉の魔法対決ですこうご期待!」