父たちの会話
僕は、オークに抱きしめられ、呆然としているケール君を視て、ほほえましく思った。
オークも、長子のラーク君のときに比べて大分慣れたらしく、その手も細すぎるケール君が折れてしまうのではないかというくらい、強く抱きしめている。
お前はもう、過去の呪縛に打ち勝ったんだな……
僕は内心、オークへのうらやましさに身を焼かれていた。実際、僕はまだ息子であるグレイプをあんなに強く抱くことはできない。
ふと、僕は年々すくすく大きくなっていく息子に思いをはせた。妻のアイリスは、西の国境の村で出会った。
元より混血化が進んでいたらしく、アイリスの顔は確かにこのイスリアの中心部であるウリムではなかなか見られない顔立ちをしている。
だが、彼女は生まれもっての天真爛漫さがあるため、この都会の中でもうまくやっていけているようだ。お隣のメープルさんとも、友達付き合いをしていて、子育てに関することなど相談したりしあったりしている。
そんな彼女の明るさは、息子のグレイプにも受け継がれて、各国の商人の渡り歩くウリムにあっても珍しい、碧い瞳を、常に輝かせている。子供社会ゆえか、それとも元々気が合うのか、オークの血が濃いのか、ラーク君とは会った瞬間から親友のような付き合いだ。
思えば、僕とオーク今のようになるまでにはかなりの時間が掛かった。何度も刃を交わし、本気で殺しあったこともある。だが、戦場で会うたびに、逆に僕らは互いを深く知っていった。
そして今では僕らは家庭を持ち、そして家族ぐるみの付き合いをするに至っている。
おかしなものだった。表では、グレイプとラーク君が木刀での競り合いをしている音がする。あの二人は筋がいいし、得にラーク君は、手加減を知らないオークと毎日のように手合わせをしているからか、現段階ではグレイプよりも上手だ。
この前も、何とかして、勝ち星をあげたいからか、グレイプに特訓をせがまれてしまった。
僕は自分の口角が自然に上がるのを感じた。グレイプが生まれて、ウリムに越してきてからこういうことが多くなったと思う。妻に会う以前は考えられないことだ。
……しかし、瞬間的に僕は心に暗雲が生じることに、眉をしかめざる得なかった。
僕は、再び、目の前でオークに抱きしめられる、ケール君を見る。
その姿は驚きのあまり固まっているようにも、ただただ冷めて、泰然としているだけのようにも見える。
僕の目が自然に細まり、ついさっき、ウリムの路地裏であった少年を見つめた。こんなに幼い子が、なぜ、一人はぐれたとはいえ、あんなところにいたのか……それに、確かに僕はあの時二人の人間の声を聞いている。
だが、あの場にいたのはケール君一人だった……
ただ、ひとつわかっているのは、ケール君が小さくて女の子みたいだということだけだった……
「もう、心配かけさせんなよ……」
さらにあれから三分くらいだろうか、オークは漸くケール君を解放するつもりに成ったらしい。
オークは確認するようにケール君の顔を覗き込む。ケール君は、オークの言葉にこくん、と行った調子で頷いた。
「オーク……」
僕はもういいのか、という気持ちをこめて、かつての戦友の名前を呼んだ。その言葉に振り返った、オークの顔は、先ほど、ケール君を抱きしめていたときの表情よりも、さらに引き締まっていた。
僕も頷き、気持ちを引き締めた。
そんな僕たちのことはケール君は不思議そうに見上げていた。
僕とオークは、オークの書斎に移動していた。書斎といっても、この家を買ったときにたまたまあっただけのもので、前の住人の残していったたくさんの本も、オークは一度も触ったことがないという。
「その割には埃が被ってないね。メープルさんのおかげかい?」
まあ確かに、オークもメープルさんも文字は読めなかったはずだ。確かに、これだけの本が置かれていても、手をつけられることも無いだろう。
と、言っても、僕も人の事はいえない。漸く自分の名前をイスリアの文字で書くのが手一杯だ。
だが、オークから返ってきた答えは意外なものだった。
「いや、この部屋によく出入りしているのはケールだな。メープル似で頭がいいからな
! あいつは隠してるつもりみたいで、たまにこそこそ入ってるんだ」
僕はその言葉に目を見開く。確かに、この街で始めてあったとき、文字の読み書きができるとは聞いていたが、精々自分の名前だけだろうと考えていた。
しかし……
僕は、狭い部屋の壁に立てられた書架に、所狭しに並べられた、膨大な数の蔵書を見上げる。
難しいことは、僕にもわからないが、おそらく、イスリア国語以外で書かれた文書もあるのだろう。
「で、あいつ、何を読んでたと思う?」
ふと視線を移すとにやにやと笑みを浮かべたオークと視線がかちあった。
僕はその言葉に首を振るしかなかった。想像もできない。
「なんと、これなんだよ!」
そういって、オークが差し出してきたのは、教会や、街の役所の名簿のように厚い、古い本だった。もしかしたら古代語でかかれてさえいるかも知れない。
「近所に住んでる魔術師に聞いたら、かなり高度な魔術書らしくてな、術そのものが書かれてるわけじゃないけど、魔力の理論について書かれてるらしいんだ」
そんな話を嬉々として語るオーク。しかし、僕は膨れ上がる疑問と、より確かに成っていく疑念に、頭がついていかなかった。
「ま、待ってくれよ、オーク! なんで、ケール君は文字なんか読めるんだ? しかも、そんな難しい本を!」
僕はこれでも勘は冴えている方だと思っている。昔も、そんなとっさな第六感のおかげで、何度か命の危機や、窮地を抜けてきている。
僕のそんな勘から生じた疑念はだんだんと確信へと変わっていく。
「ん~……たぶん、今錬金術師のところ行って修行してるからな、そこで習ったんじゃ……」
一瞬、僕の言葉に眉を曇らせたオークだったが、閃いたように顔を輝かせた。
「そんなわけッ……! 無いだろう!」
思わず、僕自身もびっくりするような大きな声が出た。オークも不審そうに顔をしかめている。
だが、僕はそれどころじゃあなかった。僕の頭の中で次々とピースが当てはまっていく。その中心にいるのは、一角獣のぬいぐるみを抱く少年……
そう、考えると、すべての辻褄が合う……! 〈マーケット〉でメープルさんとはぐれていたことも、僕が聞いたなぞの声のことも、そして、ケール君が、こんな魔術書を読むこともすべて!
「オーク、よく聞いてくれ……たぶん、ケール君は……『バビロン』に
狙われている!」
リ「なぜそうなった、という感じですね」
レ「だがあながち的外れでもあるまい。あの男、危険ではないか?」
リ「ふむ、暫くは様子を見てみましょう。次回も、このお隣さんとの会話のようですからね乞うご期待