抱擁
「どこへ行っていたの!」
俺は、自分に起こったことが何かわからずにただただ呆然としていた。いや、何が起こったかは、わからないわけじゃあないんだけどね。何でこうなったのかがわからないんだよ!
そう、今の俺は、母、メープルにしっかりと抱きしめられて、全く身動きが取れないような状態だ。兄とそのお友達のグレイプ君とは対照的に、俺は5歳児の中でもかなり小柄なほうなので、逃げ出そうにも逃げ出せない。
俺を胸の中にすっかり閉じ込めてしまった母さんは、未だにわんわん泣き出しそうな様子で、俺に話しかけてくる。
「〈マーケット〉には、人狩りを目的にこの街へくる人もいるのよ! 今度からは、絶対にママから手を離さないで!」
そのとき、俺はああ、と思った。そういえばあの時、俺と母とラーク君とは〈マーケット〉に来ていたのだが、リコルが突然、『光の者』の気配がするからあっちへ行って追いかけろといったのだ。
俺は、そのときは後先も考えずに母さんの手を振り解いて走り出してしまったが、まさか攫われたりする可能性もあったのか。
俺は、その話を聞いて、ぞっとするよりも速く、母さんに心配をかけた自分を呪ったのだった。そっ、と、母さんの横顔を見れば、どれだけ泣いたのだろうか、未だに乾ききらない涙の跡が見れる。
そう、いえば、俺はこういうこと初めてだったな……前世も、今も……
そして、ようやく安心したのか、母さんは、俺から離れた。幼児である俺よりも若干冷たい、ひんやりしているとも言える体温が離れたことが名残惜しい。
「もう、ママから離れないでね」
俺は、その母さんの必死な言葉に首をたてに振ることしかできなかった。ノーとはいえないからな!
母さんに玄関前で抱きしめられること約五分程度、ようやく開放された俺は〈貴族通り〉に立ち並ぶ豪勢な館とは比べ物にならない……だが、この上なく居心地の良い我が家に入った。
そこで俺を出迎えてくれたのはこれまでに無いほど親権な表情をした父……オークだった。
その唇は真一文字に引き結ばれており、目がやや釣り上がっている。瞳で煌く光は、どうも。起こっているようにさえ見受けられる。
……これは、バッドエンドだろうか……?
俺は、自分をこんな目にあわせた遠因であるリコルをぎゅっと、抱きしめた。もし、これで父に怒られたら跡で締め上げてやる。という気持ちをこめてだ。
思えば、この五年間、父が怒ったところなど視たことが無い。いつも、何かしらすべてを楽しそうに見ていて、あらゆることに瞳を輝かせている父、オーク。
俺が生まれてからは、あまり仕事をしなくなったというのも、俺に対する配慮なのは間違いが無い。むしろ、この前、教会、それも〈大聖堂〉から来た使いこそ、俺が生まれてから初めて引き受ける仕事のはずだった。
しかし、そんな普段は、俺たち兄弟のことを第一に考え、だけどどこか一線を引くような『光の者』である父からは、いつもの快活さを感じない。
そう、さっきも行ったとおり、怒りの気配すら感じるのだ。
そして、ついに、父オークの手が、すばやく俺に伸びてきた。
俺が、殴られる! と身を竦ませ、目を閉じた瞬間、それはやってきた。
頭に落ちる拳骨のいかづちこそ感じはしなかったが、俺を襲ったのは急激な浮遊感と背骨を瞬間的に圧迫する強すぎる抱擁と……
「ばかやろう!!」
耳元で爆発する大爆音だった。
俺は、その耳がいかれる程の音量に、目を見開いた。瞬間飛び込む風景は、苦悩する父の横顔……
そして、小さすぎる俺の体を掻き抱くには、大きすぎる父の胸だった。俺は、母にもやられたことを、今また父にもやられているのだ。
「……帰ってきたとたん、心配かけさせるな……」
視れば、父も今にも泣き出しそうな顔をしている。俺は自分でも想像を超えるほどの心配をかけさせてしまったらしい。
俺は、そんな普段見せる父とは間逆のあまりに痛々しい父の横顔に胸が痛んだ。まあ原因は俺なんだけどな!
と、俺がなされるがまま、父に抱きしめられていたとき。
「オーク……ちょっと、いいかな」
先ほどのプラムさんが俺の背後に立っていたのか、父に話しかけてきたのだ。だが、父は微動だにもしない。むしろ、俺の背に回す力を強めてきた。て、痛いわ!
「オーク?」
「……うるせえ、しばらくこうさせてろ」
その言葉通り、俺はしっかりと拘束されているのであった。