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唐突な出会い

 ぼくが〈ドラゴン〉と呼ばれる男を追ってやってきたのは、都の隣町、第二の首都と呼ばれる学問の都、〈学術都市・ウリム〉だった。


 そして、そこで、一介の連金術師として身をやつしている師匠を訪ねてから、早二日がたっていた……





 「あ~もう! いったい、あとどれだけ片付ければいいって言うのよ!」


 その二日間を、僕たちは、師匠のアトリエの片付けに費やしていた。


 「文句言うなよな! そもそも、師匠の手伝いがしたいって言ったのは君じゃないか」


 そう、二日前、僕らが師匠の下にたどり着いたとき、彼女が手伝いを申し出たのだ。


 ただ飯食いなんてまねはできない。何か仕事させてくれ。と。


 ぼくは、彼女がそんなことをいう人だとは思っていなかったので、そんな彼女の姿勢に大いに驚いた。そして同時に、彼女を誤解していた自分を恥じたし、本来、それは僕から言わねばならなかったことだからだ。


 最初は、断った師匠だったけれど、当然賛成した僕にも押され、ついに申し渡された仕事が、この片付けなのだった。


 けれど、思っていた以上に作業は難航した。どうも師匠は片付けができない人だったらしい。連金術師に転向してより道具が増えたこともあるのかも知れないが、今、師匠に師事していると言う弟子の子のほうが、100倍は片付いている。


 対して師匠は、フラスコは使ったまま、置き去りにされているし、中には師匠の知らないうちに割れてしまっているものもあった。


 昨日などは、中に残っていた液体が小爆発を起こし、せっかく片付けたものが、何もかも吹き飛んでしまったのだ。


 そんな折からでた彼女の愚痴なのだろう。そういう僕も正直参ってしまっているのだ。


 一昼夜をかけても、そこの見えないテーブルに、ところ狭しと並べられた研究器具。よくもまあこんな環境で、錬金術のまじないができるものだと思ってしまう。


 ところで、これだけある器具を使って、師匠はいったい何の研究を行っているのだろう。


 と、一瞬、よそを向いた僕の思考は、突然上げられたけたたましいしい悲鳴にさえぎられた。


 「きゃあ!」


 彼女の声だ!


 「どうした!?」


 彼女は僕のほんのすぐそば、背後にいたはずだ! 彼女に何か危険なことがあるとしたなら、それは僕の落ち度だ!


 「ゴキブリが!」


 僕は思わずこけてしまいそうになった。


 勢いを持って振り向いた先、彼女の指差していたものは、わずかに見える机の表面をすべるように這うあぶらむしだったのだ。


 確かに婦女子が好む虫ではないけれど、こんな民家には珍しくもない虫だ。事実、僕が手伝っていた農村でも、昼と言わず夜と言わず、這い回っていたものだった。


 「はあ、何だよ、びっくりしたじゃないか」


 僕は内心拍子抜けしながらゴキブリをつまみ上げて窓の外に放り投げた。無駄な殺生はしたくなかったし、師匠の家の中に死骸を残すのもためらわれたからだ。



 しかし、彼女は、そんな僕を汚いものでも見るかのように見つめていた。


 さすがに僕だってそんな目をされればむっと来る。


 「なんだよ」


 「だって……素手で……」


 「別にゴキブリなんか珍しい虫じゃあないだろ。それに君だってジプシーだったら、それぐらい……」


 と、僕はここまでいってしまった。と思った。


 彼女がジプシーと言うのは僕のかってな考えなのだ。彼女は一度だって彼女自身のことは話したりしなかった。


 もしも、彼女がジプシーでないならば、これはひどい侮辱の言葉となる。


 彼女は、急に言葉に詰まった僕をいぶかしんでいるのか、眉根を寄せたと思ったとたん。今度は鷹揚にうなずいて見せて、「だって、わたしジプシーじゃないもの」


 と言った。その顔や声色からは、彼女の気持ちは読み取れなかった。


 少し気詰まりな重い空気が二人の間に立ち込めて、僕が声をかけようとしたその瞬間。


 「おい、マルス、と赤毛ちゃん。出かける用事ができたぞ。すぐに用意しなさい」


 師匠が突然玄関から現れていった。


 師匠は今でも寝ているものだと思っていた僕たちはその唐突な登場に唖然とした。


 「出かけるって……いったいどこによ?」


 彼女が顔をしかめて聞いた。ずいぶん疑懼しているようだが、内心僕も同じきもちだった。


 この二日間、師匠から声をかけてくることなど無く、急に出かけるなどと言われると、元弟子の僕でも小首をかしげずにはいられない。


 が、師匠はわずかに笑みを深めると、そのしわの多くなった唇を押し開いた。


 「『バビロン』の……それも、〈ドラゴン〉のことがわかったかも、知れないぞ」






 あれから数分後、僕たちは、ウリムの中央にある広場の中で人波にもまれていた。


 「ったく、もう! 何なのよ、この人の多さは!」


 「そういえば、今日は月に一度の〈マーケット〉の日だった」


 彼女が声を張り上げるのに答えるように、師匠の力の無い声が雑踏の中でかすかに聞こえた。


 ウリムで開かれ、街中はおろか、近隣の町や王都の商人も集まるので、広場はものすごい賑わいを見せていた。


 これが、〈マーケット〉……


 道端の露天商は怒声を上げて、うそか本当かわからないような、宣伝文句を歌い上げているし、まだ別の屋台やなんかでは、ほかでは食べられない、異国の香り高い食べ物が売られている。


 僕は、父の領土では見られなかった活気に、感動すら覚えていた。


 まるで、世界がこの、小さな広場に圧縮されたような、濃度を、僕は肌身に感じていた。


 10歳の僕の背丈では師匠の背中に隠れながら人の波にさらわれないようにあたりを見渡すのが精一杯だったけれど、僕はこれまでに無い興奮を覚えていて、気がつくと、知らないうちに彼女の手を握っていた。


 そして、もう一度、露天商の怒号が聞こえたと思った瞬間、師匠がそれに劣らないほどの大きな声を張り上げた。


 「ケールじゃないか!」


 師匠が目をむいて叫んだその先には、一人の小さな幼児が立っていた。


 歳は4,5歳に見えるけれど、両腕いっぱいに抱えた、白い一角獣のぬいぐるみのせいで余計に小さく見えた。


 太陽光線に透けて金色にも見える長い髪の毛のせいで女の子にも見えたけれど、名前を考えれば男の子なのだろう。鳶色の目にたまった涙のせいで幼い上に不憫なように思われる。


 師匠が瞠目して叫んだのも当然だろう。こんな小さな子が、たった一人でこんな人ごみの中で立っていたら、声をかけずにはいられない。


 まして、こんな憐憫を催すような格好をされていたら当然だ。


 「いったいどうしたんだ、こんなところで」


 師匠が相変わらずびっくりしたように聞くと、その子は以外にもしっかりとした調子で。


 「おかあさんとはぐれちゃいました」


 と、舌足らずながらも、答えたが、そのときに一角獣の首を抱きすくめたのはやはり不安の表れなんだろう。


 なんとなく、ぬいぐるみにお前のせいだと、恨みがましい視線を送りながら首を絞めたようにも見えなくは無かったけど、きっと気のせいだろう。


 「しかも、おうちもわかんなくなっちゃいました」


 と、また今度も、不安そうにぬいぐるみのおなかを抱きしめた。一角獣が苦しそうに見えたのは目の錯覚だろう。


 ぼくが、何とか慰めてあげたいと、声をかけようとしたそのとき。


 「じゃあ、わたしたちと一緒に、来ればいいんじゃない? だって、兵士の宿舎に行くんでしょう、クラウドさん」


 と彼女が提案した。


 今度は僕が驚く番だった。何で彼女が師匠の行き先を知っているんだ。僕も聞いていなかったのに。


 そう思って師匠を見上げると、師匠も驚いている様子だった。迷子のケールくんだけが、不思議そうに僕たちを見上げていた。どうやら今まで師匠しかいないと思っていたらしい。にわかに知らない年上二人に囲まれて、また、不安そうにぬいぐるみを抱きすくめた。


 僕はそんな姿がかわいそうで、安心させようと声をかける。


 「大丈夫、怪しいものじゃないよ。僕は師匠の弟子さ」


 ひざを折って、彼と目線を同じにすると、彼のきれいな、宝玉のような瞳に心を奪われた。


 だがケールくんは、いまだ疑わしそうに僕を見つめている。


 が、知らないうちに、話がとりまとまったようで、結局彼を行き先である兵士の宿舎まで連れて行くことになったらしい。


 そうと決まれば、と。ぼくはケール君を背中におぶると、二人の後を追いかけた。

 

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