過ぐる者たち5
オーくんとメーたん編はこれでおしまいですかなり急ぎ足になってしまいました……(反省)
いかにも偏屈そうな老人の下で一泊することになったオークとメープルを迎えたものは、足の踏み場も無いほどのガラクタの山であった。
「うわ……」
思わずといったように声を出すメープルは若干引き気味であるが、対するオークは、どこか少年らしい光を瞳に宿らせていた。思えば、オークが少年らしい感動を覚えるのはカテンの襲撃以来初のことであった。
「じいさ……お、おじいさんは魔法使い……な、んですか?」
なれぬ敬語でようやくぎこちなく聞くオークに老人は振り返った。長身痩躯の体は病的に白く芯のない様子だが、眼窩の目だけはぎらぎらとエネルギッシュに輝きオークを見下ろした。
「いかにも! 今でこそしがない杖屋であるがな! これでもイスリアの宮廷魔道師の座を競ったこともある魔術師じゃあ!」
「宮廷魔道師!? すげぇ! 結局なれなかったんですか?」
「っオーク!?」
いかにも地雷を踏み抜いたオークをとめようとしたメープルの叫びはむなしく、老人は変なスイッチが入ってしまったらしい。
「どれもこれも……! あの教会上がりの田舎者のせいじゃ! イスリア王も普通、カテンの成り上がりを雇うものか!?」
などなどといった愚痴が夜の明けるまで滾々と続いた。
「あ……お世話になりました……」
目の下にくまを作り礼を述べるのはメープルであり、オークはまだ半分眠っているような状態である。対する老人は実につやつやと朗らかに返した。愚痴が言えてすっきりしたのだろう。
「うむ……またくるといい。歓迎はせんがな」
言葉とは裏腹に柔らかい表情で告げられ、メープルも思わず破顔した。ドアは穏やかに閉められたが、弾みで蝶番は悲鳴を上げている。
そんな廃屋寸前の様子をメープルは愛しさのこもった目で見上げた。たった一晩の、それもろくに眠ってもいない状態ながら。商人や老人などの、久方の人の優しさが、この家に愛着を持たせたらしい。
「じゃあ、行きましょうか?」
曙光の照らすカリファの街に、朝焼けに頬を焼きながら、メープルは微笑んだ。オークも昨夜みた夕日の美しさを、それ以上にして再生させたような朝焼けに心を奪われながら、うなずいた。
かくして二人はイスリアの第二の首都、ウリムへむかいその一歩を踏み出した。
カリファからウリムまで整備された道は無いものの、多くの商人が行き通うため、絶え間なく生み出されるわだちがその役目を担っていた。そのためか、この一月で足腰も歩きなれたメープルにすれば、三日目の昼には国境の山脈を越え、夜には野営地にしようと決めていた小さな森へたどり着いた。
「これなら明日にはウリムに着きそうだな」
と、オークは地図を見ながらメープルへ無理還った。対するメープルは夕食用のスープを作っているところであった。ふつふつと煮えてきたスープがオークの鼻腔をくすぐった。
「ケトケイの人たちは……大丈夫かな……」
野営用のなべをかき混ぜながら、メープルは儚く呟いた。メープルの顔は髪に隠れてうかがい知れない。オークも、ケトケイですごした時間は決して短いものでなく、安否を傷買う気持ちはもちろんあった。
しかし……
メープルは王家の血筋に連なる貴族であり、生まれ故郷なのである。その責任感あるいは自分だけが生き残ったという罪悪感は計り知れないだろう。
オークは何も言うことの出来ない歯がゆさに己を呪った。その時であった、オークは顔色を変え、地に耳をつけた。オークたちよりわずかに奥の方から森の梢を揺らして何物かの足音が近づいてきていた。
「……一人じゃない……まさか、行軍か?」
オークのただならぬ様子にメープルも振り返った。その頬に涙の跡があるのに、オークは胸を痛めた。
その間にも足音は近づいてきており、彼らのほうへ近づいてきている様であった。
大人数で或ることは疑いも無く見方である保証も無かった。オークの決断は早かった。未だメープルのかき混ぜる鍋をその足で蹴飛ばすと同時に中身で火を無理やりにかき消したのだ。
「え!? オーク!」
そうして、突然の暴挙に驚くメープルの腰を攫い、最も近くにあった木の幹に足をかけた。
「オレが足場になるから、上れ!」
ほとんど怒鳴るような勢いにメープルは何も言わず従うと、ついでオークも幹についた泥を慎重に落としながらメープルの下までやってきて、メープルをその胸で覆うようにかぶさった。声を上げようとするメープルの口をその無骨な手のひらがふさぐのと、奴らがやってきたのは同時であった。
「先ほどの煙はここが原因のようです」
夜の闇に溶けるような鎧の一人がいった。オークたちの野営地を目的に現れたらしい。
「足跡はカリファのほうへ伸びていますが、追いますか? 司教様」
同じく、見慣れた漆黒の鎧の一人が尋ねる。オークは気がつかなかったが20人程度の鎧の人間の中に、輿に担がれた男が居るようだった。丁度葉むらに隠れたオークたちのことは彼らからは見えないようである。男は輿から降りると、先ほどまでのオークたちの居たところを見渡した。
「構わん……それに、わしはもう司教ではないよ。先だって教会からじきじきに破門の書状が届いたからね」
よくよく見れば確かに、男は教会の、それも高位の聖職者のみが切ることを許される法衣を纏っていた。
長袖者流の所作も、やはり独特な品を漂わせるものであった。
「しかし……やはり移動しておったか……『生命の源』は……」
「はっ! 司きょ……レイン様のおしゃる通り、ケトケイの王城より、わずかに南へ移動しているようです」
レイン、と呼ばれた男は微笑みを浮かべながら、錫杖を高く掲げた。その瞬間であった。
あの、ほの白い寂光が森を満たし始めた。
オークは自身の内側から怒りが吹き上がるのを感じると同時に、メープルには決して見せまいと、胸を強く押し当てた。冴え冴えと光る死の輝きが森を満たし始め、そして、やんだ。
鮮烈な光に焼けた目が暗闇に慣れる頃には、すでに彼らの……カテン兵たちの姿は無かった。
動機はやまなかった。全身に憎悪と怒りが血液と同時に循環するのをオークは感じていた。そのすべてがふきだしそうだと、オークが感じた、その瞬間。
「おい、オーク! いるんだろ? そこに」
聞き覚えの或る声であった。思わず声のしたほうを見下ろすと、そこには、カテン兵の鎧を纏った、少年の姿があった。緩やかな茶髪に、聡明そうな緑眼……
確かに、知り合いであった。戦場で肩を並べたことも、逆に剣を交わしたこともある……
「プラム……ッ! てめぇ!」
今は、全てが癪に障っていた。オークは腰に挿していた一振りの剣を、飛び降りざまにふりぬいた。鞘が宙をまった。落下するエネルギーをそのままに、オークの剣はプラムを一刀両断する……はずだった。
「おいおい、何怒ってんだよ? ひさしぶりの再会だろ?」
プラムの言葉、オークの怒りをその原因を知悉するが故のものであった。そしてまたオークもそれを知りながらプラムと切り結ぶのであった。
「なんでてめぇがカテン兵の鎧を着てやがる……!」
剣にこめた力を抜くことなく、オークは尋ねる。
「イスリアの宮廷魔道師からの依頼だよ、ガニアン司教……レインてやつが何を企んでるか探れってな」
もとより戦友がケトケイ滅亡の原因とは思っていなかったオークは剣を下げた。が。
「プラム……お前は、そいつがケトケイを滅ぼすことは知ってたのか?」
「いや……元々やつは『生命の源』とかいう霊脈を探していたらしい。ケトケイを侵略するようにそそのかしたのは事実だが、皆殺しにするように命じたのはカテン王……いや、今は皇帝の命令らしい」
それだけを、まるで懺悔するようにプラムは言い終えると手早に鎧を脱ぎ捨て、身軽な格好になった。
「なあ、お前たちもウリムに行くんだろ? 実は、オレも報告にウリムに行くつもりなんだ。一緒に言っていいか?」
オークからして拒む理由は無かったが、メープルを慮った。どうあるにせよメープルは祖国を滅ぼした者たちと一緒に居たものを許せないだろうと。
しかし、返答は意外なものでオークが思っていた以上に朗らかに肯ったのだ。かくして夜の明けるまでオークとプラムは再会するまでの出来事を語り、ペープルは微笑んでいた。
朝に森を出たオークたちがウリムの門をくぐったのは昼過ぎのことであった。古い、石造りの街はケトケイの王都やカリファとはまた異なった趣があり、初めて訪れた者たちの目を楽しませた。
イスリアを故郷とするオークに、ケトケイを出ることすらなかったメープルはプラムの案内するまま、大通りをこえ、ついに小さな教会の前までやってきた。
「此処ここ、オレの依頼人の仲介者がいるんだ」
なんならオークの仕事も紹介してもらえるかもな! とプラムのくぐったそこは、ウリムでも数少ない貧しき者達の教会であった。開け放たれた門の内側からは小さな祭壇と洗礼台のあるのが見える。
プラムを先頭にして今日の玄関を入ろうとした、その時――
「ッいや……!」
メープルが、オークの腕を振りほどいた。
「ど……どうしたんだよ、メープル……」
「ごめんなさい……でも、わたし……入りたくない……」
オークはこのとき、自分が大きな勘違いをしていたことにようやく気がついた。メープルは確かにプラムのことを許したが、しかし、祖国が滅ぼされた怒りや憎しみは決して消えたわけではなかった。彼女は、レイン、ガニアン司教を……ひいては教会を憎んだのだった。
「あー……別についてきてもらうこと無いし、オレだけでいくよ」
と、同じく事情を察したのだろうプラムの言葉に、オークは頷こうとしたとき、他ならぬメープルであった。
「わたしは大丈夫だから……オークも、お仕事紹介してもらわないと、だめだからね……!」
顔を上げたメープルは笑っていた。間違いなく無理して作った笑顔だった。メープルも知っているのだろう。此処までの旅程でオークの蓄えは底を突いていた。メープルに至っては着ていたドレスを売ってようやく造った金だったのだ。だからこそ、オークは、メープルのためにこの教会の門をくぐらなければならなかった。
「……わかった……何かあったらすぐに呼べよ……」
再び顔を伏せたメープルは頷いてみせた。プラムも心配そうにオークを覗き込んでいたが、オークの決心は変わらなかった。
教会の窓は小さく、太陽も盛りだというのに薄暗かった。擦り切れた絨毯をあるくと出迎えたのはやさしそうな目をした助司祭だった。
「司祭さまから話は伺っております。どうぞこちらへ」
通されたのは石造りの小さな執務室だった。机が一つあるだけの簡素な部屋で、司祭服を纏った老人がいた。
「遅かったな……宮廷魔道師殿の依頼は完了したのか?」
司祭はオークを一瞥するとすぐに視線をプラムへ戻した。爬虫類のような目だとオークは思った。
「完遂してなきゃこの教会の門なんかおちおちくぐれませんよ。奴の目的はどうやら『生命の源』とかいう霊脈みたいで、カテン王家に接触したのも、どうやらそのためのようです」
そうして、プラムの短くない報告が終わったとき、ようやく司祭の目はオークを捉えなおした。
「……で、お前は?」
「……オレは、傭兵のオークで、出身はイスリアだが、最近までケトケイにいた」
司祭の目は細まり、より動物的な、冷血な印象を強めた。オークはこのとき初めて自身が得物で或ることに気がついた。
「となれば帰るべき家は当然無いわけか……表にいる少女はお前の何だ? まさかと思うが、妊娠しているか?」
「……ッ!」
司祭にとって、それ以上の、オークの顔色の変わる以上の返答はなかった。ゆっくりと立ち上がると、法衣が空気をはらんで膨らんだ。衣によって肥大化した影はオークをすっぽり包むように見下ろした。
「オーク……わしに仕えんか?」
司祭は微笑んでいた。しかし、その笑みは聖職者のものでなく、野心を抱えるものの笑みであった。
「わしは、こんな、プルシエ教会の司祭で終わるつもりはない……そのためには手駒が必要なのでな……忠実で、裏切らない、手足がのぅ……」
退路はすでになかった。オークには養わねばならぬものがあり、そして……オークはこの方法でしか糊口をしのぐすべを知らなかった
このあとのことは皆様もご存知のとおりでございます