過ぐる者たち1
今宵のケトケイ王国は浮かれていた。隣国フツクエに勝る文化水準を誇る、この国は今や上は王から下は乞食まで、多大な喜びにつつまれていた。それというのは、王の娘……つまり、王女の3回目の誕生日であるからだった
王都はことに花が飛び通うほどの喜びに覆われていた。この国で最も愛されている王子の、実の妹君の退場日であるからだ。特別な祝い事と定められているわけではないが、各家庭では贅をからした料理が供された。それほどまでに、かの赤髪の一族は愛されているのである。
今日が、この国――ケトケイの最期の日と知らず。
王宮内は、参賀の王侯貴族やそれを上回る召使。さらに、その中に少数ずつ配された国王の騎士や、外国からの傭兵たちが居た。
少年も、その中の一人であった。
暢気なものだ。と、傭兵たる少年は思う。だが同時に仕方がないのだとも、少年は考えた。今この場いるものの大半はこの国の貴族たちである。そして、この国は2年前まで隣国のカテンからの侵攻を受けてきたのだ。その間はとても祝賀の宴をあげられるような雰囲気ではなかった。
つまり、この国は2年ぶりに、ようやく国家総出で士気をあげようとしているということだろう。そのことを考えてか少年は面白くない顔をした。彼を此処に連れてきた張本人たる師は2年前の侵攻で歿し、その後は新たに雇われたことにより、彼はその間祖国へ帰ることが出来ていない。
もっとも……と、内心の嘆息を表面に出さぬよう、少年は続けた。祖国へ戻ったところで、帰るべき場所などないのだから、と嘆きか諦めのため息を小さく吐き出したところで、それはおきた。
突然に、けたたましい音をたて、大広間の戸が開かれ、その伝令者用の戸の前には、頬は汗に、体は血に汚れた満身創痍の兵士が、しかし目には消えぬ忠誠の炎を焚いて現れていた。
少年は……いや、この広間の誰もが芳しくない状況を察した。いつの間にか楽士は音楽を止め、誰一人ダンスをするものはなかった。誰も彼もが、肩で息をする兵士の、続く言葉を待っていた。
「こ……国王陛下に上奏いたします! 国境の平原……ラルカーン野を越え、か、カテンがわが国へ侵コッ……!?」
かく語れる兵士の胸に、刃が生えていた。本来であれば白銀に濡れる刀身は、今しがた貫いた、兵士の心臓のために、薄紅に染まっていた。
崩れ落ちた兵士の真後ろに立っていたのは、一度戦地に立ったことがあるものであれば、誰もが知る居姿をしていた。すなわち、カテンの統一軍に支給されるところの、強固なプレートアーマーに身を置いた軍人であった。
当然のことながら広間は騒然となった。誰もが目の前に現れた死の、濃厚な気配から逃れんとした。そんな中にあって、死と滅びの香を振りまくものに対して、牙をむくものたちも居た。
この国を守護せしめんとする騎士や傭兵たちであった。逃げ惑わん貴族たちをさかのぼり、騎士らは隊列をとり、傭兵たちは或るものは徒党を組み、また或るものは孤軍に奮闘せんと己のもつ牙を構えた。少年もまた、唯一人、目の前の仇を屠らんと刃を構えるが、しかし、不信なことに気がついた。
何故奴は、一人で此処に居られるんだ?
そう。此処は国家の要たる王城さらに、宴の夜でもあるのでその警備は万全であるはずだった。
その疑問はすぐ氷解し、旋律へ変わった。
少年の足元に、大広間を覆い尽くすほど大規模な魔法円の、その弧の一角が、光を放ったためであった。