第六話
ヴァンとカブラルは、甲板の上で暗い海を眺め、夕食を取りながら、のんびりと談笑していた。
「何だか、妙に暗くなってきたな…」
空を見上げて、カブラルが、そう発すると、
「そりゃあ、夜だもんな…当然だろ」
ヴァンは、パンをかじりながら答えた。そして、
「そうじゃねえよ…辺り一面が、雲に覆われて、星が一つも見えないってことが言いたいんだよ!」
「ああ、そう言うことか…それじゃ、今夜あたり、雨が降るかもね」
カブラルのつっこみに対して、悠長に答えた。
「大雨ぐらいだったら、まだマシだぜ。風も出てきたし、この分だと時化になるかもしれん…」
「時化か…と、なると、寝ている暇はなさそうだ」
不安になったヴァンが聞き返すと、
「ああ…大きな時化になると、船が転覆することもあるからな。これは、えらい目に遭わされそうだぜ」
カブラルは、そう言って、顎をしゃくった。
「揺れるのかな…」
「そりゃ、揺れるさ…海に落ちないように気をつけろよ。お前は、ほんとにトロいから尚更だぜ」
「ご忠告、ありがとうございます…」
そのご指摘に、ヴァンはぶすっとしたのだった。
「抜き足、差し足、忍び足っと…」
夕食後、ヴァンとカブラルは、物音を立てないよう気を配りながら、倉庫へとつながる暗く狭い通路を慎重に歩んでいた。
「奴にエサを持って行くのも一苦労だぜ…」
カブラルが、通路の曲がり角から顔を出して辺りを見渡すと、
「やっぱり、あいつをかばったのは間違いだったのかな…」
パンと水を入れた瓶を隠し持ったヴァンは、項垂れながら、そうぼやいた。
「よさそうだな。いくぞ…」
「OK…」
そう言って、二人が曲がり角から飛び出そうとすると、
「おい、そこで何をやっている!」
背後からディアスがやって来て、彼らを目ざとく見つけた。
「あっ…ディアスさん…」
「ディアスさんじゃない。今の時間は、倉庫に用は無いはずだろ。こんなところで、うろうろしていないで、早く寝なさい」
彼は、そう言って、二人をじろっと見た。すると、ヴァンは、
「すみません…実は、落し物をしちゃったみたいで…もしかすると倉庫の中に落としたのじゃないかなと思いまして」
謝りながら嘘をついた。
「そうだったのか…ならば、私も手伝おうか?」
「い、いえ、大丈夫です。自分のことは、自分でやりますから…」
ディアスの言葉に、彼は、頭をかきながら答えると、
「わかった…落し物が見つかったら、早く寝るんだぞ」
「はい、ありがとうございます!」
彼は、颯爽とその場を立ち去っていった。
「ふう…危なかった…」
ヴァンが、そう漏らすと、
「なかなか機転が利くじゃないか…意外と利口なんだな、お前は…」
カブラルは、思わず感心した。
「意外とはなんだよ、意外とは!」
「しっ…このチャンスだって時に、変なところでキレるなよ。それよりも、さっさと用を済ませるぞ」
と、その時、おもむろに倉庫の扉が開き、
「おお、ようやくメシが来たか…」
中に隠れていたコロンブスと目が合った。そして、
「こちとら、腹ペコで死にそうなんだ。早く、それをよこしな…」
彼が扉の隙間から少しだけ手を伸ばし、軽く手招きすると、
「ほんと、ガツガツしていやしい奴だ…」
「僕たちは、お前の召し使いじゃないんだぞ、たくっ…」
カブラルとヴァンは、顔を見合わせてため息をついたのであった。
その夜、カブラルの予想通り、大きな時化に襲われた…
「帆をたため、嵐が通り過ぎるまでの辛抱だ!」
ディオゴ提督は、そう言って、船員たちに号令を発した。
「ほんとに来やがったぜ、ついてないな…」
強烈な風雨の中、カブラルは、びしょびしょになりながら、ヴァンと共に帆を下すのを手伝った。
「しかし、すごく揺れるんだな。話は聞いていたけど、こんなに船が傾くとは…」
ヴァンが、足腰に力を入れて必死に踏ん張りながら、そう漏らすと、
「今日のは、別格だぜ…おそらく、日頃の行いが悪かったせいだな」
彼は、そう愚痴を言った。
「やっぱり、あいつをかくまった罰なのかな」
「ああ、奴は、まさに疫病神だぜ…」
彼の発言に、カブラルは苦笑いした。と、その時、波が大きくうねり、船体が大きく跳ね上がった…
「うわ…しまった!」
その拍子に体が宙に浮いたヴァンは、思わずロープを離してしまい、その勢いで、漆黒の荒海の中に放り出されてしまった。
「ヴァ、ヴァン!」
あまりのことに、カブラルは、思わず声を上げた。
「いかん、見習いのヴァンが、海に放り出されたぞ!」
「なんだって!」
近くにいたディアスの声に、仰天したパウロは、すかさずその方向へ走ろうとしたが、
「待て…今、この場を離れるのは、危険だ!」
彼は、そう声を張り上げて、パウロを制した。
「あっぷ、あっぷ…た、助けて…」
ヴァンは、荒波にもまれながら、必死に酸素を求め、手足をバタつかせた。だが、怒り狂った海は、容赦なく彼の息の根を止めようと、幾つもの波をぶつけて、藻屑にしようとしたのであった。
「俺の弟が、海に投げ出されたのですよ。助けに行かせてください」
「いや、ダメだ…波が収まってからではないと、二の舞になるだけだぞ」
「では、ヴァンを見捨てろと言うのですか!」
パウロの悲痛な叫びに、ディアスは沈黙し、目を閉じて歯を食いしばった。と、その時、ふいに彼らの背後から、何者かが現れたのであった。
「ほうら、ヴァン…この樽を浮き輪代わりに使いな!」
そう叫ぶと、コロンブスは、空になった樽を暗い海の中に放り投げた。
「くっ…」
近くに落下した樽に、ヴァンが、必死にしがみつくと、
「時化ごときに、びびる俺様だと思うなよ!」
コロンブスは、そう言い放ち、
「ひゃっほう!」
奇声をあげて、海の中に飛び込んだ。
「ああ、なんと言う無茶な…」
その様子に、ディアスは、一瞬うろたえたが、係留の際に用いられるタツからまっすぐに伸びるロープを見て、
「いつの間に命綱を…」
すぐに冷静さを取り戻して、海へと目を移した。すると、あの無法者が、超人的な泳力で、どんどん荒海を突き進んでいくではないか…
「なんと、大胆不敵にして、強靭なパワーを備えた豪傑であろうか」
その様に、さすがのディアスも唖然とした。そうこうしている内に、コロンブスが、ヴァンのもとへとたどり着くと、
「助けに来てやったぜ、ありがたく思いな」
ニヤリと笑って、ヴァンに手を差し伸べた。その声に、
「相変わらず、口が悪いな…」
ヴァンは、小さく笑いながら、彼にしがみついた。と、その時、彼らを呑み込もうと、大きな荒波が、背後から襲ってきた。
「逃げろ。後から荒波がやって来るぞ!」
パウロが声を張り上げたが、
「えっ…そんなこと言われても…」
「ありゃまあ、どったの!」
ヴァンとコロンブスは、そう言い残して大波にさらわれてしまった。
「ああ、飲まれてしもうた!」
カブラルは、思わず絶叫したが、
「いや…あれを見ろ!」
ディアスの指差す方を見て、肝をつぶした。
「ははは…見たか、この俺様の華麗なる樽サーフィンを!」
なんと、コロンブスは、ヴァンを片手で抱えながら樽の上に立ち、水しぶきを上げながら荒波に乗っていたのであった。
「に、人間じぇねえ!」
その様子に、パウロも顎を外した。そして、その荒波が、船体に向かって打ちつけられる瞬間、
「ふん!」
コロンブスは、体にくくり付けたロープを手繰り寄せながら、樽からジャンプをして、両足を船体に着地させた。
「さあ、ここからは、ロープを伝って登っていきな。それぐらいは、できるだろ?」
彼の問いかけに、
「おう、合点だ!」
ヴァンは、ピンと張られたロープに手をやって登り始め、彼も後からデッキに向かってすいすいと上がっていったのだった。
それから間もなくして、雨風が弱まり、波もだいぶ落ち着いてくると、
「弟の命を助けて頂き、本当にありがとうございました。何とお礼を申して良いのやら…」
パウロが、コロンブスの前に駆けつけて、深くお辞儀した。
「気にすることはない、当然のことをやったまでだ!」
コロンブスは、そう豪快に笑い、
「でも、すごいですね。コロンブスさんは…あの荒波を相手にサーフィンなんて、とてもできませんよ。尊敬しちゃうな、僕…」
「ははは…なんたって、俺様は、幾度の航海を経て、幾多の伝説を残してきた男なのだからな…」
ヴァンの言葉に、有頂天になっていると、
「ところで、あなたは誰ですか?」
その一部始終を見ていたディオゴ提督に、じろっと睨まれた。
「おお、紹介が遅れてしまったな…俺様は、クリストファー・コロンブスだ!」
「名前を聞いているんじゃないわい…貴様は、どこからこの船に乗ったんだ。何のために、この船に乗ったのだ!」
提督が、怒りを露わにすると、
「俺様は、アフリカ迂回ルートが、本当にインドへの近道なのかどうかを確かめるために、乗船をしたわけだ」
コロンブスは、しれっと答えた。すると、
「だからと言って、勝手に乗船するとは、けしからん!」
彼の怒りは頂点に達した。
「まあ、まあ…そうは言っても、彼は、ヴァンを救ってくれたご仁です。ここは、特別に許してあげましょう」
ディアスの提言に、
「ふむ…まあ、洋上で喧嘩をしても仕方がないか。呉越同舟と言う言葉もあることだし、同じ船に乗ったからには、お互いに協力し合うべきかもしれん」
提督は、小さく笑って見せた。
「おお、さすが提督…話がわかるぜ」
「ただし、密航は、立派な罪だ。罰として、我らの下僕として働いてもらうぞ。とことんコキ使ってやるから、覚悟しておけ!」
「うへえ…」
それを聞いてコロンブスは、舌を出して項垂れた。
「よかったね、コロンブスさん…」
「あまり良かったとは、言えない気もするが…」
ヴァンの言葉に、彼は複雑な気分になっていると、
「まあ、そう言うことだ。これからは、よろしく頼むぜ。コロンブスよ…」
カブラルに呼び捨てにされ、
「くっそう…覚えていろよ!」
顔を引きつらせながら、そう口走った。と、すったもんだをしていると、辺りは、次第に白み始めたのだった…
「おお…いつの間にか、夜が明けてきたぞ」
「本当だな。嵐もどこかへ吹き飛んでしまったようだ…」
パウロの言葉を受けて、ディアスは、それを見ながら顔をゆるませた。すると、
「うむ。それでは、先を急ぐとするかのう…」
ディオゴ提督は、そう力強く発したのであった。




