第四話
「陸路より、インドからポルトガルまで交易品を運べるのだから、海岸線を伝っていけば、必ずそこへたどり着くことができるはず…そして、海路にて直接交易を行なえば、関税も仲介手数料もかからん…」
貿易で遅れを取っていたポルトガルは、そう言った観点から、海路の探索に対して積極的であった。
「現時点では、ボジャドール岬、ヴェルデの岬を越え、アフリカ西海岸沿いにあるコンゴ王国まで到達しているが、インドまでは程遠い…他の国に先を越される前に、早く航路を確立せねば…」
こうして、ポルトガルは、1484年にディオゴ・カンに二度目の航海命令を出し、さらに航路を広げようとしたのだった。
ちなみに、ボジャドール岬とは、1434年にエンリケ王子の支援のもとで到達し、その地を超えることに成功した。当時、ボジャドール岬は“世界の果て”であると信じられており、その先は巨大な滝になっていて奈落の底へ落ちるとか、海水が煮えたぎっているため茹で上がってしまうと言った迷信が流行していた。そのため、まずは、そこを越境して、巷で囁かれている迷信を打破する必要があると考えた王子は、何度も根気強く探検隊を派遣し、13回目にしてようやく達成させたと言われている。その甲斐もあって、11年間も足踏みしていた探検事業が、再び正常に動き出したのであった。
また、ヴェルデの岬とは、1444年にエンリケ王子の派遣した探検隊によって発見されたアフリカ最西端の場所で、現在のセネガル共和国の中にある。そこから、探検隊は南下して、ギニアへ入り、サハラ砂漠南端の到達に成功した。これにより、サハラ砂漠を行き来するキャラバン隊に頼ることなく、アフリカ南部の大量の金を入手する航路を確立したのだった。
尚、コンゴ王国は、1482年にポルトガルのディオゴ・カンによって発見された国である。1485年にはポルトガルと国交が結ばれ、キリスト教の布教と両国の対等な関係が承認され、1491年にはローマ・カトリックの宣教師が初めてンバンザ・コンゴに到達し、コンゴ王のンジンガ・ンクウはカトリックに改宗し、ジョアンの洗礼名を受ける。そして、同じくカトリックの洗礼名アフォンソを受けた王子ンジンガ・ムベンバをポルトガルへ留学させた。
その時、ヴァンは15歳となっていた…
「ふう…いつものことながら、代わり映えのない毎日だな…」
そう漏らすと、彼は行く当てのない散歩を止め、青々とした野原に大の字となって静かに瞼を閉じた。春先であったが、風はほんのりと温かく、陽光はやんわりと穏やかだったため、その心地よさに彼は、次第に落ち着きを取り戻していった。そして、
「今頃、兄さんは、どうしているのだろう…」
ふと、そう脳裏に浮かぶと彼は、ぱっと見開いて大空を見つめ、気持ちよさそうに浮かぶ雲の群れを目で追った。4つ年上のパウロ・ダ・ガマは、リスボンへ移り住んで航海士になっていたのだった。
「僕も、早く航海士になりたい…」
と、視線の先にある巨大なキャンパスに描かれた青く澄んだ海と純白で気品のある船たちが、彼の心を大きく揺さぶった。と、その時、
「よう…また、こんなところで昼寝しているのか」
遠くの方から、ヴァンを呼ぶ声が聞こえた。それに対して、
「悪いかよ…暇なんだから、仕方ないだろ」
彼は、起き上がることなく、何食わぬ様子で応えた。声をかけてきた者が、気心の知れた従兄弟のゴンザーロ・ヌーネスであったからである。ちなみに、この男は、後にヴァスコ・ダ・ガマ率いる艦隊の貨物船を指揮することになる人物だ。
「先日、いいポイントを見つけたんだ…これから、釣りにでも行こうかと思っているんだが、一緒に来ないか?」
そう言って、ゴンザーロが、持っていた自慢の釣竿を彼の目の前にちらつかせたが、
「すまんな…今日は、何だか気が乗らなくてよ」
ヴァンが、そっぽを向くと、それを見た彼は、
「ちぇっ…折角、誘ってやったのに、つれない奴だぜ」
少し気を悪くしながら、どかっとその場に座ってしまった。だが、無言のままいじけているヴァンの姿を見て、耐え切れなくなったゴンザーロが、
「おい…こんなところで油を売っているぐらいなら、向こうで活躍しているパウロに手紙でも出したらどうなんだい?」
と、アドバイスすると、彼は何かを思い立ったかのように、がばっと跳ね起き、
「そうだ…とりあえず、手紙を出してみるか…」
すくっと立ち上がった。そして、
「サンキュ、ゴンザーロ…。今度、飯でもおごるよ」
そう言い残すと、迷うことなく家に向かって走ったのだった。
そして、数日後、兄からの便りがヴァンのもとへ届いたのであった。
「えっ…」
それを読んだヴァンは、はっと息を飲んだ。そして、
「今回のディオゴ提督の探検隊に加わることになっただって!」
声を荒げたのだった。興奮の色を隠せないヴァンは、その先の内容を読もうと、手紙に釘づけとなった。そこには、今回の航海で将来の航海士を育てるため、好奇心と意欲のある若者を数人募集しているとあり、ヴァンも応募してみたらどうだと誘う内容が書かれてあったのだった。
「の、乗れる…船に乗れるぞ!」
それを見て、ヴァンは、部屋の中で無邪気にはしゃいだが、
「おっと、浮かれている場合じゃなかった…すぐに、リスボンへ向かわないと乗り遅れてしまう…」
すぐに冷静さを取り戻した。そして、母親を説得するため、自室を出ようとドアに手をかけた時、ふいにノックする音が聞こえた。
「ちょっと、ヴァン…開けてちょうだい」
母は、部屋のドアを開けると、
「ほんと…兄弟揃って、船乗りになるんだって連呼するもんだから、困っちゃうわね」
そう漏らして、大きくため息をついた。
「あれ…まだ、何も話していないのに、既にバレちゃっている感じ…」
「母さんはね、何もかもお見通しなんだから…」
しらばっくれるヴァンの態度に、彼女はジロリと睨むと、
「母さんはね…正直なところ、二人には危険なことをして欲しくないのよ」
続けざまにくぎを刺した。そんな母に、
「それは、良くわかっているよ。だけど…」
ヴァンが気まずそうに詰まらせると、それを制するかのように彼女は口を開いた。
「まあ、しょうがないわね…パウロと同じで、あなたもとことんやらないと気が済まない性質だから…」
それを聞いた彼が、ふいに目を丸くすると、
「行ってらっしゃい…立派な船乗りを目指して、がんばるのよ」
母は優しい笑顔を作って、そう気丈に振る舞った。それを見て、
「母さん…」
ヴァンは、すぐに表情を崩し、感慨深く呟いた…と、
「あら、いやだ。もう少しで、忘れるところだったわ…」
何かを思い出したのか、ふいに母が、そうこぼすと、
「お父さんから、預かっていたものがあるの…ついてらっしゃい」
彼の手を引きながら部屋を出て、リビングルームに向かった…そして、収納棚をゴソゴソし始め、
「もし、ヴァンが航海士としての覚悟に目覚めた時は、これらを渡してくれって…」
お目当ての品を見つけると、それらをヴァンに手渡した。
「これは、羅針盤に砂時計、ヤコブの杖じゃないか…」
その航海に必要な道具を見て、彼は胸を躍らせた。ちなみに、羅針盤とは、現在で言う方位磁針のことで、磁石が地磁気に反応することで方角を判断する道具だ。そして、皆様もご存知の砂時計は、正午に太陽が天頂にくる理屈を利用した経度を知るための道具として重宝された立派な航海用具である。また、ヤコブの杖は、“クロス・スタッフ”とも呼ばれる十字型の杖で、天体の高度角を測る道具として利用された。目盛りの刻まれた長い棒と、それに対して直角に取り付けられた自由に動かせるクロスピース(短い棒)から成り、長い棒を目の前に構え、その上下に目標の天体と水平線が来るようにクロスピースを合わせた位置で、目盛を読み取り、現在の緯度を判断した。
「本当は自分で手渡したかったのだろうけど、お父さんも忙しい人だからね…」
優しい表情で母が、そう漏らすと、
「ありがとう、父さん、母さん…」
ヴァンは、感謝の気持ちで一杯となった。こうして、親の理解を得た彼は、すぐさま荷物を纏めると、別れを惜しみながらリスボンへと向かったのであった…
リスボンは、相変わらず活気に満ちていた。再びこの港町に到着したヴァンは、少し強めの日差しに対して、
「懐かしいな…昔に、ちょっとだけ来て、それ以来だもんな」
大きく背伸びをしながら感慨深げに、そうこぼした。そして、手紙に書かれてあった地図を頼りに、兄・パウロが下宿している民家を探した。
「そこまで焦ることも無いだろう…のんびり、探すか…」
ところが、あちらこちらと彷徨い始め、
「うん…なんだか、道に迷ったぞ?」
さっき来た場所に戻ると、ヴァンは思わず唸り、
「いかんな…こんな方向音痴なんて、腕の良い航海士にはありえないぞ」
キョロキョロと辺りを見渡しながら、不安な思いにかられていった。と、その時、前方から、大声でわめき散らしながら歩いてくるガラの悪そうな若者に出くわしたのであった。
「ポルトガル王は、腐っている…何故、俺様の崇高で革新的なプレゼンを理解しようとしないのだ!」
その男は、そう言い放つと、片手に持っていた酒瓶を口に運び、たらたらと口元からラム酒をこぼしながら、ぐびぐびとラッパ飲みした。それを見たヴァンは、
「嫌だな…昼間から、酔っ払っている…」
と、呟いた。すると、
「おい、誰だ…今、俺様のことを酔っ払いだとぬかした奴は!」
その男が、ヴァンの目の前まで、ズカズカと歩み寄ってきた。
「お前か、小僧!」
「い、いや…僕は、ただ、飲み過ぎは体に良くないんじゃないかな…って、そう思っただけで…」
「似たようなことだ!」
彼は、大層な剣幕で怒鳴ったが、次の瞬間には、急に情けない顔へ豹変し、
「どうかしましたか?」
「うっぷ…気持ちわりぃ…」
げえ、げえと、ゲロを吐き出した。そして、
「大丈夫ですか!」
「すまねえな…」
ヴァンに背中を擦られながら、彼は、ゲホ、ゲホとせき込んだのだった。
「何があったか分かりませんが、これ以上飲まない方がいいですよ」
「ふん…これが、飲まずにいられるかっつうの…」
男は、そう言って、根性でラム酒を空けると、近くにあったベンチに、どかっと腰かけた。そして、ふいに語り始め、
「俺様の名は、クリストファー・コロンブスだ…」
「別に、名前なんか聞いて無いんですけど…と、言うか聞きたくもないし…」
「いいから、聞け…このクソガキが!」
ヴァンを一喝したのだった。
クリストファー・コロンブス…イタリアのジェノヴァ出身の航海士で、後にスペインで援助を受けて、アメリカ大陸を発見した男である…
「なあ、地球球体説を知っているか?」
ふいに、コロンブスは、そう尋ねてきた。
「知っていますよ。この大地は、広大な平面ではなく大きな球体なんですよね。なので、ひたすら同じ方向を歩いていけば、元の位置に戻れるとか…」
「その通りだ。それゆえに、インドを目指して航海をするならば、アフリカ大陸を迂回するルートより、ひたすら一直線に大西洋を渡って行った方が、早くたどり着けるのだ」
それを聞いたヴァンは、
「インドって、あのアラビアを越えて、さらにその先にある遠い国のこと?」
と、問うと、
「そうだ」
「大西洋の先にインドがあるのですか?」
「地球は丸いのだから、必ずある!」
彼は、そう断言したのだった。この時代では、まだ、アメリカ大陸は発見されておらず、西の大海原を越えれば、ダイレクトにインドへたどり着けると考えられていたのだから無理はない…
「それゆえに、ポルトガル王が熱心に支持するアフリカを迂回するルートではなく、大西洋一直線ルートでインドに向かうことをプレゼンし、それを証明するために支援金を求めたのだ」
と、背景を述べると、
「ところが、あの頭の固い王様は、勝手に自分でやれよと言いやがった…ああ、思い出しただけで腹が立つ!」
これでもかと思うぐらい激しく地団駄を踏んだ。
「でも、すごいスケールですね。僕には、そこまで思い描けなかったよ」
「おお、お前は、俺様の考えに賛同してくれると言うのか!」
コロンブスは、彼の手を取り、
「ありがとう…お前だけだよ、俺の心の友は…」
小さく頷いた。
「(別に友だちになった覚えは無いんですけど…)」
と、心の中で、そう思ったのだが、また怒鳴られると嫌なので、ヴァンは作り笑いをして頷き返したのであった。
「ああ…何だか、これだけ立て続けにしゃべると、たまっていたうっぷんが晴れてきたってもんだな…。そろそろ、行くかな」
背伸びをしながら、彼は大きく欠伸をすると、
「じゃあ、また会おう…少年よ」
笑いながら去って行った。
「何なんだよ、あいつは…」
ヴァンは、そう思いながらも、
「しかし、世の中には、色んなことを考える人がいるものだな…」
と、感心しながら、彼を見送ったのだった。




