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第二話

 かくして、ヴァンの居候生活が始まった…たった数日間と言う短い期間であったが、意欲的だったヴァンは、マージドの論ずる海洋学に没頭し、その身にその学問をどんどん叩き込んでいった。

「うむ…まるで、真綿に水を浸み込ますかのような吸収の速さだ」

 教える側のマージドは、そんな彼の様子に感嘆せざるをえなかった。だが、彼がもっとも目を見張ったのは、ヴァンの学ぶ者としての心得であったであろう…マージドが講義で留守にしている間は、ヴァンは本棚の書物を手に取って読みあさり、彼が帰宅すると同時に質問攻めをしてきたからであった。

 だが、宿泊先を訪れた当初の彼は、船についての質問が主であり、内容も幼いものばかりであった。

「ガレー船とは、どう言ったものなのですか」

 ガレー船の歴史は、紀元前4000年に遡る。船体の構造は、舷側から多数の櫂が突出し、それらを多くの船員が漕ぐことで推進力を得る船である。尚、順風時では、搭載した帆を使用して人力の消費を抑えていた。人力駆動である利点は、風向きに左右されにくく、急加減速、旋回が行ないやすい点であるため、風向きの変化に富む地中海では、この高い機動性により重宝された。だが、櫂を水面に届かせるために船体が平べったく、喫水線が低い形状なので、荒波に対して非常に弱く、浸水を起こしやすいため、大航海時代での外洋航海には不向きであった。また、多くの船員を必要とする面で、コストパフォーマンスがとても悪いこともあったため、次第に帆船であるキャラック船、キャラベル船に取って変わられ、衰退していった。

「…と、言ったところじゃのう」

 マージドは、おやすい御用と言わんばかりに答えた。しかし、興味対象の幅は徐々に拡大し、最終的には航海全般にまで達すると、その質問は、難解極まるものへと発展していった。

「この本によると、紀元前のフェニキア人によってアフリカ周航が成されたと記されております。すなわち、それはアフリカ大陸の南端が存在することになりますが、間違いのない話なのでしょうか」

 フェニキアとは、古代の歴史的地域名称であり、北はシリアのタルトゥースから、南はパレスチナのカルメル山に至る海岸沿いの南北に細長い地域で、現在ではレバノン辺りとなる。フェニキア人は、エジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受け、紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始めた。紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出し、地中海全域を舞台に活躍した。ちなみに、彼らの航海術は、とても原始的なもので、とりわけて二つの手段を用いていた。一つは、北極星による現在位置の把握であり、もう一つは、夜間航行を避けたことである。古代の旅人たちにとって、果てしない漆黒の水面は、不安と迷信的な気鬱は発症させる格好の材料であったからである。

「今、世間ではアフリカ大陸の南端の有無について、大いに論じられております。これが、事実であれば、我が国は大いに勇気づけられるでしょう」

 さて、フィニキア人によるアフリカ周航についてだが、彼らは紀元前7世紀にエジプト王の命を受けて、アフリカを時計回りに一周したと言う…

 アフリカ大陸がアジアに接する点を除いて四方を海に囲まれていることは、その地形から明らかなことではあるが、その事実を証明して見せた者こそ、ファラオ・ネコであった。無論、当時において、地中海と紅海は、陸地で分断された二つの海として考えられていたため、海上路による一貫した交易が行なえない状況であり、大型輸送において非常に不都合であった。彼は、それを解消するべく、地中海と紅海を結ぶための運河をスエズ地域に建設しようと試みたのだが、その事業は頓挫してしまう…そのため、二つの海をつなぐ迂回路の発見を代案とした彼は、それを探すべく航海術にたけたフェニキア人たちに依頼し、彼らの船団を派遣したのであった。その際、出発点は紅海とし、帰路には「ヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)」を抜けて地中海に出てからエジプトへ帰還するよう命じている。

 かくして、フェニキア人たちの船団は、南を目指して渡航を開始した。彼らの航海は、とても気の長いものであり、秋になれば、最寄りのアフリカ大陸に接岸し、その大地に穀物の種子を蒔いて刈り入れの時まで長期滞在した。そして、穀物を採り入れると船を出すという風な具合であったため、三年もの歳月をかけて「ヘラクレスの柱」を迂回し、エジプトへ帰還したのであったが、アフリカ周航を成し遂げたことに変わりはない。その根拠として、彼らは、「アフリカを就航中、いつも太陽は右手にあった」と王に報告している。これはおそらく、アフリカ大陸南岸を西進中、太陽がいつも右、つまり北に見えたということであろう。また、アフリカから見て東方のインド洋側は、過去の航海実績もあったため、当時から比較的よく知られていた。そして、大西洋側は、後にポルトガル人たちが南下する際に苦労することになる地域だが、このあたりは常時極めて強い南風が吹いており、南下するよりも北上する方が容易であったと推測できる。これらのこともフェニキア人たちを大いに助けた材料であると考えられ、彼らの功績は真実味を帯びている…

「アフリカ南端を示す地図は無く、古代より伝わる文献に、その結果が記載された文言が残るだけ故、証拠に乏しいが事実であると思う」

 そう言うと、マージドは、さらに続けた。

「過去で失われた叡智、技術を蘇らせることは、まさにロマンと言うべきであろうか…そして、それを成し得ることができるのは、これからの時代を支えていくお主たち若者の使命であると思うぞ」

 ヴァンは、その重き言葉を、ただじっと噛みしめたのであった。


 そして、時は瞬く間に過ぎ去り、別れの日が訪れた…

「短い間でしたが、お世話になりました」

 名残り惜しみながらも、ヴァンたちは丁寧にお辞儀をした。

「うむ…今日の日まで、よくがんばったのう。わしの教えた生徒の中で、一番優秀じゃったぞ」

 マージドは、そう称賛すると、

「おお、そうだ。がんばったご褒美ではないが、この本を君にあげよう」

 本棚から一冊の本を取り出して来て、ヴァンにそっと渡した。それは、航海術の歴史と基礎的な原則や天測や季節風の計算方法、船乗りとして必要な情報などについて詳細に解説された書物であった。

「この本を僕に…」

 彼がその本を手に取り、この数日間でにわかに覚えたアラビア語を駆使しながら、何とか解読しようと、くいるように見入っていると、

「お主が航海士となるのは、まだまだ先のことじゃ。少しずつ勉強なされよ」

 その姿に、マージドは笑顔を作って、そう告げた。

「ありがとうございます。こんな大切なものを頂きまして…」

「うむ。お主が腕の良い航海士になることを、大いに期待するぞ」

 そう言いながらヴァンの頭を撫でた。

「帰りの道中は、十分に気を付けるのじゃぞ」

「先生こそ、いつまでもお元気で…」

 こうして、二人の少年たちは、マージドに見守られながら彼の宿泊先を後にし、リスボンを立ち去ったのであった。


 今は、大航海時代の真っただ中にあった…

 大航海時代とは、15世紀末から16世紀初めにかけて、ポルトガルやスペインを中心とする西欧諸国が大西洋やインド洋に進出し、交易ルートの確保、あるいは、侵略や植民地化を推進していった時期である。無論、外洋に出る彼らの目的はそれだけではなく、キリスト教の布教や地理学・天文学などの学問の発展のためと言った高尚なものもあった。

 彼らを航海へと大いに駆り立てたものは、マルコ・ポーロが自らの旅行体験を記した「東方見聞録」である。そのヨーロッパ中に広まった記録は、イスラム諸国、インド、中国、ジパングについての情勢や文化、プレスター・ジョンの伝説などが記されており、彼らの世界への好奇心を掻き立てるのに十分だったことであろう。ちなみに、プレスター・ジョンとは、中世の社会において、東方にキリスト教の国家があり、その国を彼が治めていたと言う伝説上の人物である。その言い伝えの発端は、キリスト教勢力がイスラム教徒と対抗するために十字軍を結成し、聖地を奪回しようと苦戦する中で、東方より援軍が来ることを待望して、ヨーロッパ中に広まったとされている。この国を発見することが、イスラムを倒し、栄耀栄華を極める道であると誰もが信じていたのである。

 こうした中で、意欲的に外洋へと羽ばたこうとしたのが、ポルトガル王ジョアン一世の息子であるエンリケ王子であった。1415年、彼は、イスラム勢力が立て籠もるジブラルタル海峡に接するアフリカ北岸の都市・セウタを攻略し、アフリカへの進出の足掛かりを築くと、海路での東方への勢力拡大を考えるようになった。また、1419年には、大西洋沖、ポルトガルの首都リスボンから見て南西に約1000 km、北緯32度から北緯33度、西経16度から西経17度に位置し、火山群島で玄武岩からなる台地状の4つの島々、マディラ島、ポルト・サント島、デゼルタス島、セルヴァジェンス島からなるマディラ諸島を発見し、そこでサトウキビの生産、砂糖の精製する事業を展開すると、それが大いに当たったため、探検事業のための莫大な資金を得ることができたのであった。15世紀当時、ヨーロッパの代表的な甘味は蜂蜜であり、砂糖は高価稀少な品で調味料と言うよりは薬品的な扱いを受けていたため、マディラ産の砂糖は優良な交易品となったのである。ちなみに、16世紀に入って、アフリカ大陸や新大陸で大規模な砂糖生産が可能になると、マディラ産の砂糖の価値は低下したが、その後においてもワインや小麦の産地として機能し続けている。こうして、夢と軍資金を手にしたエンリケ王子は、アフリカ西海岸の探検および航海の指揮をとり、パトロンとして多くの航海者たちの援助をしたのだった。さらに、彼は、ヨーロッパ各地から造船技術、航海術の専門家たちを招聘して、探検用の船として改良したキャラベル船を開発し、学校などを建設して人材の育成に励んだのである。ちなみに、キャラベル船とは、3本のマストを持ち、キャラック船よりも小回りが利くため、座礁の危険性が少なく、運行するための必要な人員を抑えることができる効率の良い小型船だ。喫水はそれほど深くなく、船体はスマートな形状をしているため、沿岸の複雑な地形や浅瀬の探索、河川の遡上が可能である点から、当時の探検家たちに愛用されてきた。こうして、彼の情熱は、次第にポルトガル国内へと充満し、国を挙げての外洋進出プロジェクトが動き出したのであった。


 ヴァンの生まれは、シーノスという名の町で、リスボンから南へ約100km離れたところにある海岸沿いの街だ。そのため、今回のリスボンの見学は、7日がかりで行う計画を立てたのだった。もちろん、最初は母親に反対されたのだが、好奇心旺盛で意欲的な彼の熱弁に負けた彼女は、しぶしぶ許可を出したのであった。ちなみに、ヴァンの父・エステヴァン・ダ・ガマは、総督としてシルベスという町に派遣され、そこの役人たちをまとめる任務に就いていた。そのため、実家では、ヴァンと彼の母親、そして、彼の兄であるパウロ・ダ・ガマの3人で暮らしていたのだった。

「母ちゃんのことだ。多分、怒っているだろうな。マージド先生のとこに居候して、さらに7日間の超過だからな…」

 帰路の途中、ヴァンの旅に同行していたパウロが、そうぼやくと、

「あの大先生から直々に教えを乞えるチャンスなんて皆無に等しいことだよ。僕は、怒られても悔いはないぞ」

 ヴァンは、そう言い切った。

「そうか…随分と立派な心がけだな。だったら、俺の分まで尻叩きの刑を受けてくれよ」

「えっ…それは、無理。無理だって…母ちゃんは本気で叩くから、マジで猿の尻みたいに真っ赤っかになっちゃうよ」

 パウロの発言に、ヴァンが泣きつくと、

「しかし…あと少しだな、我が家まで」

 彼は、首を回しながら肩の筋肉をほぐし、旅行中に蓄積した疲れを吹き飛ばさんとばかりに大きく背伸びをした。と、言うのも、彼らは、旅の経費を少しでも浮かすため、最初の7日間は、宿舎等を利用することなく、見ず知らずの民家へ頼み込み、馬小屋の片隅で藁にまみれながら寝泊まりしていたからである。後の7日間は、マージド先生のもとで快適な居候生活だが、勉強疲れと言ったところだろう…

「でも、兄さんについて来てもらって、本当に助かったよ。多分、僕一人だけだったら、今回の計画の許可は下りなかったと思うからね…」

 ヴァンが、そう口にすると、パウロは、

「そんなに、気にするなよ。俺も一度は、あのキャラック船というでっかい船を見てみたかったからな」

 と、笑ってみせた。

「でも、今回の旅で、はっきりしたよ。僕は、絶対に船乗りになる。そして、あの大きな船に乗って、まだ行ったことがない世界へ行くんだ」

「ははは…そう、きばるな。周りの連中は、みんな船乗りになりたいと言うが、そう容易いものじゃないんだぞ」

 夕日に照らされる中、そうおしゃべりしながら閑散とした荒野を歩いていると、急にガラの悪そうな男たちが、二人に絡んできた。そして、

「こんな寂しい場所で、小僧二人が何をやっている?」

 ニヤニヤと笑いながら、二人に近づいてきた。

「まずい…追剥かもしれん…」

 パウロは、そう言って、ヴァンの前に立つと、

「俺たちは、海を見に来ただけで、何も高価な物は持っていません…」

「ほう…それは、本当なのかどうか…」

 追剥たちは、剣を抜いて、彼らの目の前に突き付けた。

「やられる…」

 ヴァンは、思わず目をつぶった。と、その時、二人の前に、馬にまたがった青年が駆け込んできたのであった。

「いい大人が、二人の子どもを相手に何をしている!」

 騎士の衣装をまとった青年は、大きな声で、そう発した。

「むう…あの格好は、王宮に仕える騎士か…」

 追剥の一人が、顔をゆがませながらこぼすと、別の男が、

「何をびびっている…騎士と言っても、若僧一人じゃないか」

 と、言って、

「なめるなよ。若僧!」

 持っている剣を、速やかに彼へ向けたのだった。だが、その騎士は、

「この愚か者め!」

 怯むことなく立ち向かい、あらぬ早業で追剥たちの剣をはじき落としたのであった。

「くっ…」

「動くな!」

 とっさに追剥の一人は、落とした剣を拾おうとしたが、その騎士の剣がすばやく彼の目の前にはばかったため、ついに彼らは降参したのだった。

「ど、どうか、命ばかりは…」

「ならば、さっさとこの場を立ち去れ!」

 そして、その青年に罵倒された追剥たちは、クモの子を散らすように逃げていったのだった。

「ありがとうございます。おかげで助かりました」

 パウロが、そう礼を述べると、青年は、

「たまたま用があって、ここを立ち寄ったのが幸いだったな。この辺は、まだまだ治安が悪い。早く、家に戻られよ」

 と、言って、馬首を返した。

「お待ちください…せめて、お名前だけでも、お聞かせください」

 パウロの影に隠れていたヴァンが、飛び出して来て、そう尋ねると、

「私の名は、バルトロメウ・ディアスだ…では…」

 彼は、そう残して颯爽と立ち去っていった…

 バルトロメウ・ディアス…今は、まだ王宮に仕える若い騎士だったが、後にアフリカ最南端の喜望峰を見つける人物であった。

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