最終話
それから、長い年月が経過し、西暦1541年となった…
「ここが、ポルトガル王国か…坂の街と聞いてはいたが、ここまで見事に丘の麓から頂きまで切れ間なく家々が続いているとは…」
時のポルトガル国王ジョアン3世の要請を受けた一人のイエズス会の宣教師が、港町リスボンに訪れた。
彼の名は、フランシスコ・ザビエル…日本でも、学校の教科書に登場するほど馴染み深い歴史上の人物であり、異国から来訪した宣教師として知られる。1506年頃、彼はナバラ王国のパンプローナに近いハビエル城で生まれ、バスク人の地方貴族として育った。彼は5人兄弟の末っ子で、父はナバラ王フアン3世の信頼厚い家臣として宰相を務めた。ナバラ王国は、小国ながらも独立を保ってきたが、フランスとスペインの紛争地帯となり、1515年にスペインに併合される。彼の父は、この激動の中で世を去ったため、ザビエルの一族はバスク人とスペイン、フランスの狭間で、複雑な争いに翻弄されることになった。
1525年、名門パリ大学に留学し、聖バルブ学院に入った後、自由学芸を修め、哲学を学んでいるときにフランス出身のピエール・ファーヴルと同室になり、それから間もなくして、ザビエルと同様にバスク地方出身の転校生イグナチオ・デ・ロヨラが加わる。彼は、パンプローナの戦いで片足の自由を失ってからは、故郷の城で療養の後、スペインのアルカラ大学を経て、パリ大学モンテーギュ学院で学んでいたため、その強い影響を受けたザビエルは、迷うことなく聖職者を志すことになる。そして、1534年8月15日、ロヨラ、ザビエル、ファーブルとシモン・ロドリゲス、ディエゴ・ライネス、ニコラス・ボバディリャ、アルフォンソ・サルメロンの7人が、モンマルトルの聖堂において神に生涯を捧げるという誓いを立てた。これが「モンマルトルの誓い」であり、イエズス会の創立である。この時のミサは、当時唯一司祭となっていたファーブルが執り行った。一同はローマ教皇パウルス3世の知遇を得て、叙階許可を与えられたので、1537年6月、ヴェネツィアの教会でビンセンテ・ニグサンティ司教によって、ザビエルもロヨラらと共に司祭に叙階された。当初より世界宣教をテーマにしていたイエズス会は、今回の依頼を受けると、当時ポルトガル領だったインド西海岸の港町ゴアへ彼らの会員を派遣することを決め、その大事な役目をザビエルが担うことになったのであった。
「早速、お目通りを叶えて頂き、いたく感謝の意を申し上げます。イエズス会のフランシスコ・ザビエルにございます…」
王との謁見を許可されたザビエルは、ジョアン3世の前で大きくひざまずいた。
「遠方より、はるばる…我が王国へ、よくお越し下された」
王は、彼をねぎらうと、
「我が国において、全世界に神聖なるカトリック教を広めることは、偉大なるエンリケ航海王子の時代からの悲願…今回、ご英断して頂いた貴殿に、心から感謝しております」
彼を褒め称えた。それを聞くと、
「ありがたき、お言葉…このザビエル、この命と引き換えにしてでも、この任務を全うしたく思います」
ザビエルは、自らの熱き志を表明した。そして、少しの間、世間話で場の雰囲気に色を添えると、
「ところで、王よ…私は、このリスボンの地に来たばかりで、右も左もわからない状態です。それ故に、色々とお話をお伺いしたく思います」
彼は、そう切り出した。
「うむ、よいぞ…何なりと申すがよい」
「ポルトガル王国は、今や海上帝国として揺るぎない大国となりました…この礎を築いた功労者は、どのようなお方だったのですか?」
その問いに、
「なるほど…我が国の功労者と言われると、一人に絞るのはとても難しい…エンリケ航海王子も然り、バルトロメウ・ディアスも然りじゃ…いや、なんと言っても、あの男を抜きに語ることはできないかも知れぬな…」
王は、静かに述べると、
「その男とは?」
「我が国のインド航路と海上貿易を確立した男…ヴァスコ・ダ・ガマだ」
数多くの航海士の中から、彼を紹介したのだった。
ポルトガル王の話を聞いたザビエルは、その一人の航海士に対して、大いに興味が沸き、大いに惹かれた。そして、何とも言い難い力によって、吸い寄せられるように彼の眠る墓地へたどり着いたのであった…
「彼は、1524年12月25日、ウジャヤナガル王国の港町コチンで亡くなっている。葬儀は、現地の聖フランシスコ修道院で行われたが、遺体はポルトガルに移され、ここヴィディゲイラの地で埋葬された…」
彼は、王より伺った情報より、その墓の近くまで来ると、何者かがその墓に花を捧げているではないか…
「もしや、ご家族の方では…」
ザビエルが、そう思った瞬間、ふいに彼と目が合った。
「おや…あなたは?」
その問いかけに、
「私は、イエズス会の宣教師ザビエルと申す者です」
そう答えると、
「おお…お話は、我が国王より伺っておりますぞ。カトリック教の布教のため、遠い異国の地インドへ向かわれるとか…」
その者は、表情を崩して応対した。そして、
「おっと、申し遅れました…私は、ヴァスコ・ダ・ガマの長男に当たるフランシスコと申す者です」
「あなたが、ガマ提督のご子息でございましたか」
その偶然の出会いに、ザビエルは心より神に感謝した。
ザビエルは、ヴァスコ・ダ・ガマの墓前で祈りを捧げた後、ガマ提督の長男に連れられて、彼の屋敷へ向かった…
「大きなお屋敷ですね…羨ましい限りです」
その屋敷は、大きな門と果てしなく続く塀を持ち、その隙間から見える山の如き建築物と広大な庭のある大邸宅であったため、彼は思わずため息を漏らした。
「ははは…滅相もございませんよ」
彼のお世辞に、ガマ提督の長男は品良く笑顔を送った。そして、屋敷の中へ入ると、天井の高い豪奢な客間へ通された。
「すぐにお茶を持って来させますので、どうぞ自由におくつろぎください」
「突然お邪魔をした身ですので、そんなお構いなくとも…」
丁寧に応対する主人にザビエルは、少々恐縮した。と、
「そうですな…それでは、父が亡くなった最後の航海の話をしましょうか…」
屋敷の主人が話すと、
「是非、お願いします」
彼は、真摯な眼差しを彼に送った…
時は、1524年まで遡る…
ヴァスコ・ダ・ガマの第2回目の航海以来、ポルトガルはインド洋の支配を強めた。その最中、イスラム系商人らの訴えを受けたマムルーク朝は、ローマ教皇に対して抗議の書簡を送ったが、これに対して強硬な手段に出たポルトガル王国は、彼の後進たちにインド洋沿岸の各地に要塞を築かせ、武力による対抗手段に出た。しかし、それが仇となり、無駄な要塞の拡大や取り巻きの重用の影響で、次第に経費がかさみ、王室の財政は逼迫した。また、中には私服を肥やすことに熱心な者が現れる等、風紀が大いに乱れた。ポルトガル国王マヌエル1世が崩御すると、後継者であるジョアン3世はブラジルへの植民活動の活性化と共に、インドおよび東南アジアの経営改革に乗り出すため、その役目をヴァスコ・ダ・ガマに命令した。この時、彼は既に齢60歳を超え、顔はしわだらけの白髪、白髭のじいさんとなっていた。
「海上貿易を確立したのに、国の財政が破たんしたのでは、言語道断ではないか。全く、我が後進たちは、一体何をやっておるのだ」
第3回目の航海となるガマ提督の洋上の姿は、誰が見ても終始において、不機嫌そのものに映った。
「父上…後輩の方々も、全ては祖国のためでやったことであると思います。その時、その場の状況、考え方の違いもあります故、一方的に悪いと決めつけるのは、少々酷い話ではないでしょうか」
ガマ提督に同行していた息子フランシスコが、そうやんわりと否定すると、瞬時に答えがはね返ってきた。
「ならば、しきりに賄賂を要求したり、収益の一部を着服したりしている者たちは、どうだと申すのだ」
「それは、さすがに弁解の余地はございません。よく取り調べた上、直ちに罰するべきでしょう」
と、じじいと若僧が、そうこうやっている内に、ガマ提督一行は、インドで最も大きなポルトガル王国の拠点である港町ゴアへ到着したのであった…
そして、ガマ提督は、調査チームと共に現地調査を入念に行った。
「むむむ…ゴアの市長とその取り巻きたちは、特定の者たちが有利に働くよう賄賂を要求していたようだ。また、賄賂に応じない者は不利な扱いをする等、陰湿ないじわるをしているそうだ」
その事実を知った彼は、
「しかも、香辛料の収益の一部横領までしていたとは…ゆ、許せん」
当然の如く、激怒した。
「フランシスコよ…この者たちを、大至急ここへ連れて参れ」
「承知!」
ガマ提督の命を受けた彼の長男は、配下たちと共に彼らを捕まえに向かった…それから、しばらくして、
「ええい、一体何があったと言うのだ…離しやがれ!」
フランシスコたちに捕らえられたゴアの現市長と取り巻きたちは、大きく抵抗しながらガマ提督の前に姿を現した。
「静まらんか、貴様ら!」
それを見て、彼は一喝した。そして、
「我々は、無実だ。これは、明らかに冤罪だ」
「女々しいぞ、お前ら…調べはとっくに、付いているわい」
騒ぎ立てる彼らを一蹴すると、
「民間との信頼関係があっての国である。民間の反発を買って繁栄した国など、聞いたことが無い。これ以上、くどくど説明もする気にもなれん。よって、お前らを今日限りで解雇する」
そう判決を下した。それを聞いた彼らは、
「そ、そんな…ちょっとした出来心だったんですよ」
「そうです。第一、向こうから一方的に賄賂を贈ってきた者だっているんですよ」
なんとか、この場を逃れようとするが、
「言い訳をするな。もう一度言う、速やかにここを立ち去れ。以上だ!」
結局、話は覆ることは無く、彼らはあえなくクビになった。そして、急いで新たな市長と役員を選出し、市政の再強化を図ったのであった。
「さて、メスを入れないといけないことは、まだまだある…」
ガマ提督が、次に取りかかったことは、無用な余剰人員の削減と余剰要塞の解体だ。
「もはやこれ以上、無用な戦争は避け、余計な軍事費はかけるべきではない。まずは、対話を持って臨み、交渉で解決できるよう努力せよ。また、武力を誇示するためだけの要塞は、それこそ無用の長物であるため、解体するべきだ」
彼は、そう発し、
「だが、商館は増やせ。今後において、ビジネスチャンスはさらに増えてくるであろうし、それらが窓口となって情報共有すれば、よりスムーズ、且つスピーディな対応ができるようになるからだ。ただし、効率よく、広範囲に展開することだ」
続けて、持論を展開した。こうして、彼は、インドおよび東南アジア一帯にある要塞を回り、必要がないと判断したものを、次々と解体し、余剰となった人員の削減を命じていった。
「のう…フランシスコよ」
「何でしょう?」
無用な要塞の破棄される現場を眺めながら、ガマ提督は息子に話しかけた。
「ポルトガルは、トルデシリャス条約に従い、スペインよりも早く香辛料の産地であるセイロン島、モルッカ諸島を押さえることに成功した故、これ以上如何なる国とも争う必要は無い…海上貿易により、経済面で他国よりも優位に立った以上、あと臨むことは、我らの思い描く理想の世界の創成である…我が主であるイエス・キリスト様の教えを全世界に広めていくことであろう…」
それを聞いた長男は、
「まさに、おっしゃる通りだと思います。これからのポルトガルは、大義に生きるべきでしょう」
大きく頷いた。敬虔なカトリック教徒の多いポルトガルは、これより先において、全世界を対象とした布教活動をさらに過熱させていくことになった…
各地を巡回する途中、ガマ提督は病気で体調を崩していたが、それにも負けることなく全てのポルトガルの拠点を回った。
「もはや何も心配をすることはない…私の役目は、終わった」
彼は、そう言い残し、港町コチンに到着すると、間もなくしてから静かに息を引き取り、その生涯を閉じたのであった…
その話を、ザビエルは胸を詰まらせながら聞き入っていた…
「なんと、すばらしい御仁だ…まさに、彼がいたからこそ、今のポルトガルがあると思いますよ」
彼は、そう話すと、おもむろに立ち上がり、
「神よ…私は、誓います。私は、偉大なる彼の意思を受け継ぎ、全世界にカトリック教を広め、安楽で泰平な世を築いていきますことを…」
十字を切って、祈りを捧げたのであった。
1541年4月7日、ザビエルはリスボンを発った。同年8月には、モザンビークに到着して秋から冬の間をそこで過ごすと、翌年2月に出発し、同年5月にゴアへ到着し、インドの地へ足を踏み入れたのであった…
「この港町が、高名なガマ提督の築きあげたポルトガルの拠点か…」
特別な思いを胸に、その地に彼が降り立つと、
「若輩者の身ではありますが、最善を尽くしましょう」
躊躇うことなく、布教活動を開始した。そして、惜しむことなくインド各地へ足を運び、その尊い教えを説いて回った…そして、それから月日はさらに経ち、1545年9月にはマラッカ、さらに1546年1月にはモルッカ諸島を訪ねて宣教活動を続け、多くの人々をカトリック教へと導いたのだった。
そして、1547年に再びマラッカへ戻った際、一人の日本人に出会うことになる…彼の名は、「ヤジロウ」と言い、現在の鹿児島県出身の青年であった…薩摩国あるいは大隅国の出身である彼は、若気の至りで人を殺してしまい、長期に渡って逃亡生活を続けたが、ついに逃げ場を失ってしまう。その際に、たまたま来航していたポルトガル船に乗り、その船長であったジョルジュ・アルヴァレスの紹介を受けて、マラッカにてザビエルと出会うことになる。ザビエルの導きで、ゴアへ向かったヤジロウは、1548年の聖霊降臨祭にボン・ジェス教会で、日本人として初めて洗礼を受けた。霊名はパウロ・デ・サンタ・フェで、「聖信のパウロ」と言う意味である。また、同地の聖パウロ学院でキリスト神学を熱心に学んでいる。日本でのキリスト教による布教活動の見解をザビエルに問われた際、ヤジロウは、スムーズに進むだろうと答えた。その人柄と彼の話す日本の様子を聞いていたザビエルは、日本に興味を持ち、現地での活動を決意した。
1548年11月にゴアで宣教監督となったザビエルは、翌1549年4月15日、イエズス会コスメ・デ・トーレス神父、フアン・フェルナンデス修道士、マヌエルと名乗る中国人、アマドールと名乗るインド人、そして、ゴアで洗礼を受けたばかりのヤジロウら3人の日本人と共にジャンク船でゴアを出発し、日本を目指したのだった…
彼の日本人に対する印象について、こう残されている…
「この国の人びとは今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます」
と…
~完~




