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第十六話

 港町カリカットに到着したコヴィリャンとヴァンは、その市場に一歩を踏み入れた瞬間、我が目を疑った。

「まさか…あの山積みされた革袋の中身は、全て香辛料なのか」

 そこには、自分たちの追い求めていた物が、あちこちに溢れていた…と、言うよりも、腐るほどあるぞと主張するが如く、ひどく雑に扱われていたのだった。あれが入った小さな小瓶が、我々の住むヨーロッパでは、黄金と同じ価値があると言うのに…

「やったぞ…念願の香辛料だ。これだけ街に溢れているのであれば、我らにも取り分が必ずあるはずだ」

 中間マージンがゼロになった時の価格を想像すると、彼らは胸が張り裂けんばかりの状態であったに違いない。だが、カナノールとは打って変わり、カリカットでの交渉は、難航を極めた。

「古来より、全ての香辛料は、ここカリカットに集積された後、イスラム系商人たちにのみ売り渡すルールとなっている。故に、異教徒の商人が香辛料を入手する際は、イスラム系商人より購入しなければならない」

 …なんと理不尽なルールだ。これでは、いつまでもイスラム系商人の言い値で買わないといけなくなるではないか…二人は、そう思わざるを得なかった。カリカットの街は、他の街よりも群を抜いて勢力が大きい上に、大のイスラムびいきなのだ。それ故に、

「イスラム系商人たちの買い値よりも、十分に高く買うことを約束しよう」

「ダメだ」

「そこに山積みされた革袋を、全て買おうではないか…それでも、ダメか」

「ダメなものは、ダメだ…いにしえからの風習を、簡単に壊すことはできぬ」

 カリカットの商人たちの考えは、ついに変わることは無かったのである…


 その日の夜、失意に暮れたコヴィリャンとヴァンは、街の居酒屋でヤケ酒を飲まずにはいられなかった。

「ああ、なんと言うことだ…目の前に、まさに目的の物が溢れていると言うのに、どうすることもできないとは…」

 コヴィリャンが、そう漏らして酒をあおると、

「こうなることは、前からわかっていたこと…とにかく、粘り強く交渉しましょう」

 ヴァンは、そう言って、彼を勇気付け、こう付け加えた。

「カリカットは、香辛料の集積地です…ならば、その生産地は別のところにございましょう。ここでの交渉が、難儀極まるものなのであれば、生産地を探して、直接取り引きした方が良いかも知れませんな」

 その話に、

「いや…その生産地がどこかわからぬ以上、現状はカリカットに頼るしかないし、彼らに聞いても簡単に教えてくれまい。そうなると、我らの手で、それを探し当てなければならなくなるため、長期戦になることは避けられまい」

 コヴィリャンが、指摘すると、

「この地に、我が国の商館を建てさせてもらい…そこで、情報収集しながら周辺の探索を行う…と、言うことですね」

 彼は、その考えを拾い、色を付けた。

「うむ…それが、最も現実的な手だろう」

 当時において、香辛料の中で胡椒は、インド東岸やセイロン島でのみ産出していた。他のスパイスである…特にクローブは、東南アジアのモルッカ諸島の一部でしかなく、稀少価値が高いため、カリカットの商人が、その販売ルートを徹底し、入手ルートも機密事項としたのも無理はない…ちなみに、ポルトガル艦隊がモルッカ諸島へ到達し、その本懐を成したのは、1512年で、今から約20年後の話となる。

 と、少し離れた席から、その様子を伺う者がいた…

「どうやら、異国の者たちに間違いは無さそうだ…そして、身分もそれなりに高いと見た」

 そう睨むと、彼は席を立ち、彼らに近寄った。そして、次のように話を切り出したのであった。

「あまり見かけぬ顔だな…御仁たちは、どこから来られた?」

 その問いかけに、

「失礼であろう…人の名を聞く前に、まずは自分の名を名乗れ」

 ヴァンは、そう吠えたが、

「これは、すまなかった…私の名は、クリシュナ・デーヴァ・ラーヤと言います。父は、ここウジャヤナガル王国の摂政を務めております」

「お、親父が摂政だと…」

 その男の正体がわかると、途端に飲んでいた酒を拭き出した。

「こちらこそ、とんだ失礼を致しました…私は、ペロ・デ・コヴィリャンで、彼が、ヴァスコ・ダ・ガマと申します。我々は、今後予定している海上貿易の視察で、ポルトガル王国より参りました」

「なんと、そうであったか…我が国を、貿易のパートナーとして選んで頂けるとは、こんなすばらしいことはない」

 コヴィリャンの挨拶に、彼は大いに喜ぶと、

「是非、あなた方を我が王に引き会わせたい…父に頼んでみる故、一緒についてきて頂けないか?」

 躊躇うことなく、首都・ウジャヤナガルへ招待した。すると、

「なんと言う、幸運…こちらこそ、宜しくお願い致します」

 コヴィリャンは、二つ返事で招待に応じた。こうして、彼らは王国の摂政の息子に連れられて、内陸地にある首都・ウジャヤナガルへ向かったのであった。

 …クリシュナ・デーヴァ・ラーヤ。

 後のウジャヤナガル王国の王となる男で、歴代の君主の中で、最も偉大な人物と評されている。


「ところで、摂政のご子息とあろうお方が、何故に首都から遠く離れたカリカットの街まで、お越しになられていたのですか?」

 その道中、ヴァンは、素朴な疑問をクリシュナに投げた。

「うむ。現在、我が国は北インドに勢力を持つバフマニー王国と泥沼の戦争状態となっておってのう…戦いが長期化しているために、どうしても武器や軍馬が不足する訳だ。それ故に、各交易都市を回って、算段および調整を行っている次第だ」

「なるほど、それは大変でございますな…」

 彼の答えに、ヴァンが相槌を打つと、

「現状を簡潔に述べると、武器と軍馬の供給が追い付いていない…このまま行けば、何れは底を尽いてしまうであろう」

 クリシュナは、そう言って、ため息をこぼした。

「何故、そのような計画破綻状態に?」

「港町の商人たちは、自分たちの儲け話を優先し、国事をそっちのけ状態にしておる…我が王国の力が乏しいため、彼らは我らの言うことを素直に聞いてくれないのだ」

「まことに、おいたわしい限りです…」

 彼の悲痛な叫びに、ヴァンは静かに項垂れた。だが、

「そのような状況のため、あなた方に頼みたいことがあるのだ」

 彼は、すぐに話を切り替えると、

「思うように動かない彼らの代わりに、我らで武器、軍馬の輸送を…と言うことですね」

「さすが、聡明な御仁たちだ。余の目に狂いは無かった…」

 自身の心中を見事に察した彼を褒め称えた。

「それらの調達先は、どちらになるのですか?」

「ホルムズになる」

「イスラム教徒の港町か…」

 その名を聞いて、コヴィリャンは頭をかいた…現在のイランに相当するこの地域は、当時の15世紀末期では、ティムール朝、黒羊朝、白羊朝が睨み合う三つ巴の様相を成していた。その中で、一時的に白羊朝が他を併合して統一したが、間もなくして新勢力であるサファヴィー朝によって、滅ぼされるという混乱期にあった。サファヴィー朝は、16世紀初めのイラン北西部のアゼルバイジャン地方を拠点に台頭したサファヴィー教団の指導者イスマーイール1世が建国した国家で、トルコ系遊牧部族民からなる騎兵部隊のキジルバシュを軍事力とし、シーア派の分派である十二イマーム派を国教として、イラン全土を統一した。16世紀末のアッバース1世の時は、首都・イスファハーンが交易とシーア派学芸で大いに栄えた。

 ちなみに、ホルムズは、ペルシャ湾で10世紀から17世紀に存在したホルムズ王国の港湾都市である。ペルシャ湾とインドや東アフリカを結ぶ交易の拠点で、マルコ・ポーロは東方見聞録で、「香料、宝石、真珠、絹、織物、象牙などを取引するインド商人が多く集まっている」と述べている。ペルシャ湾からバグダード、さらにコンスタンティノープルや中央アジアへ品物を運んだのはジェノヴァ商人だが、14世紀以降オスマン帝国が勢力拡大し、やがてビザンチン帝国を滅ぼすとこのルートは廃れた。1498年、ヴァスコ・ダ・ガマがインド洋航路を開拓、1515年にポルトガル艦隊がホルムズを攻撃し支配下に置いた。17世紀になって、イギリス東インド会社は、ペルシャの絹を手に入れるためサファヴィー朝の皇帝アッバース1世から貿易許可を得たが、ホルムズのポルトガル要塞攻撃を支援することを条件とした。1622年、ホルムズのポルトガル要塞が降伏するとアッバース1世は、港湾機能を対岸のペルシャ本土に移し、町の名をバンダレ・アッバースとした。その後、オランダとフランスもこの港町に、東インド会社商館を置くようになった。

「ホルムズは、異教徒が頼みとする重要な拠点…果たして、うまく立ち回れるかどうか…」

 コヴィリャンの弱気な発言を聞いたクリシュナは、敏感に反応すると、

「あなた方が我らに協力してくれるのであれば、我が国王にホルムズ総督宛ての親書を書いて頂き、不自由をすることなく輸送できるよう取り計りましょう」

 すかさず、そうフォローした。


 何か、すっきりしないな…ヴァンは、心の中で思った。

 まず、第一にイスラム教(バフマニー王国)とヒンドゥー教(ウジャヤナガル王国)の戦いでイスラム系商人が、ヒンドゥー教側に勝って欲しいと思うかどうかである。ビジネス上での話だけで割切れる、若しくは「派閥」の違いがあるなら、どちらでも良いと言う選択肢も出ると思うが、敬虔なイスラム教徒であれば、同じ宗教を信仰する側に勝ってもらいたいと考えるものだろう。と、なれば、イスラム系商人が牛耳る各港町での対応の悪さの原因は、そこにある可能性は強いし、ホルムズが好意的に動いてくれるかどうかという話においても、答えは否であろう…

 だが、ここでウジャヤナガル王国を敵に回すような事態にでもなれば、ポルトガルの大計画は間違いなく破綻する…ならば、何も考えずに前を見て歩くしかない。今後、どんな展開となっていくかを想像してもしょうがないのではないのか…ヴァンは、ある覚悟を胸に刻み、思っていたことを全て飲みこんだのであった。


「コヴィリャンさん…ここは、ウジャヤナガル側の要求を受けることを前提として、母国へ持ち帰り、検討させてもらいましょう」

「お主も、そう思うか…」

 両者が、ポルトガル語で口裏を合わせると、

「わかりました…その件につきましては、母国に持ち帰り、しっかりと協議させて頂きたく思います」

 コヴィリャンは、良好な回答を告げた。

「おお…考えて頂けるとのことですな。ならば、我が父にお願いして、御国宛ての親書を我が国王に書いて頂きましょう」

 その答えに、クリシュナは笑顔になると、握手を求めてきた。

「今後とも、宜しく頼むぞ。コヴィリャンどの…」

「こちらこそ…」

 コリヴァンは、その手をしっかり握り返し、その誠意に応えたのであった…


 そして、首都・ウジャヤナガルに到着したコヴィリャンとヴァンは、王国側より大歓迎を受けた。そして、クリシュナの父であり、摂政であるトゥルヴァ・ナラサー・ナーヤカの取り計らいにより、現国王・サールヴァ・ナラシンハとの謁見に成功し、その親書を受け取ったのであった。

「今日、あなた方に会えたことを心より嬉しく思うぞ。我らの願いを引き受けてくれた暁には、カリカットでの香辛料の取り引きを直接行えるよう街へ通達し、御国の発展のために、惜しむことなく協力しようではないか」

 ウジャヤナガル王は、そう言って笑顔を見せた。その言葉に、

「ありがたき幸せ…多大なる恩恵を頂き、感謝に絶えません」

 コヴィリャンは、深々と頭を下げた…だが、前述したように、カリカットは大きな力を持っているため、遺憾極まりないこと甚だしいが、このウジャヤナガルの王命は無視されたようである。

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