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第十四話

 その後、ポルトガルの海外に対する思いは、果てしなく募っていくことになる…


「ディオゴ提督が持ち帰った話によれば、プレスター・ジョンの王国がアフリカ内陸部にあるそうだ」

「プレスター・ジョンの話は、俺も聞いているよ。ただ、話の出所は、ディオゴ艦隊とほぼ同じ時期に出航した別部隊からだけどな」

「それは、どんな話だ?」

「ベニン王国(現在ではナイジェリア南部にあたる)の王様が、アフリカ奥地に十字のシンボルを崇める異教徒の王国があると言ったそうだ」

「なるほど…二つの話を纏めると、プレスター・ジョンの国は、間違いなく実在すると考えても可笑しくはない訳だな」

 ある日のこと…とある王宮の一室で、ポルトガル王国の家臣であるペロ・デ・コヴィリャンとアフォンソ・デ・パイヴァが、大いに期待を膨らませながら、東方のキリスト教国家について情報を交わしていた。彼らは、互いを認め合う無二の親友であり、且つ、敬虔なクリスチャンであった。

「よし、すぐにでも我が王に進言しよう…そして、我らの手でプレスター・ジョンの王国を探し当てるのだ」

「異議なし…大いに、賛成だ」

 そう話すと、二人は固く握手を交わした。

「ただ、その国については、どうもアフリカ大陸西岸から向かうルートは難儀であると伺っている…ベニンの王様の話では、その王国は、マムルーク朝より南方の奥地に位置するそうだからな」

「と、なると、マムルーク朝の港町であるアレクサンドリアまで渡航し、そこから首都カイロを通って南下する方が良いと言うことになる」

 と、二人は頭を捻った…イスラム教徒であるマムルーク朝との国交は、ほぼ皆無と言って良い。そんな状況下で、ポルトガル軍が彼らの国を我が物顔で闊歩すれば、どんな事態に陥るか…二人は、時間をかけることなく容易に想像できた。

「大部隊を編成して、探検するのはまずい…旅行者を装って、少数で隠密に行動するべきだな」

「うむ…これは、かなりの危険を伴う旅となりそうな気配がするぞ」

 しばらくの間、二人はじっと顔を見合わせたが、

「だが、ここまで情報が揃っていながら指をくわえて、ただ立ち尽くすのは、何とも情けない話だぞ」

「そうだ…やるしかないな」

 決意を胸に刻むと、急ぎジョアン2世の下へ向かったのであった…


 その頃、謁見の間では、ジョアン2世のお目通りを許されたヴァンが、王と応対していた…ディオゴ提督の下、大きな成長を見せた彼は、ここリスボンにて、密かに注目の人物になりつつあった。

「我が艦隊がインド航路を確立するためには、情報がまだ不足していると思われます…少なくとも、目的地の情勢がどのような状況であるかを把握しておくべきでしょう。かくなる上は、一度陸路よりインドを目指し、現地情報の入手に努めましょう」

 彼の進言に、

「お主の言うことは、もっともなことじゃ…だが、陸路となるとイスラム教徒の国々を横断することになり、大きなリスクを伴う。それ故に、それなりの覚悟が必要となるぞ」

 両手を組みながら王が、そう問うと、

「もし、お許しを願えるのであれば、この重要な役目を、私自ら志願したく考えております」

 ヴァンは、覚悟を決めた様子で答えた。

「お主が参ると申すか…ううむ、どうするかのう」

 彼は、そう言葉を詰まらせた時、

「王様…ペロ・デ・コヴィリャンとアフォンソ・デ・パイヴァの二名が、面会を求められております」

 侍従より、そう知らせが聞こえてきた。

「そうか…すぐに、ここへ通せ」

 王は、そう答えると、

「我が臣下の急な面会じゃ。すまぬが、しばし待たれよ」

 彼に対して、すぐ傍で控えるよう指示したのであった。


 コヴィリャンとパイヴァの願いを聞き届けた王は、

「なるほど…両人の意思は、ようわかった」

 と、口にすると、

「実は、そこにいるヴァンと名乗る者から提案があってのう…陸路にてインドへ向かい、現地での偵察をしようと言うのじゃ。そこで、お主らの向かう先とインドの調査をセットにしたプロジェクトとして情報収集を行っては…と、考えている」

 そう切り出した。その話に、

「インド航路の確立は、重要、且つ急を要する我が国策…我々の手で、プレスター・ジョンの王国の捜索と共に、有益な情報を収集して参りましょう」

 コヴィリャンたちが、二つ返事で王命を引き受けると、

「うむ、うむ…頼もしき言葉。さすが、我が優秀なる家臣よ」

 それを聞いた王は、大きく頷いた。それに対して、

「お待ちください、陛下。インドの現地調査は、このヴァンにお任せくださいませ。若輩者ではありますが、必ずや任務を全うして見せたく思います」

 ヴァンが引き下がることなく、

「どうしても、行くと申すか」

「男に二言は、ございません」

 ファイナルアンサーにも耐え忍び、嘆願すると、

「あい、わかった…ならば、お主はコヴィリャンの部下として同行し、その任務を全うせよ。それで、良いな?」

 王は、そう対処して、若者のはやる気持ちを抑えつつもその望みを叶えようとした。

「我が願いを聞き入れて下さり、大変感謝致します」

「うむ…頼んだぞ。ヴァンよ」

 こうして、王は、あと1名の同志として、航海士で騎士の称号を持つジル・バルダイアを人選して、コヴィリャンをリーダーとした合計4名の陸路調査チームを作ると、速やかに国外へ放ったのであった。


 ポルトガル王国は、このような目的に対する調査にはとても熱心に行っており、決め手となる情報をキャッチし、その利害の有無を判断した上で、最終的な手段として航海を用いている…

 ある文献を参照すると、表沙汰にされていない調査を幾つも行っており、その調査を他国に実施してもらっているケースも見受けられる。そのケースの一つとして、デンマークとノルウェーに依頼した大西洋から攻めるインド航路の調査である。当時、デンマークとノルウェーは、ハンザ同盟との対立で経済は逼迫しており、植民地としていたアイスランドやグリーンランド南部の経営を維持することが難しい状況となっていた。だが、彼らには、腕の確かな小船団、海に慣れた水夫、そして優秀な水先案内人と言う貴重な財産を持っていたため、そこに目を付けたポルトガルは、自国がスポンサーになって資金提供することを条件に、共同調査を行なおうと持ちかけたのであった。自国の植民地にて、法王よりキリスト教の布教活動を委託されていた彼らは、資金不足のために延期を余儀なくされていた汚名を返上できる良い機会だと考え、迷うことなくその提案に食いついた。そして、最高指揮官をポルトガル名家出身であるジョアン・ヴァス・コルテレアル、船隊長にドイツから亡命してきた奇才ディートリッヒ・ビニング、水先案内人にデンマーク国王クリスチャン1世の直属の部下であるヨハネス・スコルヴスで、その調査団を構成したのだった。この調査の結果としては、グリーンランドとカナダの間にあるラブラドル海とハドソン湾をつなぐ入り江まで到達して、危険な北極海洋の航海を成し遂げており、とても有意義なものとなった。また、この調査からポルトガルは、インドを目指す航海として北大西洋を横断するルートに現実味を感じることができなかったため、彼らはアフリカ南端経由によるインド航路に執着したのである…

 ハンザ同盟は、中世後期にドイツ北部を中心にバルト海沿岸地域の貿易を独占し、ヨーロッパ北部の経済圏を支配した都市同盟である。中世ヨーロッパでは、周辺の領主に対抗する手段として、独立意識の高い各都市が連合した。そのため、皇帝や国王も都市連合を意識して権力を行使しなければならず、これは世界史上、ヨーロッパでしか生じていない現象と言われている。ハンザ同盟は、都市同盟の中でも規模と存続期間において群を抜いており、また特殊な存在であるとされている。その中核を占めるドイツ北部の都市は、神聖ローマ帝国の中で皇帝に直接忠誠を誓う帝国都市であり、相互に独立性と平等性を保つ緩やかな同盟だったが、経済的連合にとどまらず、時には政治的、且つ軍事的連合として機能した。しかし、同盟の恒久的な中央機構は存在せず、同盟の決定に拘束力も弱かったので、実際はそれぞれの都市の利害が優先された。リューベック、ハンブルク、ブレーメンなど、かつてのハンザ同盟の中心都市は「自由ハンザ都市」を称して中世以来の都市の自由を謳っており、21世紀の現在もその遺風を残している。

 ちなみに、ヨーロッパの繁栄と象徴であるローマを受け継いだ国家として、周辺諸国に対して大きな影響を及ぼした大帝国と言えば神聖ローマ帝国であり、西暦800年にフランク王国のカール大帝がフランク・ローマ皇帝として戴冠されたのが起源となる。その後、フランク・ローマ帝国は、ドイツ王国、フランス王国、イタリア王国の3つに分かれたが、西暦962年にドイツ王オットー1世が、異民族の襲撃からローマ教皇を守った功績により、神聖ローマ帝国の皇帝として戴冠した。この帝国は、王国、公国など大小さまざまの領邦を支配する諸侯の集まった国家で、皇帝の戴冠はローマ教皇によって行われた。皇位は世襲制ではなく、選挙によって諸侯たちより皇帝が選ばれるシステムだが、1438年にアルブレヒト2世が、その後継でフリードリヒ3世が戴冠すると、以降はハプスブルク家が皇位を独占した。また、1508年にマクシミリアン1世がローマ教皇の戴冠を経ることなく即位したことで、これを機にカトリック教会と皇帝の権威が分離された。そして、1519年に彼の孫である当時のスペイン王が、カール5世として皇帝となると、海外のスペイン領を含めた広大な領土を有することになったため、神聖ローマ帝国はその絶頂期を迎えたのだった。


 ポルトガル王国の陸路調査チームは、リスボンを発つと、アレクサンドリア行きの船に乗るため、イタリアのジェノヴァ共和国を目指した。


 と、ここで、当時のイタリアについて述べておこう…

 ヨーロッパ諸国にとって海上貿易と言えば、地中海および黒海が中心であり、その貿易で栄えたのがイタリアの交易都市ジェノヴァ、ピサ、アマルフィ、ヴェネツィアである。このうち、中世において最初に隆盛を誇ったのがアマルフィで、海洋に関する法典の雛形である「アマルフィ海法」を作成するなど、地中海における海洋先進国だったが、12世紀にノルマン人の侵攻とピサによる略奪に遭ったため、衰退してしまった。また、かつてローマ帝国の海軍基地であったピサは、地中海各地に植民地や基地を設けて発展するが、13世紀末にメロリアの海戦でジェノヴァ艦隊に大敗したことで失墜していった。一方、ジェノヴァとヴェネツィアは、11世紀末から始まった十字軍の遠征を機に飛躍的に発展した。また、この海運需要は、近東での貿易基盤を作る機会となり、異教徒を相手に貿易を継続したのであった。

 インド航路開拓以前のジェノヴァ共和国は、近東やエジプトに集積された東洋の産物を買い付け、ヨーロッパ各地へ売る流通経路を主としており、ヴェネツィアとは度々衝突を繰り返している。その後、チュニジア以西の北アフリカ沿岸、ネーデルランドへと手を伸ばすと、その経由地となるポルトガルやスペインの港に多くのジェノヴァ人が住むようになり、現地の人々に航海術や造船技術を教えたり、探検事業に投資したりして、これらの国々が海洋大国として発展する基礎を作った。無論、彼らはポルトガルやスペインの成功の陰で多くの利益を得たのであった。

 また、15~16世紀の大航海時代とほぼ重なるようにヨーロッパでは、もう一つの歴史の流れであるルネサンスが起こった。ルネサンスは、他の封建的な地域よりも自由度が高く、市民文化が醸成されやすい環境にあったイタリアの商業都市ジェノヴァやヴェネツィア、フィレンツェより始まったとされる。また、古代ギリシャ等の古典文化に関する資料は、当時のヨーロッパには殆ど残っておらず、アラビア語で書かれた文書をイスラムより取得しなければならなかったため、これらの都市が、その入手経路を築いていたことにより、ルネサンスの開花が有利に働いたようである。まず、文芸で古典復興の動きがあり、その後、絵画、彫刻、建築、思想、哲学、音楽など他の分野へ拡大していった。そして、のちの3大巨匠と呼ばれるレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティ、ラファエロ・サンティの他、ボッティチェッリ、ティッツアーノ、ジョルジョーネなど、数多くの優れた芸術家が誕生した。だが、フランスとハプスブルク家の対立が激化すると、イタリアは戦場になることが多くなり、それらの文化財が破壊されてしまった。そうした不安定な情勢の影響で、イタリア・ルネサンスは衰退しましたが、他の地域へ戦火を逃れた芸術家たちによって、その文化はヨーロッパ諸国に波及し、各地で発展を遂げたのであった。

「まずは、アレクサンドリアへ向かう商船を探すとしよう。そして、見つかったら、すぐに乗船交渉だ」

 ジェノヴァに降り立ったコヴィリャンが、そう指示を出すと、ヴァンたちは手分けをして船のオーナーたちと接触を図っていった。

「こりゃあ、船の数が多すぎだ…今日中に、いい話となるやどうやら」

 港に整然と列を成して居並ぶ帆船を目の当たりにしながら、粘り強く精力的に彼らは走り回ったのであった。と、そんな中、

「そう言えば、コロンブスさんの故郷はジェノヴァだったな…ひょっとして、こんなところで、ばったり出くわすことは無いよな…あの時、イルカに乗って、どこかへ消えて行ったし…」

 ヴァンが思わず口にした瞬間、

「おい!」

 背後から何者かに呼び止められた。

「この展開は、まさかの…」

 その声に反応した彼が、恐る恐る振り返ると、そこには海の男らしき筋肉質の見知らぬ青年が待ち構えていたのだった。

「よかった…奴じゃない」

 ヴァンが、ほっと胸を撫で下ろすと、

「さっき、コロンブスさんの話をしていたな…お前」

 男が睨みを利かせながら、そう質問を投げてきた。

「そ、そうだけど…」

 その問いに彼は、威圧されながらも答えると、その男は急に強張った表情を崩した。

「ははは、お前はコロンブスさんの知り合いだったのか。以前、俺もあの先輩に色々と世話になったことがあるんだぜ」

「せ、先輩…ええっ?」

 その話に、ヴァンが仰天すると、

「俺の名は、アンドレア・ドーリア…ここジェノヴァ共和国で雇われている海兵だ。ヨロシクな」

 ドーリアは、白い歯を見せて親指を立てた。


 アンドレア・ドーリア…ジェノヴァ共和国の名家ドーリア家出身の傭兵隊長。初めは、ジェノヴァで雇われていたが、後にフランスやスペインにも雇われ、「赤髭王」として恐れられたオスマン帝国艦隊の提督バルバロス・ハイレッディンとも戦った。

 若き頃のバルバロス・ハイレッディンは、海賊として地中海を荒らし回っていたが、後にオスマン帝国に帰順した。1538年のプレヴェザ海戦では、教皇パウルス3世の下、アンドレア・ドーリア率いる教皇国、スペイン、神聖ローマ帝国、ヴェネツィア共和国、マルタ騎士団で構成された神聖同盟軍を撃破している。アンドレア・ドーリアの率いる艦隊とは、何度も血みどろの交戦しており、バルバロス・ハイレッディンこそ、彼の好敵手と言って過言ではないだろう…

 さらに、この機会を利用して、オスマン帝国についてもここで説明しておく…11世紀に一大勢力を築いたセルジューク朝が衰退し、ルーム・セルジューク朝が生まれたが、それがモンゴル帝国の支配下に入ると、そこから独立してオスマン朝が開かれた。オスマン朝は、東ローマ帝国領のブルサを占領すると、そこを首都に定め、さらに西進を開始して版図を広げていった。14世紀末までには、バルカン半島の大半を掌握したが、東方よりティムール帝国の軍勢がアナトリア半島を押し寄せ、アンカラの戦いにて時の皇帝・バヤジィト1世が捕虜になり、獄死してしまう。だが、間もなくしてティムール帝国が衰退したため、オスマン帝国の完全崩壊は免れたが、諸侯が割拠するという分裂状態に陥った。しかし、1413年にメフメト1世が即位すると、彼らを束ねて再建し、次代のムラト2世の時には、空位時代に失った領土をほぼ回復させた。さらに、15世紀中頃にメフメト2世が帝位に就くと、難攻不落のコンスタンティノープルを陥落させて東ローマ帝国を滅亡させ、クリミア半島にも進出して黒海周辺を支配下に収めた。16世紀前半のスレイマン1世の時は、最盛期となり、地中海の制海権を掌握し、ヨーロッパ勢を大いに脅かしたのであった。

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