第九話
その後、ディオゴ艦隊は、再びコンゴ王国の首都ンバンザ・コンゴに到着し、ようやく十分な補給を行うことができたのだった。
「ほんと、一時はどうなるかと思ったよ。空腹感だけでなく、不安から募る疲労感も半端じゃなかったしね…」
ヴァンが積荷を担ぎながら、そう話すと、
「まあ、そうは言っても飯抜きになったのは、たった一日なんだけどさ…」
二人は、顔を見合わせ、途端に大きく笑った。実は、この街へたどり着くギリギリで、先日に釣った魚たちが、彼らの胃袋の中に全て消えていたのだった。
すると、そこへ、
「まったく…海の男が、聞いてあきれるぜ…」
2つの大きな樽を両肩で抱えたコロンブスが、そう嫌味を言いながら、後ろから近づいてきた。
「そう言うコロンブスさんこそ、食糧が底を尽いた日の夜は、一睡もできなかったみたいじゃないか」
「俺様は、腹がすくと眠れない性質なんだよ。飢え死にすることに対して、恐怖など感じた覚えはないぜ!」
「ほんとに…陸に上がるまでは、常に落ち着きなく、甲板の上をぐるぐる回っていたようだけど?」
「誰がぐるぐるとだ…俺様は、ねずみか!」
と、コロンブスが声を荒げた時、衣装を整えた一人の黒人が近づいてきた。
「提督は、おられますか?」
「えっ…あなたは?」
「この土地の王の使いにございます…」
コンゴ王の使者であることを確認したヴァンたちは、態度を改めると、早々に彼を案内したのであった。
「我が国に対して、貴国の特使を送りたいと?」
ディオゴ提督は、その話を聞き、
「承知致しました。是非、我が艦隊にご乗船くだされ」
喜んで、コンゴ王国の特使の乗船を許可した。前述もしたが、この特使によって、正式にコンゴ王国は、ポルトガルとの国際交流を始めることになる…
「冗談じゃない…こんな目に遭うのは、もう二度とごめんだ」
ンドゥルは、行動を共にした仲間たちに怒りをぶちまけた。何故なら、彼らは迂闊にも他部族の縄張りに入りこんでしまったことで、危うく鉄砲玉の餌食にされるところだったからである…
「でも、報奨金はたんまり貰えるんだろ…」
仲間の一人が、そう話すと、
「そりゃ、そうだろ…これで、金すらもロクにくれなかったら、奴らなんかボコボコにしてコンゴ川に捨ててやるさ!」
ンドゥルは、そう大きく吠えながら港町へと向かったのだった…
それから数日間を費やして、艦隊の補給を整えた頃、ディオゴの命を受けたディアスは、港付近で、ある人物を待っていた。
「しかし、遅いな…いつもで経っても、姿を見せんとは…」
ふいに彼が、そう漏らすと、
「どうかしたんです?」
事情がよく分からないまま、話し相手として連行されたヴァンが問いかけた。
「今日、ここでンドゥルと名乗る男と再会する約束をしているのだ」
「ンドゥル…って誰?」
「ほら、往路の時にこの国の居酒屋で出会った黒人だ」
「ああ、あの金のロザリオをしていた人か」
ヴァンが、そう思い出すと、
「実は、あの時に譲ってもらった古びた書状を提督に見せたところ、とても興味を持たれたのだ…そして、もしかするとプレスター・ジョンの伝説に纏わる手がかりが、他にも存在するのではないかと考えられた提督は、報奨金を奮発することを約束し、その男に調査を依頼していたわけだ」
ディアスは、すらすらと背景を説明した。無論、現時点では、その古びた書状が、プレスター・ジョンの物であったかは定かではないが、当時のヨーロッパにおいて、神格化された彼にゆかりがある物だったため、ディオゴのみならず多くの者たちが目の色を変え、それに固執したのは言うまでもない…
「へえ…そうだったんだ。僕の知らないところで、色んな動きがあったんだね」
彼が、そう感心していると、視線の延長線に数人の男たちの姿が、おぼろげながら現れたのだった…
「多分、あの人たちっぽいね…」
ヴァンが、目を凝らしながら呟くと、
「うむ…どうやら、戻ってきてくれたようだな」
遠くの方から向かってくる男たちが、ンドゥルとその連れたちであることを確認した彼は、顔を引き締めて、彼らの応対に臨んだのであった…
「国境の先には、新手の他部族が、縄張りを張ってうろついている…彼らは、武装しているため、とても危険な状況だ。この調査は、あきらめた方がいいぞ」
ヴァンたちのもとへたどり着いたンドゥルは、深刻な顔を見せながら、そう話した。この頃のアフリカでは、多くの部族が点在しており、各地で部族間の争いが絶えない状況であった。
「武装した新手の部族か…何だか、厄介なことになりそうだね」
その話に、ヴァンが相槌を打つと、
「むう…しかし、ここで断念するには、少し惜しい話だ。仮に、その部族の縄張りを抜けた先に伝説の国があったとしたら、我々は千載一遇のチャンスを失うことになる」
ディアスは、おもむろに眉をひそめた。
「でも…そこを通ろうとすれば、きっと喧嘩になっちゃうよ」
「そうだな…我々の第一目的は、海上交易の航路確立だ。ここで、我が軍の武力を浪費するのは、決して賢明とは言えない…だが」
しばらくの間、ディアスは深く思案したが、
「我らに協力して頂き、心より感謝する…」
ンドゥルたちに報奨金を渡すと、ディオゴ提督の判断を仰ぐため、急いで旗艦へと戻った…
「なんと…武装勢力に阻まれて、奥地へは踏み込めない状況であるのか」
ディアスの報告に、ディオゴ提督は表情を曇らせ、
「はい…これより先へ進もうとすれば、武力衝突は避けられないでしょう」
「むむむ…」
その答えに、静かに目を閉じた。
「我が軍事力の前に、その部族を討ち払えないことはない…しかしながら、我が艦隊は、今回の調査を国王に報告する義務がある。それゆえ、迂闊なことはできん」
そう彼が考えを巡らせていると、ふいに傍にいたベハイムが口を開いた。
「提督…このコンゴ王国に流れる壮大な川の存在をお忘れか…」
その言葉に反応したディオゴ提督は、
「それなら、よく存じている…まさか」
軽く返してから、はっとした。そして、
「そのコンゴ川は、アフリカ大地の奥地へと果てしなく伸びている…それに、この河口付近を見る限り、我が艦隊が内部まで侵入できるくらい広大だ」
そこまで言いかけると、
「ならば、陸上から軍隊を差し向けるのではなく、川から艦隊で遡上すれば良い。威嚇砲撃の一つでも食らわせば、向こうは腰を抜かして、身動きすらできない状態となるはずだ」
そう考えを纏め、コンゴ奥地への進行命令を下したのであった。
そして、準備を整えるとポルトガル艦隊は、コンゴ川の遡上を開始した…
「何も、こんなド派手に進行しなくても、俺様がひと暴れすれば、片が付く話だってのによう…」
自信過剰なコロンブスは、そう文句を垂れたが、
「そう言うな…我がポルトガル軍の武力を持ってすれば、十分に勝てる相手ではあるが、まだまだ船旅は長期に渡るゆえ、無駄に戦力を消費させたくないわけさ…」
「ほんと、クールな騎士様だこと…」
ディアスの説明に、ため息を付きながら納得した。
「しかし、わくわくするな…ついに、この艦隊の砲撃を見ることができるんだからな…」
傍にいたカブラルが、そう発すると、
「そんなものか…僕は、何事もなく終わってくれた方が良いと思うんだけど…」
ヴァンは否定的な発言で返した。すると、
「むう…またしても、船乗りらしからぬ言葉を、抜け抜けと吐きやがって…」
その言葉に、カブラルがキレて、
「それでも、海の男か。ちゃんと、キ○タマはついているんかい!」
「なんだと…このデリカシーゼロ野郎が!」
いつもの如く、他愛も無いやり取りが始まり、
「やれやれ、喧嘩するほど仲が良いと言うが…」
その傍で、その様子を伺いながら、パウロはあきれ果てたのだった…だが、そうこうしている内、緩慢に成れと言わんばかりに時間が過ぎ去っていくと、
「しかし、人っ子一人として出くわさんな…」
くだらない喧嘩に終止符を付けて何もやることが無くなり、ついに暇を持て余し尽くしたカブラルは、そうぼやいてうずくまってしまった。
「確かに、おかしいよね…僕たちの存在に気付かなかったのかなあ…」
「まさか…こんなでかい図体しているのに、気が付かないわけがないだろう」
どうやら、カブラルの言っていることに間違いは無さそうだ…
「あんな大砲に打たれたら、イチコロだ…のこのこ出て行くなんて、わざわざ犬死しにいくようなものだぜ」
ポルトガルの壮大な大艦隊を目の当たりにした新部族の者たちは、その誰もが圧倒されるほどの絶対的なインパクトを与える艦隊を前に仰天し、恐怖のあまり逃げ失せてしまったようである…
「恐れを成して消え去ったか…まあ、その方が我らにとって、都合は良い…」
戦わずして勝利を得たディオゴ提督は、気を良くすると、
「よし…このまま、プレスター・ジョンの国まで航行を開始せよ」
そう威勢よく怒号し、ポルトガル艦隊をさらにアフリカ奥地へと誘ったのだった。だが、それから間もなくしてから、彼らはある大きな壁にぶち当たった…リビングストン滝と呼ばれる激流地帯である。この急流は、350㎞の間に30以上も連なっており、260mの高低差を誇る。特に激しいところでは、12kmの間で96mも高度が下がる急流だったことから、長きに渡ってコンゴ盆地奥地へのヨーロッパ人の侵入を阻んだ滝となっている。
「むむむ…」
目の前で雄々しく荒れ狂う激流に、彼は大きく息を飲んだ。そして、
「これ以上は、艦隊での調査は不可能…断念せざるを得ない」
大きくこうべを垂れ、プレスター・ジョン伝説解明の失敗を悟ったのだった…ポルトガル艦隊は、ここで無念の撤退を余儀なくすることになるが、彼はその壮大な滝の麓にある大きな岩に、その思いを刻んだのであった。「ここにポルトガルの王ジョアン2世の船が到着した…」と…
そして、数日後…ディオゴ率いる大艦隊は、コンゴ王国をあとにし、母国へと向かったのだった。
セウタ…
アフリカ大陸北部にあり、ジブラルタル海峡に近い地中海沿岸に位置する。海上交通また軍事上の要衝として重視されてきた都市で、七つの丘を意味するラテン語名から派生したとされている。
紀元前7世紀にフェニキア人が定住地を築いた後、ギリシャ人によって占領される。その後、カルタゴ、ヌミディア王国、マウレタニア領、東ローマ帝国領と支配者が変遷し、710年にウマイヤ朝が侵攻すると、セウタはイスラム軍のイベリア半島攻撃の拠点となったが、今度はイスラム国家間で領有権を巡って衝突が起こったため、幾多に渡って領土の奪い合いが続いた。1415年にエンリケ航海王子が、この地域一帯からイスラム勢力を駆逐し、キリスト教を振興することを目的として攻略し、ポルトガル王国領となったが、1580年にポルトガルのアヴィス王朝が断絶した後、アブスブルゴ朝スペインのフェリペ2世がポルトガル王位を継承したため、セウタはスペイン領となり、1668年のリスボン条約でポルトガルの独立が再び認められた際、セウタは正式にポルトガルからスペインに割譲された。
この日の天候は、波風もさほど無く、程よく日の光に満ちた穏やかな天候であった…
「んっがああっ…」
まったくの無防備で、コロンブスが甲板の上で大きく寝ころび、鼻ちょうちんを作りながら、鼾を立てている傍で、
「ほんと、大した奴だよ…こんな所で、良く眠れるもんだぜ」
船壁に寄りかって休んでいたパウロは、ガブリと堅いパンをかじり、口をもぐもぐさせながら、その様子を観察していた。
「何か、単調で退屈な日々だな…ここ、最近は何も事件が起こらないし、平和そのものと言ったところか…」
デッキの手すりで伏せっているカブラルがぼやくと、
「何を言っている…こうやって、のんびりと海を眺めながら航行できることは、幸せなことだと思うぞ」
その横にいたヴァンは、そう彼をたしなめた。すると、カブラルは急に何かを思いついたかのように顔を上げ、
「そうだ…暇つぶしに剣の稽古でもしようぜ」
と、切り出した。
「剣の稽古だって…僕は、止めておくよ」
「何でだよ…暇なんだから、一試合やろうぜ。こう見えても俺は、地元でも持てはやされるほどの腕なんだぜ。同い年の奴らには、負けたことが無いんだ」
「マジかよ…凄いな、お前は…」
それを聞いて、ヴァンは驚くと、興味深そうに彼へ眼差しを向けた。
「どうやら、やる気になってきたようだな…久しぶりに、腕が鳴るってもんだぜ」
彼の闘争心に火が付いたと思い込んだカブラルは、指をポキポキと鳴らしながら喜び勇んだが、
「待て待て、僕はやらないって言っているだろ」
その拒否発言に、プツンとキレた。
「何でだ!」
「実のところ、剣すら持ったことも無いんだ…僕は」
それを聞いた彼は、
「マジかよ…よく、それで航海士見習いを志願したな…」
たまらず仰天したが、考えを改め、
「いやいや…ちょっと待て。だったら、俺が剣の使い方を教えてやるぞ。船乗りが剣術できないんじゃ、洒落にならないからな…」
と、彼にトレーニングを促した。その話を聞いていたパウロは、寄りかかっていた船壁から体を離すと、ふいに口を開いた。
「良い機会だから、稽古を付けてもらえ。いつまでも稽古から逃げていたんじゃ、ちっとも強くならないぞ」
その話に、
「昔から、苦手なんだよな。こう言ったチャンバラごっこは…従兄弟のゴンザーロにも負けたし…まあ、あの時は、剣じゃなく木の棒だったけど…」
ヴァンが頭をかくと、
「チャンバラごっこだと…てめえ、剣術を舐めるんじゃねえぞ!」
カブラルは敏感に反応した。と、そんな他愛も無い話をしていた頃、ディオゴ艦隊はジブラルタル海峡に差し掛かり、中継点であるセウタに迫ろうとしていた。と、その時、
「おい…どこかの商船が、海賊らしき船に襲われているぞ!」
見張り台に立っていた乗組員の一人が、大声を発して指差した。すると、その先に2体の大きな船が鉢合わせ状態で、海上に停船していたのであった。
「ご覧ください、提督…今、目の前で攻撃を受けている商船は、ポルトガル国旗を掲げておりますぞ」
「なんと…これは一大事だ。すぐに救援に向かわねば…」
襲われている船がポルトガル商船であることを確認したディオゴ提督は、
「今より、我が国の商船を助けるため、その応援と同時に海賊船との戦闘を開始する…各乗組員は、すぐに戦闘の準備をし、所定の位置に着け!」
急いで下知を発した。
「ひょおう…海賊船との戦闘か。血沸き肉踊ってきたぜ!」
異変に気付いたコロンブスは、がばっと起き上ると、途端に血の気の多い性分を露わにした。すると、
「祖国のため、我が剣舞をご披露致すとしよう…」
背後からディアスが現れ、そう静かに述べると、腰に装備していた剣をゆっくりと引き抜いた。そして、
「まさか、お主を戦友とする事態になろうとはな…頼りにしているぞ」
「ふっ…悪く思うなよ。お前の出番が無くなるかもしれないからな」
二人は声をかけ合うと、互いに不敵な笑みを交わしたのだった。
「こうなったら、やるしかないな…」
パウロは、支給された剣を携えると、
「ヴァンとカブラルは、危ないから倉庫に隠れていろ!」
自分の持ち場へと走っていった。
「どうしよう…カブラル」
ヴァンが、不安そうに声をかけると、
「情けない奴だな…俺たちも航海士の端くれだぜ。倉庫になんかに隠れていられるかよ」
きっぱりとカブラルは、そう言い放ち、
「戦う気かよ」
「当たり前だ。海賊相手に逃げ出したんじゃ、海の男が泣くぜ!」
熱を帯びた発言を、お見舞いしてやった。だが、
「そうは言っても、僕は…」
「そうだったな…確かに、お前にとっては無理難題だよな…」
現状でのヴァンの能力を踏まえて、彼は少し考えると、
「わかった…俺たちは、倉庫で隠れることにしよう。万が一、敵が襲って来たら、俺がぶっ殺してやるから、安心しろ」
そう言って、あっさりと前言を撤回した。
「すまない…カブラル」
彼が、そう言って頭を下げると、
「あと、もう少しで母国へ帰れるんだからな…ここまで来たら、最後まで一緒に行動するのが、仲間ってもんだろうよ」
カブラルは、彼の肩を叩いて笑った。




