第二話 教師
梶本は憂鬱だった。この半年、SLA能力者としてコンシェルジュの木村と2人三脚でなんとか拡大自殺事件の未然防止に努めてきた。研修に3カ月、実務に半年、計9か月もの間会社員とSLAの二足の草鞋を履き、会社からは突発休や欠勤が多いと訝しがられ、JSP当局からは極秘任務のため戒厳令が敷かれ、命の危険にも晒されてきた。忙しすぎる9か月が過ぎて、当局から持ちかけられた話はSLAの専属として〇〇省当局へ勤務し、後進の育成に力を注げということだった。
乗り気になれなかった。後輩に仕事を教えるのは最も苦手なことの一つだった。そういうことは、如何にも優しそうで余裕のある人間がやることだとも思った。梶本は自分が無骨で無口なことをわかっている。しかしそれでもSLAと会社員の二重生活には耐えられそうにない。
「一応、表向きは〇〇省勤務、公務員、か。」
虚空を仰ぐ。ここはJSP当局の室内だが、天井には晴天が広がっている。初夏らしい白い雲に水色の空。天井がないわけではない。天井全体に光学による迷彩機能が施され、屋上の床が移す風景が梶本のいる部屋の天井に映し出されているのだ。
会社員でなくなったとはいえ〇〇省の契約社員の身、SLAは超法規的活動を行うため勤務中の服装は原則自由だったが、梶本は自主的に黒のスーツを着てきた。今日は新人のオリエンテーションがあるということだったので、なおさらフォーマルな服装の方がいいだろうと思ったのだ。
短く刈り上げた真っ黒い髪に黒々とした眉毛、小中高と空手をやっていたこともあり筋肉質でSLAとして事件防止活動に務めているときはよく刑事と間違えられた。180cmを超える大柄な男が初夏には重過ぎる黒のスーツに身を包んだ姿は光学迷彩が映し出す晴天とはひどく不釣り合いだった。
「梶さん!」
後ろにのけ反っていた体を直し、梶本はドアの方へ振り返った。入り口のドア前には木村が立っている。梶本よりも15歳も年下だが、れっきとしたSLAコンシェルジュである。詳しい経歴は知らないがどうやら大学院卒業後、そのまま〇〇省へ入省しているらしい。梶本に合わせたのか、紺のスーツを着ているが、くりくりした目の童顔に外国人の子供のようなくせっ毛のせいで学生のブレザーのように見える。
「リラックス、リラックス。暗い顔してると新人さん困っちゃいますよ。」
楽天的というか、木村は年の離れた弟のようなコンシェルジュだ。この明るい青年に半年間どれだけ助けられたかわからない。
「そうだね。ところで今日来る新人さんは君と同年代だね。」
「そうなんですよ!。楽しみだなー。写真を拝見したんですが、なかなか爽やかな人ですね!SLAって結構暗そうな人多いのに。」
木村はこういう時に気を使わない。天真爛漫な子供のようだ。
「ま、まあ、そうだね。」
「あっ。ごめんなさい!梶本さんのことじゃないですよ!」
もう遅い。
「それはそうと、今日の午後から4人で実地研修が入っているのはどういうことだい?オリエンテーリングの後、手続きとか、そもそもまだ座学もやってない新人さんなのに・・・」
「そこ!もーう信じらんないですよねー。こんなスケジュール組むなんて。同じコンシェルジュとして恥ずかしいですよ!」
「さすがは神谷さんってことかな。」
「でもでも危険すぎますよー。危ない任務なのにぃ。」
確かに。ファイルを確認したが、ちょっとやな感じがする。木村はこういう時、勘が鋭い。梶本は木村にはSLAの才能があるのではないか?と思うことがある。手元にあるこのファイルは当局が管理する膨大なデータの中から拡大自殺傾向がある人間をリストアップし、コンシェルジュがSLAに調査を依頼する案件のみ、SLAの手元に届くことになっている。リストを全件見ていたらSLAが何万人いても足りないからだ。
ファイルに載っているのはひょろりと細い体に白い顔をした青年だった。なかなかの美青年といっていい。拡大自殺傾向のある人間に美形は珍しくないのだが、経歴にも、いや、写真の雰囲気にも、華やかな感じがない。かといって地味でもない。なぜこんな青年がリストアップされてしまったのか。それが梶本にもわからなかった。梶本の”わからない”感じが妙な不安となって表れていた。
「まあ、今日は対象の顔色確認ぐらいだから・・・」
梶本は不安を覆い隠すように木村に言った。
「さあ、新人さんと神谷さんを案内しなきゃね。それに同意書その他の書類も午前中に片付けないと!」
梶本は黒いスーツの襟を両手でシュッツと正した。