9 初登校は幼なじみと一緒に
「おいしぃ~っ!」
厚焼き玉子を食べて感動する我が母上様。
台所に立つ者としたら素直に喜ぶべきことなんだろうが、これの数倍美味しいものを口にしていた自分には素直には喜べなかった。
九年ほどばあちゃんや美尋おばさんたちの料理を食べてきたが、不味いと感じたこともなければ飽きたと感じたこともない。毎日が新鮮で毎日が感動できる味であった。
まあ、それはとても幸運なことで命を懸けても惜しくはないことではある。しかし、何事にも善し悪しがある。あの二人──だけではないが、うちの一族は料理上手なので腕の劣るボクに入る隙がないのだ。
ばあちゃんは薬師で専用の調合部屋兼台所が仕事場なので入ることはできないし、美尋おばさんは料理研究家と言う肩書きを持っており、姉や生徒たちに教えているので料理が過剰に用意されており、いつでも食べらると言う状況に甘んじてしまい今に至ってしまったのだ。志賀倉の人間だと言うのに……。
とは言え、サバイバル料理はじいちゃんに教わったし、ばあちゃんたちの料理しているところは何百回と見てきている。初めてでも作る自信はあった──んだが、いいところ四十点。思ったよりできなかった……。
「なにが悪かったんだ?」
道具も材料も美尋おばさんに送ってもらったものだ。手順も料理本──美尋おばさんが出版したものだ──通りに作ったにも関わらずばあちゃんや美尋おばさんの半分も出せないなんて。やはり、ボクには料理の才能がないのか?
「そう? 久しぶりにこんな美味しいもの食べたわよ」
そのセリフで母親の食生活がわかると言うものだが、この程度の味ならちょっと練習すれば誰でも作れる味であり、とても褒められるような味ではないのだ。
「その向上心やよし! これからもママのために美味しいものを作りなさい!」
その向上心が一気に萎えてしまった。
ったく、どこでこんなダメ母になったんだ、この人は? 昔はちゃんと家事……してたっけか? なにやら家族団欒と言う記憶がないんだが……いや、こうしてボクが育っているのだからちゃんと食事や掃除はしてきたんだろう。うん、そう思っておこう。ときに真実は人をダメにする。ここはいい思い出としておくのが吉ってもんである。
気持ちを切り替え、さっさと朝食を済ませる。
「──はい、ごちそうさまでした」
綺麗に平らげ、食器を自動洗浄機へと入れる。
「母さん、食べたら食器はちゃんと入れてよ。あと、スイッチは押す。自動とは言えスタートさせないと動かないんだから」
あれだけ携帯を使いこなしたクセに、なんで自動洗浄機のスイッチを押すことぐらいできないんだよ、まったく!
「じゃあ、ボクは行くけど、戸締まりよろしくね。あと、今日は星華ちゃんちに泊まるから夕飯は勝手に済ましてね。出前の品書きは電話の横。洗濯ものは分別して籠に入れる。酒は充分にあるけど、飲んだら補充する。いい?」
「はぁ~い! って、星華ちゃんちに泊まるとか初耳なんですけど?」
なにか『なんですけど?』だよ。歳考えろや。
「言う必要がどこにあるんだよ?」
冬馬おじさんも藤乃おばさんも家族のようなもの。いや、実の親より深い愛情を持っている。なにより、いつ帰ってくるかわからない仕事人間に許可を取る必要がどこにあると言うのだ。ない! とボクは断言するね。
「そう言うことは早く言いなさいよね。まったく気が利かない子なんだから。調整するのも大変なんだからね」
なにやらテーブルの上に置いていた携帯電話に手を伸ばすと、誰かに電話をした。
「──あ、山下くん、わたし~。君の可愛い上司だよ~♪ 今日の夜ちょっと用事ができたから現場は君に任せるね。わたしは本部に出るからさ~。じゃあ、お願いねっ」
プチっと電話を切った。
「そーゆーことだから」
「どーゆーことだよっ!?」
意味わかんねーよ。いや、わかりたくもねーけどさ。
「だからママも泊まりに行くの。冬馬くんや藤乃ちゃんのところには行かなくちゃとは思ってたんだけど、なかなか時間が取れなくて会いに行けなかったのよね~♪」
いやあんた、今、軽く取ったじゃん! 電話で済ませたじゃん!
「だったら仕事を優先しろよ! 部下を思いやれよ! その山下さんとやらに謝れよ!」
母親がどんな仕事しているかなんて知らないし、興味もないが、そんな理由で部下に苦労を掛けるなよ、この腐れ上司がっ!
「いいのいいの。いずれ山下くんもチームを率いる身なんだし、少しくらい苦労するくらいが丁度いいのよ。でないと明日の日本は守れないわ」
こんな母親に守られる日本もどうかと思うが……まあ、毒は毒を持って制すと言うし、こう言う型破りも必要なんだろうと納得しておこう。これ以上言ったら
巻き込まれそうだしな。
「まあ、泊まるなら別に構わないが、ちゃんとおじさんとおばさんに連絡を入れろよな。あっちにだって都合があるんだから」
この母親が普通に泊まる訳がない。きっと宴会になって大騒ぎするに決まっている。ならば、一言入れておくのが礼儀だろうよ。
「それもそうね」
そう言うと携帯をいじり出した。
「──あ、もしもしぃ~、柳生さんのおたく──あ、藤乃ちゃん! お久し振りぃ~! 元気ぃ~♪ ごめんね~連絡するのが遅れちゃって」
ったく。だからあっちの都合も考えろってんだよ。朝の忙しいときに電話入れやがって。
無駄話に花を咲かせる母親から携帯を奪い取る。
「そう言うことだからご迷惑掛けます。じゃあ、またあとで──」
通話を切り、携帯を母親に放り投げた。
「んじゃ、行ってきまーす!」
文句を言われる前に食堂から飛び出した。
二階にある自分の部屋に戻り、学校指定の学生服──と言うよりは戦闘服に着替え、いろいろ改造したテカニカル・メッセンジャー・バックと食糧(お菓子とかいろいろ)が入ったバックを担ぎ、これまたいろいろ改造したキャリーケースを持ち、部屋を出ようとして停止。姿見の鏡の前に立った。
「……まさか、高校に入るとはな……」
まあ、世間一般の高校──梅学的に言えば高等科だけど──とは違うが、進学するなど夢にも思わなかったし、こうしてまた通うことになるとはな、ほんと、人生なにが起こるかわからないもんだ……。
「よし!」
両頬を叩いて気合いを入れる。
生きると決めたのなら躊躇はしない。全力で、後悔しないように生きるのが志賀倉の誇りでる。しっかり生きろ、ボクっ!
部屋を出て階段を下り、玄関で当然のように改造した靴を履き、棚の上にあるヘルメットをつかんで外に出る。
我が家は築十八年の5LDKの分譲住宅でよくある造りだが、敷地面積は二倍あり、一軒分に匹敵する鉄筋コンクリート製のガレージがあった。
父さんの趣味か、それとも父さんの仕事が関係しているかはわからないが、ちょっとしたシェルター並に頑丈にできており、車三台、バイク二台は余裕で入る広さがあった。二階には工具やタイヤを収納する倉庫に工作室があり、地下には本物のシェルター──と言う名の武器庫が完備してあった。
とは言っても離婚のときに処分したようでちょっとした工具類とちょっとした武器があっただけ。車も母さんのとボクの愛車──四二一年製のジーオンR1サイドカー付き一台があるだけであった。
今はそれだけのみすぼらしいガレージだが、順次、増やして行く計画だ。まあ、こうご期待である。
改造キャリーケースと食糧バックをサイドカーの荷台にくくり付け、エンジンを掛けて暖気する。
頑丈なシャッターを開け、しばらく見るだろう光景を眺めた。
まだ通勤通学の時間ではないためか、往来する人は少ない。ゴミ出しをするおばちゃんや通勤するサラリーマンがいるくらいだった。
「……浦島太郎だな……」
「なにが浦島太郎なの?」
「うおっ!?」
突然の声に飛び上がってしまった。
「……な、なんだ、星華ちゃんか。びっくりさせないでよ……」
どうやら長いこと呆けていたらしく、幼なじみが近づいてくるのもわからなかったよ。
「そんなに驚くなんて珍しいじゃない。どうしたの?」
「いや、九年と言う時の長さに溺れてただけさ」
ここから見た風景は覚えている。なに一つ変わってない。なのに昔と今見ている風景が重ならない。知っているのに知らない。まるで現実感がなかった。
「そうだね。過ぎてみればあっと言う間だけど、九年と言う歳月は思い出を美化させたり忘れさせたりするからな。ましてやここに戻ってくるなんて夢にも思わなかったしさ」
「うん。懐かしい思い出を今に持ってこられても戸惑うよ」
いくら順応性の高いボクでも思い出の中に無理矢理仕舞ったものを今直ぐ出すことはできない。まだ十五年しか生きてない未熟者なんだから……。
「って、どうして星華ちゃんがここにいるの?」
昨日の電話ではボクが迎えに行く約束だったのに。
「我慢できなくてきちゃった」
「はん?」
「だって、あのときの約束がやっと叶うんだもん、じっとしてらんないよ!」
本当ならボクも梅学に通うはずだった。けど、精霊獣を宿したり両親が離婚したりと、『一緒に登校しようね』と言う約束が消えてしまい、幼い日の思い出となってしまったのだ。
「うん、そうだね。じっとしてらんないね。よし、あの日の約束を実行しようじゃないか!」
愛車に跨がり、星華ちゃんをサイドカーに乗るよう促した。
「なんか古いバイクだね。もっと新しいのなかったの?」
「いや、近所に趣味のいいバイク屋があってさ、そこのおじさんと仲好くなったらこいつを紹介してくれたんだ。サイドカーだって安くしてくれるって言うから即買いさ」
星華ちゃん用のヘルメットを渡した。
「そう言えば、武器携帯の申請に三百枚も使ったそうじゃないか。いくら道具使いだからってムチャクチャだよ。登録 課の人らが泣いてたよ」
「あれでも妥協したんだよ。本当なら対戦車ミサイルや劇薬も登録したかったのにダメって言うんだからさ!」
「……いや、ダメに決まってるでしょ……」
「なにがダメさ! 詐欺もいいところじゃないか! 携帯できるならなんでもいいって言ったクセにさ!」
この学生服を着ているならと言う条件付きではあるが、着ていれば国が許すと言っていた。それこそ剣でも銃でもってね。更に道具使いとして技能を認めてくれた。ならばなんの遠慮があると言う。登録書が何枚になろうと書かなければ損ではないか!
「まあ、登録に四日も掛かっちゃったから家のことが半分くらいしかできなかったのが残念だけどね」
などと愚痴る。
「ねぇ、まーちゃん。まだ時間もあるし、ちょっと遠回りして行こう?」
「そうだね。どこ通って行こうか?」
「なら二八通りから行こうよ。今の時間ならそれほど混んでないし、街路樹が綺麗だしさ」
頭の中に入れた地図を思い浮かべ、道順を確認する。
「了解。では、しゅっぱぁ~つ!」
アクセルを吹かし、愛車を発車させた。
「じゃあ、そっちから行きますか」